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第236話 ノエル・ブラックウェルの手記(四)
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それはいつもと何ら変わることのない普通の日の出来事だった。
体格にも恵まれ、常日頃から体を鍛えて剛健でおられた殿下が執務室にて突如、体調不良に見舞われたのだ。
隣から聞こえた不審な音に気付いて了解も得ずに扉を開けた時には、殿下は床に伏せられていた。
「殿下!?」
慌てて駆け寄ると、殿下の額からは尋常じゃない程の脂汗が流れ、顔色は土気色で表情は苦悶に歪んでいる。荒い呼吸で掠れながら必死に発せられたことは、体中が引き裂かれるように痛むというお言葉。
これまで確かに健康一筋だったわけではない。時には風邪引きを、時には腹痛を、時には疲労倦怠を煩われたことがあった。しかし、今回の体調とそれらは明らかに違う。ただ事ではないと察するには十分な状態だった。
直ちに医師の手配と、陛下と王妃殿下へのご連絡、しかしまだ大ごとにしない旨を伝える。突然の事態に動揺しながらも、冷静に指示を出さなければと自分を落ち着かせなければならなかった。
医師が到着すると速やかに部屋へと移され、診察が開始される。
陛下や王妃殿下も少し遅れて到着した。お二人とも顔を青ざめておられる。
王妃殿下は慌ててルイス殿下の側に駆け寄り、一方で陛下が離れた所に立つ私に近付いて来られた。
「……何があった? 倒れる前の兆候はあったか?」
「いえ。殿下は執務室におられ、私は護衛官室におりました。私が異変に気付いて扉を開けた時には、既に床にお伏せになっておられたのです。誠に申し訳ございません」
ぎりりと歯を噛みしめて目礼する。
「そうか。いや。君が謝ることではない」
「殿下は」
と、そこまで言った時、医師の診断が終わったようだ。
診断の結果、激痛による諸症状だが、原因は不明ということだった。今できることは対症療法のみ。痛みを和らげ、気を鎮める薬が投与されることになった。
「薬が直に効いてくるかと思います。そうすれば少しはお体が楽になるかと」
「そのお薬でルイスは……治るのでしょうか?」
王妃殿下が顔色を失った悲壮な表情で医師にお尋ねになる。
「も、申し訳ありません。今の段階では、それで症状を抑えて様子を見るしかないとしか申し上げられません」
医師もまた青ざめた表情で答えた。
「――っ。ルイス! どうして、こんな……」
王妃殿下はルイス殿下の手を取る。
それを見守っていた陛下は苦しそうに医師に視線を向けた。
「……君は引き続き、病気の原因解明を急いでくれ」
「しょ、承知いたしました」
医師は一刻も早く取りかかろうと思ったのか、あるいは原因が突き止められなくて居づらくなってしまったのか、先に退室を願うと立ち去った。
「え、何? なあに、ルイス!」
まだ痛みから解放されておらず、朦朧とされている中、何かをおっしゃろうとしたらしい。王妃殿下は覗き込むようにルイス殿下に体をお近付けになられた。
「――ルダ。エス……」
「何ですって? ルイス!」
さらに身を乗り出されて王妃殿下がお尋ねになったが、ルイス殿下は薬が効き始めたのだろうか。荒かった呼吸が少し落ち着くと、王妃殿下にお答えすることなく、そのまま目を伏せた。
たとえもう一度ルイス殿下が言葉を発せられても、王妃殿下には何を望まれているのかお分かりにならなかっただろう。しかし、私には分かった。――殿下がお望みになっていることが。
「ブラックウェル騎士官長。ルイスは少し落ち着いたようだから、君も戻ってくれていい」
「ですが」
「今は医者でも何もできない状態なんだ」
確かにそうだ。医者でもない私がこの場に残ってもできる事は何もない。だが、この場でなければできることもある。
「はい。承知いたしました。――陛下。私も自分ができることを精一杯努めさせていただきます」
「……ありがとう」
力なく微笑まれる陛下は、幾年もお年を召したようにさえ見える。
私は手をぐっと握りしめた。
「それでは、お先に失礼させていただきます」
私は陛下に礼を取って部屋を出ると、足早に馬小屋へと行く。
馬に飛び乗って向かう先はただ一つ、エスメラルダ様の元だ。
彼女は優秀な薬師であると聞く。彼女なら医師がさじを投げた状態でも、あるいは殿下を助けることができるかもしれない。いや、仮にそうでなくても、殿下はエスメラルダ様に助けを求めていた。お会いさせて差し上げたい。
いつもより格段に速く馬を走らせ、エスメラルダ様の薬屋に到着すると、なりふり構わず荒々しくその扉を開ける。
激しく店先のベルが鳴り、カウンター内にいたエスメラルダ様は目を丸くしてこちらを見た。
「ノエル様?」
「エスメラルダ様! どうかお力をお貸しください。殿下が、ルイス殿下が倒れられたのです」
エスメラルダ様の声を遮るように私は叫んだ。
「え?」
急ぎカウンターから出てきて私を見上げるその瞳は動揺に揺れているが、落ち着いた声で私に尋ねる。
「どういう状態でしょうか。いつからですか? 原因は分かっていますか」
「今日、突然倒れられたのです。部屋にいらっしゃったのですが、私が気付いた時にはもう床に倒れられていました。激痛で苦しまれているとのことですが、原因は医師でも不明とのことです。今は薬を投与されて少し落ち着かれている状態です」
「そうですか。ただ、それだけの情報では」
彼女は顎に拳を作り、難しい表情で考え込む。
「では、ご一緒に来ていただけませんか」
「ですが、私のような者が王宮に入ることは叶わないのでは」
「一つ当てがあります」
そう。本来ならあってはならぬことだ。しかし後先を考えず、私は反射的に答えていた。それだけ余裕がなかったからかもしれない。
「どうか殿下のお側に。殿下はうわごとでエスメラルダ様の名を呼ばれたのです」
「……私の名を。分かりました。少しだけお待ちください」
エスメラルダ様は頷いて了承していただけると、薬か何かだろうか、手早く鞄に何かを詰め込んで準備を始めた。
体格にも恵まれ、常日頃から体を鍛えて剛健でおられた殿下が執務室にて突如、体調不良に見舞われたのだ。
隣から聞こえた不審な音に気付いて了解も得ずに扉を開けた時には、殿下は床に伏せられていた。
「殿下!?」
慌てて駆け寄ると、殿下の額からは尋常じゃない程の脂汗が流れ、顔色は土気色で表情は苦悶に歪んでいる。荒い呼吸で掠れながら必死に発せられたことは、体中が引き裂かれるように痛むというお言葉。
これまで確かに健康一筋だったわけではない。時には風邪引きを、時には腹痛を、時には疲労倦怠を煩われたことがあった。しかし、今回の体調とそれらは明らかに違う。ただ事ではないと察するには十分な状態だった。
直ちに医師の手配と、陛下と王妃殿下へのご連絡、しかしまだ大ごとにしない旨を伝える。突然の事態に動揺しながらも、冷静に指示を出さなければと自分を落ち着かせなければならなかった。
医師が到着すると速やかに部屋へと移され、診察が開始される。
陛下や王妃殿下も少し遅れて到着した。お二人とも顔を青ざめておられる。
王妃殿下は慌ててルイス殿下の側に駆け寄り、一方で陛下が離れた所に立つ私に近付いて来られた。
「……何があった? 倒れる前の兆候はあったか?」
「いえ。殿下は執務室におられ、私は護衛官室におりました。私が異変に気付いて扉を開けた時には、既に床にお伏せになっておられたのです。誠に申し訳ございません」
ぎりりと歯を噛みしめて目礼する。
「そうか。いや。君が謝ることではない」
「殿下は」
と、そこまで言った時、医師の診断が終わったようだ。
診断の結果、激痛による諸症状だが、原因は不明ということだった。今できることは対症療法のみ。痛みを和らげ、気を鎮める薬が投与されることになった。
「薬が直に効いてくるかと思います。そうすれば少しはお体が楽になるかと」
「そのお薬でルイスは……治るのでしょうか?」
王妃殿下が顔色を失った悲壮な表情で医師にお尋ねになる。
「も、申し訳ありません。今の段階では、それで症状を抑えて様子を見るしかないとしか申し上げられません」
医師もまた青ざめた表情で答えた。
「――っ。ルイス! どうして、こんな……」
王妃殿下はルイス殿下の手を取る。
それを見守っていた陛下は苦しそうに医師に視線を向けた。
「……君は引き続き、病気の原因解明を急いでくれ」
「しょ、承知いたしました」
医師は一刻も早く取りかかろうと思ったのか、あるいは原因が突き止められなくて居づらくなってしまったのか、先に退室を願うと立ち去った。
「え、何? なあに、ルイス!」
まだ痛みから解放されておらず、朦朧とされている中、何かをおっしゃろうとしたらしい。王妃殿下は覗き込むようにルイス殿下に体をお近付けになられた。
「――ルダ。エス……」
「何ですって? ルイス!」
さらに身を乗り出されて王妃殿下がお尋ねになったが、ルイス殿下は薬が効き始めたのだろうか。荒かった呼吸が少し落ち着くと、王妃殿下にお答えすることなく、そのまま目を伏せた。
たとえもう一度ルイス殿下が言葉を発せられても、王妃殿下には何を望まれているのかお分かりにならなかっただろう。しかし、私には分かった。――殿下がお望みになっていることが。
「ブラックウェル騎士官長。ルイスは少し落ち着いたようだから、君も戻ってくれていい」
「ですが」
「今は医者でも何もできない状態なんだ」
確かにそうだ。医者でもない私がこの場に残ってもできる事は何もない。だが、この場でなければできることもある。
「はい。承知いたしました。――陛下。私も自分ができることを精一杯努めさせていただきます」
「……ありがとう」
力なく微笑まれる陛下は、幾年もお年を召したようにさえ見える。
私は手をぐっと握りしめた。
「それでは、お先に失礼させていただきます」
私は陛下に礼を取って部屋を出ると、足早に馬小屋へと行く。
馬に飛び乗って向かう先はただ一つ、エスメラルダ様の元だ。
彼女は優秀な薬師であると聞く。彼女なら医師がさじを投げた状態でも、あるいは殿下を助けることができるかもしれない。いや、仮にそうでなくても、殿下はエスメラルダ様に助けを求めていた。お会いさせて差し上げたい。
いつもより格段に速く馬を走らせ、エスメラルダ様の薬屋に到着すると、なりふり構わず荒々しくその扉を開ける。
激しく店先のベルが鳴り、カウンター内にいたエスメラルダ様は目を丸くしてこちらを見た。
「ノエル様?」
「エスメラルダ様! どうかお力をお貸しください。殿下が、ルイス殿下が倒れられたのです」
エスメラルダ様の声を遮るように私は叫んだ。
「え?」
急ぎカウンターから出てきて私を見上げるその瞳は動揺に揺れているが、落ち着いた声で私に尋ねる。
「どういう状態でしょうか。いつからですか? 原因は分かっていますか」
「今日、突然倒れられたのです。部屋にいらっしゃったのですが、私が気付いた時にはもう床に倒れられていました。激痛で苦しまれているとのことですが、原因は医師でも不明とのことです。今は薬を投与されて少し落ち着かれている状態です」
「そうですか。ただ、それだけの情報では」
彼女は顎に拳を作り、難しい表情で考え込む。
「では、ご一緒に来ていただけませんか」
「ですが、私のような者が王宮に入ることは叶わないのでは」
「一つ当てがあります」
そう。本来ならあってはならぬことだ。しかし後先を考えず、私は反射的に答えていた。それだけ余裕がなかったからかもしれない。
「どうか殿下のお側に。殿下はうわごとでエスメラルダ様の名を呼ばれたのです」
「……私の名を。分かりました。少しだけお待ちください」
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