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8章・変わり行く時代

逆鱗

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 サーニアが城を出て貴族区を歩いていると、十代前半の青少年達が走っていた。

 先頭を走る一番の年長はサマルダの長男、ランドラであると、サーニアはすぐに分かる。

 大粒の汗を垂らして、息を上げながら走る彼のすぐ後ろを、ラジートがもっと息せき切って走っていた。

 ラジートは隣に居る同じ年頃の少年と激しく競って走っていたので、サーニアに気付くこと無く駆け抜けていったのである。

 彼等はローリエット騎士団の面々だ。

 そして、ラジートの隣に居たのは、ニーゼン公の息子、コレンスである。

 ラジートとコレンスはまさに犬猿の仲だ。
 絶対に負けたくない憎むべき相手である。

 駆け足一つとっても、こいつに遅れたくは無いし、こいつより先にバテたくないと思うので、自然と二人はどんどん加速してしまう。

 ついには先頭を走るランドラが膝に手を置き、走れなくなってしまった。
 そんなランドラを追い抜くのがただ二人、ラジートとコレンス。

 他の子達も体力が尽き果てて、ランドラ同様に走れなくなっている。 

 もはや走っているのはラジートとコレンスだけであった。
 だが、そんな二人は限界を超えたスプリントを開始し、百歩も進んだ所でバタンと二人同時に倒れてしまうのである。

 これはいかんとランドラ始め、ローリエット騎士団の少年達はラジートとコレンスを抱えて、疲れ切った足で王城の医務室へ向かうのであった。

 二人とも、ようは脱水症状である。
 ベッドに寝かされて、水を飲む。

 ふと、コレンスが「俺の方が後から倒れたな」と言った。
 これが隣のベッドで寝かされていたラジートに聞こえたので、「オレの方が半歩、先に進んでいた」と返す。

「いいや、俺の方が後から倒れたから、お前より一歩進んでいた」
「違う。オレが一歩前に出た時、お前が先に倒れたんだ。オレの方が二歩先に進んでいた」
「俺は三歩先に進んでいるぞ。お前は先に倒れた」
「いいや、先に倒れたのはお前で、オレは四歩進んでいた」

 馬鹿げた背比べである。
 皆が苦笑してそんな二人を見ていると、そんな騎士団の皆を掻き分けて一人の騎士がラジート達へ近付いていた。

 そして、二人の頭はその騎士によってガツンと殴られた。

 彼等を指導する貴族である。
 いわば教官のような人だ。

「お前達、言い争う前に、運んでくれた皆にお礼を言ったか」

 彼は、片方しか開いていない目で、二人を交互に見た。
 片目は、かの反乱軍との戦いで潰れてしまったのだ。

「いえ、またですが……コレンスが悪口を言ってきたので」

 ラジートが言えば、教官がまたラジートの頭を殴る。

「礼儀礼節は貴族の基本だ。言い訳をする前に感謝を忘れるな」

 ラジートはコレンスが小馬鹿にした笑いを向けているのに気づいた。
 だが、今、教官に怒られているのだから、コレンスに文句を付けられず、悔しい気持ちで「分かりました。カッツィ子爵」とラジートは頭を下げた。

「分かったならばよろしい」と言うカッツィ。

 彼はカッツィ・オーカム。
 あのキュレインの長男である。
 二十五歳、二人の息子が居た。

 キュレイン程では無いが、母同様に苛烈な性格をしていて、ローリエット騎士団の誰もが彼を恐れていた。

 いや、ラジートだけは彼の事をイマイチ恐れておらず、「皆に感謝してから、コレンスと喧嘩します」と歯に衣着せない事を言った。

 頭を殴られて恐れおののいていたら、まだ可愛げがあるというものである。
 しかし、少なくとも、ラジートはカッツィが言った事の通りにすると言うのだから、カッツィは何も言うことが無いのだ。

 ラジートとコレンスはベッドから起き上がると、皆に対して頭を下げて「本当にありがとう。迷惑かけてごめん」と謝った。

 こう素直に謝られては皆も怒る気は起きない。

「どうせまた競争するんだろ」と誰かが軽口叩くので、皆して笑うのであった。

「ま、今回は俺の方が先に謝ったから、俺の方が大人って事で」

 コレンスが言いだしたので、ラジートが「ちょっと待てよ。今はオレが先に謝ったぞ」と言うのである。
 カッツィは反省の色無しだと、二人の頭を殴りつけるのであった。

 このあと、さらに二人は対抗心から脱水症状が収まっていないのに運動を始めようとして、やはりカッツィに殴られる事となる。

 結局、二人は午後の一切の活動を禁止され、ベッドで横になるように命令されてしまった。

「お前達が居ると皆の訓練に支障をきたす」

 反省しろとカッツィにそう言われてしまったのである。

 王城の医務室は大きな部屋だ。
 その大きな部屋で、ラジートはコレンスと二人ぼっち、互いにギロリと睨み合う。

「お前がオレのお父様とお母様を侮辱したこと、絶対に許さないからな」

 ラジートが言うと、コレンスは「侮辱くらいなんだ。侮辱されて怒れるじゃないか」とシーツを頭から被って、ふて寝を始めたのである。

 コレンスの父ニーゼンが名誉を失墜して、セコセコと揉み手擦り手の暮らしをしている事を言っているのだ。
 仮にニーゼンを侮辱されても、コレンスは心の底から怒れないだろう。
 それが悔しいのだ。
 
 しかし、ラジートはコレンスが一体何を言っているやら分からない。
 なので、お前にどんな理由があれ、侮辱は許さないぞと思う。

 そのような思いでコレンスを再び睨みつけるが、コレンスはラジートに背を向けていたので、張り合いが無いためにラジートもベッドへ横になった。

 しばらくじっと天井を見る。
 壁に置かれたロウソクと太陽の光しか光源が無いので、高い天井にまで光が届いておらず、今にも落ちてきそうな闇が広がっていた。

 その闇のすぐそこには天井が広がっている筈なのに、ラジートはどうにも無限に闇が広がっているような気分になっていく。
 体がぐるぐると回る奇妙な感じ。
 視線だけが宙に浮き、闇に呑まれていく。

「起きろ。ラジート」

 ハッとすれば、いつの間にやらカッツィがベッドの脇に立っていた。

「修練時間が終わった。楽しい自由時間だ」

 ベッドから身を起こすと、日が暮れかけている。
 どうやらラジートは寝ていたようだ。

 訓練は夕暮れに終わり、それからは自由時間となる。
 
「宰相様は昨日、目を覚ましたそうだ。会ってきてやれ」

 ラジートは、カッツィに言われてカイエンが目覚めたと初めて知り、大急ぎでガリエンド家の屋敷へと向かった。

 屋敷につくが、カイエンは居ない。
 買い物へ行っているとメイドが言うので、ラジートは大急ぎで商店地区へと向かう。

「あの、買い物に行ったのは午前中で、それからお食事とか行かれてますよぉ」

 メイドが声を大きく言うが、走り去っていくラジートには聞こえなかった。

 なので、ラジートは商店地区へと真っ直ぐ向かってしまう。
 ちなみにその時、カイエンはリーリルに支えられながら、ザインを連れて高級な店で食事へ向かっていた。

 そのような事を露とも知らずに、ラジートは商店街へつく。

 父上はどこであろうか。
 ラジートはキョロキョロと辺りを見渡す。

 商店地区と言うが、当然ながら商店地区以外にも店はあるので、場合によってはここに居るとは限らない。

 下手に探すよりも屋敷で待ってた方が良かったのでは無いか。
 しかし、カイエンの帰りが遅くなると、ラジートにも門限があるので再会する前に屋敷を出ることになっていたので、会えなかっただろう。

 しかし商店地区、無数の人々である。
 仕事を終えて帰宅する者。
 そんな者を対象に最後の売り込みに客引きする者。
 仕事が休みだったのか家族で談笑して歩く人達。

 この場所にカイエンが居たとしても見つけることは難しかろう。

 そんな人ごみの中でラジートの眼がピタと止まった。
 
 彼が見たのは、路地の隅に座って、欠けたお皿を目の前に置いている子供だ。
 頬はこけ、手足は骨と皮ばかり。
 髪の毛も細く、痛みに痛んで跳ねていた。
 地面を見る落ち窪んだ目は、お椀にお金が投げ込まれた時だけ、僅かに力無く上へ向くのである。

 ラジートはそんな彼とも彼女とも言い難い子供の前へ、足を進ませていた。
 その子の前にラジートが立っても、ただ呆然と地面を見続けている。
 お皿の中は僅かななけなしの金。
 それも変色や欠けが見られる悪貨ばかり。

「家族は居るのか?」

 ラジートは聞く。
 子供は首を左右に振る。

 今、ラジートはそれなりに金を持っている。
 十歳の子が持つには不相応な金額を。

 腐っても貴族の子だし、腐っても見習い騎士だから、金だけは一応持っているのだ。
 だが、この金を渡した所で何の意味も無い。

 ラジートはカーシュと親友だ。
 そして、カーシュはサーニアから大金を貰ったばかりに強盗から狙われた。

 そうなのだ。
 今、ラジートが我が身を慰めるが如く、この哀れな子供に金を恵んだとしよう。
 ある程度の金を渡せば、この子は強盗に酷い事をされる。
 だから、この子へ、現状を変えられない少しの銅貨を渡す以外無いのだ。
 つまり、この子には、少しの金だけで日々の命を僅かに繋ぐ以外の道が残されていないのである。

「親が居ないなら来い」

 金をやっても意味が無いなら……。
 ラジートはその子の手を引いた。

 だが、もはやその子に立ち上がる力は無く、仕方ないので、ラジートはその子を背負った。

 その時、おい! と声をかけられる。

 見れば、路地から二人の貧民が出てきた。
 片方は醜く太って、額が大きく後退した男。顔は性格を表すように悪辣な顔つきだ。

 一方は痩せて背の高い女。顔はいかにもずる賢そうである。
 
「俺っちの子をどこにやるんだ? ええ? 人攫いか?」

 手に太い木の棒を持ち、男は威嚇的にラジートを見ていた。

「いけないね、犯罪よ。今すぐその子とお金を置いていきな。そうしたら、許してやるよ」

 なんという恐ろしい事か!
 子供の栄養を失った体は、この二人によって、意図的に作られた体なのだ!
 全ては、この卑劣な男女が、人の善意につけ込むために!

 周囲の人達がジロジロとラジート達を見ている。
 多くは、喝上げに遭っている可哀想な人という眼であるが、少しだけ『人攫いか?』という疑惑の目もあるのだ。

 慈善で子を連れて行こうとした人達は、この場の全てに圧倒されて、大人しく金を払ってしまうのだろう。

「この子は家族なんて居ないと言った。お前達は誰だ?」

 だが、ラジートは怯まない。

 恐ろしい男を前にしようが、
 周囲の奇異の目に晒されようが、
 ラジートは怯まなかった。

「いいや、そいつぁ俺っち達が産んだ正真正銘の子供よ。俺っちらはそいつを食わせてやってる、これほどに親ってえもんが居るかい?」

 ラジートは、生まれて初めて、激しい憎悪を感じた。
 
 何が食わせてやってるだ?
 この子を食い物にしてブクブク肥え太っている奴が、言うに事欠いて食わせてやってるだと?

 食わせて貰っているのはお前達の方だろうが、この豚ども。
 この街の癌め。
 
 ラジートは腰の剣に手を伸ばした。

 彼が頭に抱くのは、リーリルを襲うガゼンの姿だ。
 力の強さで、無理矢理他人を従わせようとするその姿が、あの日のリーリルとガゼンに被った。

 ゆえに、もはやラジートは辛抱ならぬ。
 
「オレの姉上は、オレとも父上とも母上とも血が繋がっていない。だけど、姉上は家族だ。姉上だって、オレを弟として愛してくれるし、父上と母上を愛している。
 だが、この子は家族が居ないと言ったのだ。血の繋がっている貴様らを置いて、家族は居ないと……!」

 頭に血が昇る。
 心臓が興奮に高鳴り、全身の筋肉へ血を迸(ほとばし)らせた。

 男はニヤニヤと笑いながら、子供を攫われるなら親として黙って見ているわけにはいかないと言う。

「良いですかぁ皆さん、俺っちは子を取られそうだからさぁ、これは正当防衛なぁ訳ですよぉ」

 大きな声でそのように喧伝し、木の棒をラジートへ振りかぶる。

 が、次の瞬間、 目にも止まらぬ速さで抜かれたラジートの剣が男の喉へと深々と刺さることになった。
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