偽りの令嬢を演じるオメガ(♂)を救うため、平民アルファの俺が傲慢な大公爵家に喧嘩を売って、二人で自由を掴み取る物語

水凪しおん

文字の大きさ
2 / 11

第1話「偽りの花園」

しおりを挟む
 ステンドグラスから差し込む陽光が、床に敷き詰められた深紅の絨毯に複雑な模様を描き出している。高い天井まで届く本棚、金の刺繍が施された豪奢な装飾。ここは、選ばれし者のみが学ぶことを許されたエリート養成機関、ルミナス魔術学園。
 その荘厳な廊下を、一人の少年がやや居心地悪そうに歩いていた。黒い髪を無造作に揺らし、その瞳には強い意志の光を宿している。彼の名はケイト・アシュトン。この学園で唯一の、平民出身の特待生だ。
「おい、見ろよ。また“成り上がり”がうろついてるぜ」
「触らぬ神に祟りなし、だ。関わるだけ無駄だろ」
 すれ違う生徒たちの囁き声が、ナイフのようにケイトの耳に突き刺さる。彼らは皆、名だたる貴族の家柄に生まれたアルファやベータ。生まれながらにして与えられた身分こそが絶対的な価値を持つこの場所で、ケイトは異物だった。ずば抜けた魔力、それだけを理由に、この偽りの花園に迷い込んだ害虫。それが、周囲がケイトに向ける評価の全てだった。
 ケイトは、そんな視線を意にも介さず、唇をきつく結んで前を向いた。曲がったことが大嫌いな性格は、時として損をすることも知っていたが、自分を偽ってまで彼らに媚びるつもりは毛頭ない。早くこんな場所から出て、もっと広い世界で自分の力を試したい。その一心で、彼は日々の退屈な授業と、貴族たちの陰湿な嫌がらせに耐えていた。

 その日の昼食会は、ガーデンテラスで開かれていた。銀の食器が並び、見たこともないような華やかな料理がテーブルを彩っている。しかし、ケイトの興味を引くものは何一つなかった。彼は学食の隅で、固いパンを黙々とかじっていた。
 そんな彼の視界の先に、ひときわ目を引く一団がいた。その中心にいるのは、一人の少女。プラチナブロンドの髪を緩やかにカールさせ、空の色を映したような青い瞳を持つ、息をのむほど美しい少女だ。クラインフェルト公爵家の令嬢、セシリア・クラインフェルト。希少なオメガであり、その完璧な美貌と優雅な物腰で、学園中の生徒たちの憧れの的だった。
 取り巻きの令嬢たちに囲まれ、彼女は穏やかに微笑んでいる。その笑顔は、まるで教会の絵画のように清らかで、一点の曇りもない。誰もが彼女を「学園の華」と呼び、賞賛した。
 ケイトも最初は、遠い世界の住人だと、そう思っていた。だが、他の生徒たちとは違う視点で物事を見てしまう彼は、いつしか気づいてしまった。完璧すぎる彼女の微笑みの裏に、時折よぎる影の存在に。
 例えば、教師の難しい問いに見事に答えて喝采を浴びた後、誰にも見えない角度で、ふっと寂しげに瞳を伏せる瞬間。取り巻きたちとの華やかな会話の最中、一瞬だけ遠くを見つめ、全てがどうでもいいとでも言うかのような虚無的な表情を浮かべる時。
 それは、まるで精巧に作られた人形が、ふとした瞬間に自分には心がないのだと嘆いているかのように見えた。ガラス細工のような危うさと、触れたら壊れてしまいそうな儚さ。彼女が完璧であればあるほど、ケイトはその仮面の下に隠された何かに、言いようのない違和感を覚えていた。

 その時だった。厨房の方から、焼きたてのパンを乗せたワゴンが運ばれてきた。貴族たちが食べるような、バターとミルクをたっぷり使った高級なものではない。学園の職員や、ケイトのような平民のために焼かれた、素朴な小麦の香りがするパンだ。
 多くの生徒がその素朴な匂いに鼻をしかめる中、ケイトはふとセシリアの姿に目を留めた。ほんの一瞬、ほんの僅かな間だけ。彼女は豪華な料理から目を離し、そのパンの匂いを吸い込むかのように、どこか懐かしそうな、切ない表情を浮かべたのだ。
 すぐに完璧な令嬢の仮面を被りなおし、彼女は再び優雅な微笑みを浮かべた。誰も気づかない、ほんの些細な変化。
 だが、ケイトはその瞬間を見逃さなかった。
 あの表情はなんだ? まるで、遠い故郷を思い出すような……。
 クラインフェルト公爵令嬢が、あんな素朴なパンに郷愁を覚えることなどあるのだろうか。いや、あるはずがない。
 違和感が、確信に変わっていく。彼女は何かを隠している。分厚く塗り固められた完璧という名の仮面の下で、本当の心を押し殺している。
 ケイトはかじりかけのパンを握りしめた。貴族社会のくだらなさにはうんざりしていたが、目の前で誰かが偽りの自分を演じ、苦しんでいるのを見過ごせるほど、彼は冷たい人間ではなかった。
 この偽りに満ちた花園で、ただ一人、本物の花のように見えて、その実、最も深く根腐れしているのかもしれない少女。セシリア・クラインフェルト。
 彼女のことが、なぜかひどく気になり始めていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

追放オメガ聖帝の幸せな結婚〜クールなスパダリ騎士に拾われて溺愛されるまで〜

あきたいぬ大好き(深凪雪花)
BL
ノルディーナ王国の聖帝サーナは、教皇のありもしない嘘のせいで聖宮から追放されてしまう。 行く当てがないサーナが国境に向かうと、そこで隣国ルミルカ王国の騎士であるムーシュと出会う。ムーシュから諸事情により偽装結婚を提案されて、サーナは期限付きの偽装結婚ならばよいと承諾し、一時的に保護してもらうことに。 異国暮らしに慣れていく中で、やがてムーシュから溺愛されるようになり……?

禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り

結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。 そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。 冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。 愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。 禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。

【完結】巷で噂の国宝級イケメンの辺境伯は冷徹なので、まっっったくモテませんが、この度婚約者ができました。

明太子
BL
オーディスは国宝級イケメンであるにも関わらず、冷徹な性格のせいで婚約破棄されてばかり。 新たな婚約者を探していたところ、パーティーで給仕をしていた貧乏貴族の次男セシルと出会い、一目惚れしてしまう。 しかし、恋愛偏差値がほぼ0のオーディスのアプローチは空回りするわ、前婚約者のフランチェスカの邪魔が入るわとセシルとの距離は縮まったり遠ざかったり…? 冷徹だったはずなのに溺愛まっしぐらのオーディスと元気だけどおっちょこちょいなセシルのドタバタラブコメです。

沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました

ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。 落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。 “番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、 やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。 喋れぬΩと、血を信じない宰相。 ただの契約だったはずの絆が、 互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。 だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、 彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。 沈黙が祈りに変わるとき、 血の支配が終わりを告げ、 “番”の意味が書き換えられる。 冷血宰相×沈黙のΩ、 偽りの契約から始まる救済と革命の物語。

婚約破棄された令息の華麗なる逆転劇 ~偽りの番に捨てられたΩは、氷血公爵に愛される~

なの
BL
希少な治癒能力と、大地に生命を呼び戻す「恵みの魔法」を持つ公爵家のΩ令息、エリアス・フォン・ラティス。 傾きかけた家を救うため、彼は大国アルビオンの第二王子、ジークフリート殿下(α)との「政略的な番契約」を受け入れた。 家のため、領民のため、そして―― 少しでも自分を必要としてくれる人がいるのなら、それでいいと信じて。 だが、運命の番だと信じていた相手は、彼の想いを最初から踏みにじっていた。 「Ωの魔力さえ手に入れば、あんな奴はもう要らない」 その冷たい声が、彼の世界を壊した。 すべてを失い、偽りの罪を着せられ追放されたエリアスがたどり着いたのは、隣国ルミナスの地。 そこで出会ったのは、「氷血公爵」と呼ばれる孤高のα、アレクシス・ヴァン・レイヴンだった。 人を寄せつけないほど冷ややかな瞳の奥に、誰よりも深い孤独を抱えた男。 アレクシスは、心に傷を抱えながらも懸命に生きようとするエリアスに惹かれ、次第にその凍てついた心を溶かしていく。 失われた誇りを取り戻すため、そして真実の愛を掴むため。 今、令息の華麗なる逆転劇が始まる。

処理中です...