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さようならを言うつもりだったのに……
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「……怖かったんだ。俺の独りよがりな感情だったらどうしようと、相手は何とも思っていなかったらどうしようかと。安易な気持ちで言った言葉で相手を縛りつけたくなかった」
そこで一度言葉が途切れると、カチャッと小さな音が聞こえてくる。
相手が誰かは見なくても分かる。耳に馴染んだ低音、怖がらせない様に柔らかく話そうとする声音。聞き間違え様がない。
私は絆創膏が貼られた右掌を胸元で握りしめると、息を殺して、ただ相手の言葉に耳を傾けたのだった。
「裁判中に、一度だけ、職場で働く彼女を見た。楽しそうに棚に本を補充して、客に棚の場所を聞かれて丁寧に答えていた。そんな彼女から、俺は仕事を奪ってしまった。大好きだと話していた仕事を……。彼女を救うと言いながら何も救えなかった。それなのに彼女は笑ってくれたんだ。『ありがとう』と言って。
そんな彼女の笑顔を見ていられなくて目を逸らしていると、彼女の方から歩み寄ってくれた。家に帰れば風呂の用意がされていて、食事の用意までされていた。俺は何もしていないのに……何も救えなかったのに……」
違う、と言いたいのを必死に堪える。楓さんはちゃんと救ってくれた。身を投げようと登ったあの橋の欄干からも、ホテルのバルコニーからも。降りる様に手を差し伸べてくれたのは楓さんだった。楓さんは救ってくれた。「あの日」の私を――。
「逃げる様にこっちに来て、彼女が胸を張って自慢出来る様な一人前の弁護士になって迎えに行こうと思った。ようやく迎えに行ったのに怖気付いてこっちに戻って来てしまった。後悔していたところに、今度は彼女がこっちにやって来た。もう一度、やり直したいと言って……。あの時、どれだけ嬉しかった事か。こんな俺とやり直したいと言ってくれて、夫婦として、もう一度やり直したいと……。
それなのに、俺は大事な言葉を言えなかった。いつでも言えるからと、これからはずっと一緒に居られると思って……。
そうしたら、今度は彼女から別れを言ってきた。俺を置いて日本に帰ると、これ以上、迷惑を掛けたくないから別れると。俺に好きだと、愛してると書き残して……」
ぶるりと身体が震える。楓さんがそんな事を考えていたとは思わなかった。勝手に押し掛けてきて、楓さんを傷つけて苦しめて、ただ迷惑をかけているだけだと思っていた。
だから、これ以上、楓さんの迷惑になる前に身を引こうと決めたのに――。
「結婚指輪を渡して、これからずっと一緒に居られると思っていた。契約結婚ではなく、これからは本当の夫婦としてやっていけると。でもそうじゃなかった。俺は肝心な言葉を彼女に言っていなかった。そりゃあそうだ。想いは言葉にしなければ伝わらない。怖がっている場合でも、恥ずかしがっている場合でも、躊躇っている場合でもない。そうしている間に、相手が離れてしまえば意味が無かったんだ。大切に温めている場合じゃなかったんだ……」
飛行機が到着したのか、空港内の喧騒が一際大きくなった。そんな中、楓さんの言葉だけがはっきりと聞こえてきたのだった。
「愛しているよ、小春。君が俺を想う以上に、俺は君を想っている。四年前からずっと……。これからは本当の夫婦としてやり直したい。君が望むなら、何度だってこの言葉を言おう。好きだと……愛していると」
後ろから立ち上がる音が聞こえてきたので、私はフードを外しながら勢いのまま振り向く。
「楓さん!!」
けれども、そこに楓さんの姿はなく、それどころか椅子から立ち上がって周囲を見渡しても、私が座っている席の周辺には誰も座っていなかったのだった。
そこで一度言葉が途切れると、カチャッと小さな音が聞こえてくる。
相手が誰かは見なくても分かる。耳に馴染んだ低音、怖がらせない様に柔らかく話そうとする声音。聞き間違え様がない。
私は絆創膏が貼られた右掌を胸元で握りしめると、息を殺して、ただ相手の言葉に耳を傾けたのだった。
「裁判中に、一度だけ、職場で働く彼女を見た。楽しそうに棚に本を補充して、客に棚の場所を聞かれて丁寧に答えていた。そんな彼女から、俺は仕事を奪ってしまった。大好きだと話していた仕事を……。彼女を救うと言いながら何も救えなかった。それなのに彼女は笑ってくれたんだ。『ありがとう』と言って。
そんな彼女の笑顔を見ていられなくて目を逸らしていると、彼女の方から歩み寄ってくれた。家に帰れば風呂の用意がされていて、食事の用意までされていた。俺は何もしていないのに……何も救えなかったのに……」
違う、と言いたいのを必死に堪える。楓さんはちゃんと救ってくれた。身を投げようと登ったあの橋の欄干からも、ホテルのバルコニーからも。降りる様に手を差し伸べてくれたのは楓さんだった。楓さんは救ってくれた。「あの日」の私を――。
「逃げる様にこっちに来て、彼女が胸を張って自慢出来る様な一人前の弁護士になって迎えに行こうと思った。ようやく迎えに行ったのに怖気付いてこっちに戻って来てしまった。後悔していたところに、今度は彼女がこっちにやって来た。もう一度、やり直したいと言って……。あの時、どれだけ嬉しかった事か。こんな俺とやり直したいと言ってくれて、夫婦として、もう一度やり直したいと……。
それなのに、俺は大事な言葉を言えなかった。いつでも言えるからと、これからはずっと一緒に居られると思って……。
そうしたら、今度は彼女から別れを言ってきた。俺を置いて日本に帰ると、これ以上、迷惑を掛けたくないから別れると。俺に好きだと、愛してると書き残して……」
ぶるりと身体が震える。楓さんがそんな事を考えていたとは思わなかった。勝手に押し掛けてきて、楓さんを傷つけて苦しめて、ただ迷惑をかけているだけだと思っていた。
だから、これ以上、楓さんの迷惑になる前に身を引こうと決めたのに――。
「結婚指輪を渡して、これからずっと一緒に居られると思っていた。契約結婚ではなく、これからは本当の夫婦としてやっていけると。でもそうじゃなかった。俺は肝心な言葉を彼女に言っていなかった。そりゃあそうだ。想いは言葉にしなければ伝わらない。怖がっている場合でも、恥ずかしがっている場合でも、躊躇っている場合でもない。そうしている間に、相手が離れてしまえば意味が無かったんだ。大切に温めている場合じゃなかったんだ……」
飛行機が到着したのか、空港内の喧騒が一際大きくなった。そんな中、楓さんの言葉だけがはっきりと聞こえてきたのだった。
「愛しているよ、小春。君が俺を想う以上に、俺は君を想っている。四年前からずっと……。これからは本当の夫婦としてやり直したい。君が望むなら、何度だってこの言葉を言おう。好きだと……愛していると」
後ろから立ち上がる音が聞こえてきたので、私はフードを外しながら勢いのまま振り向く。
「楓さん!!」
けれども、そこに楓さんの姿はなく、それどころか椅子から立ち上がって周囲を見渡しても、私が座っている席の周辺には誰も座っていなかったのだった。
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