甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
47 / 263
第一部五章 軍神

決着と決別

しおりを挟む
 「む……ん……んん……!」

 昌景に馬乗りにされ、首筋に刃を突きつけられた弥太郎は、力任せに彼を押しのけようと足掻くが、どういうわけか、小柄な昌景の身体はびくとも動かなかった。
 弥太郎の傷だらけの顔に、玉のような脂汗と冷や汗が浮かぶ。
 そんな隊将の姿を見た小島隊の将兵たちは、

「や――弥太郎様をお救いしろ!」
「ええい、小癪な小男めが! 弥太郎様から離れよ!」
「相手は一人じゃ、押し包んで討ち取れい!」

 と、それぞれ声を上げつつ得物を振り上げ、慌ててふたりの元へと駈け寄ろうとする。
 ――と、

めぇいッ!」

 組み敷かれた弥太郎が、彼らに向けて、地を震わす怒声を上げた。
 その万雷の如き大喝に打たれた小島隊の諸兵は、驚いた顔をして一斉に足を止める。
 そんな彼らを、弥太郎は地に押し付けられた格好のままで、ギロリと睨みつけた。

「貴様ら、無粋な邪魔をするでない! 正当な一騎討ちの決着に横槍を入れて、ワシと殿の名に末代まで落ちぬ泥を塗るつもりか!」
「――!」

 弥太郎の怒声に、小島隊の面々は苦渋の表情を浮かべながら、振り上げた得物を下げた。
 先程まで喧騒に満ちていた一帯に、鉛のように重い沈黙が深く垂れ込める。
 麾下の兵が静まったのを確かめた弥太郎は、彼らに向かって小さく頷いた。
 そして、彼の上に跨がる昌景の顔を見つめながら、ゆっくりと口を開く。

「……我が兵共が無礼をした。……お主の勝ちじゃ、飯富三郎兵衛殿。この“鬼小島”を討ち取りし事、永劫までの手柄とするが良い。――さあ、早くとどめを」

 そう穏やかに言うと、弥太郎は自ら顎を上げて首元を露わにし、静かに目を瞑った。

「弥太郎様……!」
「……ッ!」

 遠巻きにふたりを囲んでいる小島隊の中から、呻きと慟哭の声が漏れる。

「……」

 そんな中、昌景は脇差を弥太郎の首に擬したまま、微動だにしなかったが――、

「……」

 無言のまま、脇差を腰の鞘に納めると、馬乗りになっていた弥太郎の上から降りた。
 そのまま背中を向けると、落ちていた自分の手槍を拾い、僅かにふらつきながら、横たわった弥太郎からゆっくりと離れていく。

「……! お、おい、待て! 待たれよ、飯富三郎兵衛!」

 置き去りにされた格好の弥太郎は、慌てて起き上がると、当惑と驚愕と憤怒の入り混じった顔で、立ち去ろうとする昌景の背中に向かって怒鳴りつけた。

「な――何故、首を取らぬ! まさか、情けをかけたつもりか? ――巫山戯ふざけるな! ワシは、お主に情けをかけられる筋合いなど無いぞ! この小島弥太郎を侮辱するのか、貴様ぁ!」
「……情け? そんなものをかけた覚えは無いが」

 弥太郎の怒号に歩みを止め、首だけで弥太郎に向けた昌景は、抑揚の無い口調で答えた。そして、横目で弥太郎の朱に染まった顔を見据えながら、静かに言葉を続ける。

「拙者はただ……大将の命に従ったまで。『首などは捨て置き、ただただ先を進む事にのみ専念せよ』――という、な」
「な――ッ?」

 昌景の言葉に、唖然とする弥太郎。そんな彼に向かって、昌景は「――それに」と言葉を継いだ。

「貴殿の首は並みよりもずっと重たそうだ。腰に吊って、広瀬まで持ち運ぶには邪魔すぎる。――置いていった方が良い」
「は――?」

 呆気に取られて二の句も継げない様子の弥太郎を尻目に、昌景は、倒れた己の馬を助け起こす。
 昌景の馬は、あれだけ派手に転んだにもかかわらず、立ち上がるや元気に嘶いた。
 彼はそんな乗騎の様子に小さく頷くと、ずれた鞍を直し、鐙に右足を掛け、その背に乗る。
 そして、地面の上で胡座をかいて座り込んでいる弥太郎に向けて、兜の庇を摘まんで軽く頭を下げた。

「……では。拙者は、これより本隊を追いかけねばならぬので、これにて失礼仕る。――御免」
「――待たれよ、飯富殿!」

 弥太郎に言葉をかけ、馬の横腹を蹴ろうとした昌景を、弥太郎が呼び止めた。
 そして、馬上でゆっくりと振り返った昌景に対し、彼は北東を指して言った。

「広瀬へ向かうのなら、武田本隊の後を追うよりも、一旦こちらの方に抜けてから南下した方が良いぞ! こちらの方が幾分か、展開している陣が手薄じゃ」
「……」

 昌景は、弥太郎の言葉に一瞬躊躇う素振りを見せたが、やがて小さく頷くと、馬首を弥太郎の指さした先へと向けた。
 そして、弥太郎に向けて、小さく会釈する。

「……ご助言、忝い。恩に着る」
「何の! 命に比べれば安いモノじゃ! ガッハッハッ!」

 律儀に礼を述べる昌景に、満面の大笑で応える弥太郎。――と、その顔が真剣みを帯びた。
 彼は、馬上の昌景に言う。

「だが、お主の行く手に待ち受ける、我が上杉の将兵共を努々ゆめゆめ侮るなよ」
「無論、承知している。……が、ご忠告、痛み入る」

 昌景は、引き締まった顔つきのまま、弥太郎に向かって謝意を示した。弥太郎は、うんうんと大きく頷き、そしてニッカリと破顔して叫ぶ。
 
「飯富殿……ご武運を!」
「……小島殿こそ、お元気で」

 弥太郎の言葉に、今度は微笑みを浮かべながら頷いた昌景は、勢いよく馬の横腹を蹴り、疾駆はしり始めた。
 馬はみるみる速度を上げ、その姿はみるみる小さくなっていく。
 弥太郎と小島隊の面々は、昌景の朱い甲冑の背中を、微動だにせずにずっと見送っていた。
 やがて、馬を駆る昌景の姿が丘の向こうへ消えると、弥太郎は八幡原の草の上に寝転び、抜けるような六月の夏空を見上げる。
 その髭に覆われた口元が、僅かに綻んだ。

「……久しぶりに、気持ちの良い闘いだったわい。――ふふふ、負けたにも関わらず、心が斯様に晴れ晴れとするものだとは思わなんだわ」

 そして、昌景の去っていった方へ目を向けて、静かな声で呟く。

「――また再び、戦場で相見あいまみえようぞ、飯富三郎兵衛尉昌景よ!」
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

処理中です...