甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

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第一部五章 軍神

因縁と提案

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 昌景は、乗騎の上で背筋を伸ばし、その矮躯に似合わぬ、周囲を圧する大音声で、正面の上杉勢に向かって吼える。

「鬼小島――小島弥太郎殿は何処いずこにおわすか! 出てこられよ!」

 その声に、上杉の兵達は戸惑いの表情を浮かべ、互いの顔を見合わせる。
 と――、

「おおぉ!」

 昌景に劣らぬ大喝と共に、上杉兵の間から、周囲より頭ふたつは抜けた大男が、巨大な金棒を肩に担ぎながら、かちで前に出てきた。
 齢は四十ほどか、その身体は六尺 (約180cm)を遙かに超え、ガッシリとした筋肉に覆われ、黒光りする鎧がはち切れんばかりだ。
 濃い髭に覆われた顔面には、峻厳なる岩山の如く、無数の傷が走る。その姿と容貌はまるで、仁王が石像に乗り移って、この世に顕現したかのような錯覚を、見た者すべてに抱かせた。
 彼は、馬には乗らない――否、あまりの巨躯の為に、彼を乗せて動けるような強靱な馬が居ないが為に、乗りたくとも乗れないのだ。
 弥太郎は、肩に担いだ金棒を逆手に持ち替え、重い音を立てて先端を地面に叩きつけた。そして、両手をその柄尻に乗せて、背筋を反らす。
 そして、馬上の昌景を睨み据えると、その髭まみれの口元を愉快げに歪めて言った。

「これはこれは! そなたは、飯富……昌景と言ったかの? 奇遇じゃな! 三年ぶりに、同じ八幡原の地で再び相見えようとは!」
「……その節は、忝う御座った」

 弥太郎の言葉に、昌景は無表情のまま頷き、手槍をしごきながら淡々と言った。

「此度は、三年前に預けた勝負の続きをせんと罷り越し申した。……受けて頂けるな? 小島殿」
「ほう……さても律儀な御仁であらせられるのう。――もちろん、忘れてはおらぬぞ」

 弥太郎は、昌景の言葉に、嬉しそうに目を細めた。

「ここで、あの日の続きを、か……。良かろう、受けて立とうぞ!」



 ――“あの日の続き”とは、三年前の第四次川中島合戦の際に出来た因縁の事である。
 永禄四年 (1561年)九月十日――妻女山の奇襲に向かったものの、上杉軍にその裏をかかれ、入れ違いに山を下りられてしまった武田別働隊。飯富昌景も、一隊を率いて別働隊に加わっていた。
 八幡原で、武田本隊と上杉軍が戦い始めてから数刻――、ようやく妻女山から下山し、雨宮の渡しで行く手を遮る上杉後詰めの甘粕近江守隊を打ち破った武田別働隊の前に立ち塞がった上杉隊の中に、小島弥太郎がいた。
 昌景と弥太郎は、激しい一騎討ちを繰り広げたが、その最中に、嫡男・武田義信の隊が窮地に陥るのを見た昌景は、

「我が若殿の窮地を救いたい為、勝負を預けたい」

 と、無理を承知で弥太郎に申し出た。
 申し出たものの、当然断られるだろうと踏んでいた昌景だったが、弥太郎は、

「……うむ、相分かった! その忠義、敵ながら天晴れ! さあ、疾く救援に向かうが良いぞ!」

 と、二つ返事で快諾したのだった――。



 「……あの節のご厚意には、深く感謝しておりまする。忝う御座った、小島殿」

 そう言うと、昌景は深々と頭を垂れた。
 それを聞いた弥太郎は、ふっと相好を崩し、満面の笑みを浮かべる。……その図体に似合わず、彼の笑顔は、まるで童のように朗らかだった。

「何の何の! 気もそぞろなお主の首を討ったところでつまらぬ……そう思っただけよ。礼には及び申さぬぞ」
「……なれば、此度も、太刀合う前にひとつお願い仕りたき儀があり申す」
「――お主の背後に続く武田勢を見逃せ――とでも言うのか?」

 弥太郎の冗談めかした言葉に、昌景は大きく頷いた。

「さすが、“鬼小島”殿。お察しの通りで御座る」
「……冗談のつもりだったんだがなぁ」

 率直な昌景の言葉に驚いた様子の弥太郎だったが、表情を曇らせると頭を振った。

「――それは出来かねる。今の儂に与えられたしごとは、今まさにこちらへ近付いてくる武田勢を止め、打ち払う事じゃ。……お主の立場と気持ちは良く分かるが、此度は生憎と、お主の願いを聞いてやる事は出来ぬ」
「……やはり、そうか」

 弥太郎の言葉にも、昌景は然程気落ちはしなかった。無論、こんな都合の良い願いが、一度ならず二度までも聞き届けられるとは、元より彼も本気で考えてはいない。
 だが、昌景には、もうひとつの腹案がある。

「では、こうしよう」

 昌景は、そう切り出すと、土煙を上げてこちらに接近する赤備え衆を手槍で指す。

「これから、拙者と小島殿が一騎討ちをしている間だけで構わぬ。我が軍への手出しは控えて頂きたい」
「……ほう」

 昌景の提案を、鼻で笑い飛ばそうとした弥太郎だったが、彼の瞳に宿る光を見て、その表情を引き締めた。

「なれば、儂がお主を討ち取ったならば――」
「その瞬間より、貴隊が我が軍に打ちかかろうとも構わぬ。つまり――」

 昌景は、左拳で鎧の胸を叩き、更に目に力を籠めて言葉を継いだ。

「小島殿が、ご自身のお役目を果たしたいのであれば、拙者の首をさっさと掻き切れば良い。それだけだ。――それでも、受けては頂けぬかな?」
「……」

 弥太郎は、獰猛な目付きで、昌景を睨みつけた。――が、口元が緩んだかに見えた次の瞬間――その大きな口を全開にして大笑した。

「ふふふ……がーはっはっはっはっ! まんまと乗せられた気もするが、嫌いではない! ――良かろう! この鬼小島、お主の口車に乗っかってやろう! 」

 そう叫び、弥太郎は金棒を振り上げ、その先端を、まっすぐ眼前の昌景の胸に擬した。

「――さあ来い、飯富昌景よ! 三年前の分まで、心ゆくまで存分に死合おうぞ!」
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