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27 感謝 アナスタシア
しおりを挟む逞しい腕に抱かれて微睡みから覚める。
愛おしい夫を見上げれば、安心したように口許に笑みを浮かべて眠りについていた。
愛する夫を不安にさせてしまっていることはわかっていた。
でも、過去の辛い記憶を思い出したくない気持ちと、本当の事を知られて嫌われることが怖くて、ずっと話せなかった。
ジェラルドが私を見放すことはないとわかっていても、彼にだけは嫌われたくない。
気が強い性格のせいで勘違いされているけど、私は意外と臆病者……。
──学園に入学したばかりの頃。
道に迷う新入生に手を差し伸べた最上級生は、笑顔で生徒を教室まで送り届けた。
女性に好かれる甘いマスクのジェフリーを、素敵な人だなって思ったのは私だけではないと思う。
同級の男子生徒達は偽善者だって話していたけど、彼が偽善者だったとしても、見て見ぬ振りをする人より断然良いと思った。
性格も穏やかで、彼のような人が旦那様だったら良いな。なんて思っている時に、父が選んだ政略結婚の相手がジェフリーだった。
先方も快諾していたよ、と話を聞いた私は、浮かれてしまっていた。
彼も私のことを知っていてくれたのだと。
公爵家であるし、いろんな意味で兄も姉も有名だから、私の存在も目立っていたことだろう。
だから顔合わせの時に、私の存在を知らなかった彼に、少しだけがっかりした。
でも、それならこれから知って貰えば良いと歩み寄る努力をしたけど、反応はあまり良くなかった。
なぜなら、彼は私との結婚を望んでいなかったから。
だから、恋人を第二夫人に娶りたいと言われた時に、「二人を平等に愛して欲しい」なんて、思ってもいないことをお願いした。
本当なら私だけを愛して欲しかったけど、そんなことを言ってこの婚約がなくなってしまうことが怖かった。
駄目だったとしても、勇気を出して「私だけを愛して欲しい」と言ってみたら良かったと、何度も後悔した。
でもそう話していたなら、弱者を放っておけない彼は、私のことを愛するどころか嫌悪していただろう。
それからジェフリーと過ごす日々は一変した。
本当に私を愛しているかのような熱い視線を送られ、愛してると告げられて、胸の高鳴りを止めることが出来なかった。
彼を知れば知るほど溺れていき、永遠に彼の隣で笑っていたいし、彼の幸せの為ならなんだってしたいと思っていた。
第二夫人を迎えるまでに、彼が私のことだけを愛してくれたら良いのに……。
彼と穏やかな時を過ごせば過ごすほど、その思いが強くなっていった。
婚姻してからは『この幸せな時間はあと三年』とカウントダウンしながらも、どこか期待していた。
やはり考え直す、と言ってくれることを……。
そんな私の思いは、彼には届かなかった。
身篭ったクララの腰に手を回し、お腹に耳を当てて「パパだよ~!」と笑顔で声をかけるジェフリーを思い出して、胸がチクリと痛む。
私の存在をすっかり忘れている彼と、ニタリといやらしい笑みを浮かべるクララ。
あの時の地獄のような光景は、今も脳裏に焼き付いている。
愛する人の口から放たれた私を罵倒する言葉は、他の誰に言われるよりも胸を抉った。
言った方は覚えていないかもしれないけれど、言われた方はそう簡単に忘れることなんて出来なかった。
愛していたからこそ、憎くてたまらなかった。
私はこんなに愛しているのに、どうして?
どうして分かってくれないの?
全ては貴方の為なのに、と嘆くことしか出来なかった。
複雑な思いの中、常に私を気にかけてくれた人が、ジェフリーの兄のジェラルドだった。
彼がいつも手土産に持ってくるものは、彼の瞳と同じ色のネモフィラの花束。
浪費を嫌っている設定だろう? とばかりの顔をするジェラルドに、内心焦りながらも白けた目を向けていたことが懐かしい。
離縁後に匿ってくれていた時も、絶対に振り向かせると意気込むジェラルドに対抗して、いつも袖にしていた。
元夫と血の繋がった男なんてお断りだと、内心毒づいていた。
でも共に過ごすようになって、ジェフリーとは違って芯の強い彼を頼もしく思っていた。
ジェフリーとのことを一切聞いて来ないところも、私への配慮が完璧だった。
仕事で会えないはずの日も、たった五分でも毎日会いにきてくれるジェラルドは、私の凍てついた心をゆっくりと溶かしてくれた。
長い睫毛が震え、美しい青色の瞳が穏やかに微笑む私を映す。
ジェラルドがくれたネモフィラの花束は、一見私へのアプローチにも思えるけど、そうじゃない。
彼は、これ以上私が苦しまないように導いてくれたのだと思う。
「ん……ナーシャ?」
「おはよう。あのね、お願いがあるの……」
私からお願いすることは滅多にない為、寝起きで目を丸くする夫に、くすりと笑う。
「花束を届けて欲しいの」
「ああ、良いが……。誰にだ?」
「誰だと思う?」
「自分で考えろって? 意地悪だな」
喉を鳴らして笑いながら私に口付けた夫は、ぴたりと動きを止めた。
そしてまじまじと私の顔を見つめる。
「今貴方が思った通りよ」
私の名を愛おしそうに呟く夫は、年齢を重ねても本当に美しく、益々魅力的になっている。
聡明で抱擁力があって、一途。内面も極上だ。
「三日後、あたりか」
「ふふっ。本当に完璧な旦那様だわ」
「……どうした、ナーシャが私を褒めるなんて」
「言わないだけで、いつもそう思ってるもの」
肩を竦ませる夫は、口角を持ち上げた。
昨晩、散々愛し合ったというのに、朝から不埒な動きをする手をぺしりと叩く。
「もう無理しなくても良いのよ?」
「何がだ?」
「全部お見通しなんだからっ」
困ったな、と呟く夫は、私を優しく抱きしめる。
「愛してるから触れたいんだ」
「そうね。でも、もう見せつけなくても良いのよ?」
「………………」
「ふふっ。ありがとう、私の為よね?」
黙秘する夫の腕の力が強くなる。
本当に私を愛しているし、子供も好きなのはわかっているけれど、全ては過去に辛い思いをした私の為だってことに気付いている。
元夫に対して、私は病弱でも、子を産めない身体でもないと、彼は証明してくれているのだ。
初めて肌を許した相手が、ジェラルドで本当に良かったと思う。
もしジェフリーと睦み合っていたならば、私はもっと悍しい復讐劇を果たしていたと思う。
一時の感情に任せていたなら、その瞬間は気が晴れるかもしれないけど、死ぬまで後悔していたと思う。
間違った道に進まずに済んだのは、全ては愛する夫のおかげ。
どんな時でも私を支えてくれる夫の存在と、長い時が経ったことにより、ジェフリーとはすれ違ってしまったけど、彼に恋をした心躍る日々は、今となっては綺麗な思い出になったと思う。
傍にいることができなくても、私は彼の幸せを願っている。
くすりと笑っていると、夫は私の手の甲に口付けて、優しく撫でる。
まるで消毒しているかのように。
口には出さないけれど、嫉妬深いところにも愛を感じている。
それにジェイクの面倒を見ていたから、愛する人との子も乳母任せにせず、自らの手で育てることが出来た。
私の人生の中で最も辛い三年間だったけど、全く意味のないものでもなかったと思う。
熱っぽく見つめる夫の期待に応えようと、顔を近づけて目を伏せる。
「母様~っ!」
寝室の扉が勢い良く開き、五歳になった末っ子のアーサーが寝台の上に飛び込んだ。
ジェラルドにそっくりの愛おしい子を抱きしめて、朝食にしようと手を繋ぐ。
不貞腐れる可愛い夫の手を引いて、お利口さんに待っていた三人の子らと食卓を囲む。
愛する家族に囲まれる私は、過去に手にすることの出来なかった幸せな日々を送っている。
──本物の笑顔で。
夫に胸の内を語り、過去を振り返ることをやめた私は、前を向いて歩いていく。
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