7 / 70
第一部「ブレナード反逆編」
第7話:初めての来客と、侯爵夫人としての試練
しおりを挟む
グランデ侯爵家に嫁いで、まだ五日。
けれど、私の中ではもうずいぶん長い時間が過ぎたように思える。
静かで、丁寧で、けれど張り詰めた日々。アレクシスという人物は、距離を詰めるでもなく、離れるでもなく、まるで“私という存在”を慎重に観察しているかのようだった。
そんな折。
「レイナ様。本日、侯爵家にお客様がいらっしゃいます」
朝の紅茶を飲んでいるとき、侍女長のリゼから告げられた言葉に、私はカップを置いた。
「来客? どなた?」
「エスティア伯爵家より、第一夫人クラリッサ様が」
――クラリッサ・エスティア。
社交界の名門令嬢にして、アレクシスとは遠縁にあたる年上の女性。
若くして後家となった後も社交界に君臨し、優雅な物腰と鋭い舌で“笑顔で人を切る”ことで知られる。
つまり、侮れない存在だ。
「侯爵夫人としての“お披露目”という意味でしょうね」
私はため息混じりに席を立った。
「着付けをお願い。舐められるわけにはいきませんから」
* * *
午後。
応接間の扉が開かれ、クラリッサ夫人が優雅に入室した。
薄桃色のドレスに身を包んだその姿は、年齢を感じさせないほどに美しい。そして、その目はまるで獲物を品定めする鷹のようだった。
「まあ……噂の“契約夫人”は、随分と落ち着いた雰囲気なのね」
初手からこれである。
私は微笑みを崩さず、カップを手に取った。
「ありがとうございます。“契約”であれ“愛”であれ、夫人である以上、役目を果たすことは当然ですもの」
「まあ、言うじゃないの」
クラリッサ夫人の瞳が細められ、ふっと微笑みが浮かぶ。その笑みの裏に、探るような意図が滲んでいた。
「それで? あの冷血なアレクシス様と、どうやって“関係”を築いていらっしゃるのかしら?」
「彼はとても誠実な方ですわ。人との距離を測るのが独特なだけで、情がないわけではありません」
「ふうん……。随分と“好意的”な解釈ね?」
「必要なのは、解釈ではなく“理解”ですわ。彼は言葉より行動で示す方ですもの」
その瞬間、クラリッサの顔がほんのわずかに揺れた。
気づかぬふりをして、私は続ける。
「それに、私たちは“これから”を見ています。過去にとらわれてはいませんの」
「……随分と、覚悟のある言い方ね」
「ええ、“契約”とはいえ、私はグランデ侯爵家の一員ですもの。中途半端な気持ちで務まると思ってはおりません」
沈黙が流れる。
クラリッサ夫人はじっと私を見つめたあと、静かにカップを置いた。
「気に入ったわ。あの方を“殻の中から引き出す”なら、あなたかもしれない」
「……評価、ありがとうございます」
「でも、油断は禁物よ。アレクシスは優しいわけじゃない。むしろ“自己犠牲的”な男だから」
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。
「え……?」
「昔からそう。彼はいつだって、自分を閉じ込めてでも、家や名誉を守る道を選んできた。感情より義務を優先する子だったのよ。……だから、もしあなたが“彼の心”に踏み込みたいのなら、その覚悟をしておくことね」
そう言って、クラリッサは立ち上がった。
「では、今日はこの辺で。素敵なお茶をありがとう、レイナ夫人」
優雅に微笑むその姿に、私はしばらく立ち尽くしてしまった。
* * *
その夜。
私はまた、書斎を訪ねた。
扉を開けると、アレクシスは本を閉じて顔を上げる。
「来客、お疲れ様。……何かあったか?」
「少しだけ……気になることを、言われたの」
私は椅子に腰を下ろし、視線を彼に向ける。
「あなたは“自己犠牲的な男”だと。自分を捨ててでも、家を守ろうとする人だって」
アレクシスは少しだけ眉を動かした。
否定も肯定もせず、ただ静かに私を見つめていた。
「……そういう生き方しか、知らなかっただけだ」
ぽつりと、呟くように。
「家を継いだ時、まだ十六だった。皆が期待していた。“グランデ侯爵家を存続させる器”だと。……だから、僕は器に徹した」
私はその言葉に、胸が痛くなるのを感じた。
この人は、きっと誰よりも孤独だった。
「それなら、私がその器に“心”を注ぎますわ」
「……レイナ」
「あなたがどうしようもなく閉ざしてきた過去でも、私は一緒に見届けます。だから、ほんの少しずつで構いません。あなたの“本当の声”を、聞かせてくださいませ」
沈黙のあと、アレクシスが小さく息を吐いた。
「……それは、契約に含まれていないだろう」
「含めます。今から」
思わず笑ってしまう私に、彼もまた、ほんの少しだけ、頬を緩めた。
“契約”だけだったはずの関係が、今、確かに揺らぎ始めている。
けれど、私の中ではもうずいぶん長い時間が過ぎたように思える。
静かで、丁寧で、けれど張り詰めた日々。アレクシスという人物は、距離を詰めるでもなく、離れるでもなく、まるで“私という存在”を慎重に観察しているかのようだった。
そんな折。
「レイナ様。本日、侯爵家にお客様がいらっしゃいます」
朝の紅茶を飲んでいるとき、侍女長のリゼから告げられた言葉に、私はカップを置いた。
「来客? どなた?」
「エスティア伯爵家より、第一夫人クラリッサ様が」
――クラリッサ・エスティア。
社交界の名門令嬢にして、アレクシスとは遠縁にあたる年上の女性。
若くして後家となった後も社交界に君臨し、優雅な物腰と鋭い舌で“笑顔で人を切る”ことで知られる。
つまり、侮れない存在だ。
「侯爵夫人としての“お披露目”という意味でしょうね」
私はため息混じりに席を立った。
「着付けをお願い。舐められるわけにはいきませんから」
* * *
午後。
応接間の扉が開かれ、クラリッサ夫人が優雅に入室した。
薄桃色のドレスに身を包んだその姿は、年齢を感じさせないほどに美しい。そして、その目はまるで獲物を品定めする鷹のようだった。
「まあ……噂の“契約夫人”は、随分と落ち着いた雰囲気なのね」
初手からこれである。
私は微笑みを崩さず、カップを手に取った。
「ありがとうございます。“契約”であれ“愛”であれ、夫人である以上、役目を果たすことは当然ですもの」
「まあ、言うじゃないの」
クラリッサ夫人の瞳が細められ、ふっと微笑みが浮かぶ。その笑みの裏に、探るような意図が滲んでいた。
「それで? あの冷血なアレクシス様と、どうやって“関係”を築いていらっしゃるのかしら?」
「彼はとても誠実な方ですわ。人との距離を測るのが独特なだけで、情がないわけではありません」
「ふうん……。随分と“好意的”な解釈ね?」
「必要なのは、解釈ではなく“理解”ですわ。彼は言葉より行動で示す方ですもの」
その瞬間、クラリッサの顔がほんのわずかに揺れた。
気づかぬふりをして、私は続ける。
「それに、私たちは“これから”を見ています。過去にとらわれてはいませんの」
「……随分と、覚悟のある言い方ね」
「ええ、“契約”とはいえ、私はグランデ侯爵家の一員ですもの。中途半端な気持ちで務まると思ってはおりません」
沈黙が流れる。
クラリッサ夫人はじっと私を見つめたあと、静かにカップを置いた。
「気に入ったわ。あの方を“殻の中から引き出す”なら、あなたかもしれない」
「……評価、ありがとうございます」
「でも、油断は禁物よ。アレクシスは優しいわけじゃない。むしろ“自己犠牲的”な男だから」
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。
「え……?」
「昔からそう。彼はいつだって、自分を閉じ込めてでも、家や名誉を守る道を選んできた。感情より義務を優先する子だったのよ。……だから、もしあなたが“彼の心”に踏み込みたいのなら、その覚悟をしておくことね」
そう言って、クラリッサは立ち上がった。
「では、今日はこの辺で。素敵なお茶をありがとう、レイナ夫人」
優雅に微笑むその姿に、私はしばらく立ち尽くしてしまった。
* * *
その夜。
私はまた、書斎を訪ねた。
扉を開けると、アレクシスは本を閉じて顔を上げる。
「来客、お疲れ様。……何かあったか?」
「少しだけ……気になることを、言われたの」
私は椅子に腰を下ろし、視線を彼に向ける。
「あなたは“自己犠牲的な男”だと。自分を捨ててでも、家を守ろうとする人だって」
アレクシスは少しだけ眉を動かした。
否定も肯定もせず、ただ静かに私を見つめていた。
「……そういう生き方しか、知らなかっただけだ」
ぽつりと、呟くように。
「家を継いだ時、まだ十六だった。皆が期待していた。“グランデ侯爵家を存続させる器”だと。……だから、僕は器に徹した」
私はその言葉に、胸が痛くなるのを感じた。
この人は、きっと誰よりも孤独だった。
「それなら、私がその器に“心”を注ぎますわ」
「……レイナ」
「あなたがどうしようもなく閉ざしてきた過去でも、私は一緒に見届けます。だから、ほんの少しずつで構いません。あなたの“本当の声”を、聞かせてくださいませ」
沈黙のあと、アレクシスが小さく息を吐いた。
「……それは、契約に含まれていないだろう」
「含めます。今から」
思わず笑ってしまう私に、彼もまた、ほんの少しだけ、頬を緩めた。
“契約”だけだったはずの関係が、今、確かに揺らぎ始めている。
24
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?
いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー
これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。
「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」
「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」
冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。
あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。
ショックで熱をだし寝込むこと1週間。
目覚めると夫がなぜか豹変していて…!?
「君から話し掛けてくれないのか?」
「もう君が隣にいないのは考えられない」
無口不器用夫×優しい鈍感妻
すれ違いから始まる両片思いストーリー
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
婚約破棄された人たらし悪役令嬢ですが、 最強で過保護な兄たちと義姉に溺愛されています
由香
ファンタジー
婚約破棄のその日、
悪役令嬢リリアーナは――弁明すら、しなかった。
王太子と“聖女”に断罪され、すべてを失った彼女。
だがその裏で、王国最強と名高い三人の兄と、
冷静沈着な義姉が、静かに動き始めていた。
再検証によって暴かれる“聖女の嘘”。
広場で語られる真実。
そして、無自覚に人を惹きつけてしまう
リリアーナの優しさが、次々と味方を増やしていく――。
これは、
悪役令嬢として断罪された少女が、
「誰かの物語の脇役」ではなく、
自分自身の人生を取り戻す物語。
過保護すぎる兄たちと義姉に溺愛されながら、
彼女は静かに、そして確実に幸せへ向かっていく。
死亡予定の脇役令嬢に転生したら、断罪前に裏ルートで皇帝陛下に溺愛されました!?
六角
恋愛
「え、私が…断罪?処刑?――冗談じゃないわよっ!」
前世の記憶が蘇った瞬間、私、公爵令嬢スカーレットは理解した。
ここが乙女ゲームの世界で、自分がヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢であり、婚約者のアルフォンス王太子に断罪される未来しかないことを!
その元凶であるアルフォンス王太子と聖女セレスティアは、今日も今日とて私の目の前で愛の劇場を繰り広げている。
「まあアルフォンス様! スカーレット様も本当は心優しい方のはずですわ。わたくしたちの真実の愛の力で彼女を正しい道に導いて差し上げましょう…!」
「ああセレスティア!君はなんて清らかなんだ!よし、我々の愛でスカーレットを更生させよう!」
(…………はぁ。茶番は他所でやってくれる?)
自分たちの恋路に酔いしれ、私を「救済すべき悪」と見なすめでたい頭の二人組。
あなたたちの自己満足のために私の首が飛んでたまるものですか!
絶望の淵でゲームの知識を総動員して見つけ出した唯一の活路。
それは血も涙もない「漆黒の皇帝」と万人に恐れられる若き皇帝ゼノン陛下に接触するという、あまりに危険な【裏ルート】だった。
「命惜しさにこの私に魂でも売りに来たか。愚かで滑稽で…そして実に唆る女だ、スカーレット」
氷の視線に射抜かれ覚悟を決めたその時。
冷酷非情なはずの皇帝陛下はなぜか私の悪あがきを心底面白そうに眺め、その美しい唇を歪めた。
「良いだろう。お前を私の『籠の中の真紅の鳥』として、この手ずから愛でてやろう」
その日から私の運命は激変!
「他の男にその瞳を向けるな。お前のすべては私のものだ」
皇帝陛下からの凄まじい独占欲と息もできないほどの甘い溺愛に、スカーレットの心臓は鳴りっぱなし!?
その頃、王宮では――。
「今頃スカーレットも一人寂しく己の罪を反省しているだろう」
「ええアルフォンス様。わたくしたちが彼女を温かく迎え入れてあげましょうね」
などと最高にズレた会話が繰り広げられていることを、彼らはまだ知らない。
悪役(笑)たちが壮大な勘違いをしている間に、最強の庇護者(皇帝陛下)からの溺愛ルート、確定です!
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる