【完結】パパ、私は犯人じゃないよ ~処刑予定の私、冷徹公爵(パパ)に溺愛されるまで~

チャビューヘ

文字の大きさ
3 / 34

歩く帳簿が計算を間違えた朝

しおりを挟む
 目が覚めて、最初に確認したのは自分の首だった。
 ある。繋がってる。今日も生きてる。
 ベッドから起き上がり、窓の外を見る。灰色の空。北部の冬は容赦がない。

 昨日の出来事を思い出す。
 そして夕食のスープから、湯気が出ていた。

 頭の中で、計算が回り始めた。
 石ころ一個で、食事の温度が上がる。これは悪くない取引だ。
 この路線で攻めよう。「無害で、手間がかからず、たまに貢ぎ物を持ってくる生き物」。それが私の目指す姿だ。

 コンコン、とドアが叩かれた。
 反射的に背筋が伸びる。

「失礼いたします」

 入ってきたのは、あの執事だった。
 銀縁の眼鏡。きっちり撫でつけた髪。そして、私を見る目。
 昨日と変わらない。塵芥を見る目だ。

 いや、違う。今日はもっと悪い。
 昨日の単独行動がバレたのだろうか。廊下をうろついて、お父様に突撃したこと。
 まずい。監視がついた。

「本日より、お嬢様の食事は私が直接お運びすることになりました」

 ほら来た。
 「直接」という言葉が怖い。「監視」の婉曲表現だ。間違いない。

 執事は無言で朝食を並べていく。
 今日の献立は、スープ、パン、それから小さな果物。昨日より品数が増えている。
 だが、喜んでいる場合ではない。
 この人の目が、私の一挙手一投足を記録している。まるで帳簿をつける商人だ。領主の視察が入った時のような、あの張り詰めた空気を思い出す。

「どうぞ」

 執事が椅子を引いた。
 私は小さく頭を下げて着席する。目の前にスープ。湯気が立っている。温かい。
 でも、味わっている余裕はない。

 執事が、私の斜め後ろに立った。
 腕を後ろで組み、微動だにしない。完璧な「監視」の構えだ。

 背中に視線が刺さる。
 心臓がうるさい。手が震えそうになる。

 落ち着け。
 前世を思い出せ。昼の休憩が短くて、急いで食事を済ませなければならなかった日々を。あの頃に比べれば、監視付きの朝食なんて楽なものだ。

 私はスプーンを手に取った。
 ここからは、前世で身につけた早食いの技術を見せる時だ。

 まず、スープ。
 熱すぎないか、一瞬だけ唇に近づけて確認。適温。一口目を静かに運ぶ。音を立てない。啜らない。スプーンを口に対して水平に保ち、中身を滑り込ませる。
 飲み込む。次。

 二口目、三口目。
 淀みなく動く。スプーンの軌道は最短距離。皿の端にスプーンを当てない。音を立てない。

 パンは、一口の大きさにちぎる。ちぎる時に屑を出さない。皿の上で作業する。卓布を汚さない。

 果物は、皮ごと食べられる種類だった。ありがたい。皮を剥く手間が省ける。三口で完食。

 最後に布巾で口元を拭く。汚れはほとんどない。念のために拭いただけだ。
 布巾を四つ折りにして、皿の横に置く。

 終わり。

 椅子を引いて立ち上がり、三歩下がって直立。
 両手を前で組み、視線を落とす。「次のご指示をお待ちしております」の姿勢だ。

 沈黙。

 あれ、何も言われない。
 恐る恐る顔を上げる。

 執事が、固まっていた。
 片手に手帳。もう片方の手には、羽根ペン。
 そのペンを持つ指が、かすかに震えている。

「あ、あの」

 私の声で、執事がハッとした。
 眼鏡の奥の目が、さっきとは違う光を帯びている。
 塵芥を見る目じゃない。
 何か別のものを見る目だ。帳簿の数字が予想外に合った時の、商人の目。

「お嬢様」

 執事の声が、わずかに上擦っていた。

「息をつく間もなく、お済ませになられた」

 は?

「卓布の汚れ、皆無。食器の配置、乱れなし」

 え?

「食事中の発声、なし。姿勢の崩れ、なし。食べ残し、なし」

 執事が手帳に何かを書き殴っている。羽根ペンの先が紙を突き破りそうな勢いだ。

「信じられない」

 その言葉に、心臓が跳ねた。
 怒られる前触れだろうか。「信じられないほど行儀が悪い」とか?

「五歳のお子様であれば、食事に半刻はかかります。卓布を汚し、食器を倒し、食べ残しも出る。それが当然のこと」

 執事が顔を上げた。
 眼鏡が光っている。逆光のせいで、表情が読めない。

「それなのに、お嬢様は」

 一歩、近づいてきた。私は思わず半歩下がる。

「手間が、かからない」

 その目は、もはや塵芥を見る目ではなかった。
 希少な宝石を鑑定する商人の目だ。

「お嬢様。大変失礼ながら、私はあなたを見誤っておりました」

 待って。
 なんか方向性がおかしい。
 褒められてる気はするけど、褒め方が怖い。「手間がかからない」って、そこを評価するの?

「お世話に人手を割く必要がない。つまり、費用がかからない。なんと素晴らしい」

 執事の目が、爛々と輝いている。

「お嬢様。本日の午後のご予定は」

「え、あ、特には」

「では、私がお嬢様に最適な一日の流れを組み立てましょう。お嬢様の行いの癖を把握すれば、さらに無駄を省けます」

 待って。
 なんか怖い。すごく怖い。
 褒められてるはずなのに、品定めされてる気分だ。

 その時だった。

 バン、と扉が開いた。

 心臓が止まるかと思った。
 入ってきたのは、お父様だった。
 銀髪が逆光で輝いている。相変わらず、この世の全てを憎んでいるような顔だ。
 いや、今日はもっと険しい。眉間の皺が深い。明らかに機嫌が悪い。

「フリードリヒ」

 低い声が、部屋の空気を凍らせた。

「はっ。旦那様」

 執事が姿勢を正す。さっきまでの興奮が嘘のように、完璧な従者の顔に戻っている。

 お父様の視線が、私と執事の間を行き来した。
 距離が近い。確かに、執事は私に近づきすぎていた。手を伸ばせば届く距離だ。

 お父様の眉間の皺が、さらに深くなった。
 まるで、何か不快なものを感じ取ったかのように。

「近い」

 お父様が、短く言った。

「は?」

「その娘に、近づきすぎだ」

 お父様が、執事と私の間に割って入った。
 大きな背中が、視界を塞ぐ。執事の姿が見えなくなる。
 途端に、お父様の肩から力が抜けたように見えた。

「旦那様、私はお嬢様のお世話の件で報告を」

「いらん」

 一言で切り捨てられた。
 お父様が振り返る。灰色の瞳が、私を見下ろす。

「怖がらせたか」

 え。
 それは、執事に怖がらされたかという問いかけ?

「い、いえ」

「そうか」

 お父様が片腕を伸ばしてきた。
 反射的に目を瞑る。殴られる。いや、それとも。

 ふわり、と体が浮いた。

 目を開けると、私はお父様の腕の中にいた。
 片腕で、軽々と抱き上げられている。まるで荷物だ。いや、荷物よりは丁寧な扱いかもしれない。

「旦那様、どちらへ」

「書斎だ」

「お嬢様もですか」

「ああ」

 お父様が歩き出す。私を抱えたまま。
 執事が何か言いかけたが、お父様は振り返らなかった。

 廊下を進む。窓から差し込む光が、白い。
 お父様の胸元に、小さな膨らみがあった。
 昨日の石だ。まだ、入っている。

 書斎に着いた。
 お父様は私を、大きな革張りの長椅子に下ろした。
 そして自分は机に向かい、書類を広げ始める。

 沈黙。

 私は、長椅子の端っこで小さくなっていた。
 息を殺す。気配を消す。石になる。存在感を消す。

 お父様はペンを走らせている。時折、書類をめくる音がする。それ以外は、静けさだけ。

 十分経った。二十分経った。
 お父様は私に話しかけてこない。追い出しもしない。ただ、同じ部屋にいることを許している。

 もしかして。
 これが、この人なりの「一緒にいる」なのだろうか。

 分からない。全然分からない。
 でも、殺されてはいない。それだけは確かだ。

 私はそっと息を吐いた。
 書斎は暖炉の火で暖かい。長椅子は柔らかい。お腹は満たされている。

 目が、重くなってきた。

 だめだ。寝たら失礼だ。お父様の前で無防備になるなんて。

 でも、瞼が言うことを聞かない。
 暖かい。静かだ。安全、かもしれない。

 意識が、遠くなっていく。

 最後に聞こえたのは、ペンが紙の上を走る音と。
 かすかな、溜息のような声だった。

「やはり、静かだ」

 その言葉の意味を考える前に、私は眠りに落ちた。

               

 後から聞いた話だ。
 その日から、執事フリードリヒは私の一日の予定を自ら管理するようになったらしい。
 お父様が書斎にいる時刻。廊下を通る時間。庭に出る曜日。
 全てが書き出され、私の部屋に届けられるようになった。

 理由は、聞いていない。
 でも、紙の端には小さく書き添えがあった。

『お父様にご挨拶できる、最も良い時間帯を記しました』

 私は首を傾げた。
 ご挨拶の時間帯? 誰が頼んだわけでもないのに?

 答えは、考えるまでもなかった。

 どうやら私は、屋敷の管理者という強い味方を手に入れたらしい。
 経緯は全く分からないけど。

 よし。
 次は、あの「お兄様」だ。
 一ヶ月後に、私を殺人犯に仕立て上げる出来事が待っている。
 その前に、なんとかしないと。

 生き残りの戦いは、まだ始まったばかりだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。

灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。 彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。 タイトル通りのおっさんコメディーです。

婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!

山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。 「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」 周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。 アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。 ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。 その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。 そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

貴族令嬢、転生十秒で家出します。目指せ、おひとり様スローライフ

ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞にて奨励賞を頂きました。ありがとうございます! 貴族令嬢に転生したリルは、前世の記憶に混乱しつつも今世で恵まれていない環境なことに気が付き、突発で家出してしまう。 前世の社畜生活で疲れていたため、山奥で魔法の才能を生かしスローライフを目指すことにした。しかししょっぱなから魔物に襲われ、元王宮魔法士と出会ったり、はては皇子までやってきてと、なんだかスローライフとは違う毎日で……?

処理中です...