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第一部三章 出陣
袈裟と煙管
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翌々日。
塩田城を出た武田軍一万五千は、鎌倉街道で二手に分かれた。
信玄率いる本隊一万は、進路を東に取り、碓氷峠を越えて、西上野の箕輪城へと向かう。
そして、嫡男義信、そして信繁が指揮する別働隊五千は、鎌倉街道を西に進み、北信濃の川中島――海津城を目指す。
本隊と分かれた別働隊は、千曲川沿いに伸びる鎌倉街道を粛々と進む。
その日は、葛尾城 (現在の長野県埴科郡坂城町)まで到り、そこで一泊する事にした。
日の長い六月、太陽は未だ西の空に留まっていたが、早めの夕餉を摂る為、葛尾城の内外から、夥しい数の炊煙が上がる。
と――、軍列の後方から、一騎の騎馬が信繁と義信のいる本陣へと駈け入ってきた。
「若殿! 典厩様! お伝えしたき事が!」
「何事だ!」
本陣に張られた陣幕の前で両手を広げ、信繁の与力である昌幸が、騎馬の闖入を妨げんとする。
騎馬に跨がった武者は、巧みに馬を操って落ち着かせると、飛び降りるように馬から下りた。
そして、昌幸の前で膝をつき、頭を垂れる。
「武藤様! 典厩様と若殿にお目もじしたいと申す、怪しげな坊主が押し掛けてきておりまして……」
と、武者は当惑を隠しきれない様子で、昌幸に報告する。
昌幸は、胡乱げな表情で首を傾げた。
「……坊主? 何者だ?」
「それが……こちらが幾ら誰何しても、『いいから会わせろ』の一点張りで御座いまして……」
「……? よく分からぬ。怪しい者ならば追い返せ」
要領を得ない武者の言葉に、昌幸は苛立ち、乱暴な口調で言った。
だが、武者はなおも食い下がる。
「はぁ……確かに仰る通りなのですが……。そうしようとすると、やけに自信たっぷりな様子で、『良いのか? 後悔するぞ』と凄まれてしまい、追い返すのにも難儀しております。というか……あまりにも態度が厚かま……堂々としておるので、もしや、典厩様や若殿と旧知の御方なのかと……」
「おう! 旧知も旧知! ワシとおふたりは、謂わば『同じ釜の飯を食った仲』というヤツよ! 良いから、そこを通せ、源五郎!」
「え――?」
突然、嗄れた声で気安く幼名を呼ばれた昌幸は、驚いて顔を上げる。――いつの間にか、でっぷりと太った壮年の男が、武者の後ろに立っていた。
着崩した平服に、肩から薄汚れた袈裟をかけ、銀の煙管を口に咥えた僧形の男。その、古狸を思わせる不貞不貞しい面構えを見た昌幸は、
「お――……!」
――驚きのあまり、口をあんぐりと開けて、言葉を失った。
◆ ◆ ◆ ◆
「し――失礼致します!」
「ん――? 如何した、昌幸よ?」
血相を変えて、本陣の陣幕を跳ね上げて乱入してきた昌幸に、義信と今後の方策について話し込んでいた信繁は、胡乱げにその眉を顰めた。
「これ、武藤! 今は大切な軍議の最中じゃ! 若殿の御前で無礼であろう!」
すかさず、床几に腰掛けていた飯富虎昌からの怒号が飛ぶ。が、
「――良い、兵部!」
上座に座った義信が、彼を窘めた。虎昌はハッとした表情を浮かべて頷くと、頭を巡らせて、その鋭い目で昌幸を見据える。
「……して、何の用じゃ?」
「……」
昌幸は、虎昌の尊大な態度に心中で密かに怒気を発したが、表情にはおくびにも出さず、義信と信繁の方を向いて一礼すると口を開いた。
「――若殿と典厩様にお目にかかりたいと申す者がおります」
「……会いたい? 私たちにか?」
義信は、怪訝そうな表情を浮かべると、傍らの信繁と顔を見合わせて首を傾げた。
信繁は、再び昌幸に顔を向けて訊く。
「はて……? 一体、どんな御仁だ? お主が取り次ぎに来たという事は、怪しげな者では無いのだろう?」
「は……まあ、確かに、おふたりと旧知ではあるのですが……怪しくないかと言われると、そうとも言い切れず……」
「……何じゃそりゃ」
珍しく歯切れの悪い昌幸の言葉に、虎昌は、眉間に深い皺を寄せる。
――と、
「おいおい、源五郎! 誰が怪しい生臭坊主じゃとぉ?」
騒々しい胴間声と共に、あの壮年の男がズカズカと、陣幕を払い除けて入ってきた。
「な――何奴! ……て?」
突然の闖入者に、咄嗟に床几から腰を上げ、腰の太刀に手をかける信繁たちであったが、その男の顔を見ると、呆気に取られた表情になった。
そんな一同を前に、男は愉快そうに煙管の煙を燻らすと、軽い調子で片手を挙げ、信繁に向かってニイッと破顔いかけてみせた。
そして、朗らかな口調で話しかける。
「これはこれは、典厩殿! お久しゅう御座る。――最後にお会いしたのは、二年前……あの八幡原の戦いの前夜でしたかな? お顔は随分と男前が上がったようじゃが、どうやら、ちゃあんと立派な足が付いておるようで、重畳の極みに御座りますぞ! カッカッカッ!」
呵々大笑しながら、男は大股で信繁の元に歩み寄ると、気さくな様子で彼の肩をバンバンと叩いた。そして、思い出したように、陣幕の前で立ち尽くしていた昌幸を煙管で指すと、言葉を継ぐ。
「おお、そういえば、ウチの元愚息が、与力としてお世話になっておるようですな。元父親としてのご挨拶が遅れまして、真に申し訳御座いませぬ!」
そう言うと、男は「カッカッカッ!」と豪快に笑った。
そんな男の調子に、すっかり呑まれていた信繁であったが、やがてその顔に、柔らかな笑みを浮かべて、口を開いた。
「いやいや。豪放磊落なところは、二年経っても、ちいとも変わらぬな」
「カッカッカッ! 齢五十も重ねれば、もう性格など、容易には変わらぬものですぞ!」
信繁の言葉に、愉快そうに大笑する男の顔を見ながら、信繁も顔を綻ばせ、その肩に手を置いた。
「また、生きて会えて嬉しいぞ。――真田弾正!」
「カッカッカッ! それは、こちらの言葉ですぞ、典厩殿!」
そう言って、小県郡真田本城城主・真田弾正忠幸綱は、信繁と朗らかに笑い合ったのだった。
塩田城を出た武田軍一万五千は、鎌倉街道で二手に分かれた。
信玄率いる本隊一万は、進路を東に取り、碓氷峠を越えて、西上野の箕輪城へと向かう。
そして、嫡男義信、そして信繁が指揮する別働隊五千は、鎌倉街道を西に進み、北信濃の川中島――海津城を目指す。
本隊と分かれた別働隊は、千曲川沿いに伸びる鎌倉街道を粛々と進む。
その日は、葛尾城 (現在の長野県埴科郡坂城町)まで到り、そこで一泊する事にした。
日の長い六月、太陽は未だ西の空に留まっていたが、早めの夕餉を摂る為、葛尾城の内外から、夥しい数の炊煙が上がる。
と――、軍列の後方から、一騎の騎馬が信繁と義信のいる本陣へと駈け入ってきた。
「若殿! 典厩様! お伝えしたき事が!」
「何事だ!」
本陣に張られた陣幕の前で両手を広げ、信繁の与力である昌幸が、騎馬の闖入を妨げんとする。
騎馬に跨がった武者は、巧みに馬を操って落ち着かせると、飛び降りるように馬から下りた。
そして、昌幸の前で膝をつき、頭を垂れる。
「武藤様! 典厩様と若殿にお目もじしたいと申す、怪しげな坊主が押し掛けてきておりまして……」
と、武者は当惑を隠しきれない様子で、昌幸に報告する。
昌幸は、胡乱げな表情で首を傾げた。
「……坊主? 何者だ?」
「それが……こちらが幾ら誰何しても、『いいから会わせろ』の一点張りで御座いまして……」
「……? よく分からぬ。怪しい者ならば追い返せ」
要領を得ない武者の言葉に、昌幸は苛立ち、乱暴な口調で言った。
だが、武者はなおも食い下がる。
「はぁ……確かに仰る通りなのですが……。そうしようとすると、やけに自信たっぷりな様子で、『良いのか? 後悔するぞ』と凄まれてしまい、追い返すのにも難儀しております。というか……あまりにも態度が厚かま……堂々としておるので、もしや、典厩様や若殿と旧知の御方なのかと……」
「おう! 旧知も旧知! ワシとおふたりは、謂わば『同じ釜の飯を食った仲』というヤツよ! 良いから、そこを通せ、源五郎!」
「え――?」
突然、嗄れた声で気安く幼名を呼ばれた昌幸は、驚いて顔を上げる。――いつの間にか、でっぷりと太った壮年の男が、武者の後ろに立っていた。
着崩した平服に、肩から薄汚れた袈裟をかけ、銀の煙管を口に咥えた僧形の男。その、古狸を思わせる不貞不貞しい面構えを見た昌幸は、
「お――……!」
――驚きのあまり、口をあんぐりと開けて、言葉を失った。
◆ ◆ ◆ ◆
「し――失礼致します!」
「ん――? 如何した、昌幸よ?」
血相を変えて、本陣の陣幕を跳ね上げて乱入してきた昌幸に、義信と今後の方策について話し込んでいた信繁は、胡乱げにその眉を顰めた。
「これ、武藤! 今は大切な軍議の最中じゃ! 若殿の御前で無礼であろう!」
すかさず、床几に腰掛けていた飯富虎昌からの怒号が飛ぶ。が、
「――良い、兵部!」
上座に座った義信が、彼を窘めた。虎昌はハッとした表情を浮かべて頷くと、頭を巡らせて、その鋭い目で昌幸を見据える。
「……して、何の用じゃ?」
「……」
昌幸は、虎昌の尊大な態度に心中で密かに怒気を発したが、表情にはおくびにも出さず、義信と信繁の方を向いて一礼すると口を開いた。
「――若殿と典厩様にお目にかかりたいと申す者がおります」
「……会いたい? 私たちにか?」
義信は、怪訝そうな表情を浮かべると、傍らの信繁と顔を見合わせて首を傾げた。
信繁は、再び昌幸に顔を向けて訊く。
「はて……? 一体、どんな御仁だ? お主が取り次ぎに来たという事は、怪しげな者では無いのだろう?」
「は……まあ、確かに、おふたりと旧知ではあるのですが……怪しくないかと言われると、そうとも言い切れず……」
「……何じゃそりゃ」
珍しく歯切れの悪い昌幸の言葉に、虎昌は、眉間に深い皺を寄せる。
――と、
「おいおい、源五郎! 誰が怪しい生臭坊主じゃとぉ?」
騒々しい胴間声と共に、あの壮年の男がズカズカと、陣幕を払い除けて入ってきた。
「な――何奴! ……て?」
突然の闖入者に、咄嗟に床几から腰を上げ、腰の太刀に手をかける信繁たちであったが、その男の顔を見ると、呆気に取られた表情になった。
そんな一同を前に、男は愉快そうに煙管の煙を燻らすと、軽い調子で片手を挙げ、信繁に向かってニイッと破顔いかけてみせた。
そして、朗らかな口調で話しかける。
「これはこれは、典厩殿! お久しゅう御座る。――最後にお会いしたのは、二年前……あの八幡原の戦いの前夜でしたかな? お顔は随分と男前が上がったようじゃが、どうやら、ちゃあんと立派な足が付いておるようで、重畳の極みに御座りますぞ! カッカッカッ!」
呵々大笑しながら、男は大股で信繁の元に歩み寄ると、気さくな様子で彼の肩をバンバンと叩いた。そして、思い出したように、陣幕の前で立ち尽くしていた昌幸を煙管で指すと、言葉を継ぐ。
「おお、そういえば、ウチの元愚息が、与力としてお世話になっておるようですな。元父親としてのご挨拶が遅れまして、真に申し訳御座いませぬ!」
そう言うと、男は「カッカッカッ!」と豪快に笑った。
そんな男の調子に、すっかり呑まれていた信繁であったが、やがてその顔に、柔らかな笑みを浮かべて、口を開いた。
「いやいや。豪放磊落なところは、二年経っても、ちいとも変わらぬな」
「カッカッカッ! 齢五十も重ねれば、もう性格など、容易には変わらぬものですぞ!」
信繁の言葉に、愉快そうに大笑する男の顔を見ながら、信繁も顔を綻ばせ、その肩に手を置いた。
「また、生きて会えて嬉しいぞ。――真田弾正!」
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