『赦しの魔女』なので、復讐はしないと決めています

逢坂ネギ

文字の大きさ
12 / 30

第12話 赦しの甘さ

しおりを挟む
 村の酒場は大盛況だった。労働の疲れを癒すため。あるいは、単純に腹を膨らませるため。女給たちが忙しなくテーブルやカウンターの脇を歩く中、老いも若きも集まって、思い思いに話しながら酒とつまみを食らう。
 
 騒がしさは、明日への活気。生きるための憂さ晴らしだ。

「……でも、入り浸りなのはどうかと」

 リュネのつぶやきに、カイルは眉をひくりと上げる。漬物の野菜をぽりぽりと齧りながら、ゆったりと肘をついた。

「浸っちゃないさ。それに、俺はいつも酒は飲んでない。あんたに倣って、話を聞いてるだけ」
「何も頼まないのは、それはそれでお店の人に迷惑よ」
「話を聞いてると、おっちゃんたちからチーズとか酢漬けの野菜とかをもらう。時々肉もな。で、俺はありがた~く、それを頂くまでさ」

 ふふん。と口の端をにやりとさせるカイル。リュネが二の句に悩んでいると、隣のテーブルのおじさんが、すっぽ抜けそうな大声で話しかけてきた。

「魔女さま。このにいちゃん、悪いやつじゃないよ」
「そうそう。俺らのくだんねぇグチも聞いてくれるしさ。いいやつだよお」
「それに、こんなに細っこいんだ。食わせてやんねえと、って思っちまうし。あんま、怒らんでやってくれ」
「おう、ありがとうな。おっちゃんたち」

 カイルが手をひらりと振れば、男たちはひゃあと興奮したように声を上げる。彼の横顔はきらきらとまぶしく、男たちの興奮の中には、酒で説明のつかないものが混じっているようだった。
 
 リュネは呆れて、ジョッキの中のハーブティーを含んだ。
 彼が村に散歩に出て、遅くまで帰ってこないことは多々あった。食事をとらないことも。

(でもまさか、家々を渡り歩く野良猫みたいな真似をしてるとは……)

「つーわけで、ここの飯代も、おっちゃんたちが出してくれるらしい。よかったな、魔女さま。今日はメシを作らなくていい」
「……あなたって、かなり人たらしなのね。知らなかった」
「非常にムカつくが、この顔は相当使える。俺は、使える武器は全部使うタイプなんでね。女どもには使ってないだけ、温情だろ?」

(確かに、彼が本気を出したら村中の娘たちが喜んで貢いできそうだけど……)

 そこで女給がカイルの前にジョッキを置いた。隣の席から歓声が上がる。カイルの顔を見上げると、にやにやとした、どこか期待が滲む顔をしていた。

「……で、それは?」
「ワイン」
「お酒は飲まないんじゃなかったの?」

 リュネの指摘を無視して、カイルはくるくるとジョッキを回して見ている。

「飲んでみたかったんだ。それに、おっちゃんたちに『初ワインだ』って言ったら、奢ってもらえることになった。こういうのって、ガラスの入れ物に入ってくるんじゃないのな」
「ガラスは貴重だから。貴族ならともかく——」

 この村には、そんな容れ物はない。
 そう言う前に、カイルはぐいっとジョッキを傾けた。隣席の視線が、期待の色を込めてぴりぴり刺さる。
 が、

「苦っ……うえっ、渋くて酸っぱいな。なんだこれ……!」

 勢いよく器から顔を離したカイルに、男たちはどっと大笑い。そのうちのひとり、見える皮膚を全て真っ赤にした男が、ばんばんカイルの肩を叩く。

「そーかそーか、初めてだもんなあ。水割りでもキツかったかあ!」
「蜜酒! 蜜酒持ってきてもらおうぜ。なあ。あれなら、にいちゃんでもいけるだろ」
「肉食うか、肉! ほら、おっちゃんのあげような」

 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、男たちはカイルを輪に入れる。困惑しながらも食べたり飲んだり、カイルは楽しげで。恐らく、そういう所作や言葉に、男たちの心を掴むものがあるのだろう。

(まあ、うちじゃあ見られない光景ね)

 余った酢漬けを食べながら、リュネは静かに笑う。もみくしゃになって帰ってきたカイルが、不思議そうにくちびるを結んだ。

「……何笑ってんだよ」
「楽しそうだなって」
「……ひとりだけ外野から見てんのも、つまんねえだろ。ん」

 そうして渡されたのは、一杯のジョッキ。ついさっき、彼が飲んでいたそれは、まだ半分ほど赤い液体が満たしている。

「わたし、お酒は飲まないわよ」
「なんだよ、俺の酒が飲めないって言うのかよ」
「色々おかしいわ。あなた、酔っ払ってるのね」

 女給に水を頼み、リュネはしぶしぶ受け取る。ほんの少しだけ口に含んで——すぐにジョッキを彼に返した。
 
「ほぉー。魔女さまはゼータクな舌をお持ちで」
「好みじゃないってだけ」
 
「でもこれ、水割りなんだろ? あー本物も飲んでみてえなあ」

 カイルが伸びをしながら放つ。それに、男たちはけらけらと笑った。

「そりゃ春祭りまで待たないと無理だなあ」
「春祭り?」
「そうさ。今ワインは、美味くなるためにじっくり寝かしてんだ。それが明けるのが……ちょうどあのへんだ」

「そんな祭りあるのか? もっと暑くなってからじゃねえの」
「アル……北の方だとそうかもね。でもこの辺は、大体花が咲くころにやるわよ。冬を越えた感謝と、今年の豊穣を祈るお祭りなの」

 秋の豊穣祭と並んで、春祭りはこの村の二大イベントだ。近隣の村や街からの客や、旅人までやってくるほどに。
 アルノの領地とは違い温暖なこの土地では、春の訪れそのものをお祝いするのである。

「まあでも、本物のワインなんて、貴族さまにしか振る舞われないモンだけどなあ」
「舐めさせるくらいなら、ちょこっとくれぇ……ドンさんに頼んでみれば」
「いやいや、にいちゃんは水割りでも顔真っ赤になってるしな! そんなんじゃ、ひと舐めしただけでひっくり返っちまうぜ」
「……なんだとぉ?」

 男たちがまたけたけたと笑う。カイルが立ち上がったその瞬間、

「ふざけるな!!」

 何かが落ちたような騒音。それと、悲鳴。店の空気が一瞬で凍りつき、その頂点に向けられる。
 老人の胸ぐらを掴む男。慣れていないのか、感情が溢れているのか。その手は遠くからでも震えているのが見えた。

「……僕が、どんな思いであの店を守ってきたと」

 男は耐えかねるように、老人を突き放して店を出ていく。凍りついた空気が、ゆっくりと、さざめくように溶けだしはじめる。
 もちろん話題は、あの一幕。

「……あれ、パン屋のにいちゃんとオヤジさんだったな」
「あー、じゃあ、あれがオヤジさんか。老けたなあ。よく帰ってきたもんだ」
「あそこも色々あったもんなあ……」

「カイル」

 リュネは置いていたローブマントを被ると、お金を置いて席を立った。少しとろんとした彼の、琥珀色の双眸がリュネを見上げる。

「わたし、彼を追うから……あのおじいさんがどこか行かないか確認しといて」
「えっ」
「お願い」

 おい。引き止める声はざわめきの奥へ。リュネは熱気に満ちた店を飛び出した。

☆☆☆

「冷えない?」

 リュネは素焼きのカップを二つ持って、彼に近づいた。もうもうと湯気の上がるそれは、ついさっき買ってきたホットミルクだ。
 先ほど出ていった青年は、村外れの丸太に座ってくったりと項垂れている。そばかすの散った素朴な顔がリュネを見上げ、泣き出しそうにくしゃりと歪んだ。

「リュネ……いや、もうきみは『魔女さま』だったな」
「別に、どう呼ぼうがわたしはわたしよ」
「ううん。きみは立派な魔女だよ。先代だってそう言うさ。魔女さま」

 温かいミルクを飲みながら、ふたりは並んでぽつりぽつりと話をする。ちらつき始めた雪がひらひらと、髪や上着の肩に舞い落ちる。

「……なあ、あいつ、どの面下げて帰ってきたと思う?」

 青年の言葉は、強い感情を押さえつけているようだった。リュネはゆっくり顔を上げ、彼の横顔を見る。

「ここは俺の土地だから、住ませろって……ふざけんなよ。お前は、ずっと昔に出ていきやがったじゃねえか。僕や、母さんを置いて!」
「トマ」
「あいつのせいで、母さんは沢山働かなくちゃならなくって……それで死んでしまった。リュネだって、覚えているだろう?」

 知っている。ある日突然出ていった旦那を、ひとつも責めることなく働いた彼の母を。五人の子どもたちを立派に育て上げ、食わせていた彼女の姿を。
 流行病が彼女を連れ去ったとき、リュネは老婆と共に葬儀に参列した。その場に、彼の父親——彼女の旦那の姿はなかった。

 青年はもう湯気の立たないカップを握りしめ、言い聞かせるようにつぶやく。

「……『赦しの魔女』相手に申し訳ないんだけど。僕はあいつを許せない」
「……そうね」

 トマ。
 リュネはすとんと立ち上がり、彼の正面に立った。

「一度、ゆっくり家で休んでから考えてみたら?」
「えっ」
「奥さまと話したり、お子さんと遊んだりするの。その隙間に、ちょっとでもお父さまを感じたら、使ってない納戸なら貸せるって思えるかも」
「……でも」

 不快そうに眉を寄せる彼に、リュネは頭の雪を払ってやって続けた。

「今すぐ、なんて言わない。感情に任せて決めれば、きっと後悔することになる。だから……選ぶ猶予を、わたしはあなたにあげたい」

 彼の目が、ぱちぱちとまたたく。揺らぐ迷いの色を、それでも断ち切るように、彼は顔を強ばらせた。

「……そんなことで、僕の意思は変わらないよ。あいつのしてきたことと同じように」
「かもね。でも今、決定するのはよくないと思う。夜遅くて、雪がちらつくほど寒くて、あなたはカッカしている。違わない?」

「とりあえず今日は帰って、奥さまとお子さんにキスをして眠るといいわ。あなたが決断できるまで、お父さまには絶対に会わせないようにするから」
「……わかったよ。確かに、僕は今、冷静じゃないと思う」

 青年は立ち上がり、カップをリュネの手から取った。

「でも、冷静になっても選択肢は変わらないはずだよ。きっと」
「なら、冷静になってから聞かせてちょうだい」

 おやすみなさい。気をつけて。彼の家がある方に向かったのを見届けて、リュネは背を向けた。時間的に厳しいが……もしかしたら、まだ酒場にいるかもしれない。

(カイルなら、きっと……時間を稼いでくれてるはずだわ)

 走る。雪の粒がひたひたと顔にあたる。上がる息の中で、リュネは頬を紅潮させていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

もう散々泣いて悔やんだから、過去に戻ったら絶対に間違えない

もーりんもも
恋愛
セラフィネは一目惚れで結婚した夫に裏切られ、満足な食事も与えられず自宅に軟禁されていた。 ……私が馬鹿だった。それは分かっているけど悔しい。夫と出会う前からやり直したい。 そのチャンスを手に入れたセラフィネは復讐を誓う――。

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

私と母のサバイバル

だましだまし
ファンタジー
侯爵家の庶子だが唯一の直系の子として育てられた令嬢シェリー。 しかしある日、母と共に魔物が出る森に捨てられてしまった。 希望を諦めず森を進もう。 そう決意するシェリーに異変が起きた。 「私、別世界の前世があるみたい」 前世の知識を駆使し、二人は無事森を抜けられるのだろうか…?

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

おばちゃんダイバーは浅い層で頑張ります

きむらきむこ
ファンタジー
ダンジョンができて十年。年金の足しにダンジョンに通ってます。田中優子61歳

【完結】海外在住だったので、異世界転移なんてなんともありません

ソニエッタ
ファンタジー
言葉が通じない? それ、日常でした。 文化が違う? 慣れてます。 命の危機? まあ、それはちょっと驚きましたけど。 NGO調整員として、砂漠の難民キャンプから、宗教対立がくすぶる交渉の現場まで――。 いろんな修羅場をくぐってきた私が、今度は魔族の村に“神託の者”として召喚されました。 スーツケース一つで、どこにでも行ける体質なんです。 今回の目的地が、たまたま魔王のいる世界だっただけ。 「聖剣? 魔法? それよりまず、水と食糧と、宗教的禁忌の確認ですね」 ちょっとズレてて、でもやたらと現場慣れしてる。 そんな“救世主”、エミリの異世界ロジカル生活、はじまります。

悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。

向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。 それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない! しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。 ……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。 魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。 木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ! ※第○話:主人公視点  挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点  となります。

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

処理中です...