甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

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第一部五章 軍神

手槍と金棒

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 疾駆する赤備え衆の先頭を走る信繁と虎昌は、先行した昌景が背中越しにこちらを見ながら、槍を横に大きく振るのを見た。

「あれは……?」

 その仕草に、信繁は首を傾げたが、

「――!」

 傍らの虎昌は、弟が何を伝えようとしているのかを、すぐに悟った。
 彼は、信繁に馬を寄せると、低い声で言った。

「典厩様……、源四郎が先に行けと申しております。我らは、このまま速度を落とさず、鬼小島の隊の横を摺り抜けましょう」
「何……?」

 虎昌の言葉に、信繁は思わず目を剥いた。

「無策のまま、敵の鼻先を掠めよと言うのか……? それでは、我らの無防備な横腹を相手に曝す事に……」
「――恐らく、源四郎の“交渉”がうまくいったという事で御座ろう」

 そう答えると、虎昌は前方へ目を凝らした。騎乗した赤い甲冑の弟と対峙して、堂々たる体躯の巨漢が仁王立ちしている様子が見て取れた。

「あれが……恐らく敵将の鬼小島弥太郎かと。恐らく、源四郎は一騎討ちを餌にでもして、敵が我らに手を出さない確約を得たのでしょう。――さもなくば、彼奴が我らに向かって、あの様な仕草をする事は無いかと」
「……だが、三郎兵衛さぶろうひょうえはどうする気なのだろうか?」

 信繁もまた、昌景と弥太郎の姿を横目で見ながら、心配そうな声を上げる。

「……首尾良く、鬼小島との一騎討ちを制したとしても、その後はただひとりで上杉の陣のただ中に取り残されてしまう事になるではないか……? まさか彼奴あやつは――」

 昌景の考えを想像し、顔を青ざめさせる信繁だったが、虎昌は静かに首を横に振った。

「いえ……、恐らく弟は、典厩様がお考えになった様な――命を捨てようなどといった事は、思ってもおりますまい」

 そう言うと、彼は皺の浮いた顔に苦笑を浮かべた。

「大丈夫。あの源四郎の佇まいを見て確信致した。彼奴は必ず生きて、我らとまた相見あいまみえる気です。――然らば、今、我らがすべき事は、源四郎を信じて只管ひたすら先を急ぎ、彼奴の帰りを待ってやる事しかございますまい!」
「……そうか」

 虎昌の言葉を聞き、信繁は静かに頷いた。

「他ならぬ、三郎兵衛の兄である兵部の言葉だ。……なれば信じようぞ、お主の確信――そして、三郎兵衛の決意を!」

 ◆ ◆ ◆ ◆

 赤備え衆の先頭が、小島隊の前方一町 (約110m)の距離にまで接近した瞬間、

「では、参るぞッ、飯富三郎兵衛殿ッ!」
「応ッ!」

 小島弥太郎の上げた、万雷の如きかけ声と、それに応えた昌景の短い叫びが、一騎討ちの端緒となった。
 昌景は、馬の横腹を思い切り蹴り、正面の弥太郎目がけて突進する。
 かちの弥太郎は、杖のように地面に突き立てていた金棒を、軽々と頭上にまで振り上げ、両脚を広げ、迫り来る昌景を迎撃せんとする。

「ぬううん!」
「はああぁッ!」

 ふたりの気魄に満ちた声が、八幡原の空気を震わせる。
 同時に、剣呑な風切り音を立てながら、昌景の脳天目がけて振り下ろされた弥太郎の金棒を馬の手綱を引いて避けた昌景は、弥太郎の脇腹に向けて手槍を鋭く突き入れる。

「甘いわァッ!」

 弥太郎は咆哮するや、金棒から離した右腕を振り回して、手槍を弾く。
 弾き飛ばされた手槍を伝った凄まじい衝撃が、昌景の右手を痺れさせた。彼は思わず顔を顰めるが、咄嗟に手槍を左手に持ち直し、取り落とすのを防ぐ。そのまま馬を加速させ、弥太郎の間合いから距離を取った。

「ハッ!」

 昌景は、手綱から手を離したまま、器用に馬を操り、弥太郎の周りで円を描くように馬を駆けさせる。
 弥太郎は、昌景に死角を狙われぬように、彼の馬の動きに合わせて身体を回しつつ、挑発するように叫んだ。

「さあさあ、どうした! ワシの周りをグルグルと回るだけでは、いつまで経っても首は獲れぬぞ! 三年も待たせておいて失望させるな! この様な肝の小さい戦い方が、武田武士の嗜みとやらかっ?」
「……ッ!」

 弥太郎の挑発に、昌景は、兜の下の眉を逆立てた。
 彼は、キッと唇を噛み締めると、更に強く馬の横腹を蹴ってその速度を上げた。その動きに追いつけなくなった弥太郎の背中を取ると、馬首を返し、手槍を構えて真っ直ぐに突っ込む。
 が――、

「まんまとかかったな、青二才が!」

 それは、弥太郎が敢えて見せた隙。いわば、撒き餌だった。
 傷だらけの顔に兇悪な薄笑みを浮かべ、弥太郎はその巨体に似合わぬ俊敏な動きで振り返る。そして、金棒を横に構えると、思い切り腰を捻った。
 そして次の瞬間、弥太郎は餌に釣られて飛び込んできた騎馬に向かって、渾身の力を込めた金棒を横薙ぎに振り切った。

「――!」

 昌景は、咄嗟に手綱を右に引き、乗騎を左に方向転換させる。が、馬はその急激かつ無茶な機動に耐えきれず、昌景を乗せたまま横倒しに倒れた。

「ぐっ……!」

 馬の背から投げ出された昌景は、左肩を地面に強かに打ち、そのままゴロゴロと草原を転がる。しかし、それでも左掌に握る手槍を放す事はなかった。
 彼は、片膝をつきながらも素早く起き上がり、左手に持つ手槍を弥太郎に向けて擬す。
 ――が、

「……痛ッ……」

 先程、強かに打ちつけた左肩が鋭い痛みを発し、突き出した手槍の穂先が地面を打った。昌景は、痛みに顔を顰めながら、手槍を右手に持ち替えるが、彼の左腕は力無く垂れ下がるだけだった。
 それを見た弥太郎の口元に、凄惨な笑みが浮かんだ。

「どうやら、ここまでのようじゃな。馬から落ち、左腕をも使えぬお主には、もう既に勝機は無いぞ」
「……」
「三年間待った割りには、呆気ない終わりよの。――三年前に討ち合った時には、もう少し骨があった気がしたが、買いかぶりだったようじゃ……つまらぬな」
「……」

 昌景は、弥太郎の嘲笑を前に、沈黙を貫いている。ただただ黙ったまま、ピタリと手槍の穂先を弥太郎の胸に向けたまま、ジッとして動かない。
 弥太郎は、フンと鼻を鳴らすと、金棒を肩に担ぎ上げ、大股でゆっくりと昌景に近付き始めた。
 六尺 (約180cm)の弥太郎に対し、昌景の背丈は僅かに四尺六寸 (約140cm)の上、片膝をついている状態……。自然じねん、弥太郎は昌景を見下ろす形になる。
 ――そして、ふたりの距離が、十五尺 (約4.5m)程にまで縮まる。

「さて……、では、先程の話の通り、お主を討ち取り、逃げる武田衆の追撃に移らせてもらうとしよう。――覚悟せい!」
「――おおおおおおおおっ!」

 弥太郎の言葉に弾かれるように、昌景が地を蹴った。一気に勢いをつけながら、上半身を極限まで捻り、右手の手槍を裂帛の気魄と共に突き出す。
 が、

「ふんんんっ!」

 ――その一撃は、弥太郎に読まれていた。
 彼は身を捻って、昌景の渾身の一撃を紙一重で躱すと、その柄をその巨大な右掌で掴み、その動きを封じる。
 昌景は、突き出した手槍を手元に引こうとするが、弥太郎の巨掌によって、柄をガッシリと握り締められた手槍は、ビクとも動かなかった。
 手槍を挟んでの、弥太郎と昌景の距離は四尺 (120cm)ほど。昌景の槍の間合いとは即ち、巨漢の弥太郎にとっての金棒の間合いでもある。
 弥太郎は、左腕一本で金棒を軽々と振り上げると、低い声で昌景に言った。

「……最後の一撃はなかなか良い一撃であった。――が、惜しかったのう!」

 そう言うや、弥太郎は、昌景の被る烏帽子形兜えぼしなりかぶとごと彼の頭蓋を砕かんと、渾身の力を込めた金棒を振り下ろす。
 と――、

「――オオオオオオオッ!」

 昌景が咆哮するや、右手の手槍を自ら手放した。そして、身体を縮こまらせると、次の瞬間には、猿の如き身のこなしで、弥太郎の足下に向けて身を躍らせた。

「――なッ?」

 突然の昌景の俊敏な動きに、弥太郎は意表を衝かれた。彼の振り下ろした金棒は、轟音を立てつつ虚しく地を穿つ。
 一方、弥太郎の右脚にしがみついた昌景は、弥太郎の膝裏の急所に向けて、強烈な肘打ちを喰らわせた。

「ぐぅっ!」

 思いもかけぬ膝裏への攻撃に、弥太郎は眉をしかめた。堪らず膝を折り、身体をよろめかせる。
 すかさず昌景は、己の脚を弥太郎の脛に絡ませ、思い切り蹴り上げると同時に、彼の腰帯を後ろへと引っ張った。

「お……おおおおっ?」

 昌景によって下半身の平衡を喪った弥太郎の巨躯は、為す術も無く背中から地面へと転がる。
 その弾みで、頭を地面に強く打ちつけた弥太郎は、ほんの僅かな間、意識を飛ばした。
 ――そして、その僅かに生じた隙を、昌景は逃さなかった。
 彼は、素早く弥太郎の胸の上に馬乗りになると、脇差を腰から抜き放ち、弥太郎の太い首に擬し、荒い息を吐きながら声を張り上げる。

「――これで……拙者の――勝ちで御座るな……小島殿!」
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