スキルなし、聖女でもない。ただの「聞き上手」な私が異世界で幸せを探して旅に出ます~気づけば氷雪の騎士様に溺愛されています~

咲月ねむと

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1章 はじまりのパン屋、夕暮れの騎士

6話 氷が溶けるとき、仲間たちは騒ぐ

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​ マーサさんが倒れてから三日後。

 店は無事に営業を再開していた。
 十分な休養を取ったマーサさんは、以前よりも肌艶が良く、憑き物が落ちたように表情が柔らかくなっていた。

「エマ、黒パンの生地頼むよ!」

「はい、ただいま!」

 厨房に活気ある声が響く。
 マーサさんは、以前のように頑固に黒パンだけを推すのではなく、私が提案したジャムパンやチーズ入りの白パンも積極的に焼くようになっていた。

「新しいのも悪くないね」

 と笑う彼女を見て、私は心の底からホッとした。

​ ただ、問題が一つだけある。

 私の心臓だ。

​ 『俺がいる』

 あの夜、ジークさんに頭を撫でられた感触が未だに消えない。
 ふとした瞬間に思い出しては、顔が熱くなる。
 ただの常連さんと店員。異世界の恩人と迷い人。それだけの関係のはずなのに。

​ ◇

​ その日の夕暮れ時は、いつもより騒がしかった。
 カランコロン、とベルが鳴るのと同時に、野太い笑い声がなだれ込んできたのだ。

​「おいジーク! ここがお前の言ってた『隠れ家』か?」

「へえ、いい匂いがするじゃねぇか!」

「おいおい、こんな可愛らしい店に、お前みたいな仏頂面が通ってんのかよ」

​ 入ってきたのは屈強な男たち三人組だった。
 全員が武器を携え、歴戦の傭兵といった風貌だ。 その中心には、いつもの倍くらい眉間に皺を寄せたジークさんがいた。

​「……うるさいぞ、お前ら。静かに食え」

 ジークさんは鬱陶しそうに言ったが、男たちは聞く耳を持たない。どうやら、彼の傭兵仲間たちが、ジークさんの通い詰める店の噂を聞きつけて、ついてきてしまったらしい。

​ 私は緊張しながらカウンターに立った。

 ジークさん一人の迫力でもすごいのに、四人も揃うと、小さなパン屋はさながら山賊の宴会場だ。

​「い、いらっしゃいませ!」

 声をかけると、先頭にいた赤髪の軽薄そうな男が、私を見て目を丸くした。

「おっ! なんだなんだ、看板娘がいるなんて聞いてないぞ?」

 男はカウンターに身を乗り出し、ニヤリと笑った。

「へえ、色白で可愛らしいお嬢さんだ。名前は? 俺はガイルっていうんだけど」

「え、あ、エマです……」

「エマちゃんか! いやー、ジークが毎日そそくさと帰る理由がわかったぜ。パンが目当てじゃなくて、こっちが目当てだったんだな?」

​ ガイルさんが私の手に触れようと手を伸ばした、その時だった。

​ ダンッ!!

​ 凄まじい音がしてカウンターが揺れた。
 見ると、ジークさんが無言でカウンターに革袋を叩きつけていた。その背後には、目に見えるほどの冷気――殺気が立ち上っている。

​「……ガイル。その汚い手を引っ込めろ」

 地獄の底から響くような声だった。
 ガイルさんは「ヒェッ」と悲鳴を上げて、バッと手を引っ込めた。

「じ、冗談だよ! 本気で殺気放つなよ! 氷魔法が漏れてるぞ!」

「……エマが怖がる。席につけ」

 ジークさんは仲間たちを睨みつけ、犬を追い払うように顎でイートインスペースを指した。
​ 仲間たちは「怖ぇ~」「過保護かよ」とブツブツ言いながらも、大人しく席についた。

 ジークさんは私に向き直ると、ふっと表情を緩めた。さっきまでの鬼のような形相が嘘のように、申し訳なさそうな顔になる。

​「……すまん。騒がしくさせた」

「いえ、お友達なんですね。賑やかで楽しいです」

「……友達じゃない。腐れ縁だ」

 彼はため息をつきつつ、いつもの黒パンと仲間たちの分の山盛りのパンを注文した。
​ 席に着いた男たちは、パンを一口食べると、目の色を変えた。

「うおっ、うめぇ!」

「なんだこれ、いつもの堅焼きパンと全然違うぞ。中がふわふわだ!」

「ジャムもうめぇ! これ、高級なルビベリーじゃねぇか!」

​ あっという間にパンが消えていく。
 追加注文の嵐に、私とマーサさんは嬉しい悲鳴を上げた。

 そんな中、ガイルさんがまた余計なことを言い出した。

「いやー、美味いパンに可愛い店員さん。こりゃあ俺も通おうかなあ。なあエマちゃん、今度俺と――」

​ ピキ、と空気が凍る音がした。
 ジークさんが、無言で手元のコップを握りつぶしそうになっていた。
 隣にいた別の男が慌ててガイルさんの口を塞ぐ。

「おいバカやめろ! ジークの『縄張り』に手を出すな!」

「んぐぐ!」

「見てわかんねぇのか、さっきからあの子のことしか見てねぇのをよぉ」

​ ……え?

 私はトレイを持ったまま固まった。
 厨房にいるマーサさんも、ニヤニヤしながら聞き耳を立てている。ジークさんは顔を逸らし、赤くなった耳を隠すようにコップの水を煽った。

「……うるさい。さっさと食って帰れ」

「うわ、図星かよ!」

「あのジークがねえ……雪解けの季節ってやつか?」

 仲間たちはヒューヒューと囃し立てる。
 私は厨房へ逃げ込んだ。心臓が鼓動が早くなっている。

​(縄張りって……ジークさん、私のこと……)

 いや、自惚れちゃダメだ。
 彼はただ、お店の風紀を守ろうとしただけ。

 でも、さっき私を庇ってくれた時の真剣な目は、ただの常連さんのそれとは思えなかった。

​ 帰り際。
 仲間たちに引きずられるように店を出て行くジークさんが一瞬だけ立ち止まり振り返った。

 店内には私一人。
 彼は少し困ったように眉を下げ、でもしっかりと私の目を見て言った。

​「……あいつらは騒がしいが、悪い奴らじゃない」

「はい、もちろんです! パン、たくさん食べてくれて嬉しかったです」

「ああ。……それと」

 彼は言葉を切り、少し迷った後、ボソッと言った。

「……今日の髪飾り、似合ってる」

​ えっ。

 私は反射的に髪に手をやった。
 今朝、気まぐれでつけた安いリボンなのに。
 そんな細かいところまで見ていたの?

​ 私が反応する前に、彼は「じゃあな」と背を向けて逃げるように夜の街へ消えていった。

​「……ずるい」

 私は熱くなった頬を両手で包んだ。
 無口で不器用で普段は怖い顔をしているのに。

​「青春だねぇ」

 奥から出てきたマーサさんが楽しそうに笑った。

「さて、明日はもっとパンを焼かないとね。変な虫がつかないように毎日見張りに来るだろうからさ」

​ 私は何も言い返せなかった。
 ただ、異世界の夜風が、今日はとても甘く感じられた。
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