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さようならを言うつもりだったのに……
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「いないの……?」
「小春」
泣きそうになっていると、不意に後ろから抱きしめられる。
相手が誰かは聞かなくても分かる。
甘く優しい声と羽毛の様に包んでくれる温かい身体。私を抱きしめる左手の薬指には、数時間前、あの部屋に置いてきた結婚指輪の対となる指輪が嵌っていたからだった。
「あっ……あっ……」
「……良かった。間に合って」
心底安堵した様に話す楓さんを突き放す事も出来ず、ただその場でじっと抱きしめられる。その間にも両目からは涙が溢れて、頬を流れて行ったのだった。
「……なんで、私だって分かったんですか? 顔を隠していたのに」
「見覚えのあるスーツケースを持っていたからな。それに――」
楓さんは大きく息を吐き出すと、そっと呟いたのだった。
「――愛する女を、間違える訳がないだろう」
その言葉に涙腺が崩壊した。決壊したダムの様に、耐えなく涙が溢れ続けたのだった。
「ご、ごめんなさ……」
「謝るな。小春は何も間違った事をしていない。悪いのは俺だ。俺がはっきり自分の気持ちを伝えなかったからこうなったんだ」
「ち、ちがう……」
「違う事はないんだ。小春、愛している。何度だって言う。愛している。もう君が居ない生活を考えられないんだ。側に居てくれ、一時的でも契約でもない、今度こそ俺の本当の愛する女性として、愛する妻として一緒に居てくれ。もう逃げないと、これからは君と向き合うと約束するから」
「でも、これ以上、一緒に居ると、迷惑、かけちゃう……」
「迷惑な訳が無いだろう。仮に迷惑をかけられても小春なら甘んじて受け入れる。……そう怖がらなくていい。傷つけたって構わない。俺にとって、小春が心から笑ってくれる事こそ、何よりも大切だから――」
「楓さん……」
「小春、こっちを向いてくれないか」
首だけ後ろを向いた瞬間、すぐに楓さんに唇を奪われる。長い様な短い様な口付けを交わした後に、ようやく楓さんは解放してくれたのだった。
「やっぱり、キスをする時は眼鏡が無い方がいいな。小春の顔にぶつけなくて済む」
言われてみれば、楓さんは眼鏡を掛けていなかった。いつも掛けている銀縁の眼鏡は楓さんの上着の胸ポケットに入っており、僅かにポケットから見えていた。
「本当に私で良いんですか?」
「ああ。小春が良いんだ」
小さく微笑んだ楓さんは、私の身体を支えながら椅子に座らせてくれる。
「小春、俺が送った離婚届は持っているか?」
「はい。カバンの中に……」
涙で濡れる目でカバンを探って、エアメール用の封筒ごと離婚届を取り出すと、楓さんに渡す。楓さんは離婚届を取り出してざっと読むと「全部書いていたんだな」と嘆息した。
「こんなものがあるから誤解するんだ。それならこうすればいい」
「あっ……」
そう言って、楓さんは離婚届を二つに引き裂いた。更に引き裂いていき、やがて離婚届はボロボロの紙屑に変わって、楓さんと私の膝の上に落ちていった。
「ほら、これでいいだろう。俺達は今度こそ夫婦だ。もう妨げるものは何もない。……不安になる事も無いだろう」
楓さんの両掌から溢れ落ちる離婚届だった紙屑が、まるで私が抱えていた不安の様に落ちていく。
「ううっ……!」
どうして楓さんを信じてあげられなかったんだろう。言葉なんてなくても、楓さん自身から想いは伝わってきていたのに。
迷惑に思ってない、ずっと一緒に居たいって、気持ちは伝わってきていたのに。それなのに気づかない振りをしていた。
臆病なのは私で、逃げたのも私だった。これから先の楓さんの事ばかり考えて、今の楓さんを何も見ていなかった。自分一人で考えて、一人でどうにかしようとしていた。
もう私は一人じゃないに。
楓さんが――愛する夫が側にいて、一緒に考えてくれるのに。
「ふえっ……!」
嗚咽を堪えながら泣いていると、そっと抱き寄せられる。
「気が済むまで泣いてくれ。……もう離さない。いつまでも側にいるからな」
優しく背中をさすられて、何度も頷いている内にますます涙が止まらなくなる。楓さんの胸に身を埋めて、私はずっと泣き続けたのだった。
「小春」
泣きそうになっていると、不意に後ろから抱きしめられる。
相手が誰かは聞かなくても分かる。
甘く優しい声と羽毛の様に包んでくれる温かい身体。私を抱きしめる左手の薬指には、数時間前、あの部屋に置いてきた結婚指輪の対となる指輪が嵌っていたからだった。
「あっ……あっ……」
「……良かった。間に合って」
心底安堵した様に話す楓さんを突き放す事も出来ず、ただその場でじっと抱きしめられる。その間にも両目からは涙が溢れて、頬を流れて行ったのだった。
「……なんで、私だって分かったんですか? 顔を隠していたのに」
「見覚えのあるスーツケースを持っていたからな。それに――」
楓さんは大きく息を吐き出すと、そっと呟いたのだった。
「――愛する女を、間違える訳がないだろう」
その言葉に涙腺が崩壊した。決壊したダムの様に、耐えなく涙が溢れ続けたのだった。
「ご、ごめんなさ……」
「謝るな。小春は何も間違った事をしていない。悪いのは俺だ。俺がはっきり自分の気持ちを伝えなかったからこうなったんだ」
「ち、ちがう……」
「違う事はないんだ。小春、愛している。何度だって言う。愛している。もう君が居ない生活を考えられないんだ。側に居てくれ、一時的でも契約でもない、今度こそ俺の本当の愛する女性として、愛する妻として一緒に居てくれ。もう逃げないと、これからは君と向き合うと約束するから」
「でも、これ以上、一緒に居ると、迷惑、かけちゃう……」
「迷惑な訳が無いだろう。仮に迷惑をかけられても小春なら甘んじて受け入れる。……そう怖がらなくていい。傷つけたって構わない。俺にとって、小春が心から笑ってくれる事こそ、何よりも大切だから――」
「楓さん……」
「小春、こっちを向いてくれないか」
首だけ後ろを向いた瞬間、すぐに楓さんに唇を奪われる。長い様な短い様な口付けを交わした後に、ようやく楓さんは解放してくれたのだった。
「やっぱり、キスをする時は眼鏡が無い方がいいな。小春の顔にぶつけなくて済む」
言われてみれば、楓さんは眼鏡を掛けていなかった。いつも掛けている銀縁の眼鏡は楓さんの上着の胸ポケットに入っており、僅かにポケットから見えていた。
「本当に私で良いんですか?」
「ああ。小春が良いんだ」
小さく微笑んだ楓さんは、私の身体を支えながら椅子に座らせてくれる。
「小春、俺が送った離婚届は持っているか?」
「はい。カバンの中に……」
涙で濡れる目でカバンを探って、エアメール用の封筒ごと離婚届を取り出すと、楓さんに渡す。楓さんは離婚届を取り出してざっと読むと「全部書いていたんだな」と嘆息した。
「こんなものがあるから誤解するんだ。それならこうすればいい」
「あっ……」
そう言って、楓さんは離婚届を二つに引き裂いた。更に引き裂いていき、やがて離婚届はボロボロの紙屑に変わって、楓さんと私の膝の上に落ちていった。
「ほら、これでいいだろう。俺達は今度こそ夫婦だ。もう妨げるものは何もない。……不安になる事も無いだろう」
楓さんの両掌から溢れ落ちる離婚届だった紙屑が、まるで私が抱えていた不安の様に落ちていく。
「ううっ……!」
どうして楓さんを信じてあげられなかったんだろう。言葉なんてなくても、楓さん自身から想いは伝わってきていたのに。
迷惑に思ってない、ずっと一緒に居たいって、気持ちは伝わってきていたのに。それなのに気づかない振りをしていた。
臆病なのは私で、逃げたのも私だった。これから先の楓さんの事ばかり考えて、今の楓さんを何も見ていなかった。自分一人で考えて、一人でどうにかしようとしていた。
もう私は一人じゃないに。
楓さんが――愛する夫が側にいて、一緒に考えてくれるのに。
「ふえっ……!」
嗚咽を堪えながら泣いていると、そっと抱き寄せられる。
「気が済むまで泣いてくれ。……もう離さない。いつまでも側にいるからな」
優しく背中をさすられて、何度も頷いている内にますます涙が止まらなくなる。楓さんの胸に身を埋めて、私はずっと泣き続けたのだった。
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