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その石は宝石よりも重く
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朝食が、冷たかった。
いや、「冷たい」というのは正確じゃない。もともと温かくなかったのだ。
目の前のスープを見つめる。表面に油が固まって、白い膜を張っている。パンは石みたいに硬くて、歯が立たない。
前世で夜遅くまで働いて、冷めきった握り飯を一人で食べた記憶が蘇る。
あのときは泣きながら食べた。
今は泣かない。泣いても意味がないと、知っているから。
まあ、いいか。生きてるだけマシ。
冷たいスープを一口すする。舌に広がる、ぬるい塩味。
これでも、地下牢よりはずっとマシだ。
そう自分に言い聞かせていると、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、背の高い男だった。
黒い仕立ての良い服。白い手袋。細められた目は、何かを値踏みするように冷たい。
執事だ。
でも、普通の執事じゃない。
この人の目を、私は知っている。
前世の上司が同じ目をしていた。人を数字でしか見ない目。
あ、この人、私のこと「燃えないゴミ」だと思ってる。
直感でわかった。
「本日の予定をお伝えします」
執事は、私を見ずに言った。
視線は手元の羊皮紙に落ちている。まるで、私の顔を見ること自体が無駄だと判断したみたいに。
「大公閣下は午前中、騎士団の閲兵。午後は領地の視察。夕刻より会食。終日、お忙しくされる予定です」
わざわざ伝えに来たのは、「お父様に近づくな」という意味だ。
「本日は閣下のご予定が詰まっております。お嬢様のお世話に割ける人手は、ございません」
つまり、私に構う余裕はない。手間に見合わない、と言っているのだ。
「お部屋で、静かにお過ごしください」
静かに。
私の存在は「静かに」していなければならないのか。
目立たず、手間をかけず、いないものとして。
わかってますよ。私は厄介者。処分待ちの荷物ですよね。
心の中で呟く。
口に出すのは、別の言葉。
「は、はい。わかり、ました」
声が震えた。怖いからじゃない。自分が惨めで、少しだけ悔しかったから。
執事は軽く頭を下げて、部屋を出て行った。
足音が遠ざかる。
扉が閉まる。
私は冷たいスープをもう一口すすって、決意を固めた。
今日中に、お父様に会う。なんとしても。
作戦は単純だった。
お父様が廊下を通るタイミングを見計らって、「偶然」出くわす。
そして、用意しておいたプレゼントを渡す。
問題は、そのプレゼントだ。
私には、お金がない。宝石も、高価な品も、何も持っていない。
あるのは、昨日窓から見えた、庭の石だけ。
馬鹿げている。
わかっている。
でも、前世で学んだことがある。
気難しい相手には、贈り物が効く。高価なものじゃなくていい。「あなたのために時間を使いました」という誠意が大事なのだ。
石そのものに価値はない。
でも、「五歳の娘が、父親のために庭で拾った」という物語には、価値がある。
はずだ。
たぶん。
これは石じゃない。私の忠誠心を形にした、命綱なのよ。
自分を奮い立たせて、窓から外を眺める。
庭の片隅に、昨日見た石が光っている。
雪解けの水に濡れて、キラキラしている。遠くから見ると、宝石みたいに見えなくもない。
問題は、どうやって庭に出るか。
「部屋から出るな」と言われた。
でも、あの執事は今、お父様の予定管理で忙しいはず。
見つからなければ、バレない。
よし。決行する。
扉に耳を当てて、廊下の気配を探る。
静かだ。
そっと扉を開けて、廊下に顔を出す。
誰もいない。
今だ。
足音を殺して、庭に続く廊下を走る。
心臓がうるさい。見つかったらどうしよう。また「処分」されるかもしれない。
でも、何もしなくても処分される可能性はある。
だったら、少しでも生存確率を上げる行動をとるべきだ。
庭に出た。
冷たい空気が頬を刺す。まだ雪が残っていて、足元がぬかるんでいる。
目当ての石は、花壇の端にあった。
しゃがみ込んで、手を伸ばす。
指先が、冷たい石に触れた。
あった。
石を拾い上げる。
思ったより汚い。泥がついていて、キラキラしているのは水滴だけだった。
でも、今さら引き返せない。
スカートの裾で泥を拭う。少しはマシになった。
これを、お父様に渡す。
「あなたのために拾いました」と言って。
お願い。これで、私の価値を認めて。
石を両手で握りしめて、屋敷に戻った。
お父様の足音は、すぐにわかった。
重くて、規則正しい。廊下の向こうから近づいてくる。
私は柱の陰に隠れて、タイミングを計っていた。
足音が近づく。
心臓が跳ねる。
今だ。
柱の陰から飛び出した。
「あっ」
目の前に、お父様がいた。
銀髪。灰色の瞳。険しい顔。
その後ろには、あの執事も控えている。
お父様の眉間に、深い皺が刻まれる。
殺気。
前と同じ、凍りつくような視線。
足が震える。地面が揺れているみたいだ。
でも、ここで逃げたら終わりだ。
「お、お父、様」
声が裏返った。
震える手で、石を差し出す。
「こ、これ。あげ、ます」
お父様が、石を見た。
沈黙。
長い、長い沈黙。
執事が一歩前に出た。
「失礼します。お手を煩わせるまでもございません。私が処分を」
当然の対応だ。こんな泥だらけの石、ゴミでしかない。
ですよね。やっぱりダメでしたよね。
諦めかけた、その時だった。
「触るな」
低い声が、廊下に響いた。
お父様だった。
執事の手を、鋭く制している。
え。
お父様が、手袋を外し始めた。
執事の顔色が変わった。
お父様は無言で、一本一本、指から手袋を抜いていく。まるで儀式のように丁寧に。
白い手袋が床に落ちる。
そして、素手で。
泥だらけの、汚い石を。
受け取った。
まるで、爆発物を扱うみたいに慎重に。
「私に、か」
低い声が、問いかける。
「あ、あげ、ます」
それしか言えなかった。
いらないよね。ゴミだもんね。なんで受け取ったの。
頭が混乱している。
お父様は、石をじっと見つめていた。
灰色の瞳が、小さな石に釘付けになっている。
なに。
石の成分分析でもしてるの。
やがて、お父様は信じられない行動に出た。
執事が、慌てて懐から真っ白なハンカチを取り出そうとした。 お父様の汚れた手を拭うためだ。当然だ。 しかし。
「いらん」
お父様は、それを手で制した。 泥がついたままの石を、片手で無造作に握り込む。
そのまま踵を返し、執務室の方へと歩き出した。泥水が、指の隙間からポタポタと床に落ちている。
「旦那様、手袋を……いえ、お手を拭いてから……!」
「戻るぞ」
執事の悲鳴のような声を無視して、お父様は歩き去っていく。 その背中は、「貴重なサンプルを入手した」とでも言うような、奇妙な満足感を漂わせていた。
え? 持ってくの? その泥だらけの手で?
書類とか触るんですよね? 汚れますよ?
私は、その場に立ち尽くした。 後で聞いた話だと、お父様はその石を執務机の一番重要な書類の上にまるで文鎮のように、泥がついたまま置いたらしい。
執事が「重要書類が!」と青ざめていたとか。
「そうか」
低い声が、幻聴のように耳に残った。
その日の夕方。
部屋に運ばれてきた夕食を見て、私は目を疑った。
スープから、湯気が出ている。
朝は冷え切っていたのに。
恐る恐る、スプーンを口に運ぶ。
温かい。
野菜の甘みが、舌に広がる。
パンも、朝とは違う。焼きたてで、ふわふわだ。
バターまで添えられている。
なに、これ
信じられない。
あの石ころ一つで、スープの温度が上がった。
パンが柔らかくなった。バターがついた。
誰が、何を、どう動かしたのかはわからない。
でも、何かが変わった。
このやり方、もしかして「あり」なの?
温かいスープを、もう一口すする。
おいしい。
前世でも、こんなにおいしいスープを飲んだことがあっただろうか。
涙が、こぼれそうになった。
嬉しいんじゃない。
ただ、温かいものが、染みるだけ。
明日も、何か拾おう。
お父様が喜びそうなものを。
この「保留」を、もう少しだけ維持するために。
窓の外では、雪がちらついていた。
でも、部屋の中は、少しだけ暖かかった。
いや、「冷たい」というのは正確じゃない。もともと温かくなかったのだ。
目の前のスープを見つめる。表面に油が固まって、白い膜を張っている。パンは石みたいに硬くて、歯が立たない。
前世で夜遅くまで働いて、冷めきった握り飯を一人で食べた記憶が蘇る。
あのときは泣きながら食べた。
今は泣かない。泣いても意味がないと、知っているから。
まあ、いいか。生きてるだけマシ。
冷たいスープを一口すする。舌に広がる、ぬるい塩味。
これでも、地下牢よりはずっとマシだ。
そう自分に言い聞かせていると、部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、背の高い男だった。
黒い仕立ての良い服。白い手袋。細められた目は、何かを値踏みするように冷たい。
執事だ。
でも、普通の執事じゃない。
この人の目を、私は知っている。
前世の上司が同じ目をしていた。人を数字でしか見ない目。
あ、この人、私のこと「燃えないゴミ」だと思ってる。
直感でわかった。
「本日の予定をお伝えします」
執事は、私を見ずに言った。
視線は手元の羊皮紙に落ちている。まるで、私の顔を見ること自体が無駄だと判断したみたいに。
「大公閣下は午前中、騎士団の閲兵。午後は領地の視察。夕刻より会食。終日、お忙しくされる予定です」
わざわざ伝えに来たのは、「お父様に近づくな」という意味だ。
「本日は閣下のご予定が詰まっております。お嬢様のお世話に割ける人手は、ございません」
つまり、私に構う余裕はない。手間に見合わない、と言っているのだ。
「お部屋で、静かにお過ごしください」
静かに。
私の存在は「静かに」していなければならないのか。
目立たず、手間をかけず、いないものとして。
わかってますよ。私は厄介者。処分待ちの荷物ですよね。
心の中で呟く。
口に出すのは、別の言葉。
「は、はい。わかり、ました」
声が震えた。怖いからじゃない。自分が惨めで、少しだけ悔しかったから。
執事は軽く頭を下げて、部屋を出て行った。
足音が遠ざかる。
扉が閉まる。
私は冷たいスープをもう一口すすって、決意を固めた。
今日中に、お父様に会う。なんとしても。
作戦は単純だった。
お父様が廊下を通るタイミングを見計らって、「偶然」出くわす。
そして、用意しておいたプレゼントを渡す。
問題は、そのプレゼントだ。
私には、お金がない。宝石も、高価な品も、何も持っていない。
あるのは、昨日窓から見えた、庭の石だけ。
馬鹿げている。
わかっている。
でも、前世で学んだことがある。
気難しい相手には、贈り物が効く。高価なものじゃなくていい。「あなたのために時間を使いました」という誠意が大事なのだ。
石そのものに価値はない。
でも、「五歳の娘が、父親のために庭で拾った」という物語には、価値がある。
はずだ。
たぶん。
これは石じゃない。私の忠誠心を形にした、命綱なのよ。
自分を奮い立たせて、窓から外を眺める。
庭の片隅に、昨日見た石が光っている。
雪解けの水に濡れて、キラキラしている。遠くから見ると、宝石みたいに見えなくもない。
問題は、どうやって庭に出るか。
「部屋から出るな」と言われた。
でも、あの執事は今、お父様の予定管理で忙しいはず。
見つからなければ、バレない。
よし。決行する。
扉に耳を当てて、廊下の気配を探る。
静かだ。
そっと扉を開けて、廊下に顔を出す。
誰もいない。
今だ。
足音を殺して、庭に続く廊下を走る。
心臓がうるさい。見つかったらどうしよう。また「処分」されるかもしれない。
でも、何もしなくても処分される可能性はある。
だったら、少しでも生存確率を上げる行動をとるべきだ。
庭に出た。
冷たい空気が頬を刺す。まだ雪が残っていて、足元がぬかるんでいる。
目当ての石は、花壇の端にあった。
しゃがみ込んで、手を伸ばす。
指先が、冷たい石に触れた。
あった。
石を拾い上げる。
思ったより汚い。泥がついていて、キラキラしているのは水滴だけだった。
でも、今さら引き返せない。
スカートの裾で泥を拭う。少しはマシになった。
これを、お父様に渡す。
「あなたのために拾いました」と言って。
お願い。これで、私の価値を認めて。
石を両手で握りしめて、屋敷に戻った。
お父様の足音は、すぐにわかった。
重くて、規則正しい。廊下の向こうから近づいてくる。
私は柱の陰に隠れて、タイミングを計っていた。
足音が近づく。
心臓が跳ねる。
今だ。
柱の陰から飛び出した。
「あっ」
目の前に、お父様がいた。
銀髪。灰色の瞳。険しい顔。
その後ろには、あの執事も控えている。
お父様の眉間に、深い皺が刻まれる。
殺気。
前と同じ、凍りつくような視線。
足が震える。地面が揺れているみたいだ。
でも、ここで逃げたら終わりだ。
「お、お父、様」
声が裏返った。
震える手で、石を差し出す。
「こ、これ。あげ、ます」
お父様が、石を見た。
沈黙。
長い、長い沈黙。
執事が一歩前に出た。
「失礼します。お手を煩わせるまでもございません。私が処分を」
当然の対応だ。こんな泥だらけの石、ゴミでしかない。
ですよね。やっぱりダメでしたよね。
諦めかけた、その時だった。
「触るな」
低い声が、廊下に響いた。
お父様だった。
執事の手を、鋭く制している。
え。
お父様が、手袋を外し始めた。
執事の顔色が変わった。
お父様は無言で、一本一本、指から手袋を抜いていく。まるで儀式のように丁寧に。
白い手袋が床に落ちる。
そして、素手で。
泥だらけの、汚い石を。
受け取った。
まるで、爆発物を扱うみたいに慎重に。
「私に、か」
低い声が、問いかける。
「あ、あげ、ます」
それしか言えなかった。
いらないよね。ゴミだもんね。なんで受け取ったの。
頭が混乱している。
お父様は、石をじっと見つめていた。
灰色の瞳が、小さな石に釘付けになっている。
なに。
石の成分分析でもしてるの。
やがて、お父様は信じられない行動に出た。
執事が、慌てて懐から真っ白なハンカチを取り出そうとした。 お父様の汚れた手を拭うためだ。当然だ。 しかし。
「いらん」
お父様は、それを手で制した。 泥がついたままの石を、片手で無造作に握り込む。
そのまま踵を返し、執務室の方へと歩き出した。泥水が、指の隙間からポタポタと床に落ちている。
「旦那様、手袋を……いえ、お手を拭いてから……!」
「戻るぞ」
執事の悲鳴のような声を無視して、お父様は歩き去っていく。 その背中は、「貴重なサンプルを入手した」とでも言うような、奇妙な満足感を漂わせていた。
え? 持ってくの? その泥だらけの手で?
書類とか触るんですよね? 汚れますよ?
私は、その場に立ち尽くした。 後で聞いた話だと、お父様はその石を執務机の一番重要な書類の上にまるで文鎮のように、泥がついたまま置いたらしい。
執事が「重要書類が!」と青ざめていたとか。
「そうか」
低い声が、幻聴のように耳に残った。
その日の夕方。
部屋に運ばれてきた夕食を見て、私は目を疑った。
スープから、湯気が出ている。
朝は冷え切っていたのに。
恐る恐る、スプーンを口に運ぶ。
温かい。
野菜の甘みが、舌に広がる。
パンも、朝とは違う。焼きたてで、ふわふわだ。
バターまで添えられている。
なに、これ
信じられない。
あの石ころ一つで、スープの温度が上がった。
パンが柔らかくなった。バターがついた。
誰が、何を、どう動かしたのかはわからない。
でも、何かが変わった。
このやり方、もしかして「あり」なの?
温かいスープを、もう一口すする。
おいしい。
前世でも、こんなにおいしいスープを飲んだことがあっただろうか。
涙が、こぼれそうになった。
嬉しいんじゃない。
ただ、温かいものが、染みるだけ。
明日も、何か拾おう。
お父様が喜びそうなものを。
この「保留」を、もう少しだけ維持するために。
窓の外では、雪がちらついていた。
でも、部屋の中は、少しだけ暖かかった。
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