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第3話 氷の彫像が溶けるとき
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「……お前、本当に平気なのか?」
階段を降りてきたジークハルト様は、私の目の前で立ち止まった。
至近距離で見ると、その美貌の破壊力はすごい。透き通るような白い肌、長い睫毛。ただ、その瞳は充血し、肌は高熱を出した人のように火照っているようにも見えるのに、漂う空気はもう極寒だった。
「平気とは、何がでしょうか?」
「この冷気だ。私の魔力は、感情の高ぶりと共に周囲を凍てつかせる。普通の人間なら、この距離に立っただけで肺が凍りつき、呼吸困難に陥るはずだ」
彼は訝しげに私を見下ろした。
私はこっそりと自分の胸に手を当てる。
……うん、呼吸は普通にできる。むしろ彼が近づいてきたことで、なぜか体がポカポカと温かくなってきたような気さえする。
(不思議ね。暖房器具に近づいたみたい)
「私の実家は隙間風が酷かったので、寒さには耐性があるのかもしれません」
「……ふざけているのか」
「いいえ、大真面目です。それより旦那様、顔色が非常に優れませんが、お休みになった方がよろしいのでは?」
私が気遣うと、彼は自嘲気味に鼻を鳴らした。
「休む? ……眠れるわけがないだろう」
彼は苛立ったように髪をかき上げた。
「私の体内では、常に魔力が暴走し続けている。全身を内側から焼かれるような熱と、外側へ溢れ出す冷気……その激痛でここ三日、一睡もしていない」
三日も!
それは機嫌が悪くなるのも当たり前だ。
前世で徹夜続きのデスマーチを経験した私には、その辛さが痛いほど分かる。人間、寝不足だと人格が変わるし、判断力も鈍っちゃう。
「それはお辛いですね……。ホットミルクでもお持ちしましょうか?」
「余計な世話だ。下がれ、目障りだ……ッ!」
その時だった。
ジークハルト様の体がぐらりと揺れた。
とうに限界を超えていたのかもしれない。彼は苦悶の表情を浮かべ、そのまま私の方向へ倒れ込んできた。
「危ない!」
私はとっさに一歩踏み出し、彼の体を受け止めた。長身の彼を支えきれるわけもなく、私たちはもつれ合うようにして、ふかふかの絨毯の上に倒れ込む。彼が私に覆いかぶさる形になった。
「うっ……重……」
「……ッ!?」
すぐに突き飛ばされるか、あるいは「触るな」と怒鳴られるかと思った。けれど、私の上に乗ったジークハルト様は、目を見開いたまま固まっていた。
彼の瞳から険しい殺気が消えていく。
「……なんだ、これは」
彼は震える声で呟いた。
「静かだ……」
「は、はい?」
「頭の中で鳴り響いていた魔力の奔流が……消えた? それに、熱も、痛みも……」
彼は信じられないものを見る目で、私を正確には、私の腕を掴んでいる自分の手を見た。
彼が私に触れている部分から、まるで泥水が清流に変わるように、彼を苦しめていた「何か」が吸い取られていく感覚があるらしい。
私自身は、ただ彼がひんやりとして気持ちいいな、くらいにしか感じていないのだけれど。
「おい、お前」
「は、はい。エルナです」
「エルナ……。お前、何をした?」
「何もしていません! ただ倒れてきた旦那様を支えただけで……あの、そろそろ退いていただけますか? 重いのですが」
私が身じろぎすると、彼はハッとしたように顔を上げた。けれど退くどころか、彼の腕が、私の腰に強く回された。
「……待て」
「え?」
「離れるな」
命令口調だったが、その声は縋るように切羽詰まっていた。
「離さないでくれ。……君が離れると、またあの痛みが戻ってくる」
先ほどまでの「氷の公爵」の威厳はどこへやら。
今の彼は、まるで悪夢から逃れるために母親の手を握る子供のようだった。
「頼む……もう少しだけ。このまま、こうしていてくれないか」
その弱々しい声と肩に預けられた頭の重みに、私のお人好し精神がうずいた。
(……ああ、これは放っておけないやつだ)
「……わかりました。少しだけですよ?」
私がため息混じりにそう答えると、彼は私の首筋に顔を埋め、深く安堵の息を吐き出した。
その瞬間、屋敷中を覆っていた刺すような冷気がふわりと緩んだのを肌で感じた。
階段を降りてきたジークハルト様は、私の目の前で立ち止まった。
至近距離で見ると、その美貌の破壊力はすごい。透き通るような白い肌、長い睫毛。ただ、その瞳は充血し、肌は高熱を出した人のように火照っているようにも見えるのに、漂う空気はもう極寒だった。
「平気とは、何がでしょうか?」
「この冷気だ。私の魔力は、感情の高ぶりと共に周囲を凍てつかせる。普通の人間なら、この距離に立っただけで肺が凍りつき、呼吸困難に陥るはずだ」
彼は訝しげに私を見下ろした。
私はこっそりと自分の胸に手を当てる。
……うん、呼吸は普通にできる。むしろ彼が近づいてきたことで、なぜか体がポカポカと温かくなってきたような気さえする。
(不思議ね。暖房器具に近づいたみたい)
「私の実家は隙間風が酷かったので、寒さには耐性があるのかもしれません」
「……ふざけているのか」
「いいえ、大真面目です。それより旦那様、顔色が非常に優れませんが、お休みになった方がよろしいのでは?」
私が気遣うと、彼は自嘲気味に鼻を鳴らした。
「休む? ……眠れるわけがないだろう」
彼は苛立ったように髪をかき上げた。
「私の体内では、常に魔力が暴走し続けている。全身を内側から焼かれるような熱と、外側へ溢れ出す冷気……その激痛でここ三日、一睡もしていない」
三日も!
それは機嫌が悪くなるのも当たり前だ。
前世で徹夜続きのデスマーチを経験した私には、その辛さが痛いほど分かる。人間、寝不足だと人格が変わるし、判断力も鈍っちゃう。
「それはお辛いですね……。ホットミルクでもお持ちしましょうか?」
「余計な世話だ。下がれ、目障りだ……ッ!」
その時だった。
ジークハルト様の体がぐらりと揺れた。
とうに限界を超えていたのかもしれない。彼は苦悶の表情を浮かべ、そのまま私の方向へ倒れ込んできた。
「危ない!」
私はとっさに一歩踏み出し、彼の体を受け止めた。長身の彼を支えきれるわけもなく、私たちはもつれ合うようにして、ふかふかの絨毯の上に倒れ込む。彼が私に覆いかぶさる形になった。
「うっ……重……」
「……ッ!?」
すぐに突き飛ばされるか、あるいは「触るな」と怒鳴られるかと思った。けれど、私の上に乗ったジークハルト様は、目を見開いたまま固まっていた。
彼の瞳から険しい殺気が消えていく。
「……なんだ、これは」
彼は震える声で呟いた。
「静かだ……」
「は、はい?」
「頭の中で鳴り響いていた魔力の奔流が……消えた? それに、熱も、痛みも……」
彼は信じられないものを見る目で、私を正確には、私の腕を掴んでいる自分の手を見た。
彼が私に触れている部分から、まるで泥水が清流に変わるように、彼を苦しめていた「何か」が吸い取られていく感覚があるらしい。
私自身は、ただ彼がひんやりとして気持ちいいな、くらいにしか感じていないのだけれど。
「おい、お前」
「は、はい。エルナです」
「エルナ……。お前、何をした?」
「何もしていません! ただ倒れてきた旦那様を支えただけで……あの、そろそろ退いていただけますか? 重いのですが」
私が身じろぎすると、彼はハッとしたように顔を上げた。けれど退くどころか、彼の腕が、私の腰に強く回された。
「……待て」
「え?」
「離れるな」
命令口調だったが、その声は縋るように切羽詰まっていた。
「離さないでくれ。……君が離れると、またあの痛みが戻ってくる」
先ほどまでの「氷の公爵」の威厳はどこへやら。
今の彼は、まるで悪夢から逃れるために母親の手を握る子供のようだった。
「頼む……もう少しだけ。このまま、こうしていてくれないか」
その弱々しい声と肩に預けられた頭の重みに、私のお人好し精神がうずいた。
(……ああ、これは放っておけないやつだ)
「……わかりました。少しだけですよ?」
私がため息混じりにそう答えると、彼は私の首筋に顔を埋め、深く安堵の息を吐き出した。
その瞬間、屋敷中を覆っていた刺すような冷気がふわりと緩んだのを肌で感じた。
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