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第1話 政略の婚約、冷たい瞳の裏側
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「本日をもって、エルネア=レイベルト嬢は、宰相ルシアス=ディエンツ公爵との婚約を正式に受け入れることとなった」
玉座の間に響いた国王陛下の声音は穏やかでありながらも、反論を許さない絶対の命だった。
光り輝く大広間。
居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私へと注がれる。
(……これが、地獄の始まりかしら)
私はただ、静かに膝をついて頭を垂れた。
“なぜ私が”という疑問を抱いたのは、他の誰よりも、この私自身だ。
エルネア・レイベルト。
名ばかりの伯爵家の次女。
姉は社交界で名を馳せた美貌の才媛。
私はといえば、舞踏も絵画も刺繍も中途半端、目立たず話題にもならない“その他大勢”。
貴族たちの間で私の名前を知る者など、ほとんどいないだろう。
それがなぜ、“宰相殿の婚約者”なのか――
その理由を誰もが知りたがり、誰もが眉をひそめていた。
(政略よね。何か裏があるに決まってる)
王都ではすでに噂が飛び交っていた。
「ルシアス閣下が突如として花嫁を選んだのは、政治的駆け引きのためだ」
「本命は他にいたが、何かしらの理由で手を引かざるを得なかったのだろう」
「あるいは令嬢側の弱みを握っているのでは――」
正直、どれも当たらずとも遠からずだろう。
婚約の命令が我が家に届けられたのは、ほんの二週間ほど前のことだった。
「うちに宰相殿の婚約話だって……? まさか、エルネア、お前にだと……?」
父の顔は青ざめ、姉は泣き叫んだ。
「いやよ! どうしてエルネアなの!? わたくしの方が、ふさわしいはずでしょう!? 宰相閣下に相応しいのは、私よ、私しかいないのよ……!」
あの日の姉の涙は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
(……姉様が、ルシアス閣下を慕っていたなんて、知らなかった)
そして今、私はこの王宮で、彼の傍に立つことを命じられている。
婚約の儀式が終わり、貴族たちのざわめきが広間を満たす中、
彼――ルシアス=ディエンツ公爵は一言も発さなかった。
ただ静かに私の横に立ち、国王に一礼し、それから私に視線を向けた。
……その瞳は、まるで氷のようだった。
灰銀の瞳。
冷静で、理知的で、決して感情を見せない宰相殿の瞳。
思わず息が詰まりそうになる。
けれど、私は逃げるわけにはいかない。
この婚約が、私の家を救う最後の切り札なのだから。
***
それから数日後、私は正式に王宮の中にある“宰相付き控えの間”に招かれた。
一度も足を踏み入れたことのない空間。
恐ろしく静かで、あらゆる物音が反響する石造りの部屋。
出迎えてくれたのは、年配の執事と数人の侍女。
「閣下はまもなく参ります。どうぞ、くつろいでお待ちくださいませ」
誰も責めることなく、優しく扱ってくれる。
だがその空気が、むしろ私を緊張させた。
(“契約の婚約者”に、こんなにも丁寧な扱いが必要なのかしら?)
そんな考えに囚われていたとき、扉が開いた。
静かな足音が、床に響く。
「……君が、エルネア嬢か」
その低く冷たい声に、私は反射的に立ち上がり、礼を取った。
「はい。エルネア・レイベルトと申します。……本日はお時間をいただき、誠に光栄ですわ」
顔を上げた私の視界に映るのは、
宰相ルシアス・ディエンツ――あまりにも整った顔立ち、凍てつくような瞳、そして静かな威圧感。
「政略結婚だ。君に愛情を注ぐことはない。……それでも構わないか?」
彼の口から発された言葉は、想像通りだった。
けれど、それでも少しだけ胸が締め付けられる。
(愛情を期待していたわけじゃない……でも、やっぱり少し……)
「……はい。私も、私情を挟むつもりはありません。どうか、閣下のご負担にならぬよう努めさせていただきます」
返答を終えた直後、彼はしばし無言で私を見つめた。
沈黙が、痛いほどに重い。
だが私は視線を逸らさず、ただ静かに待った。
そのとき、彼が小さく何かを呟いた気がした。
聞き取れなかったその言葉は、まるで吐息のように微かだったが、
確かにその瞬間、彼の瞳がわずかに揺れたように思えた。
「……君には、私の屋敷に移ってもらう。部屋は自由に使っていい。困ったことがあれば執事を通せ」
「はい、ありがとうございます」
「それと、」
彼は手袋を外し、私の前に手を差し出した。
冷たく、けれど丁寧な仕草だった。
「形式的なことだ。……この手を取り、婚約者として振る舞ってくれ」
差し出された手を見つめる。
その指はすらりと長く、力強く、それでいてどこか寂しげだった。
私は、ゆっくりとその手に、自分の手を重ねた。
「……はい、閣下」
(たとえこの婚約が“仮初のもの”であったとしても。
私は、あなたの役に立てるのなら……それでいい)
そう、思っていた――このときまでは。
けれど数日後、私は知ることになる。
この男は誰よりも執着深く、
そして、誰よりも優しい“恋人”に変貌するということを――。
玉座の間に響いた国王陛下の声音は穏やかでありながらも、反論を許さない絶対の命だった。
光り輝く大広間。
居並ぶ貴族たちの視線が、一斉に私へと注がれる。
(……これが、地獄の始まりかしら)
私はただ、静かに膝をついて頭を垂れた。
“なぜ私が”という疑問を抱いたのは、他の誰よりも、この私自身だ。
エルネア・レイベルト。
名ばかりの伯爵家の次女。
姉は社交界で名を馳せた美貌の才媛。
私はといえば、舞踏も絵画も刺繍も中途半端、目立たず話題にもならない“その他大勢”。
貴族たちの間で私の名前を知る者など、ほとんどいないだろう。
それがなぜ、“宰相殿の婚約者”なのか――
その理由を誰もが知りたがり、誰もが眉をひそめていた。
(政略よね。何か裏があるに決まってる)
王都ではすでに噂が飛び交っていた。
「ルシアス閣下が突如として花嫁を選んだのは、政治的駆け引きのためだ」
「本命は他にいたが、何かしらの理由で手を引かざるを得なかったのだろう」
「あるいは令嬢側の弱みを握っているのでは――」
正直、どれも当たらずとも遠からずだろう。
婚約の命令が我が家に届けられたのは、ほんの二週間ほど前のことだった。
「うちに宰相殿の婚約話だって……? まさか、エルネア、お前にだと……?」
父の顔は青ざめ、姉は泣き叫んだ。
「いやよ! どうしてエルネアなの!? わたくしの方が、ふさわしいはずでしょう!? 宰相閣下に相応しいのは、私よ、私しかいないのよ……!」
あの日の姉の涙は、今でも脳裏に焼き付いて離れない。
(……姉様が、ルシアス閣下を慕っていたなんて、知らなかった)
そして今、私はこの王宮で、彼の傍に立つことを命じられている。
婚約の儀式が終わり、貴族たちのざわめきが広間を満たす中、
彼――ルシアス=ディエンツ公爵は一言も発さなかった。
ただ静かに私の横に立ち、国王に一礼し、それから私に視線を向けた。
……その瞳は、まるで氷のようだった。
灰銀の瞳。
冷静で、理知的で、決して感情を見せない宰相殿の瞳。
思わず息が詰まりそうになる。
けれど、私は逃げるわけにはいかない。
この婚約が、私の家を救う最後の切り札なのだから。
***
それから数日後、私は正式に王宮の中にある“宰相付き控えの間”に招かれた。
一度も足を踏み入れたことのない空間。
恐ろしく静かで、あらゆる物音が反響する石造りの部屋。
出迎えてくれたのは、年配の執事と数人の侍女。
「閣下はまもなく参ります。どうぞ、くつろいでお待ちくださいませ」
誰も責めることなく、優しく扱ってくれる。
だがその空気が、むしろ私を緊張させた。
(“契約の婚約者”に、こんなにも丁寧な扱いが必要なのかしら?)
そんな考えに囚われていたとき、扉が開いた。
静かな足音が、床に響く。
「……君が、エルネア嬢か」
その低く冷たい声に、私は反射的に立ち上がり、礼を取った。
「はい。エルネア・レイベルトと申します。……本日はお時間をいただき、誠に光栄ですわ」
顔を上げた私の視界に映るのは、
宰相ルシアス・ディエンツ――あまりにも整った顔立ち、凍てつくような瞳、そして静かな威圧感。
「政略結婚だ。君に愛情を注ぐことはない。……それでも構わないか?」
彼の口から発された言葉は、想像通りだった。
けれど、それでも少しだけ胸が締め付けられる。
(愛情を期待していたわけじゃない……でも、やっぱり少し……)
「……はい。私も、私情を挟むつもりはありません。どうか、閣下のご負担にならぬよう努めさせていただきます」
返答を終えた直後、彼はしばし無言で私を見つめた。
沈黙が、痛いほどに重い。
だが私は視線を逸らさず、ただ静かに待った。
そのとき、彼が小さく何かを呟いた気がした。
聞き取れなかったその言葉は、まるで吐息のように微かだったが、
確かにその瞬間、彼の瞳がわずかに揺れたように思えた。
「……君には、私の屋敷に移ってもらう。部屋は自由に使っていい。困ったことがあれば執事を通せ」
「はい、ありがとうございます」
「それと、」
彼は手袋を外し、私の前に手を差し出した。
冷たく、けれど丁寧な仕草だった。
「形式的なことだ。……この手を取り、婚約者として振る舞ってくれ」
差し出された手を見つめる。
その指はすらりと長く、力強く、それでいてどこか寂しげだった。
私は、ゆっくりとその手に、自分の手を重ねた。
「……はい、閣下」
(たとえこの婚約が“仮初のもの”であったとしても。
私は、あなたの役に立てるのなら……それでいい)
そう、思っていた――このときまでは。
けれど数日後、私は知ることになる。
この男は誰よりも執着深く、
そして、誰よりも優しい“恋人”に変貌するということを――。
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