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【第1章】 捨てられ令嬢と氷の公爵
第7話 その頃、愚か者たちは
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エリスが北の公爵家で、温かいスープと愛に包まれていた頃。
王都にある男爵家の屋敷は、これまでにない大混乱に陥っていた。
「おい! 朝食はまだか! いつまで待たせるんだ!」
「も、申し訳ございません旦那様! 料理長が『予算が足りなくて食材が買えない』と……」
「はあ!? 金ならあるだろう! エリスが出て行く時に、結納金が入ったはずだ!」
居間で父の怒鳴り声が響く。
テーブルの上には、焦げたパンと、薄い泥水のような紅茶しか並んでいない。
そこへ、寝巻き姿のミリアがドタドタと階段を降りてきた。
「もうっ! お父様、うるさいわよ! ……それより、私の青いドレスが見当たらないの! 今日のお茶会に着ていくはずだったのに!」
「ミリア様、あのドレスは洗濯に出しておりまして……」
「はあ? お姉様がいた時は、いつも完璧にプレスされて部屋に用意してあったわよ!? どうなってるの!?」
使用人たちが青ざめてうつむく。
そう、今まではエリスが早朝から起きて、使用人のシフト管理、食材の在庫チェック、クリーニングの手配まで全て行っていたのだ。
彼女がいなくなった今、誰も指揮を執る者がおらず、屋敷の機能は完全に停止していた。
◇
混乱は、家庭内だけではなかった。
執務室では、元婚約者のカイルが頭を抱えていた。
彼はエリスがいなくなった後、「あんな陰気な女がいなくても、俺とミリアならもっとうまくやれる」と豪語し、男爵家の事業を引き継ごうとしていたのだが。
「……な、なんだこの書類は。数字の羅列ばかりで意味が分からんぞ」
目の前にあるのは、領地の麦取引に関する帳簿だ。
エリスがいた頃は、彼女が全てのデータを整理し、「カイル様はここにサインをするだけで大丈夫です」と完璧なおぜんだてをしてくれていた。
彼はそれを「自分の手柄」だと思い込んでいたのだ。
「おい、この取引先の商会に連絡しろ! ……えっと、連絡先はどこだ?」
「それが……エリス様が個人の手帳で管理されていたようで、分かりません」
「なんだと!? あの女、嫌がらせのためにデータを持ち出しやがったな!」
バンッ! と机を叩いた。
実際は持ち出したわけではない。エリスが何度も「引き継ぎをしたい」と言ったのを、「うるさい、お前の顔など見たくない」と追い払ったのは彼ら自身だった。
そこへ、継母が血相を変えて飛び込んできた。
「あなた、大変よ! 宝石商が『ツケの支払いが滞っている』って怒鳴り込んできたわ! 今すぐ払わないと、社交界でバラすって!」
「な、なんだと!? 支払いは来月のはずだろう!?」
「エリスがいなくなって信用がないから、現金払いじゃないとダメなんですって!」
父、継母、ミリア、そしてカイル。
4人は顔を見合わせた。
結納金として受け取った大金は、新しいドレスや宝石、カイルの遊興費であっという間に使い込んでしまっていた。
「……くそっ! 何もかもあの女のせいだ!」
「そうよ! お姉様がちゃんと仕事を引き継がないで出て行くから、私たちが困ってるんじゃない!」
「なんて恩知らずな娘だ。育ててやった恩を仇で返しおって!」
彼らは誰一人として、自分たちの無能さを省みようとはしなかった。
自分たちが困っているのは全て、「エリスが意地悪をしているからだ」と脳内で変換して、被害者面をして憤っているのだ。
その時。
屋敷に出入りしている噂好きの商人が、妙な話を持ち込んできた。
「いやぁ、男爵様も大変ですねぇ。……そういえば、北の方で奇妙な噂を聞きましたよ」
「噂? そんなものに構っている暇は……」
「なんでも、『氷の公爵』が、新しく迎えた妻を溺愛しているとか」
その言葉に、その場が凍りついた。
「は……? 妻って、エリスのことか?」
「ええ。市場で買い物をする姿が目撃されたそうで。公爵様が奥様をコートに包んで温めたり、甘い果物をあーんして食べさせたり……それはもう、熱々だったそうですよ」
沈黙が流れた。
そして次の瞬間、ミリアが金切り声を上げた。
「嘘よっ!! あのお姉様が!? あの地味で可愛げのない女が、公爵様に愛されるわけないじゃない!!」
「そ、そうだ! 間違いなく嘘だ! あの氷の公爵だぞ!? エリスなんて、今頃氷像にされているに決まっている!」
カイルも顔を真っ赤にして否定した。
自分より下だと思っていた女が、自分よりはるかに格上の男に愛されている。そんな事実は、彼らのプライドが許さなかった。
しかし、父の目は違った。
欲に濁った目が、ギラリと光ったのだ。
「……待てよ。もしそれが本当なら」
父は下卑た笑みを浮かべ、髭を撫でた。
「エリスは公爵家の財布を握っているということになるな」
「あなた?」
「考えてみろ。我々はエリスの実家だぞ? 娘が公爵家で贅沢をしているなら、育ててやった親に仕送りをするのは『義務』だろう?」
その言葉に、全員の顔色がパッと明るくなった。
「そうよ! お姉様だけ幸せになるなんてズルいわ! 慰謝料……じゃなくて、養育費を請求しましょう!」
「公爵家なら金は腐るほどあるはずだ。俺たちの借金なんて、はした金だろう」
「よし、すぐに手紙を書くぞ! 『家族が病気で倒れた』とでも書いておけ。あの情に脆いエリスのことだ、すぐに金を送ってくるに違いない!」
ゲラゲラと笑い合う愚か者たち。
彼らは知らなかった。
エリスの隣には今、彼女を傷つける者を決して許さない、最強の「番犬」がいることを。
そして、その手紙が、自分たちを破滅させる「引き金」になることを、まだ誰も気づいていなかった。
王都にある男爵家の屋敷は、これまでにない大混乱に陥っていた。
「おい! 朝食はまだか! いつまで待たせるんだ!」
「も、申し訳ございません旦那様! 料理長が『予算が足りなくて食材が買えない』と……」
「はあ!? 金ならあるだろう! エリスが出て行く時に、結納金が入ったはずだ!」
居間で父の怒鳴り声が響く。
テーブルの上には、焦げたパンと、薄い泥水のような紅茶しか並んでいない。
そこへ、寝巻き姿のミリアがドタドタと階段を降りてきた。
「もうっ! お父様、うるさいわよ! ……それより、私の青いドレスが見当たらないの! 今日のお茶会に着ていくはずだったのに!」
「ミリア様、あのドレスは洗濯に出しておりまして……」
「はあ? お姉様がいた時は、いつも完璧にプレスされて部屋に用意してあったわよ!? どうなってるの!?」
使用人たちが青ざめてうつむく。
そう、今まではエリスが早朝から起きて、使用人のシフト管理、食材の在庫チェック、クリーニングの手配まで全て行っていたのだ。
彼女がいなくなった今、誰も指揮を執る者がおらず、屋敷の機能は完全に停止していた。
◇
混乱は、家庭内だけではなかった。
執務室では、元婚約者のカイルが頭を抱えていた。
彼はエリスがいなくなった後、「あんな陰気な女がいなくても、俺とミリアならもっとうまくやれる」と豪語し、男爵家の事業を引き継ごうとしていたのだが。
「……な、なんだこの書類は。数字の羅列ばかりで意味が分からんぞ」
目の前にあるのは、領地の麦取引に関する帳簿だ。
エリスがいた頃は、彼女が全てのデータを整理し、「カイル様はここにサインをするだけで大丈夫です」と完璧なおぜんだてをしてくれていた。
彼はそれを「自分の手柄」だと思い込んでいたのだ。
「おい、この取引先の商会に連絡しろ! ……えっと、連絡先はどこだ?」
「それが……エリス様が個人の手帳で管理されていたようで、分かりません」
「なんだと!? あの女、嫌がらせのためにデータを持ち出しやがったな!」
バンッ! と机を叩いた。
実際は持ち出したわけではない。エリスが何度も「引き継ぎをしたい」と言ったのを、「うるさい、お前の顔など見たくない」と追い払ったのは彼ら自身だった。
そこへ、継母が血相を変えて飛び込んできた。
「あなた、大変よ! 宝石商が『ツケの支払いが滞っている』って怒鳴り込んできたわ! 今すぐ払わないと、社交界でバラすって!」
「な、なんだと!? 支払いは来月のはずだろう!?」
「エリスがいなくなって信用がないから、現金払いじゃないとダメなんですって!」
父、継母、ミリア、そしてカイル。
4人は顔を見合わせた。
結納金として受け取った大金は、新しいドレスや宝石、カイルの遊興費であっという間に使い込んでしまっていた。
「……くそっ! 何もかもあの女のせいだ!」
「そうよ! お姉様がちゃんと仕事を引き継がないで出て行くから、私たちが困ってるんじゃない!」
「なんて恩知らずな娘だ。育ててやった恩を仇で返しおって!」
彼らは誰一人として、自分たちの無能さを省みようとはしなかった。
自分たちが困っているのは全て、「エリスが意地悪をしているからだ」と脳内で変換して、被害者面をして憤っているのだ。
その時。
屋敷に出入りしている噂好きの商人が、妙な話を持ち込んできた。
「いやぁ、男爵様も大変ですねぇ。……そういえば、北の方で奇妙な噂を聞きましたよ」
「噂? そんなものに構っている暇は……」
「なんでも、『氷の公爵』が、新しく迎えた妻を溺愛しているとか」
その言葉に、その場が凍りついた。
「は……? 妻って、エリスのことか?」
「ええ。市場で買い物をする姿が目撃されたそうで。公爵様が奥様をコートに包んで温めたり、甘い果物をあーんして食べさせたり……それはもう、熱々だったそうですよ」
沈黙が流れた。
そして次の瞬間、ミリアが金切り声を上げた。
「嘘よっ!! あのお姉様が!? あの地味で可愛げのない女が、公爵様に愛されるわけないじゃない!!」
「そ、そうだ! 間違いなく嘘だ! あの氷の公爵だぞ!? エリスなんて、今頃氷像にされているに決まっている!」
カイルも顔を真っ赤にして否定した。
自分より下だと思っていた女が、自分よりはるかに格上の男に愛されている。そんな事実は、彼らのプライドが許さなかった。
しかし、父の目は違った。
欲に濁った目が、ギラリと光ったのだ。
「……待てよ。もしそれが本当なら」
父は下卑た笑みを浮かべ、髭を撫でた。
「エリスは公爵家の財布を握っているということになるな」
「あなた?」
「考えてみろ。我々はエリスの実家だぞ? 娘が公爵家で贅沢をしているなら、育ててやった親に仕送りをするのは『義務』だろう?」
その言葉に、全員の顔色がパッと明るくなった。
「そうよ! お姉様だけ幸せになるなんてズルいわ! 慰謝料……じゃなくて、養育費を請求しましょう!」
「公爵家なら金は腐るほどあるはずだ。俺たちの借金なんて、はした金だろう」
「よし、すぐに手紙を書くぞ! 『家族が病気で倒れた』とでも書いておけ。あの情に脆いエリスのことだ、すぐに金を送ってくるに違いない!」
ゲラゲラと笑い合う愚か者たち。
彼らは知らなかった。
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