没落貴族と拾われ娘の成り上がり生活

アイアイ式パイルドライバー

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8章・変わり行く時代

甘々

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 小鳥が静かに囀る朝。

 太陽が地平線から姿を現す。

 王都の城壁は太陽の光を遮り、まだ街は薄暗い夜の様相を呈していた。

 城下町より高い場所へ位置する貴族区は、城壁を越えた陽光が照らす。
 その光が、貴族区にある家の、ベッドに寝る女性の顔を照らした。

 サニヤだ。

 幸せな寝顔の彼女は、太陽の明かりに眉をひそめ、ゆっくりと目を覚ました。
 その眼に飛び込んできたのはラキーニの顔だ。

 最初、サニヤはなんでラキーニの顔が目の前にあるのか分からず、心底驚いた。

 驚いた拍子に体を起こすと、シーツがめくれて自分とラキーニの裸が露わとなる。
 その裸を見て、サニヤは何が何だか思い出した。

 私、こいつと結婚したんだ。

 昨夜は二人でお酒を飲んだ。
 すぐにサニヤは酔っ払って、いくらか愚痴染みた話をした。

 ラキーニが、サニヤは酔いやすいねと言うと、酔ってないとラキーニへ抱き付いて、目一杯甘えたのである。

 これを思い出すだけで顔から火が出そうなのに、もっと恥ずかしい事があった。
 それは今寝ているベッドに押し倒された時だ。

 二人の新婚生活の為に新調した大きいベッドで、このベッドのフカフカとした感触を背中に感じながらラキーニの顔を見ると、途端に不安になって、「怖い、また今度にしよう」と言ったのを覚えている。

 しかし、ラキーニは止まらず、サニヤを優しく抱き締めたのだ。
 しまいにサニヤは、痛い、死んじゃうと涙を流しながら泣き叫んだのである。

 あのラキーニ相手に泣かされたのだ。
 サニヤは恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ない。

 もう浅黒い肌は燃え上がるように真っ赤である。
 
 そんな時、背後から「やあサニヤ、お早う」と言われたので、サニヤは心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 少しどもりながら「ラキーニ、お早う」とドギマギする。

 そんなサニヤを見てラキーニがクスリと笑うので、なんで笑うのかサニヤは聞く。
 もっとも、なんでラキーニが笑うのか予想はついていた。

「いや、昨夜のサニヤがさ、すごい可愛かったなと思ってさ」

 ほらやっぱり。

 サニヤはあらかじめ握っておいた拳でラキーニを殴ろうかと思った。
 が、その気持ちを抑えて、ラキーニの隣へ横になる。

「その話、他の誰にも言わないでよ」
「言わないよ。でも、なんで?」
「あー……えっと、その……」

 理由を聞かれて、サニヤは言い辛いのかもじもじとしながらますます赤い顔になっていく。

「あの姿だけはあんただけにしか知って欲しくないから……」

 口に出してみると、予想を遥かに上回る恥ずかしさである。
 こんな言葉、私らしくない! と、サニヤは後悔した。

 しかし、ラキーニは顔を赤くしながらもじもじと言うサニヤのその姿を、とてもとても可愛いと思う。
 あの気が強くて、お転婆な女が、今はどこの誰よりも女の子なのである。

 ラキーニは、彼女の、光を呑み込むような黒い髪を撫でた。

 黒い髪の隙間から覗く愛らしい角。
 初めて角の事を打ち明けられたのは、カイエンが意識を失った一ヶ月後の事である。

 カイエンが目覚めたら、結婚する旨を伝えたい。
 お父様を少しでも安心させたいと言ったサニヤは、結婚するなら、どうしても知って貰いたいと被り物を外したのだ。
 ラキーニは驚くと同時に、いつも必ず被り物をしている理由を理解した。

 サニヤはこの角をラキーニに見せた時、あくまでも平静を装って「ま、角が嫌なら結婚しなくても良いけどさ? あたしは?」も言ったのである。
 だが、その平静を装う顔の内側には、真実を打ち明ける恐怖があったのをラキーニは見た。

 サニヤにとって、その角はとても大きなコンプレックスだっただろう。
 それを打ち明けるのには、とてととても大きな勇気と、そして、ラキーニに対する信頼があったのは想像に難くない。

 ラキーニはサニヤの角の事なんて最初っから気にしなかった。
 むしろ、ラキーニを信用して角の事を打ち明けてくれた事を嬉しく思ったのだ。

 そして、今、サニヤは生まれたままの一糸も纏わぬ姿で目の前に居てくれている
 ラキーニはサニヤの頭を撫でながら、愛してるよと言った。
 
 その言葉に、サニヤは口をあわあわと震わせてベッドから出ると、「仕事の準備しなさいよ。もうすぐ登城する時間でしょ」とラキーニに背を向けて服を着だした。

 その顔はとろけるような笑顔である。
 えへへえへへと、自然に頬が笑みを作って、目尻が垂れ下がった。
 いくらラキーニ相手でも、このような笑顔を見せるのはサニヤのプライドが許さなかったから、背中を向けたのである。

 結婚というのは、かように蜂蜜の如く甘ったるいものなのか。
 サニヤはその甘い味に恥ずかしくて死にそうだ。
 だが、悪くは無い。

 悪くは無いのであるが……。

 サニヤは昔の事を思い出して、着替える手をピタリと止めた。

 カイエンとリーリルが結婚した翌日から、サニヤは自分が邪魔者になる恐怖から、二人へ反抗ばかりしてしまった。
 あの、激しくも心地良い行為を、極めて不愉快で穢(けが)らわしい行為に思えて、二人を汚れていると嫌悪したのだ。
 
 結局、カイエンとリーリルは、この甘々とした気持ちなんて無かっただろう。

 今なら、あの行為が男女の愛を確かめ合う素晴らしい行為なのだと言える。
 だが、当時はそんな事を知らずに、ただ嫌悪ばかりをしていた。

 そう思うと、サニヤは申し訳ない気持ちが一杯になって、素直にこの日々を甘受できない。

 謝ろう。

 よくよく考えれば、サニヤはまだ、あの反抗の日々をしっかりと謝った事が無かった。
 仕事が終わったら、ちゃんと謝ろうと思う。
 カイエンとリーリルの、二人の日々が戻るわけでは無いが、それでも、サニヤは誠心誠意、二人へ謝る事にしたのだ。

「一応言っておくけど、私、料理は作れないから、城でメイドに作って貰って」

 サニヤが顔に包帯を巻いて、サーニヤへなる。

「いや、サニヤは僕の妻になったんだから、料理をさせられないよ。近いうちにメイドを雇うさ」

 サニヤは包帯を巻く手をピタッと止めて、自分が貴族になったのだと思い出した。
 カイエンの娘として最初からサニヤは貴族であるが、家出してサーニヤとなってからは貴族の地位も捨てていたのですっかり忘れていたのだ。

 貴族の夫人はメイドに家事を任せるもの。
 それが夫の甲斐性なのである。

 サニヤの母リーリルは、家事をしたいのにメイドがさせてくれないと愚痴をしていたものだ。
 リーリルが家事をしてしまうと、カイエンは妻に働かせる情けない男となってしまうのだから、メイド達もリーリルに家事をさせないよう必死だった事であろう。

 もっとも、家事を一通り満足に出来ないサニヤにとってはありがたい話であるが。
 
「ん? それはなんだか、おかしい気がするな?」

 女だから家事が出来て当たり前という話では無い。
 しかし、リーリルやラーツェが家事を得意としているのに、そんな二人に育てられた自分が家事を出来ないというのは、何ともおかしく思えた。
 
 つまり、しても良い、しなくても良いという話では無いのだ。

 とはいえ、かつて自分が作った料理の味を思い返せば、諦めるのも一つの手段に思えるのであった。

 ――でも、料理を作っておいしいって言って貰いたいな――

 昔は出来なくても良いと思っていたのに、愛する人が出来ると料理を振る舞いたい気持ちになってしまうのだから、人というものは不思議なものである。

 とはいえ、サニヤに料理の練習をする時間も無い。

 サニヤは着替え終わり、先に行っていると家を出た。

 サニヤ改めサーニアに、ラキーニと一緒に城へ出るような時間は無いのだ。
 むしろ、家に帰る時間すらあまりない。
 彼女の仕事は朝早く、そして再び日が昇るまで続くことも珍しくない仕事である。
 
 それが隠密部隊の彼女の仕事なのだ。
 ひとまず、サーニアは裏口から城へと入る。
 裏口にも見張りの兵が居るが、その兵は既に隠密部隊の兵だ。
 つまり、サーニアが来てもその存在を他言しない命令を帯びているのである。

「お疲れ様です」
「怪しい奴は居なかったか?」
「今のところは」

 裏口に配置されている兵は閑職などと影で言われているらしいが、よもや隠密部隊の兵などと誰も思うまい。

 少なくとも、閑職と思われている方が都合も良いのだ。

 隠密部隊は、その仕事をバレない方が都合が良い。
 もっとも、バレても良いように、正式に隠密部隊が創られたのであるが。

 なので、裏口から城内へ入ったサーニアは、すぐさま廊下の天井にある梁へと昇って、身を隠した。
 
 そのまま梁伝いに走りながら、廊下を見下ろす。
 何名かのメイド達が、朝から王城で仕事をしている貴族へ食事を運んでいたり、朝の清掃で花瓶やら窓やらを拭いていた。

 そんなメイド達を一人一人、サーニアは注意深く見つている。

 キュラキュラとキャスターを軋ませながら食事を運んでいる一人のメイドに彼女の目が留まる。

 そして、サニヤは懐から小石を取り出すと、メイドの近くへ小石を落とした。

 カツーンと小気味よい音が鳴った直後、メイドは懐から何かを頭上へ投げる。
 その投げられたものを、頭上で待っていたサーニアは受け取った。 

 メイドの方はしれっと素知らぬ顔でそのまま歩いていく。
 彼女も隠密部隊の一員である。

 今しがたサーニアが受け取ったのは、彼女が調べたあらゆる情報だ。
 女が三人で姦しいとは良く言ったもの。メイド達は王城のみならず、この街全体の情報に精通していたのである。

 メイドの中には中高年の母親は沢山居り、井戸端会議で街中の噂を拾う。
 若いメイドの中には貴族とこっそり愛人関係にある者もおり、貴族間の噂を拾っていた。

 誰が国王派で誰が宰相派か。
 誰がタカ派で誰がハト派か。

 ある貴族は、ルカオットを傀儡のお飾りだと言っている事が書かれていた。
 一方、別の貴族は、カイエンがルカオットを傀儡にして、政治を私物化しているのだと言っている。

 この程度なら取るに足らぬ陰口だ。
 しかし、中には過激にもカイエンを始末するべき、ルカオットを追放すべきなどと述べている者の事も書かれていた。
 サーニアの仕事は、このように過激な者を防府太尉に報告する事と、過激な者の周辺を調べて証拠を得ることである。

 報告相手の防府太尉といえども、ロイバックは半年前に討ち死にしたのでロイバックでは無い。
 今の防府太尉はキュレイン・オーカムだ。

 あのでっぷり太って、強気で口喧しく、三人の旦那を尻に敷く女将(にょしょう)、キュレインである。

 キュレインの執務室に行くと、彼女は大量の書類を相手に悪戦苦闘していた。
 一睡もしていないのか、目の下にはクマが出来ている。

「大変そうですね」
「おやサーニアかい。見ての通りさ。うちの甲斐性なしどもはクソの役にも立たないし、南方の領主になった馬鹿息子どもは揃いも揃って、王都に物資を求める事しか出来ないアホどもでね」

 キュレインの息子は三人。
 その内二人の息子は南方のエームの町を始めとした領土の領主に任命されていた。

「物資を? 財政担当貴族(デューク・ジュラー)か内政担当貴族(マーカス・ヒーレイン)の仕事では無いのですか?」
「本来はね。だけど乳離れできてない鼻垂れどもさね。ジュラー公やヒーレイン候へ物資を申請するのが嫌で、ママのおっぱいが恋しいとラブレターを送ってくるのよ。情けない!」 
 
 私の仕事を増やしやがって!

 キュレインは怒りを爆発させながら、二つの手紙を丸めて床に叩きつけた。

 この行為で幾分か怒りが収まったか、少しスッキリした顔で「おっと、あんたの前じゃあヒーレインに候を付けない方が良かったかね?」と言う。

 キュレインはサーニアの直属の上司となるに当たって、サーニアはカイエンの娘のサニヤであること等を含めて、全てを教えられたのである。
 そして、ヒーレインは国王派の男で、かつて、リミエネットを使ってリーリルを殺しかけた男だとも教えられている。 
 だから、そんな男に敬称を付けない方が良いのかと言っているのである。

「どっちでも良いです」

 サニヤは「追加の仕事です」と、メイドから受け取ったクシャクシャの紙をキュレインへ渡した。

「じゃ、いつも通り、私は調査に行ってきます」

 サーニアが、その紙に書かれた貴族達を調べに行こうと、執務室の扉のノブに手を掛けると、「ちょっと待ちな」と呼び止められる。

 振り向くと、キュレインが少し笑って「大人になったね?」と言うので、ドキリとした。
 なんで初夜を迎えた事を知っているの? と。

「随分と丁寧な言葉遣いが板に付いてきたじゃあないか」
「あ、ああ。そ、そう言うことですか。ありがとうございます」

 キュレインの大人になったとは初夜を迎えたという意味ではなく、丁寧な物腰が出来るようなったという意味だった。
 余計な事を言ってしまったら、きっとキュレインはニヤニヤとした笑みを浮かべて初夜の様子がどうだったか聞いてくるだろう。
 彼女はそういう人間だったので、サーニアはホッとした。

 だから何も言わずにサーニアはペコリと頭を下げて、部屋から出て行った。
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