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第2話 凍りついた屋敷
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王都を出発して10日。
見渡す限り白銀の世界に変わった。
そして馬車が停まった。
「つ、着いたぞ! 降りろ!」
御者は震える声でそう叫ぶと、私のトランクを雪の上に乱暴に放り出した。
私が馬車から降りると、彼は逃げるように馬に鞭を入れ、来た道を猛スピードで引き返していく。
「……あらあら。チップを渡す暇もなかったわね」
取り残された私は、呆れ半分で息を吐いた。白い息が瞬く間に消える。
目の前には、巨大な黒い城塞――アイゼンガルド公爵邸がそびえ立っていた。普通ではありえないけど、外壁には氷の蔦が絡みついている。そんな屋敷から溢れる人を拒絶するような威圧感。
普通ならここで絶望して泣き崩れるところかもしれない。
でも、私は前世で企業の営業職をしていた女。
アポイントなしの飛び込み営業で、真冬に三時間待ちぼうけに比べれば、約束のある訪問なんてイージーモードだ。
「よし、行こう」
私はトランクを持ち上げ、凍りついた門をくぐった。
「よ、よくぞご無事で……ランズベルク家のご令嬢」
重厚な扉を開けて出迎えてくれたのは、白髪の老執事だった。名前をハンスさんらしい。彼は私を見るなり、幽霊でも見たかのように目を丸くした。
「馬車が逃げ帰るのが見えましたので、まさかとは思いましたが……お一人で?」
「ええ。身軽な方が気楽ですから」
「し、しかし……苦しくはありませんか?」
ハンスさんは心配そうに私の顔を覗き込む。
屋敷の中に入ったというのに、外よりも空気が張り詰めている気がした。使用人たちは皆、厚手の毛皮を着込み、どこか青ざめた顔で壁際に控えている。
「苦しい、とは?」
「旦那様……ジークハルト様の魔力が、今日は特に荒れておいでなのです。魔力を持たない者でも、この屋敷に入れば魔力酔いで立っていられなくなるはずですが……」
私は首を傾げた。確かに空気は冷たいし、ピリピリとした静電気のようなものは感じる。
でも、実家で父やミリアから浴びせられていた罵倒の嵐に比べれば、逆に心地いいくらい。
「いいえ、特に何も。それより暖炉の火を少し強めていただけますか? 経費削減も大切ですが、これでは風邪を引いてしまいます」
「は、はあ……経費、ですか」
ハンスさんがあっけに取られたような顔をする。
その時だった。
『…………帰れ』
地響きのような低く冷たい声が広間中に響き渡った。一瞬にして室温がさらに五度は下がった気がする。使用人たちが一斉に悲鳴を上げかけ、口を押さえて震え上がった。
大階段の上。
そこに一人の男が立っていた。
闇夜を切り取ったような黒髪に、凍てつく湖のようなアイスブルーの瞳。整いすぎた顔立ちは、人間というより冷徹な神が創りたごうた彫刻のようだ。
間違いなく、この屋敷の主――ジークハルト・フォン・アイゼンガルド公爵だ。
ただ、その姿は異様だった。
彼の周囲だけ空間が歪むほど濃密な冷気が渦巻き、手すりに触れた指先からは、バリバリと音を立てて霜が広がっている。
そして何より彼の顔色は死人のように悪く、目の下には濃い隈が刻まれていた。
(うわぁ……すごいイケメンだけど、すごい不健康そう)
それが私の第一印象だった。
彼は階段の上からゴミを見るような目で私を見下ろした。
「ランズベルク家の差し金か。……魔力ゼロの娘をよこせと言った覚えはない。その貧弱な体では、私に近づいた瞬間に心臓が凍って死ぬぞ」
「死ぬ」という言葉に殺気すら混じっている。
普通の令嬢なら、ここで失禁して気絶しているかもしれない。
けど、私は気づいてしまった。
彼の言葉は刺々しいけれど、その瞳の奥にあるのは「殺意」ではなく、圧倒的な「疲労」と、これ以上誰も傷つけたくないという「拒絶」だということに。
私はトランクを置くと、背筋を伸ばして彼を見上げた。
「ご心配には及びません、閣下。私は『魔力ゼロ』の役立たずですので、魔力酔いもいたしません」
「……なんだと?」
「それに実家からは『死んでこい』と言われて送り出されました。帰る場所などありませんので、ここで凍死するなら本望です」
私はニッコリと、営業用の最強スマイルを浮かべた。
「本日より妻……いえ、使用人の末席に加えていただきます、エルナと申します。どうぞよろしくお願いいたします、旦那様」
ジークハルト様の眉間がぐぐっと深く刻まれた。
見渡す限り白銀の世界に変わった。
そして馬車が停まった。
「つ、着いたぞ! 降りろ!」
御者は震える声でそう叫ぶと、私のトランクを雪の上に乱暴に放り出した。
私が馬車から降りると、彼は逃げるように馬に鞭を入れ、来た道を猛スピードで引き返していく。
「……あらあら。チップを渡す暇もなかったわね」
取り残された私は、呆れ半分で息を吐いた。白い息が瞬く間に消える。
目の前には、巨大な黒い城塞――アイゼンガルド公爵邸がそびえ立っていた。普通ではありえないけど、外壁には氷の蔦が絡みついている。そんな屋敷から溢れる人を拒絶するような威圧感。
普通ならここで絶望して泣き崩れるところかもしれない。
でも、私は前世で企業の営業職をしていた女。
アポイントなしの飛び込み営業で、真冬に三時間待ちぼうけに比べれば、約束のある訪問なんてイージーモードだ。
「よし、行こう」
私はトランクを持ち上げ、凍りついた門をくぐった。
「よ、よくぞご無事で……ランズベルク家のご令嬢」
重厚な扉を開けて出迎えてくれたのは、白髪の老執事だった。名前をハンスさんらしい。彼は私を見るなり、幽霊でも見たかのように目を丸くした。
「馬車が逃げ帰るのが見えましたので、まさかとは思いましたが……お一人で?」
「ええ。身軽な方が気楽ですから」
「し、しかし……苦しくはありませんか?」
ハンスさんは心配そうに私の顔を覗き込む。
屋敷の中に入ったというのに、外よりも空気が張り詰めている気がした。使用人たちは皆、厚手の毛皮を着込み、どこか青ざめた顔で壁際に控えている。
「苦しい、とは?」
「旦那様……ジークハルト様の魔力が、今日は特に荒れておいでなのです。魔力を持たない者でも、この屋敷に入れば魔力酔いで立っていられなくなるはずですが……」
私は首を傾げた。確かに空気は冷たいし、ピリピリとした静電気のようなものは感じる。
でも、実家で父やミリアから浴びせられていた罵倒の嵐に比べれば、逆に心地いいくらい。
「いいえ、特に何も。それより暖炉の火を少し強めていただけますか? 経費削減も大切ですが、これでは風邪を引いてしまいます」
「は、はあ……経費、ですか」
ハンスさんがあっけに取られたような顔をする。
その時だった。
『…………帰れ』
地響きのような低く冷たい声が広間中に響き渡った。一瞬にして室温がさらに五度は下がった気がする。使用人たちが一斉に悲鳴を上げかけ、口を押さえて震え上がった。
大階段の上。
そこに一人の男が立っていた。
闇夜を切り取ったような黒髪に、凍てつく湖のようなアイスブルーの瞳。整いすぎた顔立ちは、人間というより冷徹な神が創りたごうた彫刻のようだ。
間違いなく、この屋敷の主――ジークハルト・フォン・アイゼンガルド公爵だ。
ただ、その姿は異様だった。
彼の周囲だけ空間が歪むほど濃密な冷気が渦巻き、手すりに触れた指先からは、バリバリと音を立てて霜が広がっている。
そして何より彼の顔色は死人のように悪く、目の下には濃い隈が刻まれていた。
(うわぁ……すごいイケメンだけど、すごい不健康そう)
それが私の第一印象だった。
彼は階段の上からゴミを見るような目で私を見下ろした。
「ランズベルク家の差し金か。……魔力ゼロの娘をよこせと言った覚えはない。その貧弱な体では、私に近づいた瞬間に心臓が凍って死ぬぞ」
「死ぬ」という言葉に殺気すら混じっている。
普通の令嬢なら、ここで失禁して気絶しているかもしれない。
けど、私は気づいてしまった。
彼の言葉は刺々しいけれど、その瞳の奥にあるのは「殺意」ではなく、圧倒的な「疲労」と、これ以上誰も傷つけたくないという「拒絶」だということに。
私はトランクを置くと、背筋を伸ばして彼を見上げた。
「ご心配には及びません、閣下。私は『魔力ゼロ』の役立たずですので、魔力酔いもいたしません」
「……なんだと?」
「それに実家からは『死んでこい』と言われて送り出されました。帰る場所などありませんので、ここで凍死するなら本望です」
私はニッコリと、営業用の最強スマイルを浮かべた。
「本日より妻……いえ、使用人の末席に加えていただきます、エルナと申します。どうぞよろしくお願いいたします、旦那様」
ジークハルト様の眉間がぐぐっと深く刻まれた。
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