つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里

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第242話 ノエル・ブラックウェルの手記(終)

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 私が興奮している大勢の民をかき分けて彼女を見つけた瞬間、その凄惨な姿に言葉を失って身動き一つ取れなかった。

 木に括り付けられた彼女は既に何人もの人間に石を投げつけられたのか、顔は腫れ上がり、目はうつろで、体も至るところ傷だらけだ。
 何も隠し持っていないことを確認するためか、単にさらし者にしたいだけなのか、上半身を剥き出しにされ、下半身はスカートを高くたくし上げられたまま括り付けられている。

 肩口の星の痣は見せられませんと、恥ずかしそうに笑ったことがつい先日のことだったはずなのに。

「――エル様! ノエル様!」

 悲痛な女の子の声と腕をつかまれた感覚にはっと我に返る。視線を落とすとそこにいたのはアマンダさんだ。

「ノエル様、嘘よね! エスメラルダ様がルイス様を呪った魔女だなんて! 農作物を枯らした魔女だなんて!」
「もちろんです。そんな事をする方ではありません」
「だけど、エスメラルダ様がご自分でそう叫ばれたの。ルイス殿下を呪ったって。私は魔女だって。高らかに笑ったの!」
「まさか……なぜ」

 私が再びエスメラルダ様へと振り返った時。

「ネロ! ここよ、ネロ! ――首よ!」

 ネロを見付けたらしく目に精気が戻った彼女はあらん限りの声で叫ぶや否や、黒い塊が彼女に勢いよく飛びかかって行くのが見えた。

「止めてっ! 魔女の使い魔よ! 誰か今すぐその猫を止めて!」

 金切り声を上げる女性の声に反応すると、一人の体格がいい騎士が渾身の力を込めてネロに槍を投げつける。

「ネロ!」

 思わず叫んだその瞬間。
 ネロは耳をつんざくような鳴き声を上げ、ネロの体を貫通した槍はそのまま――エスメラルダ様の左の胸に突き立てた。

 それまでの喧騒が嘘のように静まり返る。直後、事態を把握した人らの悲鳴があちこちで上がった。

「エスメラルダ様! ネロ!」

 再び騒々しくなった場の中で、私は叫びながら必死で民衆と取り締まる騎士を無理やり押しのけた。
 エスメラルダ様らに近付き、反射的に刺さった槍に手をかけたが、手元へと伝ってきた血に正気を取り戻す。

 駄目だ。これをこの場で引き抜けばお命は――。

 私に気付いたのだろうか。彼女は唇に笑みをのせた。

「じ……とす」
「え?」
「ごめ、ね。ネロ」

 彼女の気高く澄んでいた青い瞳が伏せられ、目尻から頬へと赤が混じった雫が伝う。

「エス――」
「何やっているの! その男を取り押さえて、早く火を放って!」

 女性、アンジェリーナ様は再び叫んだ。
 その声に反応してエスメラルダ様はわずかに目を開く。だが、その瞳はもう誰の姿も映していないようだった。
 唇が細かく震えるように動く。

「たとえ死……もあな、気こ、を辿り、どこま、でも追う。あな、の……が絶、るその日まで。どれ……時がかか、ても、いつ、日にか、あな――っ」

 ごぷりと彼女の口から鮮血があふれ出した。

「エスメラルダ様!」
「魔女の血は毒よ! 早く火を!」

 アンジェリーナ様の鋭い声で、たいまつを持った騎士が今度こそ動き出す。

「止めろ! 止めるんだ!」

 たいまつを持つ騎士の腕をつかんだが、次の瞬間には数名の騎士が何か叫びながら私を取り押さえた。

「駄目だ。エスメラルダ様、ネロ! ――止めろ! 止めてくれ!」

 必死に伸ばす血濡れた手の先で、かすかに笑みをたたえたエスメラルダ様はネロと共に、赤く大きな炎に包まれた。


「ブラックウェル騎士官長。今回の君の言動のことで、殿下の護衛騎士官長を退任してもらうことになった。だが、陛下がこれまでの君の働きを鑑みて、地方への配属をとご提言してくださった」
「ありがたきお言葉、至極光栄でございます。しかし私は本日をもって騎士の称号を返上いたします」

 陛下の護衛騎士、マクレ官長から下る辞令を意味のない言葉の羅列のように流し、どこか他人事のように答える。
 どうせ私も独り身だ。誰にも迷惑をかけることはない。

「陛下のご厚情が分からないのか」
「私は騎士として失格です。この度のことで痛感いたしました。これ以上、ご迷惑をおかけするわけには参りません」

 人ひとり助けられなくて何が騎士だ。いや。殿下の御身も、エスメラルダ様やネロも、少女も誰一人助けられなかった。

「そうか。そうだな。今の君の瞳にはもはや光が無い。身命を賭す騎士は荷が重いだろう」
「……殿下のご容体はいかがでしょうか」
「君は何も心配しなくていい」

 言葉だけは強いが、いつも毅然としているマクレ官長が半ば目を伏せた。

「承知いたしました。よろしくお願い申し上げます。ただ最後の仕事として、自分の経験を教訓に騎士官長としての心得をしたためた物を次の者に引き継いでもらいたいと考えているのですが、よろしいでしょうか」
「……いいだろう」
「ありがとうございます」

 どうせ後で検閲されることは分かっている。だから箱の三重底にこれらの事実を記した物を残しておく。王太子の護衛騎士官長のみに引き継がれていくこの騎士規程書は、ルイス殿下の目に生涯触れることはないだろう。――それでも。

 私は鞄一つで王宮を出る。殿下の部屋の窓を見上げて一礼すると身を翻した。そして門扉の所まで辿り着いたところで。

「遅いですよ」
「リアーナ? どうしてここに。と言うか、その荷物は?」

 私よりもよほど沢山の鞄を抱えた彼女は侍女服を着ていなかった。

「私物です」
「いや。それは分かっ――まさか。私のせいで君も処分を受けたのか?」
「違いますよ。わたくしが自ら出てきたのです。これから王宮の外で仕事がありますからね」
「君は優秀だからどこからか引き抜きを受けたのか」

 彼女は呆れたように目を細めると、これだからとため息をつく。

「王宮での仕事を辞めたばかりの世間知らずで、心許ない男性を支えないといけませんの」
「っ! ……リアーナ。気持ちはありがたいが、私は一人で罪を背負って生きて」
「あのですね」

 彼女は荷物を落とすと左手を腰に、右手で私に向かってびしりと指を突き付けた。

「罪は背負うものではなく償うものです。人を不幸に落としたと言うのならば、あなたはこれから一人でも多くの人を幸せにするべきです。なのに、そんな死んだような目をした人がどうやって罪を償うと言うのです」
「人を……幸せに?」

 ――皆、幸せで笑顔となるような国へ。殿下の傍らにはきっとあなた様の支えが。私が少しでも殿下のお力になれるのであれば、それはとても光栄なことです――
 
 エスメラルダ様の笑顔と決意が蘇って目には感情があふれ出し、彼女が守りたかったこの国の景色がにじむ。

 殿下をお支えしよう。皆が笑顔となるような国へと導いていかれるのを見守ろう。一国民として遠くから。エスメラルダ様がそうされようとしたように。

「行きましょう。さあ、手が空いているなら持って持って」

 複数押しつけられた鞄を受け取って門から出ると、私たちは振り返らずに王宮を後にした。


 私が書いた貴族文字は廃止されることが決定されたと聞いた。隠蔽された事実と共にやがてこの国から消滅していくことだろう。それでもいつの日か、誰かの手によって日の目が当たって解読されることを切に願う。

 我が敬愛すべき主、ルイス・フォンテーヌ様が作る国ために。そして――汚名を着せられ、処刑されたエスメラルダ様の名誉のために。
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