婚約破棄歴八年、すっかり飲んだくれになった私をシスコン義弟が宰相に成り上がって迎えにきた

鳥羽ミワ

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義弟「俺の方が放し飼いされてる」

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 今日はお茶会にお呼ばれしている。パーティー準備も大詰めだから、その前にちょっとだけ休憩よ。
 今日伺うお家は、名門バッカス伯爵家。
 あの伝説のワイナリー、レジェンダリーフューイヤーズのパトロンだ。

 馬車に乗り、バッカス家に着いた。馬車を降りたら、今回のお茶会を主催するサングリア=バッカス様が仁王立ちしていらっしゃる。
 真っ赤なドレスが瑞々しい美しさとよく調和して、華やかな雰囲気だ。私より七歳も下なのに、貫禄がある。はじめてお会いしたときは、あんなに小さかったのに……。
 それにしても、随分と熱烈な歓迎ね。こんなに気合いが入っていらっしゃるなら、今日は赤のドレスをやめればよかったわ。
 丁重にカーテシーをすれば、サングリア嬢は音も高らかに扇子を閉じて口元を引き結ぶ。

「ロゼ様。あなた、随分とやってくれたわね」
「どれのことかしら……」

 私は一生懸命、ここ最近の出来事を思い出してみる。サングリア嬢は「決まっているじゃない」と扇子を私に向けた。

「うちのレジェンダリーフューイヤーズの、ここ数年で最も出来のいい傑作を、よくも下品に飲んでくれたわね」

 ああ、と私は合点がいった。大人しく頭をさげる。

「ええ、あれは淑女にあるまじき振る舞いでした。反省しておりますわ」
「ふん。口先だけならいくらでも言えるわ。あなた、本当はしっかりしているのに」
「レジェンダリーフューイヤーズ、とてもおいしかったです。格別の味でした。もっとふさわしい飲み方をするべきでしたのに……」
「ま、まあ、そうね」

 ふん、と彼女は鼻を鳴らす。その様子は、満更でもなさそうだわ。
 レジェンダリーフューイヤーズは、サングリア嬢もお気に入りのワイナリーだ。まだアルコールは解禁されていないのだけど、温めて酒精を飛ばした甘いワインがお好きらしい。お砂糖やスパイスを入れるのだとか。
 そして、なによりも彼女はとても素直でかわいらしい方。
 この程度、私はきちんと心得ていてよ。

「そこじゃねえんだよなあ」

 うちの御者の声はきっと、空耳ね。

 こうして私はサングリア嬢の案内で、薔薇に囲まれたお茶会の会場へとたどり着いた。
 既にちらほらご令嬢がいらっしゃる。彼女たちは私を見て、つぎつぎに扇子で口を隠した。

「まあ。ローラン家の行き遅れよ」
「毎日お酒に溺れていらっしゃるとか」
「それにあの深紅のドレス、ご覧になって。まるで女優気取りね」

 ひそひそと囁かれる陰口は、無視するに限る。私の数々の武勇伝が分からない無垢な方々は、ぜひそのままでいてほしい。
 皮肉じゃないの。本心からそう思うわ。

「みなさま、ごきげんよう」

 サングリア嬢は優雅な振る舞いで、噂話に興じる彼女たちのもとへ向かう。途端に弾かれたように顔をあげて、彼女たちはサングリア嬢を迎え入れた。

「ごきげんよう、サングリア様」
「様々な方がいらっしゃって、人脈の広さと懐の深さがうかがえますわね」
「きっと素敵な会になるに違いませんわ」

 口々に、薄っぺらい言葉でサングリア嬢を褒め称える。
 一方その頃私は、隠し持った小瓶を確認していた。紅茶にブランデーを入れたくて、こっそり持ってきたの。

 そうこうしている間に、つぎつぎと参加者たちがやってきた。和やかな雰囲気の中、お茶会がはじまる。
 和気あいあいと盛り上がる彼女たちを後目《しりめ》に、私はティーカップにブランデーを注いだ。
 今更失う世間体もないわ。

「あそこにいらっしゃるのは、先日アルコ・ホリック家のパーティーで、口にするにも恐ろしいワインの飲み方をされた……」

 今更失う世間体もないわ。私はブランデーをたっぷり注いで、くいっとお茶を煽る。

「あれ以来、レジェンダリーフューイヤーズが飛ぶように売れているのだとか」 
「お下品な名前の広まり方をしましたけれど、まだまだ格は落ちていませんわね。うちのパーティーでも、今度お出ししますのよ」
「バッカス家の伝説的ワイナリーですもの。評判が落ちなくて、本当によかったですわね」

 ちらり、と彼女たちはサングリア嬢に視線を向ける。彼女は淑やかに「ええ」と頷き、綺麗な所作でお茶を嗜んでいた。
 
 まったく、くだらない話ね。ついブランデーを紅茶にたくさん注いでしまうわ。
 こんな会なら、来るんじゃなかったかしら。

 少し物思いに沈む私に、サングリア様がつかつかと歩み寄ってきた。

「失礼。ロゼ様」

 サングリア様は扇で口元を隠し、私を見下ろす。その挑むような視線に、私もぴくりと指先が動いた。

「お召しになっているドレス、とても素敵ですわね。深い赤色で、まるでワインのよう」

 そう言って、彼女はこれみよがしにドレスの裾を揺らした。はじまったわね。
 私は物憂げにため息をついて、「そうなのです」と頬に手を当てた。

「あのようなことをしでかしてしまったでしょう? ならば償いのためにも、私自身が、レジェンダリーフューイヤーズの宣伝をしなくてはと思いまして」

 令嬢たちが、途端に怪訝な顔をする。何を言っているんだ、と顔に書いてあるわ。
 だけどサングリア様は、「そうなの。だからそのドレスの色なのね」と生真面目に言って扇を畳んだ。

 なぜかサングリア様は、昔からよく私に突っかかってくる。だけど私は、彼女のこういうところがかわいらしくて、好きよ。

「殊勝な心がけですこと。感心いたしましたわ」
「今度の私の誕生日パーティーでも、レジェンダリーフューイヤーズをたくさん仕入れてお出ししますの」
「まあ。そんなに気を遣わずともよろしいのに」

 彼女の言葉は皮肉じゃない。心からの言葉だ。
 もちろん、それを本心だと表明しないあたりは、強かなのだけど。

「ぜひ、ローラン家のパーティーにもお越しください。心よりおもてなしいたしますわ」
「考えておくわ」

 彼女がそう言ったとき、周りがわっと盛り上がったのを感じた。
 やれやれ。私は肩をすくめて、冷めかけた紅茶を飲む。サングリア様は「それはそれとして」と咳払いをした。

「エドガー様は、最近いかがお過ごしで?」

 はた、と私は手を止める。エドガー。
 つい、昨晩のことを思い出した。随分と距離が近くて、熱くて。

「どうなさいましたの? 顔をそんなに赤くして」
「い、いえ、なんでもないわ」
「酔ってしまわれたの?」

 ぷっ、とどなたかが吹き出した気配がした。私は「そうかもしれませんわね」とやんわり返す。
 サングリア様は何かと、エドガーのことを気にかけていた。
 もしかしたら、……彼に恋をしていらっしゃるのかしら。つきんと痛む胸を無視して、微笑んだ。

「ええ、変わらず元気ですわ」
「そ、そう……」

 ここでサングリア様は扇をはらりと広げ、口元を隠しながら顔を近づけてきた。

「あなた、何か困っていることはない?」
「おっしゃっていることが、よく分かりませんわ」

 困惑する私に、サングリア様は「いろいろ噂に聞いております」と神妙な声色で言う。

「エドガー様は、宰相代理になられたとか」
「ええ。本当に自慢の弟ですわ」

 サングリア様は、ゆっくり目を瞑ってしまわれた。

「……もう一度聞くわ。無理に迫られたり、行く先々に奴……エドガー様が現れていないかしら」
「たしかに、弟はよく私の外出先に来ますけれど……たまたまですわ」

 私が不思議に思って首を傾げていると、サングリア様はいよいよ真剣な顔で言う。

「あなた、あの義弟から逃げた方がいいわよ」
「な、なんの話ですの?」

 あまりにも唐突なお話に慌ててティーカップを置くと、かちゃんとはしたない音が立ってしまった。
 私たちは、すっかり注目を集めてしまっている。それにも関わらず、サングリア様は真っ直ぐに私を見つめた。

「ロゼ様。あなたの義弟は、あなたを捕えようとするけだものです。どうかお逃げください」
「けだものというより、あの子はこいぬよ」

 私が思わず声をあげて笑った、そのときだ。

「ロゼ。俺を呼んだ?」

 靴音も高らかに、薔薇の小道からエドガーが現れた。まあ、と驚く私をよそに、サングリア嬢は私を庇うように立つ。

「あなた、どこから入ってきたのかしら」
「正門から堂々と入ったさ。なに? 後ろめたいことがあって欲しかった?」

 二人は熱く見つめ合っている。私は邪魔かしら。

 そっと身を引こうとすると、サングリア様が私の手を掴む。驚いて振り返ると、「ロゼ様」と真剣な目で私を見つめていた。必死にすら見える。

「その男だけはダメです」

 だけどエドガーが、軽々と私を奪う。あっという間に腕の中に閉じ込められてしまった。

「俺以外はダメの間違いだよ、ロゼ」

 そう言って、エドガーは私をエスコートする。周りはその見事な姿に、ほうと息を漏らした。

「帰ろう、ロゼ。ロゼがいなくて、俺が寂しくなってしまったから」
「もう。仕方ない子ね」

 エドガーは令嬢たちにさえずる隙も与えないくらい完璧に、私の手を引く。私は慌ててサングリア様を振り返って、せめてもと手を振った。

「また招待してくださいまし。本日は楽しかったですわ」
「ロゼ様、その男だけはやめてくださいまし! あなたの足の腱《けん》を切って閉じ込めかねない男です!」

 必死のサングリア嬢に、何を言っているのかしらとエドガーを見上げた。

「あなたはどちらかというと、放し飼いが好きなのではなくて?」
「そうだよ。俺はロゼに、楽しく放し飼いにされてる」
「そうなの?」

 のほほんとそんな会話を交わしながら、私たちは馬車に乗り込んだ。
 まったく、エドガーったら。いつになったら姉離れできるのかしら。
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