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第3話「縮まらない距離と、彼の秘密の匂い」
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特別実技試験の一件以来、僕とカイの関係は周囲から見ればますます奇妙なものになっていた。カイは僕の「婚約者」として甲斐甲斐しく世話を焼く。それはもう世話焼きというレベルを超え、ほとんど監視に近かった。僕が少しでも栄養の偏ったものを食べようとすればどこからともなく現れて取り上げるし、夜更かしをしようとすれば強制的にベッドに放り込まれる。
「僕はあんたのペットじゃない!」
何度そう叫んだか分からない。けれどカイはいつも涼しい顔で、「君のためだ」と返すだけだった。振り回される毎日にうんざりしながらも、彼の言う通り、僕の魔力は驚くほど安定してきていた。以前のように授業で大失敗することもほとんどなくなり、周囲の僕を見る目も、嘲笑から「カイ様のおかげで、少しはマシになった」という若干上から目線のものへと変わりつつあった。それはそれで複雑だったが、劣等生と呼ばれ続けるよりはずっといい。
カイの存在は、僕の中で少しずつ大きくなっていた。けれど、僕たちの心の距離は一向に縮まっている気がしなかった。彼は僕のすべてを管理しようとするくせに、自分のことは何一つ話そうとしない。なぜ僕を婚約者と呼ぶのか。なぜそこまで僕に尽くすのか。核心に触れようとすると、彼はいつも巧みにはぐらかしてしまうのだ。
そんなある夜のことだった。僕は、悪夢を見ていた。
それは、真っ赤に燃える空と崩れ落ちる建物が広がる、見渡す限りの廃墟の世界。そして、その中心に立っているのは、僕だった。僕の手からは制御できない黒い魔力がとめどなく溢れ出し、世界を破壊し尽くしていく。やめてくれ、と叫んでも声にならない。僕の力が、僕の大切なものをすべて壊していく。
絶望と恐怖に心が押し潰されそうになった、その時。
「アキト!」
僕は自分の叫び声で、はっと目を覚ました。全身にびっしょりと冷や汗をかいている。心臓が早鐘のように鳴り響き、荒い呼吸を繰り返す。夢だと分かっていても、あの絶望的な光景が目に焼き付いて離れない。
「う……ぁ……」
恐怖で震える僕の体を、不意に温かいものが包み込んだ。
「大丈夫だ。夢だ」
すぐ隣から、カイの静かな声がした。いつの間にか彼は僕のベッドに入り込み、背後から僕をそっと抱きしめていた。彼の胸板が背中に触れ、たくましい腕が僕を腕の中に閉じ込める。
「は、離せ……!」
僕は反射的に身じろぎしたが、カイの腕の力はびくともしない。
「大丈夫。俺がここにいる。必ず、君を守るから」
その声は、いつもの彼とは違っていた。からかうような響きはなく、ただひたすらに真摯で、切実で、まるで祈りのように聞こえた。その声色に、僕は抵抗するのをやめた。彼の体温が、冷え切った僕の心にじんわりと染み渡っていく。
しばらくそうしていると、僕の震えは少しずつ収まっていった。
「……もう、大丈夫だ」
僕がぽつりとつぶやくと、カイは「そうか」とだけ言って、ゆっくりと腕の力を緩めた。けれど彼は僕から離れようとはしなかった。
「……なんで、あんたがここにいるんだ」
僕のベッドと彼のベッドは、部屋の両端にあるはずだ。
「君が、うなされていたから」
彼の吐息が、すぐ耳元で感じられる。その近さに、心臓がまた別の意味で跳ねた。
「悪夢でも見たのか?」
「……うん」
夢の内容を話すべきか、一瞬迷った。僕の力が暴走して、世界を壊す夢。でも、そんなことを言ったら、彼は僕を気味悪く思うかもしれない。僕の力のことを、恐れるかもしれない。そう思うと、怖くて言えなかった。
僕が黙り込んでいると、カイはそれ以上何も聞いてこなかった。ただ静かに僕の背中を、規則的なリズムで優しく叩き続けてくれる。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのようにとても丁寧だった。
彼の匂いがする。いつも彼から香る、清潔な石鹸とミントのような、少し甘く切ない香り。それは僕の心を不思議と落ち着かせてくれた。
僕は、この匂いを知っているような気がした。いつか、どこかで。ずっと昔に。でも、そんなはずはない。彼と出会ったのは、ほんの数週間前のことなのだから。
「……カイ」
僕は、無意識に彼の名前を呼んでいた。
「なんだ?」
「あんたは……一体、何者なんだ?」
ずっと聞きたかった問い。彼は、何者なんだろう。ただの優等生じゃない。僕の魔力のことも、まるで昔から知っていたかのようだ。そして時々見せるあの悲しそうな瞳。今、僕を抱きしめるこの腕。そのすべてが、大きな秘密を抱えていると告げていた。
僕の問いに、カイはすぐには答えなかった。彼の腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。長い沈黙の後、彼は僕の耳元で、ささやくように言った。
「俺は……君を、絶対に失いたくないだけの、ただの男だ」
その声は、ひどくかすれていた。まるで、泣き出すのをこらえているかのように。
僕は、何も言えなかった。彼の言葉の意味は分からない。けれど、その声に込められた途方もない感情の重さだけは、ずしりと僕の心にのしかかってきた。
この夜を境に、僕は確信した。カイは何か重大な秘密を抱えている。そしてその秘密は、間違いなく僕に関係している。
彼がなぜ僕のそばにいるのか、その理由を知るまで、僕はもう彼から離れられないだろう。彼の秘密の匂いに、僕は知らず知らずのうちに深く囚われてしまっていた。
「僕はあんたのペットじゃない!」
何度そう叫んだか分からない。けれどカイはいつも涼しい顔で、「君のためだ」と返すだけだった。振り回される毎日にうんざりしながらも、彼の言う通り、僕の魔力は驚くほど安定してきていた。以前のように授業で大失敗することもほとんどなくなり、周囲の僕を見る目も、嘲笑から「カイ様のおかげで、少しはマシになった」という若干上から目線のものへと変わりつつあった。それはそれで複雑だったが、劣等生と呼ばれ続けるよりはずっといい。
カイの存在は、僕の中で少しずつ大きくなっていた。けれど、僕たちの心の距離は一向に縮まっている気がしなかった。彼は僕のすべてを管理しようとするくせに、自分のことは何一つ話そうとしない。なぜ僕を婚約者と呼ぶのか。なぜそこまで僕に尽くすのか。核心に触れようとすると、彼はいつも巧みにはぐらかしてしまうのだ。
そんなある夜のことだった。僕は、悪夢を見ていた。
それは、真っ赤に燃える空と崩れ落ちる建物が広がる、見渡す限りの廃墟の世界。そして、その中心に立っているのは、僕だった。僕の手からは制御できない黒い魔力がとめどなく溢れ出し、世界を破壊し尽くしていく。やめてくれ、と叫んでも声にならない。僕の力が、僕の大切なものをすべて壊していく。
絶望と恐怖に心が押し潰されそうになった、その時。
「アキト!」
僕は自分の叫び声で、はっと目を覚ました。全身にびっしょりと冷や汗をかいている。心臓が早鐘のように鳴り響き、荒い呼吸を繰り返す。夢だと分かっていても、あの絶望的な光景が目に焼き付いて離れない。
「う……ぁ……」
恐怖で震える僕の体を、不意に温かいものが包み込んだ。
「大丈夫だ。夢だ」
すぐ隣から、カイの静かな声がした。いつの間にか彼は僕のベッドに入り込み、背後から僕をそっと抱きしめていた。彼の胸板が背中に触れ、たくましい腕が僕を腕の中に閉じ込める。
「は、離せ……!」
僕は反射的に身じろぎしたが、カイの腕の力はびくともしない。
「大丈夫。俺がここにいる。必ず、君を守るから」
その声は、いつもの彼とは違っていた。からかうような響きはなく、ただひたすらに真摯で、切実で、まるで祈りのように聞こえた。その声色に、僕は抵抗するのをやめた。彼の体温が、冷え切った僕の心にじんわりと染み渡っていく。
しばらくそうしていると、僕の震えは少しずつ収まっていった。
「……もう、大丈夫だ」
僕がぽつりとつぶやくと、カイは「そうか」とだけ言って、ゆっくりと腕の力を緩めた。けれど彼は僕から離れようとはしなかった。
「……なんで、あんたがここにいるんだ」
僕のベッドと彼のベッドは、部屋の両端にあるはずだ。
「君が、うなされていたから」
彼の吐息が、すぐ耳元で感じられる。その近さに、心臓がまた別の意味で跳ねた。
「悪夢でも見たのか?」
「……うん」
夢の内容を話すべきか、一瞬迷った。僕の力が暴走して、世界を壊す夢。でも、そんなことを言ったら、彼は僕を気味悪く思うかもしれない。僕の力のことを、恐れるかもしれない。そう思うと、怖くて言えなかった。
僕が黙り込んでいると、カイはそれ以上何も聞いてこなかった。ただ静かに僕の背中を、規則的なリズムで優しく叩き続けてくれる。その手つきは、まるで壊れ物を扱うかのようにとても丁寧だった。
彼の匂いがする。いつも彼から香る、清潔な石鹸とミントのような、少し甘く切ない香り。それは僕の心を不思議と落ち着かせてくれた。
僕は、この匂いを知っているような気がした。いつか、どこかで。ずっと昔に。でも、そんなはずはない。彼と出会ったのは、ほんの数週間前のことなのだから。
「……カイ」
僕は、無意識に彼の名前を呼んでいた。
「なんだ?」
「あんたは……一体、何者なんだ?」
ずっと聞きたかった問い。彼は、何者なんだろう。ただの優等生じゃない。僕の魔力のことも、まるで昔から知っていたかのようだ。そして時々見せるあの悲しそうな瞳。今、僕を抱きしめるこの腕。そのすべてが、大きな秘密を抱えていると告げていた。
僕の問いに、カイはすぐには答えなかった。彼の腕の力が、ほんの少しだけ強くなる。長い沈黙の後、彼は僕の耳元で、ささやくように言った。
「俺は……君を、絶対に失いたくないだけの、ただの男だ」
その声は、ひどくかすれていた。まるで、泣き出すのをこらえているかのように。
僕は、何も言えなかった。彼の言葉の意味は分からない。けれど、その声に込められた途方もない感情の重さだけは、ずしりと僕の心にのしかかってきた。
この夜を境に、僕は確信した。カイは何か重大な秘密を抱えている。そしてその秘密は、間違いなく僕に関係している。
彼がなぜ僕のそばにいるのか、その理由を知るまで、僕はもう彼から離れられないだろう。彼の秘密の匂いに、僕は知らず知らずのうちに深く囚われてしまっていた。
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