妹に婚約者を奪われたので、怪物と噂の「冷徹公爵」に嫁ぎます。~どうやら彼は不器用なだけだったようで、今さら実家に戻れと言われても困ります~

みやび

文字の大きさ
7 / 40
【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵

第7話 その頃、愚か者たちは

しおりを挟む
 エリスが北の公爵家で、温かいスープと愛に包まれていた頃。
 王都にある男爵家の屋敷は、これまでにない大混乱に陥っていた。

「おい! 朝食はまだか! いつまで待たせるんだ!」
「も、申し訳ございません旦那様! 料理長が『予算が足りなくて食材が買えない』と……」
「はあ!? 金ならあるだろう! エリスが出て行く時に、結納金が入ったはずだ!」

 居間で父の怒鳴り声が響く。
 テーブルの上には、焦げたパンと、薄い泥水のような紅茶しか並んでいない。

 そこへ、寝巻き姿のミリアがドタドタと階段を降りてきた。

「もうっ! お父様、うるさいわよ! ……それより、私の青いドレスが見当たらないの! 今日のお茶会に着ていくはずだったのに!」
「ミリア様、あのドレスは洗濯に出しておりまして……」
「はあ? お姉様がいた時は、いつも完璧にプレスされて部屋に用意してあったわよ!? どうなってるの!?」

 使用人たちが青ざめてうつむく。
 そう、今まではエリスが早朝から起きて、使用人のシフト管理、食材の在庫チェック、クリーニングの手配まで全て行っていたのだ。
 彼女がいなくなった今、誰も指揮を執る者がおらず、屋敷の機能は完全に停止していた。

 ◇

 混乱は、家庭内だけではなかった。
 執務室では、元婚約者のカイルが頭を抱えていた。
 彼はエリスがいなくなった後、「あんな陰気な女がいなくても、俺とミリアならもっとうまくやれる」と豪語し、男爵家の事業を引き継ごうとしていたのだが。

「……な、なんだこの書類は。数字の羅列ばかりで意味が分からんぞ」

 目の前にあるのは、領地の麦取引に関する帳簿だ。
 エリスがいた頃は、彼女が全てのデータを整理し、「カイル様はここにサインをするだけで大丈夫です」と完璧なおぜんだてをしてくれていた。
 彼はそれを「自分の手柄」だと思い込んでいたのだ。

「おい、この取引先の商会に連絡しろ! ……えっと、連絡先はどこだ?」
「それが……エリス様が個人の手帳で管理されていたようで、分かりません」
「なんだと!? あの女、嫌がらせのためにデータを持ち出しやがったな!」

 バンッ! と机を叩いた。
 実際は持ち出したわけではない。エリスが何度も「引き継ぎをしたい」と言ったのを、「うるさい、お前の顔など見たくない」と追い払ったのは彼ら自身だった。

 そこへ、継母が血相を変えて飛び込んできた。

「あなた、大変よ! 宝石商が『ツケの支払いが滞っている』って怒鳴り込んできたわ! 今すぐ払わないと、社交界でバラすって!」
「な、なんだと!? 支払いは来月のはずだろう!?」
「エリスがいなくなって信用がないから、現金払いじゃないとダメなんですって!」

 父、継母、ミリア、そしてカイル。
 4人は顔を見合わせた。
 結納金として受け取った大金は、新しいドレスや宝石、カイルの遊興費であっという間に使い込んでしまっていた。

「……くそっ! 何もかもあの女のせいだ!」
「そうよ! お姉様がちゃんと仕事を引き継がないで出て行くから、私たちが困ってるんじゃない!」
「なんて恩知らずな娘だ。育ててやった恩を仇で返しおって!」

 彼らは誰一人として、自分たちの無能さを省みようとはしなかった。
 自分たちが困っているのは全て、「エリスが意地悪をしているからだ」と脳内で変換して、被害者面をして憤っているのだ。

 その時。
 屋敷に出入りしている噂好きの商人が、妙な話を持ち込んできた。

「いやぁ、男爵様も大変ですねぇ。……そういえば、北の方で奇妙な噂を聞きましたよ」
「噂? そんなものに構っている暇は……」
「なんでも、『氷の公爵』が、新しく迎えた妻を溺愛しているとか」

 その言葉に、その場が凍りついた。

「は……? 妻って、エリスのことか?」
「ええ。市場で買い物をする姿が目撃されたそうで。公爵様が奥様をコートに包んで温めたり、甘い果物をあーんして食べさせたり……それはもう、熱々だったそうですよ」

 沈黙が流れた。
 そして次の瞬間、ミリアが金切り声を上げた。

「嘘よっ!! あのお姉様が!? あの地味で可愛げのない女が、公爵様に愛されるわけないじゃない!!」
「そ、そうだ! 間違いなく嘘だ! あの氷の公爵だぞ!? エリスなんて、今頃氷像にされているに決まっている!」

 カイルも顔を真っ赤にして否定した。
 自分より下だと思っていた女が、自分よりはるかに格上の男に愛されている。そんな事実は、彼らのプライドが許さなかった。

 しかし、父の目は違った。
 欲に濁った目が、ギラリと光ったのだ。

「……待てよ。もしそれが本当なら」

 父は下卑た笑みを浮かべ、髭を撫でた。

「エリスは公爵家の財布を握っているということになるな」
「あなた?」
「考えてみろ。我々はエリスの実家だぞ? 娘が公爵家で贅沢をしているなら、育ててやった親に仕送りをするのは『義務』だろう?」

 その言葉に、全員の顔色がパッと明るくなった。

「そうよ! お姉様だけ幸せになるなんてズルいわ! 慰謝料……じゃなくて、養育費を請求しましょう!」
「公爵家なら金は腐るほどあるはずだ。俺たちの借金なんて、はした金だろう」
「よし、すぐに手紙を書くぞ! 『家族が病気で倒れた』とでも書いておけ。あの情に脆いエリスのことだ、すぐに金を送ってくるに違いない!」

 ゲラゲラと笑い合う愚か者たち。
 彼らは知らなかった。
 エリスの隣には今、彼女を傷つける者を決して許さない、最強の「番犬」がいることを。

 そして、その手紙が、自分たちを破滅させる「引き金」になることを、まだ誰も気づいていなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄寸前だった令嬢が殺されかけて眠り姫となり意識を取り戻したら世界が変わっていた話

ひよこ麺
恋愛
シルビア・ベアトリス侯爵令嬢は何もかも完璧なご令嬢だった。婚約者であるリベリオンとの関係を除いては。 リベリオンは公爵家の嫡男で完璧だけれどとても冷たい人だった。それでも彼の幼馴染みで病弱な男爵令嬢のリリアにはとても優しくしていた。 婚約者のシルビアには笑顔ひとつ向けてくれないのに。 どんなに尽くしても努力しても完璧な立ち振る舞いをしても振り返らないリベリオンに疲れてしまったシルビア。その日も舞踏会でエスコートだけしてリリアと居なくなってしまったリベリオンを見ているのが悲しくなりテラスでひとり夜風に当たっていたところ、いきなり何者かに後ろから押されて転落してしまう。 死は免れたが、テラスから転落した際に頭を強く打ったシルビアはそのまま意識を失い、昏睡状態となってしまう。それから3年の月日が流れ、目覚めたシルビアを取り巻く世界は変っていて…… ※正常な人があまりいない話です。

【本編完結】婚約者を守ろうとしたら寧ろ盾にされました。腹が立ったので記憶を失ったふりをして婚約解消を目指します。

しろねこ。
恋愛
「君との婚約を解消したい」 その言葉を聞いてエカテリーナはニコリと微笑む。 「了承しました」 ようやくこの日が来たと内心で神に感謝をする。 (わたくしを盾にし、更に記憶喪失となったのに手助けもせず、他の女性に擦り寄った婚約者なんていらないもの) そんな者との婚約が破談となって本当に良かった。 (それに欲しいものは手に入れたわ) 壁際で沈痛な面持ちでこちらを見る人物を見て、頬が赤くなる。 (愛してくれない者よりも、自分を愛してくれる人の方がいいじゃない?) エカテリーナはあっさりと自分を捨てた男に向けて頭を下げる。 「今までありがとうございました。殿下もお幸せに」 類まれなる美貌と十分な地位、そして魔法の珍しいこの世界で魔法を使えるエカテリーナ。 だからこそ、ここバークレイ国で第二王子の婚約者に選ばれたのだが……それも今日で終わりだ。 今後は自分の力で頑張ってもらおう。 ハピエン、自己満足、ご都合主義なお話です。 ちゃっかりとシリーズ化というか、他作品と繋がっています。 カクヨムさん、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさんでも連載中(*´ω`*) 表紙絵は猫絵師さんより(⁠。⁠・⁠ω⁠・⁠。⁠)⁠ノ⁠♡

私を見下していた婚約者が破滅する未来が見えましたので、静かに離縁いたします

ほーみ
恋愛
 その日、私は十六歳の誕生日を迎えた。  そして目を覚ました瞬間――未来の記憶を手に入れていた。  冷たい床に倒れ込んでいる私の姿。  誰にも手を差し伸べられることなく、泥水をすするように生きる未来。  それだけなら、まだ耐えられたかもしれない。  だが、彼の言葉は、決定的だった。 「――君のような役立たずが、僕の婚約者だったことが恥ずかしい」

毒家族から逃亡、のち側妃

チャイムン
恋愛
四歳下の妹ばかり可愛がる両親に「あなたにかけるお金はないから働きなさい」 十二歳で告げられたベルナデットは、自立と家族からの脱却を夢見る。 まずは王立学院に奨学生として入学して、文官を目指す。 夢は自分で叶えなきゃ。 ところが妹への縁談話がきっかけで、バシュロ第一王子が動き出す。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!

仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。 ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。 理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。 ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。 マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。 自室にて、過去の母の言葉を思い出す。 マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を… しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。 そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。 ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。 マリアは父親に願い出る。 家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが……… この話はフィクションです。 名前等は実際のものとなんら関係はありません。

婚約者の姉を婚約者にしろと言われたので独立します!

ユウ
恋愛
辺境伯爵次男のユーリには婚約者がいた。 侯爵令嬢の次女アイリスは才女と謡われる努力家で可愛い幼馴染であり、幼少の頃に婚約する事が決まっていた。 そんなある日、長女の婚約話が破談となり、そこで婚約者の入れ替えを命じられてしまうのだったが、婚約お披露目の場で姉との婚約破棄宣言をして、実家からも勘当され国外追放の身となる。 「国外追放となってもアイリス以外は要りません」 国王両陛下がいる中で堂々と婚約破棄宣言をして、アイリスを抱き寄せる。 両家から勘当された二人はそのまま国外追放となりながらも二人は真実の愛を貫き駆け落ちした二人だったが、その背後には意外な人物がいた

【完結】真実の愛に気付いたと言われてしまったのですが

入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済みです!!!】 かつて王国の誇りとされた名家の令嬢レティシア。王太子の婚約者として誰もが認める存在だった彼女は、ある日、突然の“婚約破棄”を言い渡される。 ――理由は、「真実の愛に気づいてしまった」。 その一言と共に、王家との長年の絆は踏みにじられ、彼女の名誉は地に落ちる。だが、沈黙の奥底に宿っていたのは、誇り高き家の決意と、彼女自身の冷ややかな覚悟だった。 動揺する貴族たち、混乱する政権。やがて、ノーグレイブ家は“ある宣言”をもって王政と決別し、秩序と理念を掲げて、新たな自治の道を歩み出す。 一方、王宮では裏切りの余波が波紋を広げ、王太子は“責任”という言葉の意味と向き合わざるを得なくなる。崩れゆく信頼と、見限られる権威。 そして、動き出したノーグレイブ家の中心には、再び立ち上がったレティシアの姿があった。 ※日常パートとシリアスパートを交互に挟む予定です。

処理中です...