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2章・父の戦い
魔物
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サニヤはほっかむりを無くし、しばらく洗ってない髪はぼさぼさと跳ね放題。
服も顔も汚れに塗れていた。
「あ。お父様……」
茂みから覗き込むカイエンに気付くと、サニヤは気まずそうな顔をする。
全身汚れてはいるが、怪我は無さそうであるし、栄養状態も……悪くは無いどころか、何というか、少しだけふくよかになったような?
「えっと……。あ、ライがここに居るのって、もしかしてお父様のおかげ?」
愛想笑いを浮かべながら話題を逸らすかのようにそう聞いた。
サニヤは勝手に戻って来たためにきっと怒られると思ったのである。
「サニヤ。お前……」
「そうだ! せんそーってどうなったの? お父様、無事そうだね! 良かった!」
カイエンの言葉を遮って必死に話題を逸らそうとするので「サニヤ!」と強い口調を出してしまった。
これにサニヤはびくりと体を硬直させる。
サニヤはやはり、親から怒られるという事に対して変わらず異様に恐れているのだ。
だから、怒られると思って、恐れたのである。
しかし、そのようなサニヤの考えと違い、カイエンは彼女の事を優しく抱き起こすと「怪我は無いか? 無事なのか?」と優しく聞くのだ。
怒られない事に戸惑い「うん」と小さな声で頷く。
「そうか。良かった……良かった……」とカイエンが心底嬉しそうに言うので、サニヤはやはりカイエンを心配させてしまってたのだと実感した。
そう、サニヤはずっと、カイエンやリーリルに心配ばかりをかけさせてしまっていると考えていたのである。
だが、そもそも、なぜサニヤは無事だったのか?
魔物や猛獣に遭遇しなかったのであろうか?
カイエンは「よく無事だったな。今まで何をやってたんだ」とその疑問を口にした。
すると、サニヤは言いづらそうに言葉を考えながら「この森に……居たよ。道に迷っちゃったからさ」とはははと笑うのである。
明らかに嘘だとカイエンは気付いたが、言及する事なくサニヤの手を握って、ハーズルージュへ帰ろうと言う。
サニヤが無事だったから、何かを隠そうとしてようがそれで良いじゃないかと思うのだ。
「ねえ、せんそーはどうなったの?」とサニヤが不安げに聞くので「終わったよ。無事にね」とカイエンは彼女の頭にタオルを巻きながら答える。
サニヤはカイエンが無事そうなのを見て嬉しく思った。
そもそもサニヤがリーリル達から逃げてカイエンの元へ向かったのは、カイエンを助ける為だからして、結局自分は迷惑しか掛けなかったけど、カイエンが無事ならそれで良いやと思うのである。
しかし、だがしかし。
これはサニヤも、カイエンも、恐らくこの世に生きる誰も知らぬ事であるが、カイエンが今回の戦争で勝利した立役者は誰であろうサニヤなのであった。
……話はサニヤがリーリルの元を去った翌日にまで遡る。
あの日、サニヤは完全に道に迷い、深い森の中を歩いていた。
木々がただ生える目印の無い場所というものは、人の方向感覚を狂わせてしまうものであり、木を避けて右へ左へ歩いていると知らず知らずのうちにハーズルージュとは違う方向へジグザグに進んでいたのである。
「……お腹空いたなぁ」
昨夜、リーリルの元を去ってから何も食べていない。
腹の虫は無遠慮に鳴きまくっていた。
それに夜の森は怖かったのである。
日がまた沈む前にハーズルージュへ着こうと思って歩いていた。
もっとも、ハーズルージュからはどんどん逸れていたのであるが。
そんな事を露とも知らずにサニヤがしばらく歩いていると、妙な呻き声と共に近くの茂みが揺れる。
何かが現れると思い、サニヤが木の陰に隠れると、高い背と鎧が如きガッシリとした筋肉の魔物であるオーガが現れた。
サニヤは魔物と言うものを実は見た事が無かった。
物心ついた時には村の領土は広く、林はあれど森は屋敷から遠かったのであるし、二度の旅の間に魔物が襲い来る事は一度として無かったためである。
それでも、カイエンやリーリルから魔物の事を聞いていたので、その額から生える二本の角を見て魔物だと分かった。
そして、不思議な事であるが、サニヤはその恐ろしい出で立ちのオーガを見ても怖くは感じなかったのである。
それでも、両親から危険な存在だと教えられていた為、隠れたままだ。
オーガは鼻先が上がった豚鼻をガーガーと鳴らしながら臭いを嗅いでいる。
サニヤはさっさとどこかに行って欲しいなと思いながら隠れていたのであるが、その時、不運にも腹の虫がグルグルと鳴ってしまった。
オーガの顔がぐりんとサニヤへ向き、眼が合う。
そして、ズシズシと荒く足音をたてながらサニヤへ近づいて来ると、サニヤへ鋭い爪の生えた手を伸ばした。
いくら見た目に対して恐怖を感じないとはいえ、大きな体躯が眼前に立ち、手を伸ばしてきて恐怖を感じないであろうか?
サニヤは小さな悲鳴を上げて、思わず目を閉じる。
オーガはサニヤの頭をガシガシと乱暴に撫でまわした……ようにサニヤは感じた。
そして、ほっかむりがオーガの爪に絡まり、サニヤの頭から取れる。
オーガは指先に垂れるほっかむりを不思議そうに見た後、乱暴に引きちぎって投げ捨てた。
「あー!」
サニヤはそれを見て叫んだ。
せっかくお母様が手編みで作ってくれたのに!
ふつふつと怒りが込み上げて来て、オーガへ向かい「何するのよ!」と怒鳴った。
オーガは突然怒鳴られて、落ち窪んだ目を困ったように潜めた……ようにサニヤには見える。
頬を膨らませて「……別に良いけどさ。あんた、弁償なんてできないみたいだし!」とサニヤが不貞腐れると、オーガは喉をグルルルと鳴らした。
それはまるで申し訳なく謝罪するような声である……ようにサニヤには聞こえたのである。
なぁんだ。魔物って話に聞いてたよりも全然怖くないじゃんとサニヤは思う。
すると再びサニヤの腹がグルルルと鳴り、オーガは森の奥の方を指さす。
食べ物があるよと言っているように感じ、サニヤはそのオーガが指さす先へ行ってみる事にした。
オーガに連れられて森をどんどん歩いていくと、人の話し声が聞こえてくる。
人が居る! と喜んだものの、よくよく話し声を聞いてみると、ハーズルージュを襲うだとかなんだとか……つまりはカイエンの敵なのだとサニヤは気付いた。
そして、どうやらオーガは敵の方へと進んでいくようだ。
サニヤはオーガのごつごつとした手を掴むと「ダメ。あっちに居るのは敵だよ」と引っ張った。
すると、オーガは口の端を釣り上げて不気味に笑う。
「え? 心配いらないの?」
サニヤは奇妙にもそう言う。
まったくもって奇妙な事だ。
このサニヤという少女は奇妙にも、まるで魔物と意思の疎通が行えるかのような態度である。
「君がそう言うなら良いけど……」と、サニヤはオーガに付いて声のする方へと近付いた。
茂みに隠れながら覗き込むと、輜重車を引いたり押したりしている五人の兵が居る。
彼らは笑いながら、今回の戦いは楽なようだから前線に居たかったとか、輸送の関係上で兵数が千人越えているくらいで助かったとか話していた。
兵站がこの黒い森を貫通する関係上、敵軍の兵数はカイエンが希望的に考えた場合の人数二千人を少し越えるくらいであったのだ。
「でも本当に敵軍は五百程度の兵力なのか? なにせ、その情報はマルダークから来たんだろ? 罠な気がする」
サニヤはマルダークという言葉に聞き覚えがあり、しばらく考えた。
そして、マルダークがこの国の名前だと思い出す。
王都ラクマージを中心に大小様々な集落で形成されるこの王国の名前がマルダークなのである。
と、すると、兵の言葉が本当ならば、カイエンは味方から戦力をバラされたということなのだ。
なんでマルダークがオルブテナにとって有利な情報を流すというのか、サニヤは何となく分かった気がする。
それは、サルハやラーツェがなぜサニヤ達と同行していたのかをサニヤが知っていたからだ。
そう、サルハとラーツェは、マルダークからの暗殺者が来たときの為の護衛として一緒に居てくれたのである。
もちろん、そんな暗殺者は杞憂であったが、しかし、マルダークがカイエンの死や失脚を望んでいるならば、そのためにカイエンの戦力をオルブテナへ流したのでは無いかとサニヤは直感的に理解したのだった。
しかし、そのために無関係なハーズルージュの人達にまで巻き込む必要があるのかとサニヤは疑問に思うのである。
純真な者には分からぬであろうが、虚栄に塗れた者は時として、己が自己顕示の為に他の犠牲を厭わぬものだ。
「それで……あいつらがなんなの?」
まさか、あの兵の言葉を聞かせたくてサニヤを連れてきたわけではあるまい。
オーガが質問に答えるように輜重車の上の糧食を指さす。
「え? あの食べ物? ダメだよ。あいつら剣を持ってるし。危ないよ」とサニヤは答えた。
そんなサニヤの頭をオーガはポンポンと叩く。
安心しろと言うかのようであった。
不思議と、サニヤは頭に触れられても嫌悪感が無かった。
魔物にも角が生えているせいで、角が生えている頭を触れられても気にならなかったのだろうか?
そんな風にサニヤが考えている横で、オーガが腹の底から雄叫びを上げる。
突然雄叫びを上げるので、サニヤはキーンと耳鳴りがした。
そして、その雄叫びでオルブテナ兵はオーガの存在に気付く。
幸い、サニヤは藪に隠れていたから見付かっていないが、しかし、このままではオーガ一匹で敵兵と戦うことになるだろう。
オルブテナ兵も雄叫びに怯えた顔を見せたものの、オーガ一匹と気付き、驚かせんなと剣を抜く。
「油断して一撃貰うなよ」
なんて言いながらオーガへ敵兵が近付いた時、森がさざめいた。
周囲の草木が。
枝が、藪が茂みが、ザザザと鳴る。
サニヤはその音が不自然に感じ、周囲をキョロキョロと見回した。
次の瞬間、茂みのそこかしこからボガードが現れ、樹上の枝々をゴブリンが跳んでくる。
これに驚いたのはオルブテナの兵達だ。
通常魔物というモノは意思の疎通を取らぬ。
しばしば近くの戦闘音を聞いてやって来る事はあっても、魔物が魔物を呼ぶような事はしないのである。
にも関わらず、今回オーガは仲間を呼ぶかのように雄叫びを上げ、数々の魔物がやって来たのだから堪らない。
オーガ達魔物は牙を剥き出しに、涎を飛ばしながら一斉に雄叫びを上げるので、オルブテナ兵達は腰を抜かしそうになりながら逃げ出した。
そして、サニヤは自分が魔物の群れに囲まれている事に気付く。
しかし、やはりと言うべきか何というか、彼らに恐怖も怖れも感じないのである。
周囲の魔物達がサニヤをじっと見て来るので「えっと……」とサニヤは戸惑う。
そんなサニヤへ、先ほどのオーガが輜重車の上にある食べ物を指さした。
「えっと……くれるの?」
オーガは静かに頷き、魔物達は続々と森へ帰っていき、サニヤの空きっ腹は食事をとりたいと鳴り続ける。
もう限界だ。
とにかく食べ物を腹の中へ突っ込みたいので、サニヤは輜重車の食べ物へと跳び付くのである。
サニヤはその後もオーガと共に何日も森の中を彷徨った。
ハーズルージュはどこだろうどこだろう……と。
だが、オルブテナの輜重隊が居たという事は、実はもうハーズルージュをとうに過ぎていたのである。
たまにハーズルージュの方向に向かう事もあった。
しかしながら、そこにはオルブテナの兵達が駐屯しているのだから通り抜ける事が出来ず、諦めて引き返したためにハーズルージュへ辿り着けなかったのである。
そして、サニヤが腹を空かせると、魔物達が輜重隊を襲ってその食料をサニヤに渡した。
また、風が強い夜や夕立の折には大木の根に開いた窪みなどへ魔物が案内してくれる。
なので、ふかふかのベッドで寝たいという不便はあろうと生きる事に不自由は無かった。
そんな生活を一週間近く続けたものの、ある日、犬の鳴き声が聞こえてくると、オーガはサニヤを置いて森の奥へ消えてしまったのである。
その時サニヤは輜重車の食料を漁っていたのでオーガが姿を消した事に気付かなかった。
そして、サニヤは犬の鳴き声を狼の声と勘違いし、逃げ出した所、その犬ことライに圧し掛かられてその顔をぺろぺろ舐められてしまうのである。
服も顔も汚れに塗れていた。
「あ。お父様……」
茂みから覗き込むカイエンに気付くと、サニヤは気まずそうな顔をする。
全身汚れてはいるが、怪我は無さそうであるし、栄養状態も……悪くは無いどころか、何というか、少しだけふくよかになったような?
「えっと……。あ、ライがここに居るのって、もしかしてお父様のおかげ?」
愛想笑いを浮かべながら話題を逸らすかのようにそう聞いた。
サニヤは勝手に戻って来たためにきっと怒られると思ったのである。
「サニヤ。お前……」
「そうだ! せんそーってどうなったの? お父様、無事そうだね! 良かった!」
カイエンの言葉を遮って必死に話題を逸らそうとするので「サニヤ!」と強い口調を出してしまった。
これにサニヤはびくりと体を硬直させる。
サニヤはやはり、親から怒られるという事に対して変わらず異様に恐れているのだ。
だから、怒られると思って、恐れたのである。
しかし、そのようなサニヤの考えと違い、カイエンは彼女の事を優しく抱き起こすと「怪我は無いか? 無事なのか?」と優しく聞くのだ。
怒られない事に戸惑い「うん」と小さな声で頷く。
「そうか。良かった……良かった……」とカイエンが心底嬉しそうに言うので、サニヤはやはりカイエンを心配させてしまってたのだと実感した。
そう、サニヤはずっと、カイエンやリーリルに心配ばかりをかけさせてしまっていると考えていたのである。
だが、そもそも、なぜサニヤは無事だったのか?
魔物や猛獣に遭遇しなかったのであろうか?
カイエンは「よく無事だったな。今まで何をやってたんだ」とその疑問を口にした。
すると、サニヤは言いづらそうに言葉を考えながら「この森に……居たよ。道に迷っちゃったからさ」とはははと笑うのである。
明らかに嘘だとカイエンは気付いたが、言及する事なくサニヤの手を握って、ハーズルージュへ帰ろうと言う。
サニヤが無事だったから、何かを隠そうとしてようがそれで良いじゃないかと思うのだ。
「ねえ、せんそーはどうなったの?」とサニヤが不安げに聞くので「終わったよ。無事にね」とカイエンは彼女の頭にタオルを巻きながら答える。
サニヤはカイエンが無事そうなのを見て嬉しく思った。
そもそもサニヤがリーリル達から逃げてカイエンの元へ向かったのは、カイエンを助ける為だからして、結局自分は迷惑しか掛けなかったけど、カイエンが無事ならそれで良いやと思うのである。
しかし、だがしかし。
これはサニヤも、カイエンも、恐らくこの世に生きる誰も知らぬ事であるが、カイエンが今回の戦争で勝利した立役者は誰であろうサニヤなのであった。
……話はサニヤがリーリルの元を去った翌日にまで遡る。
あの日、サニヤは完全に道に迷い、深い森の中を歩いていた。
木々がただ生える目印の無い場所というものは、人の方向感覚を狂わせてしまうものであり、木を避けて右へ左へ歩いていると知らず知らずのうちにハーズルージュとは違う方向へジグザグに進んでいたのである。
「……お腹空いたなぁ」
昨夜、リーリルの元を去ってから何も食べていない。
腹の虫は無遠慮に鳴きまくっていた。
それに夜の森は怖かったのである。
日がまた沈む前にハーズルージュへ着こうと思って歩いていた。
もっとも、ハーズルージュからはどんどん逸れていたのであるが。
そんな事を露とも知らずにサニヤがしばらく歩いていると、妙な呻き声と共に近くの茂みが揺れる。
何かが現れると思い、サニヤが木の陰に隠れると、高い背と鎧が如きガッシリとした筋肉の魔物であるオーガが現れた。
サニヤは魔物と言うものを実は見た事が無かった。
物心ついた時には村の領土は広く、林はあれど森は屋敷から遠かったのであるし、二度の旅の間に魔物が襲い来る事は一度として無かったためである。
それでも、カイエンやリーリルから魔物の事を聞いていたので、その額から生える二本の角を見て魔物だと分かった。
そして、不思議な事であるが、サニヤはその恐ろしい出で立ちのオーガを見ても怖くは感じなかったのである。
それでも、両親から危険な存在だと教えられていた為、隠れたままだ。
オーガは鼻先が上がった豚鼻をガーガーと鳴らしながら臭いを嗅いでいる。
サニヤはさっさとどこかに行って欲しいなと思いながら隠れていたのであるが、その時、不運にも腹の虫がグルグルと鳴ってしまった。
オーガの顔がぐりんとサニヤへ向き、眼が合う。
そして、ズシズシと荒く足音をたてながらサニヤへ近づいて来ると、サニヤへ鋭い爪の生えた手を伸ばした。
いくら見た目に対して恐怖を感じないとはいえ、大きな体躯が眼前に立ち、手を伸ばしてきて恐怖を感じないであろうか?
サニヤは小さな悲鳴を上げて、思わず目を閉じる。
オーガはサニヤの頭をガシガシと乱暴に撫でまわした……ようにサニヤは感じた。
そして、ほっかむりがオーガの爪に絡まり、サニヤの頭から取れる。
オーガは指先に垂れるほっかむりを不思議そうに見た後、乱暴に引きちぎって投げ捨てた。
「あー!」
サニヤはそれを見て叫んだ。
せっかくお母様が手編みで作ってくれたのに!
ふつふつと怒りが込み上げて来て、オーガへ向かい「何するのよ!」と怒鳴った。
オーガは突然怒鳴られて、落ち窪んだ目を困ったように潜めた……ようにサニヤには見える。
頬を膨らませて「……別に良いけどさ。あんた、弁償なんてできないみたいだし!」とサニヤが不貞腐れると、オーガは喉をグルルルと鳴らした。
それはまるで申し訳なく謝罪するような声である……ようにサニヤには聞こえたのである。
なぁんだ。魔物って話に聞いてたよりも全然怖くないじゃんとサニヤは思う。
すると再びサニヤの腹がグルルルと鳴り、オーガは森の奥の方を指さす。
食べ物があるよと言っているように感じ、サニヤはそのオーガが指さす先へ行ってみる事にした。
オーガに連れられて森をどんどん歩いていくと、人の話し声が聞こえてくる。
人が居る! と喜んだものの、よくよく話し声を聞いてみると、ハーズルージュを襲うだとかなんだとか……つまりはカイエンの敵なのだとサニヤは気付いた。
そして、どうやらオーガは敵の方へと進んでいくようだ。
サニヤはオーガのごつごつとした手を掴むと「ダメ。あっちに居るのは敵だよ」と引っ張った。
すると、オーガは口の端を釣り上げて不気味に笑う。
「え? 心配いらないの?」
サニヤは奇妙にもそう言う。
まったくもって奇妙な事だ。
このサニヤという少女は奇妙にも、まるで魔物と意思の疎通が行えるかのような態度である。
「君がそう言うなら良いけど……」と、サニヤはオーガに付いて声のする方へと近付いた。
茂みに隠れながら覗き込むと、輜重車を引いたり押したりしている五人の兵が居る。
彼らは笑いながら、今回の戦いは楽なようだから前線に居たかったとか、輸送の関係上で兵数が千人越えているくらいで助かったとか話していた。
兵站がこの黒い森を貫通する関係上、敵軍の兵数はカイエンが希望的に考えた場合の人数二千人を少し越えるくらいであったのだ。
「でも本当に敵軍は五百程度の兵力なのか? なにせ、その情報はマルダークから来たんだろ? 罠な気がする」
サニヤはマルダークという言葉に聞き覚えがあり、しばらく考えた。
そして、マルダークがこの国の名前だと思い出す。
王都ラクマージを中心に大小様々な集落で形成されるこの王国の名前がマルダークなのである。
と、すると、兵の言葉が本当ならば、カイエンは味方から戦力をバラされたということなのだ。
なんでマルダークがオルブテナにとって有利な情報を流すというのか、サニヤは何となく分かった気がする。
それは、サルハやラーツェがなぜサニヤ達と同行していたのかをサニヤが知っていたからだ。
そう、サルハとラーツェは、マルダークからの暗殺者が来たときの為の護衛として一緒に居てくれたのである。
もちろん、そんな暗殺者は杞憂であったが、しかし、マルダークがカイエンの死や失脚を望んでいるならば、そのためにカイエンの戦力をオルブテナへ流したのでは無いかとサニヤは直感的に理解したのだった。
しかし、そのために無関係なハーズルージュの人達にまで巻き込む必要があるのかとサニヤは疑問に思うのである。
純真な者には分からぬであろうが、虚栄に塗れた者は時として、己が自己顕示の為に他の犠牲を厭わぬものだ。
「それで……あいつらがなんなの?」
まさか、あの兵の言葉を聞かせたくてサニヤを連れてきたわけではあるまい。
オーガが質問に答えるように輜重車の上の糧食を指さす。
「え? あの食べ物? ダメだよ。あいつら剣を持ってるし。危ないよ」とサニヤは答えた。
そんなサニヤの頭をオーガはポンポンと叩く。
安心しろと言うかのようであった。
不思議と、サニヤは頭に触れられても嫌悪感が無かった。
魔物にも角が生えているせいで、角が生えている頭を触れられても気にならなかったのだろうか?
そんな風にサニヤが考えている横で、オーガが腹の底から雄叫びを上げる。
突然雄叫びを上げるので、サニヤはキーンと耳鳴りがした。
そして、その雄叫びでオルブテナ兵はオーガの存在に気付く。
幸い、サニヤは藪に隠れていたから見付かっていないが、しかし、このままではオーガ一匹で敵兵と戦うことになるだろう。
オルブテナ兵も雄叫びに怯えた顔を見せたものの、オーガ一匹と気付き、驚かせんなと剣を抜く。
「油断して一撃貰うなよ」
なんて言いながらオーガへ敵兵が近付いた時、森がさざめいた。
周囲の草木が。
枝が、藪が茂みが、ザザザと鳴る。
サニヤはその音が不自然に感じ、周囲をキョロキョロと見回した。
次の瞬間、茂みのそこかしこからボガードが現れ、樹上の枝々をゴブリンが跳んでくる。
これに驚いたのはオルブテナの兵達だ。
通常魔物というモノは意思の疎通を取らぬ。
しばしば近くの戦闘音を聞いてやって来る事はあっても、魔物が魔物を呼ぶような事はしないのである。
にも関わらず、今回オーガは仲間を呼ぶかのように雄叫びを上げ、数々の魔物がやって来たのだから堪らない。
オーガ達魔物は牙を剥き出しに、涎を飛ばしながら一斉に雄叫びを上げるので、オルブテナ兵達は腰を抜かしそうになりながら逃げ出した。
そして、サニヤは自分が魔物の群れに囲まれている事に気付く。
しかし、やはりと言うべきか何というか、彼らに恐怖も怖れも感じないのである。
周囲の魔物達がサニヤをじっと見て来るので「えっと……」とサニヤは戸惑う。
そんなサニヤへ、先ほどのオーガが輜重車の上にある食べ物を指さした。
「えっと……くれるの?」
オーガは静かに頷き、魔物達は続々と森へ帰っていき、サニヤの空きっ腹は食事をとりたいと鳴り続ける。
もう限界だ。
とにかく食べ物を腹の中へ突っ込みたいので、サニヤは輜重車の食べ物へと跳び付くのである。
サニヤはその後もオーガと共に何日も森の中を彷徨った。
ハーズルージュはどこだろうどこだろう……と。
だが、オルブテナの輜重隊が居たという事は、実はもうハーズルージュをとうに過ぎていたのである。
たまにハーズルージュの方向に向かう事もあった。
しかしながら、そこにはオルブテナの兵達が駐屯しているのだから通り抜ける事が出来ず、諦めて引き返したためにハーズルージュへ辿り着けなかったのである。
そして、サニヤが腹を空かせると、魔物達が輜重隊を襲ってその食料をサニヤに渡した。
また、風が強い夜や夕立の折には大木の根に開いた窪みなどへ魔物が案内してくれる。
なので、ふかふかのベッドで寝たいという不便はあろうと生きる事に不自由は無かった。
そんな生活を一週間近く続けたものの、ある日、犬の鳴き声が聞こえてくると、オーガはサニヤを置いて森の奥へ消えてしまったのである。
その時サニヤは輜重車の食料を漁っていたのでオーガが姿を消した事に気付かなかった。
そして、サニヤは犬の鳴き声を狼の声と勘違いし、逃げ出した所、その犬ことライに圧し掛かられてその顔をぺろぺろ舐められてしまうのである。
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トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
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