心を閉ざした元天才ピアニストのルームメイトの氷を、寮長の僕が絶対溶かしてみせる。

水凪しおん

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第11話: 「神童」の残像

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 あの日以来、結は完全に心を閉ざしてしまった。部屋にいても、晶とは一切口をきかず、視線すら合わせようとしない。302号室は、彼が転校してきた当初よりも、さらに冷たく重い空気に満ちていた。
 晶の心は、晴れない霧の中にいるようだった。
 結の、あの苦悶に満ちた表情が頭から離れない。彼をあそこまで追い詰めるものが何なのか、知らなければならない。彼を救いたい。その一心で、晶はほとんど罪悪感に近い気持ちを抱えながら、寮の共有PCルームへと向かった。
 検索窓に、『雪村 結』という名前を打ち込む。
 enterキーを押すと、画面には晶の予想を遥かに超える情報が、ずらりと表示された。

『天才ピアニスト・雪村結、コンクール史上最年少で優勝!』
『神童、再び快挙! 将来を嘱望される日本の宝』
『雪村結、海外オーケストラとの共演決定』

 きらびやかな見出しと共に表示されたのは、今よりも少し幼い結の写真だった。タキシードに身を包み、グランドピアノの前に座る彼は、今とは別人のように、自信に満ちた穏やかな笑みを浮かべている。
 数年前まで、雪村結はピアノ界で「神童」と呼ばれ、数々のコンクールを総なめにしてきた、まさに天才だったのだ。
 晶は、次々と記事のリンクをクリックしていく。そこに綴られていたのは、彼の輝かしい経歴と、専門家たちからの惜しみない賛辞の言葉ばかりだった。
 だが、ある一点を境に、彼の名前はぴたりとニュースから消えていた。
 最後の記事は、三年前に開催された、国内で最も権威のあるピアノコンクールのものだった。優勝候補の筆頭として、メディアの注目を一身に集めていたらしい。
 しかし、そのコンクールの結果を伝える記事に、彼の名前はどこにもなかった。
 不審に思った晶が、さらに検索ワードを加えて調べていくと、ようやく一つの小さな音楽ブログの記事に行き着いた。それは、そのコンクールを客席で見ていたという、一個人の感想が綴られたものだった。

『――中でも注目していたのは、神童・雪村結くんだった。しかし、彼の番になっても、彼はステージに出てこなかった。何度もアナウンスが流れた後、ようやく現れた彼は、青白い顔でピアノの前に座ったきり、一音も弾くことができなかった。鍵盤の上を指が彷徨うだけで、時間だけが過ぎていく。やがて彼は、泣きそうな顔で立ち上がると、そのままステージを降りてしまった。一体、彼に何があったのだろうか。あの才能が、このまま消えてしまうのはあまりにも惜しい――』

 晶は、愕然とした。
 画面の文字が、滲んでよく見えない。
 あの日の音楽室での怯え。悪夢にうなされた夜。そして、ピアノ協奏曲を聞いた時の、あのパニック。全てのピースが、カチリと音を立ててはまった。
 彼は、ピアノが弾けなくなったのだ。
 輝かしい未来を約束されていた天才が、ある日突然、全てを失ってしまった。その絶望が、どれほど深いものか。晶には想像もつかなかった。
 彼が築いた分厚い壁の正体。それは、輝かしすぎた過去の栄光と、そこから転落した深い絶望と、プライドが生み出した、悲しい砦だったのだ。
 晶は、結が一人で抱え込んできた闇の、そのあまりの深さに、ただ打ちのめされるしかなかった。
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