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序章・彼の幸せ
親近
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ここ数日、カイエンの生活は順調だ。
マーサがカイエンの屋敷に住み込みでサニヤの世話をすることになり、サニヤの事で不安となる事は何一つとしてない。
さらに、日中にはリーリルが屋敷にやって来てサニヤの遊び相手をしたり、世話をしたりする。
カイエンは午前の早い時間に仕事を切り上げて、リーリルと遊ぶサニヤを見るのが日課となった。
ニコニコとサニヤを見ると、リーリルがサニヤを渡してきて、カイエンは顔を強張らせながらサニヤを受け取る。
これもいつもの流れだ。
「もういい加減、サニヤちゃんに慣れて下さい。お父さんなんですよ」
なんてリーリルに言われて耳が痛かった。
また、リーリルがサニヤに構うお陰で子育ての手が空いたマーサが屋敷の掃除や料理、洗濯をしてくれた。
カイエンしか居なかった屋敷は、殆ど使われて居ないも同然であったが、掃除をしてみると溜まった埃が出るわ出るわ。
それもそのはず、カイエンが着任して二年間、一度も屋敷を掃除などしていなかったのだ。
カイエンは自分しか住んでいないのに、こんなに埃が溜まるのかと驚いた。
「こんな埃だらけの所で赤ちゃんを育てちゃあいけないですねぇ」
なんてマーサに言われ、頭を下げるしか出来なかった。
また家庭のみならず、開拓作業も順調だ。
魔物も猛獣も森から出てこず、天候もまったく荒れなかったためである。
そして、カイエンもやる気に満ちてどんどん作業指示を出していた。
その、自然と溢れるやる気も村人に伝播したのかも知れない。
現に、休憩時間になると村人の間ではカイエンの事がもっぱらの噂となっている。
「カイエン様、なんだか明るくなったよな」
「前は無理してるというか、どうも真面目で硬い印象だったものな」
「やっぱ子供のお陰か」
以前のカイエンは硬くて近づき難い印象を人に与えていた。
しかし、今は違う。
休憩時間には切り株に腰を下ろして、ハハハと声を上げて笑っていた。
今までのカイエンは、開拓中にずっと立って、険しい顔で森を警戒し続けていたものである。
それこそ、いつか緊張で倒れてしまうのでは無いかと村人が心配するほどであった。
現在、切り株に腰を下ろして談笑するなど今までのカイエンには決してあり得ない光景だ。
「あの数日前に森で見つけたという赤ん坊か……ええっと、名前は……」
「サニヤちゃんだっけ」
「そうそう。いやあ、サニヤちゃんのお陰でカイエン様も明るくなって良かったなぁ」
普通、貴族が拾い子を育てるなどおかしな話である。
しかし、家族を持つ嬉しさ、楽しさを知らぬ村人では無いし、血筋だのなんだのを気にする人達では無かったため、サニヤの存在は村の人達へすでに受け入れていた。
そう言った彼らの寛大な態度も、カイエンが明るくなった遠因であろう。
カイエンや村人が談笑していたその時、ガサガサと森から何かが駆けてきた。
すぐに村人の一人が悲鳴を上げる。
「ボガードだ!」
額に短い角。
大人の男と同じほどの姿でありながら、筋骨隆々としている。
太い太い枝を棍棒の如く握り締め、狂犬病の如くよだれを撒き散らしていた。
カイエンはその姿を認めると、腰の剣を抜き、疾手の如く駆ける。
カイエンはやる気に充ちていた。
かつてのどうも沈んだ気分では無い。
村人を守り、サニヤのために生きるという気概に溢れていた。
ボガードが棍棒を振り上げる。
しかし、その棍棒が振り下ろされるより速く、一瞬にしてボガードの首を切り落とした。
首の無くなったボガードはどうっと地面に倒れて、ボロボロの土になって息絶える。
これが魔物の死に様だ。
魔物というものは、死ぬと皆一様に土くれへ変わってしまう。
なぜかは分からぬ。ただそう言う物だとしか言えない。
しかし、なんにせよ、その魔物を一太刀にて屠るカイエンを村人はワッと褒め称えた。
カイエンはそんな彼らに笑顔で手を振る。
このように、より団結の深まった彼らは一層開拓に力をいれた。
その日は夕暮れ前に開拓を切り上げて、切り倒した大木を集積する。
大木は丸太に加工され、大河から川下の町へ運ばれる予定だ。
その丸太は近隣の都市へ輸送され、材木として使われる。
カイエンの治めるこの村は、謂わば木材の産地なのだ。
そして、こうした木材の量は王都へ報告され、カイエンの評価に繋がる。
もちろん、カイエンは王都の人達の評価など気にしていなかったし、今さら好評価を得られるとも思って居なかったが。
「皆、ありがとうございます。今日の開拓もこれで終わりましょう」
夕暮れの頃、作業を完全に終わらせて、男衆達とともに村へ帰る。
湿った風が草木を揺らす黄昏時だった。
何とも不安になるような時節。
しかし、この村があれば何も怖くない。と、カイエンは夕暮れに赤く染まる村を見ながら、そう思うのであった。
カイエンは孤独では無い。
村の人々はカイエンを尊敬し、そして協力してくれる。
そして、家には誰よりも守りたい愛すべき娘だっていた。
カイエンは早くサニヤの顔を見たいと思いながら屋敷の前で男衆と別れ、屋敷へ入る。
今までは、帰ってきてもがらんどうの屋敷だった。
しかし今は、食べ物の匂いと子供の笑い声が出迎えてくれる。
「あら! もしかしてカイエン様が帰ってきたんじゃないの!? リーリル! 出迎えなさい!」
「今、サニヤちゃんと遊んでるもん!」
「サニヤ『様』と言いなさい!」
マーサの声が厨房から聞こえてくれば、リビングからリーリルの声が聞こえてくる。
母娘の口喧嘩を聞けば、カイエンは自然と笑った。
「出迎え無くて結構! あなたたちの仕事は私を迎える事じゃありません!」
本来ならば、主従関係を意識させるため、貴族の雇われ人は主の帰りを出迎えるものである。
しかし、カイエンとマーサ、リーリルの関係はそのような関係では無い。と、カイエンは認識していた。
結局のところ、マーサとリーリルの好意によって、カイエンの家事育児を手伝って貰っているのだと思うのである。
このような考え、他の王侯貴族が聞けば、きっと愚かだと顔をしかめる事であっただろう。
だが今は、どの貴族とも繋がりが無い。
言ってしまえば、カイエンの好き勝手にできると言えばできるのだった。
カイエンは鎧を脱いで室内着に着がえる。
室内着は装飾が胸元にあしらわれたローブだ。
いくらマーサ達に無礼を許しても、自分自身が彼女たちへみっともない服装を見せる訳にはいかないと思う。
そして、リビングへ向かうと、ちょうどマーサがダイニングへと食事を運んでいる所だ。
「もうすぐで晩御飯ですよ。それまでお待ち下さい」
丸い頬をニコリと笑わせていた。
今日は鳥の太股のようだ。
こんがりと焼けた皮がなんともかぐわしい。
「楽しみに待っています」
カイエンはそう言ってマーサを見送ると、リビングへ入った。
そこにはいつも通り、リーリルとサニヤが遊んでいる。
「あ。カイエン様」
リーリルはカイエンに気付くと、サニヤをカイエンへ渡そうとした。
しかし、サニヤはリーリルの肩をガッシリと掴んで抱きついている。
もう完全に懐いていた。
「サニヤちゃ……えっと、サニヤ様、カイエン様だよ。あ、カイエン様ですよ」
どうやらマーサに立場の違いというものを教えられたのか、たどたどしくも丁寧に話そうとする。
だが、丁寧に喋ろうと何であろうと、サニヤはリーリルからまるで離れようとしなかった。
リーリルはほとほと困った顔で、必死にサニヤをカイエンへと渡そうとする。
リーリルはリーリルなりに、サニヤとカイエンが触れ合えるように頑張っていた。
しかし、サニヤがリーリルから離れないのだから、リーリルの思いは無駄になっている。
父親から娘を奪ったようなものだ。
なので、リーリルは気まずいような気持ちになったのだ。
そんなリーリルであるが、一方のカイエンは微笑ましく思っていて、全く気になどしていない。
むしろ、二人が仲良くなってくれて嬉しい気持ちだ。
「カイエン様。お夜食ができましたよ」
その時、料理を運び終わったマーサがカイエンを呼びにリビングへやって来た。
「ああ。今行きます」
カイエンはリーリルとサニヤの頭を一撫でし、二人へ背を向ける。
そして、マーサはリーリルに対してもう帰るように言っていた。
晩御飯を作り終えたマーサは手が空くので、リーリルが手伝う事は無い。
それに、もう夜なので、サニヤを寝かせるしかやることも無いのでリーリルが学ぶ子育ての事など何一つとして残ってないのである。
「はーい」
リーリルが間延びした返事をし、マーサがサニヤを引き離した。
直後である。
サニヤが大きな声で泣いた。
あまりに大きな声で鳴くので、リビングを出ようとしたカイエンは驚いて躓きそうになったくらいだ。
一体全体、なぜサニヤがこんなに泣くのか、マーサは分からなかった。
必死にあやすが一向に泣き止まず。
胸を出しても興味を示さない。
カイエンが近づいて頭を撫でても泣き止まない。
「困ったわねぇ」
なんで泣くのか皆目見当もつかないマーサは、必死に笑顔を作ってあやす。
不安な顔や困った顔が赤ん坊を不安にさせることを知っていたから、努めて明るい顔で接しようとしたのだ。
しかし、マーサの努力も虚しく、サニヤは決して泣き止まない。
「サニヤちゃん。泣かないで」
リーリルがサニヤの目の前に、いつものように指を出すと、サニヤはその指を掴んで泣き止みだした。
少しぐずりながら息をしゃくり上げるものの、さっきまでの大泣きが嘘のように止まったのである。
「あらまぁ……。リーリルと離れたくないのね。サニヤ様」
あまりに親密になってしまったためか、サニヤはリーリルから離れるのを嫌がっているようだ。
だが、リーリルがいつまでもサニヤを見ている訳にもいかない。
なぜならば、リーリルの家はこの屋敷ではないのだから。
さてどうしたものか?
カイエンもマーサも、リーリルも困ってしまった。
リーリルが離れたら、きっとまた、サニヤは泣き出してしまうだろう。
どうして良いか分からず、三人とも動けない。
ただサニヤのぐずる声が部屋に響いていた。
そんな動くに動けない状況の中、ぐずり声は段々と静かな寝息へ変わり出す。
この時間は、いつもサニヤが寝る時間。
いつもの習慣に抗え無かったか、あるいは泣き疲れたか、サニヤは静かに眠り出したのだ。
マーサはホッと胸を撫で下ろしてリーリルに帰るよう伝えると、リーリルも帰るタイミングが今しか無いと思い、カイエンに頭を下げて屋敷を出て行った。
まさかサニヤがこれほどまでにリーリルと親しくなるとは……。
カイエンはそのように思いながらリーリルが出て行くのを見ていた。
それほど親しくなれば日中の世話は安心であろう。
しかし、明日以降、リーリルが帰る時にまたぐずり出すのでは無いかという不安があるのだった。
マーサがカイエンの屋敷に住み込みでサニヤの世話をすることになり、サニヤの事で不安となる事は何一つとしてない。
さらに、日中にはリーリルが屋敷にやって来てサニヤの遊び相手をしたり、世話をしたりする。
カイエンは午前の早い時間に仕事を切り上げて、リーリルと遊ぶサニヤを見るのが日課となった。
ニコニコとサニヤを見ると、リーリルがサニヤを渡してきて、カイエンは顔を強張らせながらサニヤを受け取る。
これもいつもの流れだ。
「もういい加減、サニヤちゃんに慣れて下さい。お父さんなんですよ」
なんてリーリルに言われて耳が痛かった。
また、リーリルがサニヤに構うお陰で子育ての手が空いたマーサが屋敷の掃除や料理、洗濯をしてくれた。
カイエンしか居なかった屋敷は、殆ど使われて居ないも同然であったが、掃除をしてみると溜まった埃が出るわ出るわ。
それもそのはず、カイエンが着任して二年間、一度も屋敷を掃除などしていなかったのだ。
カイエンは自分しか住んでいないのに、こんなに埃が溜まるのかと驚いた。
「こんな埃だらけの所で赤ちゃんを育てちゃあいけないですねぇ」
なんてマーサに言われ、頭を下げるしか出来なかった。
また家庭のみならず、開拓作業も順調だ。
魔物も猛獣も森から出てこず、天候もまったく荒れなかったためである。
そして、カイエンもやる気に満ちてどんどん作業指示を出していた。
その、自然と溢れるやる気も村人に伝播したのかも知れない。
現に、休憩時間になると村人の間ではカイエンの事がもっぱらの噂となっている。
「カイエン様、なんだか明るくなったよな」
「前は無理してるというか、どうも真面目で硬い印象だったものな」
「やっぱ子供のお陰か」
以前のカイエンは硬くて近づき難い印象を人に与えていた。
しかし、今は違う。
休憩時間には切り株に腰を下ろして、ハハハと声を上げて笑っていた。
今までのカイエンは、開拓中にずっと立って、険しい顔で森を警戒し続けていたものである。
それこそ、いつか緊張で倒れてしまうのでは無いかと村人が心配するほどであった。
現在、切り株に腰を下ろして談笑するなど今までのカイエンには決してあり得ない光景だ。
「あの数日前に森で見つけたという赤ん坊か……ええっと、名前は……」
「サニヤちゃんだっけ」
「そうそう。いやあ、サニヤちゃんのお陰でカイエン様も明るくなって良かったなぁ」
普通、貴族が拾い子を育てるなどおかしな話である。
しかし、家族を持つ嬉しさ、楽しさを知らぬ村人では無いし、血筋だのなんだのを気にする人達では無かったため、サニヤの存在は村の人達へすでに受け入れていた。
そう言った彼らの寛大な態度も、カイエンが明るくなった遠因であろう。
カイエンや村人が談笑していたその時、ガサガサと森から何かが駆けてきた。
すぐに村人の一人が悲鳴を上げる。
「ボガードだ!」
額に短い角。
大人の男と同じほどの姿でありながら、筋骨隆々としている。
太い太い枝を棍棒の如く握り締め、狂犬病の如くよだれを撒き散らしていた。
カイエンはその姿を認めると、腰の剣を抜き、疾手の如く駆ける。
カイエンはやる気に充ちていた。
かつてのどうも沈んだ気分では無い。
村人を守り、サニヤのために生きるという気概に溢れていた。
ボガードが棍棒を振り上げる。
しかし、その棍棒が振り下ろされるより速く、一瞬にしてボガードの首を切り落とした。
首の無くなったボガードはどうっと地面に倒れて、ボロボロの土になって息絶える。
これが魔物の死に様だ。
魔物というものは、死ぬと皆一様に土くれへ変わってしまう。
なぜかは分からぬ。ただそう言う物だとしか言えない。
しかし、なんにせよ、その魔物を一太刀にて屠るカイエンを村人はワッと褒め称えた。
カイエンはそんな彼らに笑顔で手を振る。
このように、より団結の深まった彼らは一層開拓に力をいれた。
その日は夕暮れ前に開拓を切り上げて、切り倒した大木を集積する。
大木は丸太に加工され、大河から川下の町へ運ばれる予定だ。
その丸太は近隣の都市へ輸送され、材木として使われる。
カイエンの治めるこの村は、謂わば木材の産地なのだ。
そして、こうした木材の量は王都へ報告され、カイエンの評価に繋がる。
もちろん、カイエンは王都の人達の評価など気にしていなかったし、今さら好評価を得られるとも思って居なかったが。
「皆、ありがとうございます。今日の開拓もこれで終わりましょう」
夕暮れの頃、作業を完全に終わらせて、男衆達とともに村へ帰る。
湿った風が草木を揺らす黄昏時だった。
何とも不安になるような時節。
しかし、この村があれば何も怖くない。と、カイエンは夕暮れに赤く染まる村を見ながら、そう思うのであった。
カイエンは孤独では無い。
村の人々はカイエンを尊敬し、そして協力してくれる。
そして、家には誰よりも守りたい愛すべき娘だっていた。
カイエンは早くサニヤの顔を見たいと思いながら屋敷の前で男衆と別れ、屋敷へ入る。
今までは、帰ってきてもがらんどうの屋敷だった。
しかし今は、食べ物の匂いと子供の笑い声が出迎えてくれる。
「あら! もしかしてカイエン様が帰ってきたんじゃないの!? リーリル! 出迎えなさい!」
「今、サニヤちゃんと遊んでるもん!」
「サニヤ『様』と言いなさい!」
マーサの声が厨房から聞こえてくれば、リビングからリーリルの声が聞こえてくる。
母娘の口喧嘩を聞けば、カイエンは自然と笑った。
「出迎え無くて結構! あなたたちの仕事は私を迎える事じゃありません!」
本来ならば、主従関係を意識させるため、貴族の雇われ人は主の帰りを出迎えるものである。
しかし、カイエンとマーサ、リーリルの関係はそのような関係では無い。と、カイエンは認識していた。
結局のところ、マーサとリーリルの好意によって、カイエンの家事育児を手伝って貰っているのだと思うのである。
このような考え、他の王侯貴族が聞けば、きっと愚かだと顔をしかめる事であっただろう。
だが今は、どの貴族とも繋がりが無い。
言ってしまえば、カイエンの好き勝手にできると言えばできるのだった。
カイエンは鎧を脱いで室内着に着がえる。
室内着は装飾が胸元にあしらわれたローブだ。
いくらマーサ達に無礼を許しても、自分自身が彼女たちへみっともない服装を見せる訳にはいかないと思う。
そして、リビングへ向かうと、ちょうどマーサがダイニングへと食事を運んでいる所だ。
「もうすぐで晩御飯ですよ。それまでお待ち下さい」
丸い頬をニコリと笑わせていた。
今日は鳥の太股のようだ。
こんがりと焼けた皮がなんともかぐわしい。
「楽しみに待っています」
カイエンはそう言ってマーサを見送ると、リビングへ入った。
そこにはいつも通り、リーリルとサニヤが遊んでいる。
「あ。カイエン様」
リーリルはカイエンに気付くと、サニヤをカイエンへ渡そうとした。
しかし、サニヤはリーリルの肩をガッシリと掴んで抱きついている。
もう完全に懐いていた。
「サニヤちゃ……えっと、サニヤ様、カイエン様だよ。あ、カイエン様ですよ」
どうやらマーサに立場の違いというものを教えられたのか、たどたどしくも丁寧に話そうとする。
だが、丁寧に喋ろうと何であろうと、サニヤはリーリルからまるで離れようとしなかった。
リーリルはほとほと困った顔で、必死にサニヤをカイエンへと渡そうとする。
リーリルはリーリルなりに、サニヤとカイエンが触れ合えるように頑張っていた。
しかし、サニヤがリーリルから離れないのだから、リーリルの思いは無駄になっている。
父親から娘を奪ったようなものだ。
なので、リーリルは気まずいような気持ちになったのだ。
そんなリーリルであるが、一方のカイエンは微笑ましく思っていて、全く気になどしていない。
むしろ、二人が仲良くなってくれて嬉しい気持ちだ。
「カイエン様。お夜食ができましたよ」
その時、料理を運び終わったマーサがカイエンを呼びにリビングへやって来た。
「ああ。今行きます」
カイエンはリーリルとサニヤの頭を一撫でし、二人へ背を向ける。
そして、マーサはリーリルに対してもう帰るように言っていた。
晩御飯を作り終えたマーサは手が空くので、リーリルが手伝う事は無い。
それに、もう夜なので、サニヤを寝かせるしかやることも無いのでリーリルが学ぶ子育ての事など何一つとして残ってないのである。
「はーい」
リーリルが間延びした返事をし、マーサがサニヤを引き離した。
直後である。
サニヤが大きな声で泣いた。
あまりに大きな声で鳴くので、リビングを出ようとしたカイエンは驚いて躓きそうになったくらいだ。
一体全体、なぜサニヤがこんなに泣くのか、マーサは分からなかった。
必死にあやすが一向に泣き止まず。
胸を出しても興味を示さない。
カイエンが近づいて頭を撫でても泣き止まない。
「困ったわねぇ」
なんで泣くのか皆目見当もつかないマーサは、必死に笑顔を作ってあやす。
不安な顔や困った顔が赤ん坊を不安にさせることを知っていたから、努めて明るい顔で接しようとしたのだ。
しかし、マーサの努力も虚しく、サニヤは決して泣き止まない。
「サニヤちゃん。泣かないで」
リーリルがサニヤの目の前に、いつものように指を出すと、サニヤはその指を掴んで泣き止みだした。
少しぐずりながら息をしゃくり上げるものの、さっきまでの大泣きが嘘のように止まったのである。
「あらまぁ……。リーリルと離れたくないのね。サニヤ様」
あまりに親密になってしまったためか、サニヤはリーリルから離れるのを嫌がっているようだ。
だが、リーリルがいつまでもサニヤを見ている訳にもいかない。
なぜならば、リーリルの家はこの屋敷ではないのだから。
さてどうしたものか?
カイエンもマーサも、リーリルも困ってしまった。
リーリルが離れたら、きっとまた、サニヤは泣き出してしまうだろう。
どうして良いか分からず、三人とも動けない。
ただサニヤのぐずる声が部屋に響いていた。
そんな動くに動けない状況の中、ぐずり声は段々と静かな寝息へ変わり出す。
この時間は、いつもサニヤが寝る時間。
いつもの習慣に抗え無かったか、あるいは泣き疲れたか、サニヤは静かに眠り出したのだ。
マーサはホッと胸を撫で下ろしてリーリルに帰るよう伝えると、リーリルも帰るタイミングが今しか無いと思い、カイエンに頭を下げて屋敷を出て行った。
まさかサニヤがこれほどまでにリーリルと親しくなるとは……。
カイエンはそのように思いながらリーリルが出て行くのを見ていた。
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