スキルなし、聖女でもない。ただの「聞き上手」な私が異世界で幸せを探して旅に出ます~気づけば氷雪の騎士様に溺愛されています~

咲月ねむと

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1章 はじまりのパン屋、夕暮れの騎士

7話 旅立ちの朝、不器用な騎士の誓い

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​ 季節が一つ進み、風に混じる冷気が少しずつ和らいできた頃。

 旅立ちの朝、不器用な騎士の誓い『マーサのパン屋』は、町一番の人気店になっていた。
​ 私が描いたカードは店中に溢れ、黒パンは「精力がつく」と労働者たちに飛ぶように売れ、新作のジャムパンやクリームパンは子供たちの笑顔を作っている。

 近所の女の子がアルバイトとして雇われ、店は私がいなくても十分に回るようになっていた。

​(……そろそろ、潮時かな)

​ ある日の閉店後、ピカピカに磨き上げられた窓を見ながら、私はそう思った。
 ここでの生活は楽しかった。マーサさんは家族のように接してくれるし、常連さんたちも温かい。

 けれど、私は本来、異世界の迷い人だ。
 この町しか知らないまま、ここに定住していいのかな。それだけが疑問だった。もっと広い世界を見て、自分にしかできない「幸せ」を探すべきなんじゃないか。
 それにいつまでもマーサさんの厚意に甘えて、居座り続けるわけにはいかない。

​ その夜、私はマーサさんに話を切り出した。

「マーサさん。私、そろそろ次の町へ行こうと思います」

​ スープを飲んでいたマーサさんの手が止まった。
 彼女は驚かなかった。まるで、その言葉を予期していたかのように静かにカップを置いた。

「……そうかい」

「はい。店も落ち着きましたし、新しい子も優秀です。だから……」

「馬鹿な子だねぇ」

 マーサさんは苦笑して、私の言葉を遮った。

「気を使ってるのが丸わかりだよ。……でも、引き止めはしないさ」

​ 彼女は立ち上がり、棚の奥から古びた革袋を持ってきた。
 ずしりと重い。

「これは……?」

「給金だよ。あんたが稼いでくれた分に比べれば少ないけどね」

「そんな! 私は置いてもらっただけで……」

「受け取りな。旅には金がかかる」

 マーサさんは無理やり私の手に袋を握らせると、その手を両手でぎゅっと包み込んだ。

「エマ。あんたは『聞き上手』だ。人の心に寄り添える、いい子だ。だから、どこへ行っても大丈夫さ。……あんた自身の幸せを見つけておいで」

​ 皺だらけの温かい手。

 私は涙をこらえるのに必死で何度も頷くことしかできなかった。

​ ◇

​ 翌朝。
 まだ町が眠っている薄明かりの中、私は店を出た。リュックの中には、マーサさんが持たせてくれた焼きたてのパンと水筒、そして少しの着替え。
 振り返ると、看板が見えた。

 『マーサのパン屋』。

 その文字は、私がペンキで書き直して綺麗になっている。

「行ってきます。……ありがとうございました」

 深く一礼をして、私は石畳の道を歩き出した。
​ 誰もいない朝の通りは静かだ。
 一つだけ、心残りがあるとすれば。

​(ジークさんに、さよなら言えなかったな)

​ 毎日来てくれる彼に、昨日は会えなかった。急な討伐依頼が入ったとかで姿を見せなかったからだ。

 手紙くらい残せばよかったかな。
 でも、ただの店員がいなくなっただけで、わざわざ挨拶するのも自意識過剰かもしれない。
 彼はこの町の英雄で、私はただの旅人。住む世界が違う。

 胸の奥がチクリと痛むのを無視して、私は町の出口である大門へと向かった。
​ 門には、眠そうな衛兵が一人立っているだけ――だと思っていた。

​「……遅い」

​ 門柱の影から低い声がした。
 私は心臓が跳ね上がるほど驚いた。

「え……? ジークさん!?」

​ そこにいたのは、完全武装のジークフリートさんだった。背中には大剣だけでなく、大きな旅用の荷物を背負っている。
 腕組みをして仁王立ちで私を待ち構えていた。

​「どうしてここに? 討伐依頼じゃ……」

「終わらせてきた。徹夜でな」

 彼は平然と言ったが、その目の下には少し隈がある。

「え、あ、お疲れ様です。……じゃなくて! 私、今日、町を出るんです。だから……」

「知っている」

 彼は私の言葉を遮った。

「婆さんから聞いた」

「マーサさんから……?」

「『あの子が旅に出る。一人じゃ危なっかしくて見てられないから、あんたが守ってやりな』と言われた」

​ マーサさん……!

 あの時、「引き止めない」と言いながら裏でこんな根回しをしていたなんて。
 私は慌てて首を横に振った。

「い、いえいえ! そんなの悪いです! ジークさんはこの町一番の騎士じゃないですか。私なんかの護衛をしてる暇なんて……」

​「暇なんだ」

 彼はまた遮った。

「傭兵ギルドは辞めてきた」

「はあぁっ!?」

 私は大声を出してしまった。
 衛兵がビクッとしてこちらを見ている。

「や、辞めたって、どうして……!」

「元々、この町には恩返しのためにいただけだ。それに……」

​ 彼は一歩、私に近づいた。
 見上げると、彼の氷色の瞳が朝焼けの光を受けて優しく揺れていた。

​「俺が、行きたいんだ」

「え?」

「あんたが作る次の居場所を、見てみたい。……あんたが笑っているところを、一番近くで見ていたいんだ」

​ それは実質的な告白だった。
 不器用で、遠回しで、でも真っ直ぐな言葉。
 私の顔が一瞬で沸騰した。「守る」とか「護衛」とか、そんな建前を通り越して、「一緒にいたい」と言ってくれている。

​「……迷惑、か?」

 私が黙り込んでいると、彼は不安そうに眉を下げた。強面の英雄が捨てられた子犬のような顔をする。そんな顔をされたら、断れるわけがない。
 ううん、本当は私も、望んでいた。

​「……迷惑じゃ、ないです」

 私は精一杯の声で答えた。

「むしろ、心強いです。……荷物持ち、お願いしてもいいですか?」

「ああ。任せろ」

​ 彼はパッと表情を輝かせると、私のリュックを軽々と奪い取り、自分の肩にひょいと掛けた。

「行くぞ。次の町まで馬車で半日だ」

「あ、待ってください!」

​ 歩き出した彼の背中を追いかける。
 朝日は完全に昇った。

 私たちの影を長く伸ばしていた。スキルも魔法もない私。でも、隣には世界一強くて不器用な騎士様がいる。そしてリュックの中には、世界一温かい思い出のパンが入っている。

​「ねえ、ジークさん。次の町では何が美味しいんでしょうか」

「……さあな。だが、あんたと食えば何でも美味いだろう」

「もう! そういうことサラッと言わないでください!」

​ 私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
 この広い異世界のどこかにある、最高の幸せを見つけるために。
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