婚約破棄された悪役令嬢ですが、なぜか変人侯爵に溺愛されてます

春夜夢

文字の大きさ
6 / 70
第一部「ブレナード反逆編」

第6話:封じられた西棟と、前侯爵夫妻の秘密

しおりを挟む
グランデ侯爵邸に迎えられて、三日目の朝。
 私は例によって静かな朝食の席に着いていた。食卓の対面には、変わらず無表情な――けれど、どこか目元が柔らかいアレクシスの姿。

 「……髪留め、似合っている」

 朝の挨拶に続いて、彼がぽつりと呟いた。

 「ええ、昨夜こっそりいただいたものですわね?」

 「……バレていたか」

 「箱に“R.A.”と刻まれていて、気づかない方がどうかしてますわ」

 彼は紅茶を口にしながら、気まずそうに視線を逸らす。
 そんな些細なやり取りが、少しずつ私の心をほどいていく。

 ――けれど、その油断こそが、きっと物語の“鍵”になるのだろう。

* * *

 午前。
 私は侍女に付き添われながら、邸内を再び巡っていた。
 まだ慣れぬ場所も多く、使用人たちも私に遠慮がちで、まるで“本当の妻”として見ていない空気が、どこか気がかりだった。

 そんな中、私の視線はまたあの場所――“西棟の扉”に吸い寄せられていた。

 「……ねえ、侍女長」

 「はい、レイナ様」

 「前回は“空室”だと伺いましたが、実際は使われていないだけ……ですよね?」

 侍女長は一瞬、息を呑むような仕草を見せた。そして小さくうつむき、声を落とす。

 「……申し訳ありません。あの場所には、侯爵閣下から“絶対に誰も入れてはならぬ”との命が出ております」

 「理由は……?」

 「お察しの通り、前侯爵夫妻のお部屋です。ですが、それ以上のことは私の立場では……」

 私は頷き、無理に詮索するのをやめた。

 ――けれど、気になる。
 侯爵という家を継ぐということは、“家の過去”をも継ぐということ。それを知ることなしに、夫婦として――たとえ契約でも――生きるのは、不自然に思えた。

* * *

 その夜。

 私は意を決して、書斎にいるアレクシスを訪ねた。扉をノックすると、すぐに「どうぞ」と返事がある。

 「レイナ。何か用か?」

 「はい。……西棟について、お尋ねしたくて」

 一瞬、彼の瞳が静かに揺れた。

 「入ったのか?」

 「いいえ。扉の前に立っただけです。でも、あの空気は、ただの“空き部屋”のものではなかった」

 彼はしばらく沈黙した。
 私はその間、彼の表情を観察する。ふだんは鋼の仮面のように無表情な顔が、今はほんの少しだけ、緊張に染まっていた。

 「……入るか?」

 「えっ」

 「案内する。僕自身が、君に知ってほしいと思っていた」

 立ち上がったアレクシスは、いつもの冷静な所作で、しかしどこかゆっくりと、重みのある足取りで廊下を歩き出した。

* * *

 西棟の扉の前。

 彼が鍵を差し込むと、錠が鈍い音を立てて外れた。
 そして、ゆっくりと開いた扉の先――そこには、時間が止まったような空間があった。

 柔らかい色合いのカーテン、二人掛けのソファ、壁には花の刺繍のタペストリー。すべてが手入れされているのに、誰の気配もしない。

 「……これは」

 「母の部屋だ。そして、隣が父の部屋だった」

 「“だった”?」

 アレクシスは無言で一歩進み、ソファの前に立つ。
 そして、静かに語り始めた。

 「僕が十五の時、両親は“心中”と判断された。ただ、真相は不明のままだ。事故とも、毒殺とも、明言されていない」

 私は息を呑んだ。

 「だから、僕は“この部屋を保つこと”を選んだ。父と母が何を思い、ここでどんな会話をしていたのか。いつかそれを、静かに受け入れるために」

 その声は淡々としていたけれど、どこか遠く、誰にも届かない深淵を覗き込むようだった。

 「だから、他人には見せなかった。けれど……君には、見てほしかった」

 「……なぜ、私に?」

 アレクシスは、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。

 「君は、過去に囚われず、未来を切り開く力がある。僕にはない力だ。だから、君ならこの部屋を“過去”ではなく、“未来への通路”として見てくれると思った」

 その言葉に、私の胸が締めつけられた。
 “契約だけの関係”と、自分に言い聞かせていたのに――。

 「……閣下。私にはまだ、あなたを癒せるような力はありません。でも……」

 私はそっと、隣に立った彼の手に、自分の指先を重ねた。

 「手を伸ばせば、そこに誰かがいる。……それだけでも、変わることはあると思いますわ」

 アレクシスは少しだけ目を伏せたあと、低く息を吐いた。

 「ありがとう、レイナ」

 その声は、今までで一番、あたたかかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに

有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。 選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。 地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。 失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。 「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」 彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。 そして、私は彼の正妃として王都へ……

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」 公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。 忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。 「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」 冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。 彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。 一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。 これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

処理中です...