甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良

文字の大きさ
242 / 263
第二部九章 慶事

雑煮と濁り酒

しおりを挟む
 「……っと」

 そこで、信繁はハッとした表情を浮かべて、神妙な顔をして彼の話を聞いていた一同を見回した。

「あぁ、すまぬな。せっかくの元旦だというのに、説教じみた話をしてしまった」

 そう言って苦笑いを浮かべた彼は、膳に並べて置かれていた朱塗りの箸を手に取る。

「さあ、お主らも存分に食べてくれ。桔梗と綾が腕によりをかけて作ってくれた料理だ。贔屓目なしに美味いぞ」
「はっ!」

 信繁の言葉に元気よく返事し、ほくほく顔で雑煮の椀を手に取ったのは、信豊だった。

「では、遠慮なく戴きます!」
「ええ、どうぞ」

 言葉通りに遠慮の欠片もなく雑煮の餅にかぶりつく信豊へ、桔梗は微笑みを浮かべながら嬉しそうに頷く。
 勝頼と盛信も、互いの顔を見合わせてから、少し遠慮がちに雑煮の椀に口をつけた。
 ――と、雑煮の汁を口に含んだふたりの目が、大きく見開かれる。

「これは……!」
「美味しい……!」
「あぁ、それ良うございました」

 ふたりが漏らした驚きと感動が綯い交ぜになった声を聞いて、桔梗はホッと胸を撫で下ろす。

「おふたりの舌に、この味付けが合うかどうか、少し心配だったのですが……」

 そう言うと、桔梗は娘の綾に向けて微笑みかけた。

「良かったですね、綾」
「はいっ!」

 盛信の傍らに座っていた綾は、母の言葉に満面の笑みを浮かべながら頷く。
 そんな娘に小さく頷き返した桔梗は、勝頼と盛信に向けて言った。

「……実は、この雑煮は綾が作ったのですよ。味付けから何まで全部」
「何と、そうだったのですか」

 桔梗の言葉を聞いて、目を丸くする勝頼。

「驚きました。とても美味しいので、てっきり叔母上のお手によるものかと……」
「私もです」

 勝頼に続いてそう言った盛信は、横に座る綾に向けてはにかみ笑いを向ける。

「とても美味しいです、綾どの。感動しました」
「ご、五郎さま……! か、感動って……ホントですか?」
「はい、本当に」

 頬を赤く染めながら、それでも半信半疑といった顔で訊き返す綾に、盛信は大きく頷いた。
 彼が浮かべた優しい笑みを目の当たりにした綾は、頬どころか顔全体を鬼灯ほおずきよりも真っ赤にし、「あ、え、ええと……そ、その……」と言葉にならない言葉を漏らす。
 と、

「おい、綾」

 激しく目を瞬かせている妹に、信豊が酒の入った片口を指し示しながら声をかけた。

「兄に酒をいでくれぬか?」
「……ご自分でついでくださいませ、兄上」

 せっかくの盛信との会話を邪魔された格好の綾は、あからさまにムッとしながら、冷たく答える。

「今、あやは五郎さまのお相手をしていて、それどころでは――」
「おいおい、いいのか?」

 だが、そんな妹のつれない態度にも堪えた様子も無く、信豊はニヤリと笑いながら言った。
 そんな兄の反応を見た綾は、怪訝な表情を浮かべながら首を傾げる。

「いいのか……って、なにがですか?」
「誰のおかげで、五郎殿にお前の作った雑煮を食ってもらえたと思っておるのだ?」
「……あ」
「この兄がおふたりの事を誘わなければ、五郎殿がここに来る事は無く、お前が雑煮の出来を五郎殿に褒められる事も無かったという事だ。もう少し、兄に感謝の気持ちを示してもらってもバチは当たらんと思うがなぁ」
「…………おつぎいたします、兄上!」

 信豊の言葉を聞いた綾は、先ほどまでのつれない態度から一変、機敏な動きで片口を手に取り、信豊の盃になみなみと注ぎ込んだ。

「さあ! ぞんぶんにお飲みくださいませ! おかわりもどうぞ!」
「ちょ、ちょっと待て! ま、まだ飲んでないから……」
「さあさあ! お早くお飲みくださいませ! 次のおかわりがつかえていますよ!」
「だ、だから待てって!」

 傾けた盃にも酒を注ごうとする勢いの綾に辟易しながら、信豊は慌てた声で妹を制止する。
 そんな兄妹のやり取りを、微笑みを浮かべながら見ていた勝頼だったが、

「――ほら、四郎。盃を出せ」
「えっ?」

 不意に声をかけられた事に驚きながら振り返ると、片口を手にした信繁が目の前にいた。
 信繁が自分の盃に酒を注ごうとしている事に気付いた勝頼は、慌てて首を横に振る。

「い、いえ、結構に御座ります! 典厩様から酌を頂くなど畏れ多く……」
「ははは、左様に堅苦しい事を申すな」

 恐縮する勝頼に笑いかけた信繁は、構わず膳に置かれた甥の盃に酒を注いだ。

「あと、典厩は止せ。ここは躑躅ヶ崎館ではない。儂の屋敷だ。この場での儂とお主らは、ただの叔父と甥でしかない」
「……!」
「……善し」

 目を大きく見開く勝頼をよそに盃に酒を注ぎ終えた信繁は、満足げに頷く。
 そんな叔父に勝頼は一礼すると、すっと手を伸ばした。

「私もお注ぎします、典きゅ……いえ、
「……ああ」

 勝頼の言葉にフッと相好を崩した信繁は、持っていた片口を彼に渡す。
 そして、体を捻って自分の膳の上に置いてあった盃に手を伸ばし、盃を一気に呷って残っていた酒を飲み干すと、勝頼に向けてずいっと差し出した。

「それでは、喜んで受けるとしよう、我が甥からの酌をな」
「はっ」

 信繁の口から出た“我が甥”という言葉に、勝頼は端正な顔を綻ばせながら片口を傾けた。
 片口から注がれた濁り酒が、朱塗りの盃を白く染めていく。

「……うむ、そのくらいで」
「はい」

 信繁の声に頷いて片口を置いた勝頼は、自分の盃を手に取った。

「では……」
「うむ」

 盃を掲げ、互いの目を見交わしたふたりは、

「――乾杯」
「乾杯」

 と声を掛け合って盃を一気に飲み干し、万感の籠った穏やかな微笑みを浮かべるのだった。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

ビキニに恋した男

廣瀬純七
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

とある男の包〇治療体験記

moz34
エッセイ・ノンフィクション
手術の体験記

対ソ戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
1940年、遂に欧州で第二次世界大戦がはじまります。 前作『対米戦、準備せよ!』で、中国での戦いを避けることができ、米国とも良好な経済関係を築くことに成功した日本にもやがて暗い影が押し寄せてきます。 未来の日本から来たという柳生、結城の2人によって1944年のサイパン戦後から1934年の日本に戻った大本営の特例を受けた柏原少佐は再びこの日本の危機を回避させることができるのでしょうか!? 小説家になろうでは、前作『対米戦、準備せよ!』のタイトルのまま先行配信中です!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

If太平洋戦争        日本が懸命な判断をしていたら

みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら? 国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。 真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…分水嶺で下された「if」の決断。 破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦を描く架空戦記。 現在1945年夏まで執筆

処理中です...