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第89話 殿下のご婚約者様は
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私は自分の部屋に戻ると侍女服に着替えた。これから執務室に向かうことになる。
「ロザンヌ様、何をお持ちなのですか?」
ユリアは私が手に持つ物に視線を下ろして尋ねてきた。
「ああ。これ? 今日は学校から課題が出たので、持っていこうと思うの。執務室で勉強してもいいと言われているから」
「そうですか。自ら進んで課題をなさるとは素晴らしいですね」
「無表情でその棒読み、止めてくださる?」
確かにこれまでの生活は家に帰ったらベッドの上にひっくり返っていて、課題はお母様にせっつかれてやっと始めていましたよ。今は殿下と同じ部屋にいて、ずっと話をしている訳にもいかないし、何かをやらざるを得ない状態だ。
「これでもね。執務室に用意された席に座っているだけとは言え、緊張感もあるし、知らないお偉いさんが入ってきて気疲れもあるのよ。まあ、その分、色々配慮していただいているし、相手は天下人、こちらは末の貴族だから文句を言える立場ではないけれど」
いや。結構言っていたかしら。
でも、天下人は天下人なりに大変なのだと、執務室で過ごしてみてよく分かる。決して何の苦労もなく、食う寝る遊ぶだけに耽っていればいいお気楽王子様ではないのだ。
仕事量は多く、その判断一つで物事が左右するため重圧がかかる職務であり、王族を利用して権力を手にしようと目論む野望を巧みに避けて逆に利用しなければならない。弱点や情報が漏れることを防ぐために、本当の意味で心許せる相手を作ることもできない。精神的に辛いはずだ。
こうなると、きっと殿下の婚約者となる人も大変なのだろうなと思う。
「殿下の婚約者様かぁ」
きっと上級貴族のお嬢様で、美人でおしとやかで上品で、殿下をお支えできるような学問、技芸に広く通じている聡明な女性が選ばれるのだろう。
そう考えると急に胸がもやっとした。
どうせ私は美人でもなければ、上品でもなく、頭も悪いですよ。本来ならお側にも寄れないような何の取り柄も無い人間ですよ。殿下にかかった呪いのせいで、たまたま掃除婦に就いたに過ぎませんよ。
私と殿下を繋ぐものは皮肉にも呪いという腐れ縁だけ。その呪いが解ければ私なんてすぐにお払い箱だろう。でも逆に言えば、呪いが解けなければその縁は切れずにいられる……?
そこまで考えてはっと我に返り、大きく首を振った。
何という事を考えているのだろう。まるで殿下の呪いが解けなければいいみたいに思っているだなんて。最低にも程がある。
「あ。でも待ってよ」
呪いが解けないまま殿下がどなたかとご婚約されたら、当然私はこの部屋を追い出されるだろう。そして殿下の呪いが解けるまでは辞めさせてもらえないだろうから、ご婚約者様との仲睦まじい様子をすぐ側で見ていなきゃいけなくなるのか。
……何でそんな目に遭わなくちゃいけないの?
よく分からないムカつきが湧き起こってくる。
いやいやいや。別に見てなきゃいいのよね、見てなきゃ。私は私の仕事に徹すればいいだけで。そうそう。それでいいのよ、それで。私の任務は掃除婦なんだから。掃除婦に専念しよう。専念して何も考えないように――。
「ロザンヌ様、よくそんな色々な顔に変形できますね」
「はっ!?」
言葉の選択が下手なユリアの一言で、いつの間にか彼女がいることも忘れて考え込んでいた自分に気付いた。
「わ、わたくし、今、何か言っていた?」
「殿下の婚約者がどうとか、一言二言、何かおっしゃっていましたけど。ちょっと何言っているのか分からないです」
「あ、そ、そう。だったら別にいいの。とにかくわたくしは執務室に行くわね」
「はい。行ってらっしゃいませ」
送り出されて執務室へと向かって歩いていたけれど、執務室が近付いた頃、前方から件の令嬢、クラウディア・ベルモンテ侯爵令嬢が歩いて来るのが見えた。
うわっ。見付かったら面倒そう。まだ彼女が影を見ることができるかどうか確認が取れていないけれど、もし見ることができていたら目の敵にされそう。
とにかく身を小さく小さくし、目立たないようにしなければ。
クラウディア嬢は華やかな服に身を包み、色気と香水を辺りに振りまいている。
堂々としているのは、自分の美貌にも家柄にもきっと自信があるからなのだろう。
私は壁際に寄って顔を伏せて礼を取ると、私のことには気にも留めないで過ぎ去って行く。
気付かれずに済んだかとほっとしたところで、彼女を背に歩き出した直後。
「待ちなさい!」
私の背中に叩きつけるような声が、クラウディア嬢の口から発せられた。
「ロザンヌ様、何をお持ちなのですか?」
ユリアは私が手に持つ物に視線を下ろして尋ねてきた。
「ああ。これ? 今日は学校から課題が出たので、持っていこうと思うの。執務室で勉強してもいいと言われているから」
「そうですか。自ら進んで課題をなさるとは素晴らしいですね」
「無表情でその棒読み、止めてくださる?」
確かにこれまでの生活は家に帰ったらベッドの上にひっくり返っていて、課題はお母様にせっつかれてやっと始めていましたよ。今は殿下と同じ部屋にいて、ずっと話をしている訳にもいかないし、何かをやらざるを得ない状態だ。
「これでもね。執務室に用意された席に座っているだけとは言え、緊張感もあるし、知らないお偉いさんが入ってきて気疲れもあるのよ。まあ、その分、色々配慮していただいているし、相手は天下人、こちらは末の貴族だから文句を言える立場ではないけれど」
いや。結構言っていたかしら。
でも、天下人は天下人なりに大変なのだと、執務室で過ごしてみてよく分かる。決して何の苦労もなく、食う寝る遊ぶだけに耽っていればいいお気楽王子様ではないのだ。
仕事量は多く、その判断一つで物事が左右するため重圧がかかる職務であり、王族を利用して権力を手にしようと目論む野望を巧みに避けて逆に利用しなければならない。弱点や情報が漏れることを防ぐために、本当の意味で心許せる相手を作ることもできない。精神的に辛いはずだ。
こうなると、きっと殿下の婚約者となる人も大変なのだろうなと思う。
「殿下の婚約者様かぁ」
きっと上級貴族のお嬢様で、美人でおしとやかで上品で、殿下をお支えできるような学問、技芸に広く通じている聡明な女性が選ばれるのだろう。
そう考えると急に胸がもやっとした。
どうせ私は美人でもなければ、上品でもなく、頭も悪いですよ。本来ならお側にも寄れないような何の取り柄も無い人間ですよ。殿下にかかった呪いのせいで、たまたま掃除婦に就いたに過ぎませんよ。
私と殿下を繋ぐものは皮肉にも呪いという腐れ縁だけ。その呪いが解ければ私なんてすぐにお払い箱だろう。でも逆に言えば、呪いが解けなければその縁は切れずにいられる……?
そこまで考えてはっと我に返り、大きく首を振った。
何という事を考えているのだろう。まるで殿下の呪いが解けなければいいみたいに思っているだなんて。最低にも程がある。
「あ。でも待ってよ」
呪いが解けないまま殿下がどなたかとご婚約されたら、当然私はこの部屋を追い出されるだろう。そして殿下の呪いが解けるまでは辞めさせてもらえないだろうから、ご婚約者様との仲睦まじい様子をすぐ側で見ていなきゃいけなくなるのか。
……何でそんな目に遭わなくちゃいけないの?
よく分からないムカつきが湧き起こってくる。
いやいやいや。別に見てなきゃいいのよね、見てなきゃ。私は私の仕事に徹すればいいだけで。そうそう。それでいいのよ、それで。私の任務は掃除婦なんだから。掃除婦に専念しよう。専念して何も考えないように――。
「ロザンヌ様、よくそんな色々な顔に変形できますね」
「はっ!?」
言葉の選択が下手なユリアの一言で、いつの間にか彼女がいることも忘れて考え込んでいた自分に気付いた。
「わ、わたくし、今、何か言っていた?」
「殿下の婚約者がどうとか、一言二言、何かおっしゃっていましたけど。ちょっと何言っているのか分からないです」
「あ、そ、そう。だったら別にいいの。とにかくわたくしは執務室に行くわね」
「はい。行ってらっしゃいませ」
送り出されて執務室へと向かって歩いていたけれど、執務室が近付いた頃、前方から件の令嬢、クラウディア・ベルモンテ侯爵令嬢が歩いて来るのが見えた。
うわっ。見付かったら面倒そう。まだ彼女が影を見ることができるかどうか確認が取れていないけれど、もし見ることができていたら目の敵にされそう。
とにかく身を小さく小さくし、目立たないようにしなければ。
クラウディア嬢は華やかな服に身を包み、色気と香水を辺りに振りまいている。
堂々としているのは、自分の美貌にも家柄にもきっと自信があるからなのだろう。
私は壁際に寄って顔を伏せて礼を取ると、私のことには気にも留めないで過ぎ去って行く。
気付かれずに済んだかとほっとしたところで、彼女を背に歩き出した直後。
「待ちなさい!」
私の背中に叩きつけるような声が、クラウディア嬢の口から発せられた。
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