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第一部「ブレナード反逆編」
第6話:封じられた西棟と、前侯爵夫妻の秘密
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グランデ侯爵邸に迎えられて、三日目の朝。
私は例によって静かな朝食の席に着いていた。食卓の対面には、変わらず無表情な――けれど、どこか目元が柔らかいアレクシスの姿。
「……髪留め、似合っている」
朝の挨拶に続いて、彼がぽつりと呟いた。
「ええ、昨夜こっそりいただいたものですわね?」
「……バレていたか」
「箱に“R.A.”と刻まれていて、気づかない方がどうかしてますわ」
彼は紅茶を口にしながら、気まずそうに視線を逸らす。
そんな些細なやり取りが、少しずつ私の心をほどいていく。
――けれど、その油断こそが、きっと物語の“鍵”になるのだろう。
* * *
午前。
私は侍女に付き添われながら、邸内を再び巡っていた。
まだ慣れぬ場所も多く、使用人たちも私に遠慮がちで、まるで“本当の妻”として見ていない空気が、どこか気がかりだった。
そんな中、私の視線はまたあの場所――“西棟の扉”に吸い寄せられていた。
「……ねえ、侍女長」
「はい、レイナ様」
「前回は“空室”だと伺いましたが、実際は使われていないだけ……ですよね?」
侍女長は一瞬、息を呑むような仕草を見せた。そして小さくうつむき、声を落とす。
「……申し訳ありません。あの場所には、侯爵閣下から“絶対に誰も入れてはならぬ”との命が出ております」
「理由は……?」
「お察しの通り、前侯爵夫妻のお部屋です。ですが、それ以上のことは私の立場では……」
私は頷き、無理に詮索するのをやめた。
――けれど、気になる。
侯爵という家を継ぐということは、“家の過去”をも継ぐということ。それを知ることなしに、夫婦として――たとえ契約でも――生きるのは、不自然に思えた。
* * *
その夜。
私は意を決して、書斎にいるアレクシスを訪ねた。扉をノックすると、すぐに「どうぞ」と返事がある。
「レイナ。何か用か?」
「はい。……西棟について、お尋ねしたくて」
一瞬、彼の瞳が静かに揺れた。
「入ったのか?」
「いいえ。扉の前に立っただけです。でも、あの空気は、ただの“空き部屋”のものではなかった」
彼はしばらく沈黙した。
私はその間、彼の表情を観察する。ふだんは鋼の仮面のように無表情な顔が、今はほんの少しだけ、緊張に染まっていた。
「……入るか?」
「えっ」
「案内する。僕自身が、君に知ってほしいと思っていた」
立ち上がったアレクシスは、いつもの冷静な所作で、しかしどこかゆっくりと、重みのある足取りで廊下を歩き出した。
* * *
西棟の扉の前。
彼が鍵を差し込むと、錠が鈍い音を立てて外れた。
そして、ゆっくりと開いた扉の先――そこには、時間が止まったような空間があった。
柔らかい色合いのカーテン、二人掛けのソファ、壁には花の刺繍のタペストリー。すべてが手入れされているのに、誰の気配もしない。
「……これは」
「母の部屋だ。そして、隣が父の部屋だった」
「“だった”?」
アレクシスは無言で一歩進み、ソファの前に立つ。
そして、静かに語り始めた。
「僕が十五の時、両親は“心中”と判断された。ただ、真相は不明のままだ。事故とも、毒殺とも、明言されていない」
私は息を呑んだ。
「だから、僕は“この部屋を保つこと”を選んだ。父と母が何を思い、ここでどんな会話をしていたのか。いつかそれを、静かに受け入れるために」
その声は淡々としていたけれど、どこか遠く、誰にも届かない深淵を覗き込むようだった。
「だから、他人には見せなかった。けれど……君には、見てほしかった」
「……なぜ、私に?」
アレクシスは、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
「君は、過去に囚われず、未来を切り開く力がある。僕にはない力だ。だから、君ならこの部屋を“過去”ではなく、“未来への通路”として見てくれると思った」
その言葉に、私の胸が締めつけられた。
“契約だけの関係”と、自分に言い聞かせていたのに――。
「……閣下。私にはまだ、あなたを癒せるような力はありません。でも……」
私はそっと、隣に立った彼の手に、自分の指先を重ねた。
「手を伸ばせば、そこに誰かがいる。……それだけでも、変わることはあると思いますわ」
アレクシスは少しだけ目を伏せたあと、低く息を吐いた。
「ありがとう、レイナ」
その声は、今までで一番、あたたかかった。
私は例によって静かな朝食の席に着いていた。食卓の対面には、変わらず無表情な――けれど、どこか目元が柔らかいアレクシスの姿。
「……髪留め、似合っている」
朝の挨拶に続いて、彼がぽつりと呟いた。
「ええ、昨夜こっそりいただいたものですわね?」
「……バレていたか」
「箱に“R.A.”と刻まれていて、気づかない方がどうかしてますわ」
彼は紅茶を口にしながら、気まずそうに視線を逸らす。
そんな些細なやり取りが、少しずつ私の心をほどいていく。
――けれど、その油断こそが、きっと物語の“鍵”になるのだろう。
* * *
午前。
私は侍女に付き添われながら、邸内を再び巡っていた。
まだ慣れぬ場所も多く、使用人たちも私に遠慮がちで、まるで“本当の妻”として見ていない空気が、どこか気がかりだった。
そんな中、私の視線はまたあの場所――“西棟の扉”に吸い寄せられていた。
「……ねえ、侍女長」
「はい、レイナ様」
「前回は“空室”だと伺いましたが、実際は使われていないだけ……ですよね?」
侍女長は一瞬、息を呑むような仕草を見せた。そして小さくうつむき、声を落とす。
「……申し訳ありません。あの場所には、侯爵閣下から“絶対に誰も入れてはならぬ”との命が出ております」
「理由は……?」
「お察しの通り、前侯爵夫妻のお部屋です。ですが、それ以上のことは私の立場では……」
私は頷き、無理に詮索するのをやめた。
――けれど、気になる。
侯爵という家を継ぐということは、“家の過去”をも継ぐということ。それを知ることなしに、夫婦として――たとえ契約でも――生きるのは、不自然に思えた。
* * *
その夜。
私は意を決して、書斎にいるアレクシスを訪ねた。扉をノックすると、すぐに「どうぞ」と返事がある。
「レイナ。何か用か?」
「はい。……西棟について、お尋ねしたくて」
一瞬、彼の瞳が静かに揺れた。
「入ったのか?」
「いいえ。扉の前に立っただけです。でも、あの空気は、ただの“空き部屋”のものではなかった」
彼はしばらく沈黙した。
私はその間、彼の表情を観察する。ふだんは鋼の仮面のように無表情な顔が、今はほんの少しだけ、緊張に染まっていた。
「……入るか?」
「えっ」
「案内する。僕自身が、君に知ってほしいと思っていた」
立ち上がったアレクシスは、いつもの冷静な所作で、しかしどこかゆっくりと、重みのある足取りで廊下を歩き出した。
* * *
西棟の扉の前。
彼が鍵を差し込むと、錠が鈍い音を立てて外れた。
そして、ゆっくりと開いた扉の先――そこには、時間が止まったような空間があった。
柔らかい色合いのカーテン、二人掛けのソファ、壁には花の刺繍のタペストリー。すべてが手入れされているのに、誰の気配もしない。
「……これは」
「母の部屋だ。そして、隣が父の部屋だった」
「“だった”?」
アレクシスは無言で一歩進み、ソファの前に立つ。
そして、静かに語り始めた。
「僕が十五の時、両親は“心中”と判断された。ただ、真相は不明のままだ。事故とも、毒殺とも、明言されていない」
私は息を呑んだ。
「だから、僕は“この部屋を保つこと”を選んだ。父と母が何を思い、ここでどんな会話をしていたのか。いつかそれを、静かに受け入れるために」
その声は淡々としていたけれど、どこか遠く、誰にも届かない深淵を覗き込むようだった。
「だから、他人には見せなかった。けれど……君には、見てほしかった」
「……なぜ、私に?」
アレクシスは、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。
「君は、過去に囚われず、未来を切り開く力がある。僕にはない力だ。だから、君ならこの部屋を“過去”ではなく、“未来への通路”として見てくれると思った」
その言葉に、私の胸が締めつけられた。
“契約だけの関係”と、自分に言い聞かせていたのに――。
「……閣下。私にはまだ、あなたを癒せるような力はありません。でも……」
私はそっと、隣に立った彼の手に、自分の指先を重ねた。
「手を伸ばせば、そこに誰かがいる。……それだけでも、変わることはあると思いますわ」
アレクシスは少しだけ目を伏せたあと、低く息を吐いた。
「ありがとう、レイナ」
その声は、今までで一番、あたたかかった。
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