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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵
第8話 届いた手紙と、公爵の激怒
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ジークハルト様から頂いた「魔法のインク」のおかげで、私の仕事はかつてないほど順調だった。
滑らかな書き心地は、私の指と古い万年筆の負担を劇的に減らしてくれた。
今では、この青い文字が紙の上を走るのを見るだけで、心が落ち着くほどだ。
その日も、私は執務室で冬支度に関する予算案を作成していた。
窓の外は吹雪いているが、部屋の中は暖炉の火で暖かい。
ここでの生活は、穏やかで、満ち足りていた。
――コンコン。
「奥様、王都より手紙が届いております」
執事のハンスが入ってきた。
銀の盆の上には、一通の封筒が載っている。
「手紙? 私に?」
「はい。差出人は……男爵家の御当主様です」
その瞬間。
私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
指先が震え、持っていた万年筆からポタリと青いインクが垂れ、書類に滲みを作った。
「っ……!」
封筒を見るまでもない。その見慣れた筆跡と、安っぽい封蝋(ふうろう)。
父からだ。
記憶の底に押し込めていた、あの屋敷での冷たい日々が、一瞬にしてフラッシュバックする。
怒鳴り声。
ミリアの嘲笑。
「穀潰し」という罵声。
(どうしよう……。何か粗相があったのかしら。それとも『戻ってこい』と? ようやくここで居場所を見つけたのに、またあそこに……?)
呼吸が浅くなる。
ハンスが心配そうに私を見ているが、震えが止まらない。
私は恐る恐る手を伸ばし、その封筒を手に取ろうとして――。
「――触るな」
鋭い声と共に、横から伸びてきた大きな手が、私の前で手紙をひったくった。
「あ……ジークハルト様」
いつの間にか、執務室に入ってきていたジークハルト様が、私の後ろに立っていた。
その表情を見て、私は息を呑んだ。
怖い。
出会った時の比ではない。
サファイアのような瞳は凍てつき、彼を中心に、部屋の温度が急激に下がっていくのが分かる。
パキパキと、窓ガラスに霜が走り始めた。
「ハンス。……これはどういうことだ。私の屋敷に、汚物を持ち込むなと言ったはずだが」
「も、申し訳ございません。検閲は済ませておりますが、奥様の実家からの急ぎの連絡とのことでしたので……」
「急ぎだと?」
ジークハルト様は鼻で笑うと、乱暴に封筒を破り捨て、中の便箋を取り出した。
「なになに……『愛する娘エリスへ』だと? 笑わせるな」
彼は立ったまま、恐ろしい速さで手紙に目を通していく。
読み進めるにつれて、彼から放たれる冷気は強まり、暖炉の火さえも小さく縮こまっていくようだった。
「……あの、なんて書いてあるのですか? 父は、怒っていますか?」
私が怯えながら尋ねると、彼はゆっくりと私を見た。
その瞳に宿っていたのは、私への怒りではない。どうしようもないほどの「憐れみ」と、それを上回る「激しい憤り」だった。
「聞きたいか?」
「は、はい」
「『母が重病で倒れた。治療費に金貨五百枚が必要だ。お前は公爵家で贅沢をしているのだから、育ててやった親に恩を返せ。今すぐ送金しろ』……だそうだ」
私は呆然とした。
母が、病気?
あの元気で、毎日のように新しいドレスを着て外出していた継母が?
それに、金貨五百枚なんて大金、男爵家の年収の数年分だ。
「嘘……ですよね」
「ああ、嘘だ。この手紙には、焦りと欲の匂いしかしない。おそらく、お前が作った資金を使い果たし、借金でも作ったのだろう」
ジークハルト様は吐き捨てるように言った。
そして、手紙を持った手に、青白い魔力の炎を灯した。
「見る価値もない。……こんなものは、ゴミだ」
ボッ、と音を立てて、手紙が青い炎に包まれる。
父の文字が、身勝手な要求が、灰となって崩れ落ちていく。
「あ……」
「エリス。お前はもう、男爵家の道具ではない。私の妻だ」
彼は灰を払うと、震える私の肩を強く抱き寄せた。
冷え切った部屋の中で、彼の体温だけが熱い。
「お前を傷つけ、利用しようとする者は、たとえ血の繋がった親であろうと私が許さん。……二度と、こんなふざけた真似はさせない」
「ジークハルト様……」
「安心しろ。金など一銭も渡さん。……その代わり、たっぷりと『礼』をしてやらねばな」
彼の口元が、冷酷な弧を描いた。
それは「氷の公爵」の顔だった。けれど、今の私にはそれが何よりも頼もしく思えた。
「ハンス」
「はっ」
「王都の商会と、法務官に連絡を入れろ。男爵家の財務状況、過去の不正、全て洗い出せ。……埃が出ないはずがない」
「承知いたしました。……徹底的に、やりますか?」
「ああ。私の妻を脅した代償だ。骨の髄まで後悔させてやれ」
ハンスが一礼して下がっていく。
ジークハルト様は私に向き直ると、いつもの不器用な手つきで、私の頭をポンポンと撫でた。
「……怖がらせてすまなかった。もう大丈夫だ」
「はい……ありがとうございます」
私は彼の胸に顔を埋めた。
父への恐怖は消えていた。代わりに胸を満たすのは、守られているという絶対的な安心感。
手紙は灰になった。
それは、私が過去のしがらみから完全に解放されるための、狼煙(のろし)だったのかもしれない。
――そして。
公爵様の怒りの制裁は、私の想像を遥かに超える速さで、実家を襲うことになるのだった。
滑らかな書き心地は、私の指と古い万年筆の負担を劇的に減らしてくれた。
今では、この青い文字が紙の上を走るのを見るだけで、心が落ち着くほどだ。
その日も、私は執務室で冬支度に関する予算案を作成していた。
窓の外は吹雪いているが、部屋の中は暖炉の火で暖かい。
ここでの生活は、穏やかで、満ち足りていた。
――コンコン。
「奥様、王都より手紙が届いております」
執事のハンスが入ってきた。
銀の盆の上には、一通の封筒が載っている。
「手紙? 私に?」
「はい。差出人は……男爵家の御当主様です」
その瞬間。
私の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。
指先が震え、持っていた万年筆からポタリと青いインクが垂れ、書類に滲みを作った。
「っ……!」
封筒を見るまでもない。その見慣れた筆跡と、安っぽい封蝋(ふうろう)。
父からだ。
記憶の底に押し込めていた、あの屋敷での冷たい日々が、一瞬にしてフラッシュバックする。
怒鳴り声。
ミリアの嘲笑。
「穀潰し」という罵声。
(どうしよう……。何か粗相があったのかしら。それとも『戻ってこい』と? ようやくここで居場所を見つけたのに、またあそこに……?)
呼吸が浅くなる。
ハンスが心配そうに私を見ているが、震えが止まらない。
私は恐る恐る手を伸ばし、その封筒を手に取ろうとして――。
「――触るな」
鋭い声と共に、横から伸びてきた大きな手が、私の前で手紙をひったくった。
「あ……ジークハルト様」
いつの間にか、執務室に入ってきていたジークハルト様が、私の後ろに立っていた。
その表情を見て、私は息を呑んだ。
怖い。
出会った時の比ではない。
サファイアのような瞳は凍てつき、彼を中心に、部屋の温度が急激に下がっていくのが分かる。
パキパキと、窓ガラスに霜が走り始めた。
「ハンス。……これはどういうことだ。私の屋敷に、汚物を持ち込むなと言ったはずだが」
「も、申し訳ございません。検閲は済ませておりますが、奥様の実家からの急ぎの連絡とのことでしたので……」
「急ぎだと?」
ジークハルト様は鼻で笑うと、乱暴に封筒を破り捨て、中の便箋を取り出した。
「なになに……『愛する娘エリスへ』だと? 笑わせるな」
彼は立ったまま、恐ろしい速さで手紙に目を通していく。
読み進めるにつれて、彼から放たれる冷気は強まり、暖炉の火さえも小さく縮こまっていくようだった。
「……あの、なんて書いてあるのですか? 父は、怒っていますか?」
私が怯えながら尋ねると、彼はゆっくりと私を見た。
その瞳に宿っていたのは、私への怒りではない。どうしようもないほどの「憐れみ」と、それを上回る「激しい憤り」だった。
「聞きたいか?」
「は、はい」
「『母が重病で倒れた。治療費に金貨五百枚が必要だ。お前は公爵家で贅沢をしているのだから、育ててやった親に恩を返せ。今すぐ送金しろ』……だそうだ」
私は呆然とした。
母が、病気?
あの元気で、毎日のように新しいドレスを着て外出していた継母が?
それに、金貨五百枚なんて大金、男爵家の年収の数年分だ。
「嘘……ですよね」
「ああ、嘘だ。この手紙には、焦りと欲の匂いしかしない。おそらく、お前が作った資金を使い果たし、借金でも作ったのだろう」
ジークハルト様は吐き捨てるように言った。
そして、手紙を持った手に、青白い魔力の炎を灯した。
「見る価値もない。……こんなものは、ゴミだ」
ボッ、と音を立てて、手紙が青い炎に包まれる。
父の文字が、身勝手な要求が、灰となって崩れ落ちていく。
「あ……」
「エリス。お前はもう、男爵家の道具ではない。私の妻だ」
彼は灰を払うと、震える私の肩を強く抱き寄せた。
冷え切った部屋の中で、彼の体温だけが熱い。
「お前を傷つけ、利用しようとする者は、たとえ血の繋がった親であろうと私が許さん。……二度と、こんなふざけた真似はさせない」
「ジークハルト様……」
「安心しろ。金など一銭も渡さん。……その代わり、たっぷりと『礼』をしてやらねばな」
彼の口元が、冷酷な弧を描いた。
それは「氷の公爵」の顔だった。けれど、今の私にはそれが何よりも頼もしく思えた。
「ハンス」
「はっ」
「王都の商会と、法務官に連絡を入れろ。男爵家の財務状況、過去の不正、全て洗い出せ。……埃が出ないはずがない」
「承知いたしました。……徹底的に、やりますか?」
「ああ。私の妻を脅した代償だ。骨の髄まで後悔させてやれ」
ハンスが一礼して下がっていく。
ジークハルト様は私に向き直ると、いつもの不器用な手つきで、私の頭をポンポンと撫でた。
「……怖がらせてすまなかった。もう大丈夫だ」
「はい……ありがとうございます」
私は彼の胸に顔を埋めた。
父への恐怖は消えていた。代わりに胸を満たすのは、守られているという絶対的な安心感。
手紙は灰になった。
それは、私が過去のしがらみから完全に解放されるための、狼煙(のろし)だったのかもしれない。
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