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第三章 進展
第十話 打ち解けてきました
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シャーロットが王太子と関わり始めて、一か月が経過した日。
「温かいと眠たくなるよねー」
彼女は、ソファに全体重を預け目を閉じている彼の姿を見た。
窓から入る日光は体に心地よい陽気をもたらし、午後の微睡みを誘う。
それは良いとして、一国の王太子がこんなに緩み切っていて大丈夫なのだろうか。
「殿下……私が諜者だったらどうするんですか」
寛ぐのは一向に構わないのだが、近頃は公共事業の話が終わると途端に緩慢な姿勢が顕になっている。
それを横目にシャーロットは林檎のタルトを頬張るのだが、時々心配になるのだ。
この部屋は王太子の仕事部屋。
国家機密の書類などは置かれていないだろうが、それなりに情報の詰まった書類は奥の本棚に並べられているらしい。
彼が見ていない隙にティーカップに睡眠薬を入れ、書類を盗み見ようと思えば、それができてしまう環境である。
「大丈夫だよ、君が諜者じゃないことは確認済みだから」
王太子は目を開き、彼女ににっこりと笑みを向ける。
そんな彼に、彼女は言い知れぬ寒気を感じた。
この王太子は時々、こんな雰囲気を出すことがある。
すなわち、全てを知られているような、抜かりない網を張り巡らされているような、そんな感覚に陥らせるのである。
穏やかに微笑を浮かべるその腹の中で何を考えているのかは定かではない。
間違いなく、敵に回せば相当苦労するタイプだ。
一見穏健な彼だが、その実どんなに恐ろしいか知れない。
「今シャーロット嬢が何を考えているか当ててあげようか」
「いえ結構です、すみません」
彼女が即答すると、彼は笑声を上げた。
王太子とこのようなやり取りをする仲になるとは、二か月前までは思ってもみなかったことだ。
呼び方もフォード伯爵令嬢からシャーロット嬢に変わり、幾らか距離が縮まったような感じがする。
名前呼びをされると世の貴族令嬢から恐ろしい目を向けられそうなため、止めていただきたいのだが「二人でいる時は良いんじゃない?」と言われてしまえば反論の余地はない。
彼は交渉術にも長けていた。
「そういえば今度の視察、本当に非公式で参加されるんですか?」
何もかもお見通しな様子の王太子の視線にさらされ続ける必要はない。
シャーロットは話題を変えようと口を開いた。
新規公共事業として最初に取り掛かった水道設備。
その計画が大方決まり、工事に取り掛かり始めたため、二日後に視察に赴くことになったのだ。
シャーロットの質問に、彼は頷く。
他国では知らせを出すのが一般的だと聞いたが、この国の王太子は秘密裏に視察を済ませるつもりらしい。
権力争いが激しい国では王族の視察を狙った犯行があることを考慮すれば、大掛かりな警護よりも密かな厳重警護の方がかえって安全な場合もあるのかもしれない。
そんなことを思っていると、彼は言った。
「非公式の方が、実際の現場を確認することができるだろうから」
「確かにそうですね」
王太子が訪問するとなれば、もてなしや工事などに力が入ることは容易に想像される。
本来の様子を確認できるのは、人々に知らせずに訪問した場合だろう。
「変装どうしようかな。シャーロット嬢はもう決めた?」
シャーロットが納得していると、王太子は腕組みをしながら尋ねた。
工事の現場を確認するためには、王太子が来訪していることに気付かれてはならない。
あくまでも現地民、あるいは観光客を装う必要があるのだ。
視察には、シャーロットも同行することになっている。
そのことを先週聞いた彼女は、変装のための衣装候補を王家側で用意してもらえたため、その日の内にどんな格好で赴くかを決めていた。
「私は町娘風にしようかと思ってます」
「じゃあ俺も似たようなものにしよう」
シャーロットの変装を聞いた王太子は、側で控えていた侍従のハリス・クラークに何やら頼んだ。
しばらくして部屋に何着かの洋服や帽子が届く。
「ありがとう、ハリス」
「いえ」
寡黙な青年従者は恭しく一礼し、音もなく再び部屋の隅に下がっていった。
「シャーロット嬢、少しだけ付き合ってね」
どうやら、変装選びの手伝いをして欲しいようだ。
シャーロットは本日二つ目の林檎のタルトを手に取りながら頷いた。
王太子は、様々ある帽子の中から一つ手に取り、頭に被せる。
そして洋服も同様に上下一着ずつ取ると、体の前に当てるようにしてシャーロットの方を向いた。
「どう?」
「ええと……」
彼女は口ごもった。気分はさながら王太子専属の仕立て屋である。しかし、どうと聞かれても何と答えれば良いのかが分からない。
似合っていないというわけではない。むしろ様になっている。
しかし、肝心な視察の趣旨とは全く異なる雰囲気になってしまっていた。
要するに、
「隠しきれていません」
「何が」
「殿下のオーラが」
こういうわけである。
うっすらと予想はしていた。
シャーロットと会う時、彼は毎度シンプルな服装に身を包んでいたものの、滲み出る特有のオーラは感じられる。
さらに身長が高く美丈夫となれば、皆の注目を集めるのは簡単だ。
「あ、本当?」
「はい」
シャーロットが真顔で頷くと、王太子は次の衣装に手を伸ばした。
「これは?」
「微妙ですね」
「じゃあこれは?」
「もう少し違う方が良いかと」
彼らの様子を見る者がいるならば皆、顔を青くするだろう。
一介の伯爵令嬢が、王太子の選んだ格好にダメ出しをしているのだから。
「眼鏡をかけるのはどうですか?」
髪色と服装を変えるだけでは無理だと悟ったシャーロットは、次の衣装を選んでいた王太子に提案した。
用意された眼鏡をかけると、やはりオーラは隠しきれないものの、今までで最も良い──つまりは最も影の薄い変装である。
そうして無事王太子の変装内容も決定し、二人はソファに腰を落ち着けた。
そして、再びお茶菓子に手を伸ばす。
「食べちゃいますよね」
「美味しいもんね」
もぐもぐと頬張るお互いの姿を見て、両者は同時に笑い出した。
身分に多少の差があり、性別も違う二人だが、こういうところは似た者同士のようだ。
「温かいと眠たくなるよねー」
彼女は、ソファに全体重を預け目を閉じている彼の姿を見た。
窓から入る日光は体に心地よい陽気をもたらし、午後の微睡みを誘う。
それは良いとして、一国の王太子がこんなに緩み切っていて大丈夫なのだろうか。
「殿下……私が諜者だったらどうするんですか」
寛ぐのは一向に構わないのだが、近頃は公共事業の話が終わると途端に緩慢な姿勢が顕になっている。
それを横目にシャーロットは林檎のタルトを頬張るのだが、時々心配になるのだ。
この部屋は王太子の仕事部屋。
国家機密の書類などは置かれていないだろうが、それなりに情報の詰まった書類は奥の本棚に並べられているらしい。
彼が見ていない隙にティーカップに睡眠薬を入れ、書類を盗み見ようと思えば、それができてしまう環境である。
「大丈夫だよ、君が諜者じゃないことは確認済みだから」
王太子は目を開き、彼女ににっこりと笑みを向ける。
そんな彼に、彼女は言い知れぬ寒気を感じた。
この王太子は時々、こんな雰囲気を出すことがある。
すなわち、全てを知られているような、抜かりない網を張り巡らされているような、そんな感覚に陥らせるのである。
穏やかに微笑を浮かべるその腹の中で何を考えているのかは定かではない。
間違いなく、敵に回せば相当苦労するタイプだ。
一見穏健な彼だが、その実どんなに恐ろしいか知れない。
「今シャーロット嬢が何を考えているか当ててあげようか」
「いえ結構です、すみません」
彼女が即答すると、彼は笑声を上げた。
王太子とこのようなやり取りをする仲になるとは、二か月前までは思ってもみなかったことだ。
呼び方もフォード伯爵令嬢からシャーロット嬢に変わり、幾らか距離が縮まったような感じがする。
名前呼びをされると世の貴族令嬢から恐ろしい目を向けられそうなため、止めていただきたいのだが「二人でいる時は良いんじゃない?」と言われてしまえば反論の余地はない。
彼は交渉術にも長けていた。
「そういえば今度の視察、本当に非公式で参加されるんですか?」
何もかもお見通しな様子の王太子の視線にさらされ続ける必要はない。
シャーロットは話題を変えようと口を開いた。
新規公共事業として最初に取り掛かった水道設備。
その計画が大方決まり、工事に取り掛かり始めたため、二日後に視察に赴くことになったのだ。
シャーロットの質問に、彼は頷く。
他国では知らせを出すのが一般的だと聞いたが、この国の王太子は秘密裏に視察を済ませるつもりらしい。
権力争いが激しい国では王族の視察を狙った犯行があることを考慮すれば、大掛かりな警護よりも密かな厳重警護の方がかえって安全な場合もあるのかもしれない。
そんなことを思っていると、彼は言った。
「非公式の方が、実際の現場を確認することができるだろうから」
「確かにそうですね」
王太子が訪問するとなれば、もてなしや工事などに力が入ることは容易に想像される。
本来の様子を確認できるのは、人々に知らせずに訪問した場合だろう。
「変装どうしようかな。シャーロット嬢はもう決めた?」
シャーロットが納得していると、王太子は腕組みをしながら尋ねた。
工事の現場を確認するためには、王太子が来訪していることに気付かれてはならない。
あくまでも現地民、あるいは観光客を装う必要があるのだ。
視察には、シャーロットも同行することになっている。
そのことを先週聞いた彼女は、変装のための衣装候補を王家側で用意してもらえたため、その日の内にどんな格好で赴くかを決めていた。
「私は町娘風にしようかと思ってます」
「じゃあ俺も似たようなものにしよう」
シャーロットの変装を聞いた王太子は、側で控えていた侍従のハリス・クラークに何やら頼んだ。
しばらくして部屋に何着かの洋服や帽子が届く。
「ありがとう、ハリス」
「いえ」
寡黙な青年従者は恭しく一礼し、音もなく再び部屋の隅に下がっていった。
「シャーロット嬢、少しだけ付き合ってね」
どうやら、変装選びの手伝いをして欲しいようだ。
シャーロットは本日二つ目の林檎のタルトを手に取りながら頷いた。
王太子は、様々ある帽子の中から一つ手に取り、頭に被せる。
そして洋服も同様に上下一着ずつ取ると、体の前に当てるようにしてシャーロットの方を向いた。
「どう?」
「ええと……」
彼女は口ごもった。気分はさながら王太子専属の仕立て屋である。しかし、どうと聞かれても何と答えれば良いのかが分からない。
似合っていないというわけではない。むしろ様になっている。
しかし、肝心な視察の趣旨とは全く異なる雰囲気になってしまっていた。
要するに、
「隠しきれていません」
「何が」
「殿下のオーラが」
こういうわけである。
うっすらと予想はしていた。
シャーロットと会う時、彼は毎度シンプルな服装に身を包んでいたものの、滲み出る特有のオーラは感じられる。
さらに身長が高く美丈夫となれば、皆の注目を集めるのは簡単だ。
「あ、本当?」
「はい」
シャーロットが真顔で頷くと、王太子は次の衣装に手を伸ばした。
「これは?」
「微妙ですね」
「じゃあこれは?」
「もう少し違う方が良いかと」
彼らの様子を見る者がいるならば皆、顔を青くするだろう。
一介の伯爵令嬢が、王太子の選んだ格好にダメ出しをしているのだから。
「眼鏡をかけるのはどうですか?」
髪色と服装を変えるだけでは無理だと悟ったシャーロットは、次の衣装を選んでいた王太子に提案した。
用意された眼鏡をかけると、やはりオーラは隠しきれないものの、今までで最も良い──つまりは最も影の薄い変装である。
そうして無事王太子の変装内容も決定し、二人はソファに腰を落ち着けた。
そして、再びお茶菓子に手を伸ばす。
「食べちゃいますよね」
「美味しいもんね」
もぐもぐと頬張るお互いの姿を見て、両者は同時に笑い出した。
身分に多少の差があり、性別も違う二人だが、こういうところは似た者同士のようだ。
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