3 / 16
第2話「書庫の埃と禁断のレシピ」
しおりを挟む
旅に出ると威勢よく飛び出したものの、北の果てといっても具体的な場所が分からない。俺はまず、城下町にある古びた大図書館へと足を運んだ。ここなら、「静寂の社」に関する手がかりがあるはずだ。
カビと古紙の匂いが充満する書架の迷宮。俺は埃まみれになりながら、東方文化や魔法食材に関する棚を片っ端から漁った。
「あった……これだ」
数時間の捜索の末、分厚い革表紙の古書を見つけ出した。『東方奇譚・聖なる食卓の秘密』という題名が、金文字で刻まれている。
震える指でページをめくる。そこには、挿絵とともに詳細な記述があった。
『一年に一度、星の巡りが定まりし夜、特定の吉方を向き、一言も発さずに太き巻物を食らうべし。具材は七福を模した海山の幸。それを成し遂げし者、肉体の枷を外し、魂の望む形へと新生せん』
記述の横には、見るからに太く、黒々とした海苔に包まれた恵方巻の絵が描かれている。
ごくり、と喉が鳴った。
やはり噂は本当だったのだ。だが、読み進めると厄介な条件が書かれていた。この恵方巻は、ただ作ればいいというものではない。
北の雪山に住む『幻の雪米』と、深海に潜む『虹色サーモン』、そして『千年樹のタケノコ』など、入手困難な最高級食材を使い、社に宿る精霊の炎で炊き上げねばならないらしい。
「食材集めから、なのか……」
気が遠くなりそうだった。俺はただの料理人だ。モンスターと戦う力もなければ、雪山を踏破する体力もない。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。クラウス様の、あの冷たくも美しい横顔が脳裏に焼き付いているからだ。
『やれる。俺は料理人だ。食材を見極め、美味しくすることにかけては誰にも負けない』
自分に言い聞かせ、俺は必要な道具と情報をノートに書き写した。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の隙間から、鋭い視線がこちらを射抜いていた。
心臓が止まるかと思った。そこに立っていたのは、他ならぬクラウス様だったからだ。
彼は非番なのか、いつもの白銀の鎧ではなく、簡素なシャツに革のベストという軽装だった。それがかえって、彼の鍛え抜かれた肉体美を強調している。
「……王城の料理人か?」
低く、よく響く声。俺は直立不動になり、慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 第三厨房のルエンと申します!」
「そうか。お前が、あの夜食を作っている者か」
思いがけない言葉に、俺は目を丸くした。俺が深夜、残業する騎士たちのために作っているおにぎりやスープのことだろうか。
「あ、あれは、余り物で作ったもので……お口に合わなかったでしょうか?」
「いや。……悪くない。むしろ、あの味があるから激務に耐えられる」
クラウス様が、わずかに口元を緩めたように見えた。それだけで、俺の顔は沸騰した薬缶のように熱くなる。
なんてことだ。憧れの人が、俺の料理を認めてくれていたなんて。
だが、彼はすぐに真剣な表情に戻り、俺の手元にある古書を一瞥した。
「そんな古い本を読んで、何をするつもりだ? 休暇を取ったと聞いたが」
「え、ええと、その……しょ、食材の勉強を、しようかと!」
まさか「あなたと番になるためにオメガになる方法を探しています」なんて言えるはずがない。
クラウス様は怪訝そうに眉をひそめたが、それ以上追及はしなかった。その代わり、俺の肩にポンと大きな手を置いた。
「北の方は不穏だ。魔物も増えている。無茶はするなよ」
「は……はいっ!」
彼の掌の熱が、服越しに伝わってくる。
その温かさが、俺の決意をより強固なものにした。
こんなにも優しく、強い人。やはりベータのままでは、彼の隣に立つことなど許されない。彼が心配してくれた「無茶」こそが、俺が彼に近づくための唯一の道なのだ。
俺は深く頭を下げ、逃げるように図書館を後にした。背中に感じる彼の視線が、痛いほどに熱かった。
カビと古紙の匂いが充満する書架の迷宮。俺は埃まみれになりながら、東方文化や魔法食材に関する棚を片っ端から漁った。
「あった……これだ」
数時間の捜索の末、分厚い革表紙の古書を見つけ出した。『東方奇譚・聖なる食卓の秘密』という題名が、金文字で刻まれている。
震える指でページをめくる。そこには、挿絵とともに詳細な記述があった。
『一年に一度、星の巡りが定まりし夜、特定の吉方を向き、一言も発さずに太き巻物を食らうべし。具材は七福を模した海山の幸。それを成し遂げし者、肉体の枷を外し、魂の望む形へと新生せん』
記述の横には、見るからに太く、黒々とした海苔に包まれた恵方巻の絵が描かれている。
ごくり、と喉が鳴った。
やはり噂は本当だったのだ。だが、読み進めると厄介な条件が書かれていた。この恵方巻は、ただ作ればいいというものではない。
北の雪山に住む『幻の雪米』と、深海に潜む『虹色サーモン』、そして『千年樹のタケノコ』など、入手困難な最高級食材を使い、社に宿る精霊の炎で炊き上げねばならないらしい。
「食材集めから、なのか……」
気が遠くなりそうだった。俺はただの料理人だ。モンスターと戦う力もなければ、雪山を踏破する体力もない。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。クラウス様の、あの冷たくも美しい横顔が脳裏に焼き付いているからだ。
『やれる。俺は料理人だ。食材を見極め、美味しくすることにかけては誰にも負けない』
自分に言い聞かせ、俺は必要な道具と情報をノートに書き写した。
ふと、視線を感じて顔を上げる。
書架の隙間から、鋭い視線がこちらを射抜いていた。
心臓が止まるかと思った。そこに立っていたのは、他ならぬクラウス様だったからだ。
彼は非番なのか、いつもの白銀の鎧ではなく、簡素なシャツに革のベストという軽装だった。それがかえって、彼の鍛え抜かれた肉体美を強調している。
「……王城の料理人か?」
低く、よく響く声。俺は直立不動になり、慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 第三厨房のルエンと申します!」
「そうか。お前が、あの夜食を作っている者か」
思いがけない言葉に、俺は目を丸くした。俺が深夜、残業する騎士たちのために作っているおにぎりやスープのことだろうか。
「あ、あれは、余り物で作ったもので……お口に合わなかったでしょうか?」
「いや。……悪くない。むしろ、あの味があるから激務に耐えられる」
クラウス様が、わずかに口元を緩めたように見えた。それだけで、俺の顔は沸騰した薬缶のように熱くなる。
なんてことだ。憧れの人が、俺の料理を認めてくれていたなんて。
だが、彼はすぐに真剣な表情に戻り、俺の手元にある古書を一瞥した。
「そんな古い本を読んで、何をするつもりだ? 休暇を取ったと聞いたが」
「え、ええと、その……しょ、食材の勉強を、しようかと!」
まさか「あなたと番になるためにオメガになる方法を探しています」なんて言えるはずがない。
クラウス様は怪訝そうに眉をひそめたが、それ以上追及はしなかった。その代わり、俺の肩にポンと大きな手を置いた。
「北の方は不穏だ。魔物も増えている。無茶はするなよ」
「は……はいっ!」
彼の掌の熱が、服越しに伝わってくる。
その温かさが、俺の決意をより強固なものにした。
こんなにも優しく、強い人。やはりベータのままでは、彼の隣に立つことなど許されない。彼が心配してくれた「無茶」こそが、俺が彼に近づくための唯一の道なのだ。
俺は深く頭を下げ、逃げるように図書館を後にした。背中に感じる彼の視線が、痛いほどに熱かった。
12
あなたにおすすめの小説
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
捨てられΩの癒やしの薬草、呪いで苦しむ最強騎士団長を救ったら、いつの間にか胃袋も心も掴んで番にされていました
水凪しおん
BL
孤独と絶望を癒やす、運命の愛の物語。
人里離れた森の奥、青年アレンは不思議な「浄化の力」を持ち、薬草を育てながらひっそりと暮らしていた。その力を気味悪がられ、人を避けるように生きてきた彼の前に、ある嵐の夜、血まみれの男が現れる。
男の名はカイゼル。「黒き猛虎」と敵国から恐れられる、無敗の騎士団長。しかし彼は、戦場で受けた呪いにより、αの本能を制御できず、狂おしい発作に身を焼かれていた。
記憶を失ったふりをしてアレンの元に留まるカイゼル。アレンの作る薬草茶が、野菜スープが、そして彼自身の存在が、カイゼルの荒れ狂う魂を鎮めていく唯一の癒やしだと気づいた時、その想いは激しい執着と独占欲へ変わる。
「お前がいなければ、俺は正気を保てない」
やがて明かされる真実、迫りくる呪いの脅威。臆病だった青年は、愛する人を救うため、その身に宿る力のすべてを捧げることを決意する。
呪いが解けた時、二人は真の番となる。孤独だった魂が寄り添い、狂おしいほどの愛を注ぎ合う、ファンタジック・ラブストーリー。
悪役令息(Ω)に転生したので、破滅を避けてスローライフを目指します。だけどなぜか最強騎士団長(α)の運命の番に認定され、溺愛ルートに突入!
水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男リヒトには秘密があった。
それは、自分が乙女ゲームの「悪役令息」であり、現代日本から転生してきたという記憶だ。
家は没落寸前、自身の立場は断罪エンドへまっしぐら。
そんな破滅フラグを回避するため、前世の知識を活かして領地改革に奮闘するリヒトだったが、彼が生まれ持った「Ω」という性は、否応なく運命の渦へと彼を巻き込んでいく。
ある夜会で出会ったのは、氷のように冷徹で、王国最強と謳われる騎士団長のカイ。
誰もが恐れるαの彼に、なぜかリヒトは興味を持たれてしまう。
「関わってはいけない」――そう思えば思うほど、抗いがたいフェロモンと、カイの不器用な優しさがリヒトの心を揺さぶる。
これは、運命に翻弄される悪役令息が、最強騎士団長の激重な愛に包まれ、やがて国をも動かす存在へと成り上がっていく、甘くて刺激的な溺愛ラブストーリー。
娼館で死んだΩですが、竜帝の溺愛皇妃やってます
めがねあざらし
BL
死に場所は、薄暗い娼館の片隅だった。奪われ、弄ばれ、捨てられた運命の果て。けれど目覚めたのは、まだ“すべてが起きる前”の過去だった。
王国の檻に囚われながらも、静かに抗い続けた日々。その中で出会った“彼”が、冷え切った運命に、初めて温もりを灯す。
運命を塗り替えるために歩み始めた、険しくも孤独な道の先。そこで待っていたのは、金の瞳を持つ竜帝——
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
溺愛、独占、そしてトラヴィスの宮廷に渦巻く陰謀と政敵たち。死に戻ったΩは、今度こそ自分自身を救うため、皇妃として“未来”を手繰り寄せる。
愛され、試され、それでも生き抜くために——第二章、ここに開幕。
『アルファ拒食症』のオメガですが、運命の番に出会いました
小池 月
BL
大学一年の半田壱兎<はんだ いちと>は男性オメガ。壱兎は生涯ひとりを貫くことを決めた『アルファ拒食症』のバース性診断をうけている。
壱兎は過去に、オメガであるために男子の輪に入れず、女子からは異端として避けられ、孤独を経験している。
加えてベータ男子からの性的からかいを受けて不登校も経験した。そんな経緯から徹底してオメガ性を抑えベータとして生きる『アルファ拒食症』の道を選んだ。
大学に入り壱兎は初めてアルファと出会う。
そのアルファ男性が、壱兎とは違う学部の相川弘夢<あいかわ ひろむ>だった。壱兎と弘夢はすぐに仲良くなるが、弘夢のアルファフェロモンの影響で壱兎に発情期が来てしまう。そこから壱兎のオメガ性との向き合い、弘夢との関係への向き合いが始まるーー。
☆BLです。全年齢対応作品です☆
貧乏子爵のオメガ令息は、王子妃候補になりたくない
こたま
BL
山あいの田舎で、子爵とは名ばかりの殆ど農家な仲良し一家で育ったラリー。男オメガで貧乏子爵。このまま実家で生きていくつもりであったが。王から未婚の貴族オメガにはすべからく王子妃候補の選定のため王宮に集うようお達しが出た。行きたくないしお金も無い。辞退するよう手紙を書いたのに、近くに遠征している騎士団が帰る時、迎えに行って一緒に連れていくと連絡があった。断れないの?高貴なお嬢様にイジメられない?不安だらけのラリーを迎えに来たのは美丈夫な騎士のニールだった。
【完結】僕の異世界転生先は卵で生まれて捨てられた竜でした
エウラ
BL
どうしてこうなったのか。
僕は今、卵の中。ここに生まれる前の記憶がある。
なんとなく異世界転生したんだと思うけど、捨てられたっぽい?
孵る前に死んじゃうよ!と思ったら誰かに助けられたみたい。
僕、頑張って大きくなって恩返しするからね!
天然記念物的な竜に転生した僕が、助けて育ててくれたエルフなお兄さんと旅をしながらのんびり過ごす話になる予定。
突発的に書き出したので先は分かりませんが短い予定です。
不定期投稿です。
本編完結で、番外編を更新予定です。不定期です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる