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8章・変わり行く時代
休息
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カイエンが目を覚ました時、最初、自分がどこに居たのか分からなかった。
彼は目に映る天井が自分の寝室のものだと気付き、すぐにベッドに寝かされていることにも気付いた。
なぜ寝ているのだろうか?
そもそも、カイエンは寝る前の記憶があやふやである。
体を起こそうとすると、脇腹に痛みが走った。
とても体を起こせない痛み。
その痛みを感じて、カイエンは自分がサリオンによって弩に射られた事を思い出した。
命を落としていないのか、それとも既に死後の世界か。
が、すぐに死後の世界では無いと分かった。
それは、カイエンの手を握りながら、ベッドの脇で眠るリーリルが居たからである。
純白の美しい髪を白いシーツに広げて、一晩中看病でもして疲れ切った顔で寝ていた。
「そうか、僕は生きているか」
カイエンは自分がまだ生きている事に、ホッと安堵の息を吐いて、リーリルを揺り起こした。
愛らしく、少しだけ喉を鳴らしながらリーリルが起き上がると、寝ぼけまなこでカイエンを見る。
しばらく、ぼうっとカイエンを見ていたが、半開きの眼がだんだんと開いてきて、口が信じられないかのように開いてきたのだ。
そうして、「目が覚めたの!?」と信じられないように叫んだ。
「僕もリーリルを見るまでは信じられなかったけどね」
カイエンが微笑むと、リーリルはガバっとカイエンに抱き付き、そのままワンワンと泣き出した。
「僕はどのくらい寝てたんだい?」
こんなに泣くだなんて、きっと、カイエンはよほど長い時間寝ていたに違いない。
「半年以上よ。雪解けに出て行ったのに、もうすぐ降雪の時期なの」
「そうか。そんなに寝てたのか」
カイエンの手足を見れば、だいぶ細くなっている。
筋肉も衰えてしまった。
そのような体を見たカイエンは、ザインの師にならねばいけないのに、これでは駄目だなと思っていたのだ。
しかし、すぐにその前に反乱軍がどうなったのかを聞かねばならないと思った。
それから、ローリエット騎士団の再設の事も。
目が覚めたばかりなのに、カイエンは自分の体よりも、仕事のことばかり考えてしまった。
ああ、良くないな。妻を悲しませたのに仕事の事を考えるのは良くない。
カイエンは優しくリーリルを抱き返すと、すまなかったと一言謝る。
謝らないで。リーリルは泣きじゃくった。
謝るのは相応しくない。
カイエンは生きて目を覚ましたのだ。
それを祝福すべきであり、謝るべきではない。
カイエンとリーリルがしばらく抱き締め合っていると、リーリルの泣き声を聞いたメイド達が来て、続き、ザインとサニヤ、ラキーニがやって来た。
サニヤは珍しく、顔に包帯を巻いていないサーニアではない状態だ。
サニヤとラキーニはカイエンの容態を心配して、屋敷に居たのである。
一方のラジートは既に再設されたローリエット騎士団へ入団して、屋敷には居なかった。
リーリルに抱き起こして貰ったカイエンはラジートの出発を見送りたかったと、メイド達が持ってきた白湯を飲みながら思う。
リーリルの話では、ラジートも家を出る直前までカイエンの容態を心配していたそうだ。
ラジートにカイエンが目を覚ました報せを送らねばならない。
とはいえ、ローリエット騎士団は王都で主に活動しているから、離れ離れという訳ではないので、すぐに報せる事ができる。
「そうだ。それから反乱軍はどうなったんだい?」
あの後、カイエンが気絶してからどうなったのか。
ラキーニが「急襲してきた敵軍はサニヤとガラナイさんの部隊か制圧して反乱軍は鎮圧。今では一部の残党が山賊になっている程度です」と答えた。
なるほど、どうやらあの時、引き返してきてサニヤ達が来てくれたおかげで、カイエンは助かったようである。
しかし、サニヤとラキーニの顔は暗い。
何か悪いことがあったのだ。
「あの奇襲で……ロイバック様が、討ち死にしまして……」
言い辛いことではあるが、ラキーニは言う。
彼は目覚めたばかりのカイエンに伝えるべきかどうかは悩んでいた。
しかし、隠しても仕方ない事なので、カイエンに伝えることにしたのだ。
カイエンは目を閉じると、そうかと頷く。
あの奇襲は完璧であった。
いや、戦争に勝つという面を見れば、まったく愚かな選択肢であった。
それゆえに、全く想定外の奇襲だったのである。
カイエンが生きている事でさえ奇跡だったのだ。
あの時、ロイバックが身代わりになってくれなければ……カイエンは間違いなく死んでいた。
ロイバックはサニヤ達が引き返して来た時、少しだけ息があったという。
そして、彼をラキーニが抱き起こすと、震える声で「良い人生だったぞ。コーゼ」と言って事切れたのだ。
コーゼとは田舎で暮らしているロイバックの息子だ。
ロイバックは、ロイバック自身悔いなくその人生を歩めたのである。
カイエンを守って死ねたのも、彼にとって本望だろう。
そして、そのロイバックの遺体は既に息子夫婦や孫達の暮らしている村へと送り済みで、喪も終わっているとのことだ。
だから、カイエンが国事としてやることは無かった。
あとは、時間を見つけて私的にロイバックの墓を訪問するくらいだ。
そうか、もうやることが……いや、まだ知りたいことがあったな。
「そうだ。母上は城に居なかったかい?」
カイエンの質問に、やはり皆は顔をしかめた。
カイエンの母は、酒蔵で干からびていたのだ。
気が触れたサリオンは実の母を酒蔵に閉じこめて、そのまま何カ月も水も食べ物も与えなかったのである。
しかし、それを聞いたカイエンは、何となく分かっていたのでショックを受けはしなかった。
カイエンの母は昔から伝統や権力と言うものを重視していたので、サリオンの反乱を許すわけも無い。
そして、カイエンが最後に目にしたサリオンの狂った顔を見れば、母が無事では無い事を容易に察せたのである。
だが、いくらショックを受け無かったとはいえ、実母の死だ。
少し、悲しくもある。
そんなカイエンを皆が、心配げに見ていた。
実の兄と相食(あいは)み、自分は重傷を負い、挙げ句に実母を亡くして精神的に参ったのでは無いかと思うのだ。
だがカイエンは笑って心配要らないさと言う。
「困ったな。僕がやることが残っていない」と笑いながら溜め息をついた。
なので、誰も彼もが、だったらゆっくり休むように言うのである。
リーリルがカイエンの手を握って「どこかへ行きたければいつでも行って。私があなたを支えるから」と言うのだ。
リーリルはいつも支えてくれるとカイエンは思う。
最初はサニヤの子育てを支えてくれた。
その後は精神的に支えてくれたし、仕事ばかりのカイエンの為に家を守ってくれた。
そして今、肉体的な支えにまでなってくれると言うのだ。
たが、カイエンはリーリルに対して申し訳ないと思わない。
堪らなく嬉しいが、申し訳ないなんて思いはしなかった。
だって夫婦は支え合うものなのだから。
「そうだな。まず、父上と母上の墓を参ろう。それから、家族で買い物にも行ったことが無い。僕は商店にすら行ったことが無かった。今度、教えてくれ」
そう言ったカイエンは、今度はザインを見て「しばらく稽古は休みだな」と言うので、ザインは「キネットに教えて貰うから気にしなくて良いよ」と言った。
しばらく、療養を兼ねて家族団らんと洒落込もうじゃあないか。
カイエンはそれくらいの権利くらい持っている。
それだけ頑張って来たのだ。
少し、ゆっくりしようと思っているカイエンを見て、サニヤが「うん」と何かを決心した。
「お父様。聞いて下さい」
改めてサニヤが言うので、カイエンは笑みを消して「どうした?」と気を引き締める。
サニヤがベッドの脇に立ち、力強い眼でカイエンを見ていた。
「私、ラキーニと結婚します」
少し緊張するのか、震える声で言う。
「あのね、ラキーニはほら、今年で十五だし。
頭も良いし。腕っぷしは私より無いけど、でも、色々と助けてくれるし。
なよなよしてて男っぽくないけど、でも、ほら、締めるときは締めるんだよ。
サリオンが奇襲してきた時も、一番最初に気付いて、私達を引き返させたのもラキーニだし……駄目かな?」
いかにラキーニがいい男か言おうとして、なんだか悪口も入った気もするが、ようはラキーニと結婚したいらしい。
最後には不安そうにカイエンを上目遣いで見るのだ。
カイエンはその様子が少しおかしくて、笑ってしまった。
なにせ、ラキーニがサニヤに好意を抱いていて、アプローチをかけていたのはカイエンもリーリルも知っていたのだ。
後はサニヤが首を縦に振る状態だったのである。
「ラキーニも良い男だからね。何で断る理由があるんだ。良いさ。結婚くらい」
サニヤはパッと顔を明るくして、隣に立っているラキーニに抱き付いた。
やったよ! ラキーニ! と。
「だけど、なんでサニヤかラキーニの誕生日の時に結婚しなかったんだ?」
カイエンは一つ、そのように疑問に思う。
ラキーニが十五の誕生日なら、その日の夜に初夜を迎えてしまえば、わざわざカイエンの許可を取る必要もあるまい。
あるいは、サニヤが十六になる誕生日の時に初夜を迎えても良かっただろう。
「もう、お父様が意識無いのに、結婚なんて出来るわけ無いじゃん!」
と、いうことであった。
カイエンが目を覚ますまでずっと待ってたというわけである。
悪いことをしたなとカイエンが謝るも、カイエンが悪いわけじゃ無いとサニヤは必死に訂正する。
「ですが」
ラキーニがカイエンに軽く頭を下げて「安心して初夜を迎えられます」と言う。
サニヤが顔を真っ赤にしながらラキーニの頭を殴り「お父様とお母様の前でなんてことを言うのよ! 馬鹿!」と言った。
結婚してもサニヤのお転婆は変わりなさそうである。
ラキーニも大変だろうが、サニヤも悪い子ではないので頑張って欲しいものだとカイエンは思った。
しかし、ラキーニは思慮深く、サニヤをサポートしやすいタイプの人間である。
サニヤもそれを分かっているので、ラキーニと結婚するのだ。
人は人に無いものを求めるものである。
先の戦いにおいて、ラキーニはガラナイに嫉妬した。
しかし、その感情を抑えて、自分の役割を全うする事がラキーニにはできるのだ。
サニヤはラキーニのそんな所に惹かれていたのだ。
一方のラキーニも、サニヤの意思が強くて、元気がある所に惹かれていたので、お似合いの夫婦になるかも知れない。
「それでは、僕達もこれで」と、ラキーニは頭を下げた。
本来は誕生日に初夜を迎えるので、今の二人は少しイレギュラーな状態ではある。だが、初夜の日は恋人と二人で一日を過ごすものに変わりなく。
サニヤもカイエンの容態を心配していたが、その慣例に倣うことにした。
サニヤは、ラキーニの家に居るからカイエンの容態が悪くなったらすぐに呼んで欲しいとリーリルへ言って、屋敷を出て行った。
さて、サニヤとラキーニも行ったし、妻と息子とゆっくりとするかとカイエンは思ったが、夕暮れ時になると仕事終わりの人達がカイエンが目覚めた話を聞いて訪問してきたのだから大変である。
寝起きにそんな来客と会うのは辛いもの。
メイド達に全員を追い返すように伝えた。
とはいえ、カイエンとしては来客全員と会っても良かったのであるが、重臣が立て続けに来客されると大変なのはメイド達だ。
どうせ社交辞令で見舞いに来る連中なのだから、メイド達の事を思えば、断るのが正解である。
だが、リーリルの兄サマルダ夫婦が会いに来たのは別であった。
開拓村からの仲。
彼はカイエンの事を社交辞令ではなく、本気で心配していたのである。
また、日が落ちてから、以外にもシュエンがやって来た。
「おう。元気そうじゃねえか」
と、酒に酔った真っ赤な顔で、高級なぶどう酒を机に置いて、「飲めるようになったらそっちのカワイコちゃんと飲んでくれや」と屋敷を出て行ってしまった。
カワイコちゃんとはリーリルの事か。
「嫌だわ。もうおばさんなのに」と、リーリルはまんざらでも無い顔であった。
リーリルはあまり自分の顔に興味が無い女性であるが、リーリルも女だ。
かわいいと言われて悪い気はしない。
カイエンはぶどう酒を地下蔵へ保管するようにメイドへ言い、ザインとラジートが成人したら飲むことにした。
そうだ。ザインだ。
カイエンは部屋の隅のイスで本を読んでいるザインを見る。
ザインはカイエンの容態を心配して、同じ部屋の中に居たのだ。
とはいえ、まだザインはカイエンに対して反抗的な態度を取っていた時のことを引き摺っていたので、あまり話しかける事はせずに読書へ興じていたのである。
そんなザインをカイエンは呼ぶ。
「なに?」と顔を上げるザイン。
確かに彼は心の優しそうな顔つきである。
「ザイン。僕の傷が治ったら、剣稽古、礼儀作法。それから、座学も……、ザインは得意そうだけどね」
ザインは剣稽古と聞いて顔を暗くし、座学と聞いて顔を明るくした。
本当に戦いが嫌なのだ。
しかし、可哀想な事であるが、生き残るためには戦わねばならない。
それは、今のカイエンを見れば分かるだろう。
宰相の彼でさえ、戦(いくさ)となれば死に瀕するのだ。
防府太尉のロイバックだって、討ち死にするのだ。
だからザインは本を机に置いて、「お願いします」と、剣稽古が嫌な気持ちを抑えて、頭をぺこりと下げた。
彼は目に映る天井が自分の寝室のものだと気付き、すぐにベッドに寝かされていることにも気付いた。
なぜ寝ているのだろうか?
そもそも、カイエンは寝る前の記憶があやふやである。
体を起こそうとすると、脇腹に痛みが走った。
とても体を起こせない痛み。
その痛みを感じて、カイエンは自分がサリオンによって弩に射られた事を思い出した。
命を落としていないのか、それとも既に死後の世界か。
が、すぐに死後の世界では無いと分かった。
それは、カイエンの手を握りながら、ベッドの脇で眠るリーリルが居たからである。
純白の美しい髪を白いシーツに広げて、一晩中看病でもして疲れ切った顔で寝ていた。
「そうか、僕は生きているか」
カイエンは自分がまだ生きている事に、ホッと安堵の息を吐いて、リーリルを揺り起こした。
愛らしく、少しだけ喉を鳴らしながらリーリルが起き上がると、寝ぼけまなこでカイエンを見る。
しばらく、ぼうっとカイエンを見ていたが、半開きの眼がだんだんと開いてきて、口が信じられないかのように開いてきたのだ。
そうして、「目が覚めたの!?」と信じられないように叫んだ。
「僕もリーリルを見るまでは信じられなかったけどね」
カイエンが微笑むと、リーリルはガバっとカイエンに抱き付き、そのままワンワンと泣き出した。
「僕はどのくらい寝てたんだい?」
こんなに泣くだなんて、きっと、カイエンはよほど長い時間寝ていたに違いない。
「半年以上よ。雪解けに出て行ったのに、もうすぐ降雪の時期なの」
「そうか。そんなに寝てたのか」
カイエンの手足を見れば、だいぶ細くなっている。
筋肉も衰えてしまった。
そのような体を見たカイエンは、ザインの師にならねばいけないのに、これでは駄目だなと思っていたのだ。
しかし、すぐにその前に反乱軍がどうなったのかを聞かねばならないと思った。
それから、ローリエット騎士団の再設の事も。
目が覚めたばかりなのに、カイエンは自分の体よりも、仕事のことばかり考えてしまった。
ああ、良くないな。妻を悲しませたのに仕事の事を考えるのは良くない。
カイエンは優しくリーリルを抱き返すと、すまなかったと一言謝る。
謝らないで。リーリルは泣きじゃくった。
謝るのは相応しくない。
カイエンは生きて目を覚ましたのだ。
それを祝福すべきであり、謝るべきではない。
カイエンとリーリルがしばらく抱き締め合っていると、リーリルの泣き声を聞いたメイド達が来て、続き、ザインとサニヤ、ラキーニがやって来た。
サニヤは珍しく、顔に包帯を巻いていないサーニアではない状態だ。
サニヤとラキーニはカイエンの容態を心配して、屋敷に居たのである。
一方のラジートは既に再設されたローリエット騎士団へ入団して、屋敷には居なかった。
リーリルに抱き起こして貰ったカイエンはラジートの出発を見送りたかったと、メイド達が持ってきた白湯を飲みながら思う。
リーリルの話では、ラジートも家を出る直前までカイエンの容態を心配していたそうだ。
ラジートにカイエンが目を覚ました報せを送らねばならない。
とはいえ、ローリエット騎士団は王都で主に活動しているから、離れ離れという訳ではないので、すぐに報せる事ができる。
「そうだ。それから反乱軍はどうなったんだい?」
あの後、カイエンが気絶してからどうなったのか。
ラキーニが「急襲してきた敵軍はサニヤとガラナイさんの部隊か制圧して反乱軍は鎮圧。今では一部の残党が山賊になっている程度です」と答えた。
なるほど、どうやらあの時、引き返してきてサニヤ達が来てくれたおかげで、カイエンは助かったようである。
しかし、サニヤとラキーニの顔は暗い。
何か悪いことがあったのだ。
「あの奇襲で……ロイバック様が、討ち死にしまして……」
言い辛いことではあるが、ラキーニは言う。
彼は目覚めたばかりのカイエンに伝えるべきかどうかは悩んでいた。
しかし、隠しても仕方ない事なので、カイエンに伝えることにしたのだ。
カイエンは目を閉じると、そうかと頷く。
あの奇襲は完璧であった。
いや、戦争に勝つという面を見れば、まったく愚かな選択肢であった。
それゆえに、全く想定外の奇襲だったのである。
カイエンが生きている事でさえ奇跡だったのだ。
あの時、ロイバックが身代わりになってくれなければ……カイエンは間違いなく死んでいた。
ロイバックはサニヤ達が引き返して来た時、少しだけ息があったという。
そして、彼をラキーニが抱き起こすと、震える声で「良い人生だったぞ。コーゼ」と言って事切れたのだ。
コーゼとは田舎で暮らしているロイバックの息子だ。
ロイバックは、ロイバック自身悔いなくその人生を歩めたのである。
カイエンを守って死ねたのも、彼にとって本望だろう。
そして、そのロイバックの遺体は既に息子夫婦や孫達の暮らしている村へと送り済みで、喪も終わっているとのことだ。
だから、カイエンが国事としてやることは無かった。
あとは、時間を見つけて私的にロイバックの墓を訪問するくらいだ。
そうか、もうやることが……いや、まだ知りたいことがあったな。
「そうだ。母上は城に居なかったかい?」
カイエンの質問に、やはり皆は顔をしかめた。
カイエンの母は、酒蔵で干からびていたのだ。
気が触れたサリオンは実の母を酒蔵に閉じこめて、そのまま何カ月も水も食べ物も与えなかったのである。
しかし、それを聞いたカイエンは、何となく分かっていたのでショックを受けはしなかった。
カイエンの母は昔から伝統や権力と言うものを重視していたので、サリオンの反乱を許すわけも無い。
そして、カイエンが最後に目にしたサリオンの狂った顔を見れば、母が無事では無い事を容易に察せたのである。
だが、いくらショックを受け無かったとはいえ、実母の死だ。
少し、悲しくもある。
そんなカイエンを皆が、心配げに見ていた。
実の兄と相食(あいは)み、自分は重傷を負い、挙げ句に実母を亡くして精神的に参ったのでは無いかと思うのだ。
だがカイエンは笑って心配要らないさと言う。
「困ったな。僕がやることが残っていない」と笑いながら溜め息をついた。
なので、誰も彼もが、だったらゆっくり休むように言うのである。
リーリルがカイエンの手を握って「どこかへ行きたければいつでも行って。私があなたを支えるから」と言うのだ。
リーリルはいつも支えてくれるとカイエンは思う。
最初はサニヤの子育てを支えてくれた。
その後は精神的に支えてくれたし、仕事ばかりのカイエンの為に家を守ってくれた。
そして今、肉体的な支えにまでなってくれると言うのだ。
たが、カイエンはリーリルに対して申し訳ないと思わない。
堪らなく嬉しいが、申し訳ないなんて思いはしなかった。
だって夫婦は支え合うものなのだから。
「そうだな。まず、父上と母上の墓を参ろう。それから、家族で買い物にも行ったことが無い。僕は商店にすら行ったことが無かった。今度、教えてくれ」
そう言ったカイエンは、今度はザインを見て「しばらく稽古は休みだな」と言うので、ザインは「キネットに教えて貰うから気にしなくて良いよ」と言った。
しばらく、療養を兼ねて家族団らんと洒落込もうじゃあないか。
カイエンはそれくらいの権利くらい持っている。
それだけ頑張って来たのだ。
少し、ゆっくりしようと思っているカイエンを見て、サニヤが「うん」と何かを決心した。
「お父様。聞いて下さい」
改めてサニヤが言うので、カイエンは笑みを消して「どうした?」と気を引き締める。
サニヤがベッドの脇に立ち、力強い眼でカイエンを見ていた。
「私、ラキーニと結婚します」
少し緊張するのか、震える声で言う。
「あのね、ラキーニはほら、今年で十五だし。
頭も良いし。腕っぷしは私より無いけど、でも、色々と助けてくれるし。
なよなよしてて男っぽくないけど、でも、ほら、締めるときは締めるんだよ。
サリオンが奇襲してきた時も、一番最初に気付いて、私達を引き返させたのもラキーニだし……駄目かな?」
いかにラキーニがいい男か言おうとして、なんだか悪口も入った気もするが、ようはラキーニと結婚したいらしい。
最後には不安そうにカイエンを上目遣いで見るのだ。
カイエンはその様子が少しおかしくて、笑ってしまった。
なにせ、ラキーニがサニヤに好意を抱いていて、アプローチをかけていたのはカイエンもリーリルも知っていたのだ。
後はサニヤが首を縦に振る状態だったのである。
「ラキーニも良い男だからね。何で断る理由があるんだ。良いさ。結婚くらい」
サニヤはパッと顔を明るくして、隣に立っているラキーニに抱き付いた。
やったよ! ラキーニ! と。
「だけど、なんでサニヤかラキーニの誕生日の時に結婚しなかったんだ?」
カイエンは一つ、そのように疑問に思う。
ラキーニが十五の誕生日なら、その日の夜に初夜を迎えてしまえば、わざわざカイエンの許可を取る必要もあるまい。
あるいは、サニヤが十六になる誕生日の時に初夜を迎えても良かっただろう。
「もう、お父様が意識無いのに、結婚なんて出来るわけ無いじゃん!」
と、いうことであった。
カイエンが目を覚ますまでずっと待ってたというわけである。
悪いことをしたなとカイエンが謝るも、カイエンが悪いわけじゃ無いとサニヤは必死に訂正する。
「ですが」
ラキーニがカイエンに軽く頭を下げて「安心して初夜を迎えられます」と言う。
サニヤが顔を真っ赤にしながらラキーニの頭を殴り「お父様とお母様の前でなんてことを言うのよ! 馬鹿!」と言った。
結婚してもサニヤのお転婆は変わりなさそうである。
ラキーニも大変だろうが、サニヤも悪い子ではないので頑張って欲しいものだとカイエンは思った。
しかし、ラキーニは思慮深く、サニヤをサポートしやすいタイプの人間である。
サニヤもそれを分かっているので、ラキーニと結婚するのだ。
人は人に無いものを求めるものである。
先の戦いにおいて、ラキーニはガラナイに嫉妬した。
しかし、その感情を抑えて、自分の役割を全うする事がラキーニにはできるのだ。
サニヤはラキーニのそんな所に惹かれていたのだ。
一方のラキーニも、サニヤの意思が強くて、元気がある所に惹かれていたので、お似合いの夫婦になるかも知れない。
「それでは、僕達もこれで」と、ラキーニは頭を下げた。
本来は誕生日に初夜を迎えるので、今の二人は少しイレギュラーな状態ではある。だが、初夜の日は恋人と二人で一日を過ごすものに変わりなく。
サニヤもカイエンの容態を心配していたが、その慣例に倣うことにした。
サニヤは、ラキーニの家に居るからカイエンの容態が悪くなったらすぐに呼んで欲しいとリーリルへ言って、屋敷を出て行った。
さて、サニヤとラキーニも行ったし、妻と息子とゆっくりとするかとカイエンは思ったが、夕暮れ時になると仕事終わりの人達がカイエンが目覚めた話を聞いて訪問してきたのだから大変である。
寝起きにそんな来客と会うのは辛いもの。
メイド達に全員を追い返すように伝えた。
とはいえ、カイエンとしては来客全員と会っても良かったのであるが、重臣が立て続けに来客されると大変なのはメイド達だ。
どうせ社交辞令で見舞いに来る連中なのだから、メイド達の事を思えば、断るのが正解である。
だが、リーリルの兄サマルダ夫婦が会いに来たのは別であった。
開拓村からの仲。
彼はカイエンの事を社交辞令ではなく、本気で心配していたのである。
また、日が落ちてから、以外にもシュエンがやって来た。
「おう。元気そうじゃねえか」
と、酒に酔った真っ赤な顔で、高級なぶどう酒を机に置いて、「飲めるようになったらそっちのカワイコちゃんと飲んでくれや」と屋敷を出て行ってしまった。
カワイコちゃんとはリーリルの事か。
「嫌だわ。もうおばさんなのに」と、リーリルはまんざらでも無い顔であった。
リーリルはあまり自分の顔に興味が無い女性であるが、リーリルも女だ。
かわいいと言われて悪い気はしない。
カイエンはぶどう酒を地下蔵へ保管するようにメイドへ言い、ザインとラジートが成人したら飲むことにした。
そうだ。ザインだ。
カイエンは部屋の隅のイスで本を読んでいるザインを見る。
ザインはカイエンの容態を心配して、同じ部屋の中に居たのだ。
とはいえ、まだザインはカイエンに対して反抗的な態度を取っていた時のことを引き摺っていたので、あまり話しかける事はせずに読書へ興じていたのである。
そんなザインをカイエンは呼ぶ。
「なに?」と顔を上げるザイン。
確かに彼は心の優しそうな顔つきである。
「ザイン。僕の傷が治ったら、剣稽古、礼儀作法。それから、座学も……、ザインは得意そうだけどね」
ザインは剣稽古と聞いて顔を暗くし、座学と聞いて顔を明るくした。
本当に戦いが嫌なのだ。
しかし、可哀想な事であるが、生き残るためには戦わねばならない。
それは、今のカイエンを見れば分かるだろう。
宰相の彼でさえ、戦(いくさ)となれば死に瀕するのだ。
防府太尉のロイバックだって、討ち死にするのだ。
だからザインは本を机に置いて、「お願いします」と、剣稽古が嫌な気持ちを抑えて、頭をぺこりと下げた。
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トゥイリアース王国の筆頭公爵家、ヴァーミリオン。その現当主アルベルト・ヴァーミリオンは、王宮のみならず王都ミリールにおいても名の通った人物であった。
まずその美貌。女性のみならず男性であっても、一目見ただけで誰もが目を奪われる。あと、公爵家だけあってお金持ちだ。王家始まって以来の最高の魔法使いなんて呼び名もある。実際、王国中の魔導士を集めても彼に敵う者は存在しなかった。
ただし、彼は持った全ての力を愛娘リリアンの為にしか使わない。
財力も、魔力も、顔の良さも、権力も。
なぜなら彼は、娘命の、究極の娘馬鹿だからだ。
※このお話は、日常系のギャグです。
※小説家になろう様にも掲載しています。
※2024年5月 タイトルとあらすじを変更しました。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
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