剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)

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幼妻押掛始末

越中訛り

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 人は無数に存在する可能性の中から、未来を確定する決断を絶え間なく繰り返すことで、その人生を織り成していく。
 選択肢は限られたものであったとしても、自ら選択することを放棄しない限り、その一生は己の決断の集大成であると言えよう。
 しかし、一方で自分は過去に縛られ続けていると考える人間がいることも確かである。

 冬吉は、居酒屋の主人として包丁を振るうと言う、望ましい人生を手に入れた。
 無数の可能性の中から、最も望ましい未来を掴み取る決断を重ねてきたとは言えようが、だからと言って過去に縛られていないとは言えない。
 草間の最年少の奉公人である、お深雪よりは自由気ままに生きているようには見えるが、自分の過去から目を逸らすことによって、そうできているという面がある。

 しかし、自分自身がそうであるように、目を逸らしているうちに自分以外の人々も変わっていく、ということを忘れてはいないだろうか?
 そんな時は、ちょっとした驚きと気まずさを携えて、過去が目の前に顔を出してしまうことがある。



 昼時を過ぎ、猥雑とした本所の町を一人の娘が歩いていた。

 服装は少々目立つものである。
 と言って、例えば蟷螂とあだ名される冬吉の義理の姉、お詩乃の戦装束ほどに異風というわけではない。
 
 白に桃色の淡い市松模様の着物に、やはり桃色の紗(レースのような薄い布)を顔が見えないように、頭から被っている。
 足元は脚絆をつけているので、旅装であるのだが、妙にきょろきょろと周りを見ながら、おぼつかない足取りであった。

『江戸はぁ、な~んもしてなくても、くたびれたがいちゃ』

 明らかに、お上りさんであろう。
 とは言え、現代であれば東京に出てくることを『上京』と言うこともあるが、江戸時代の場合は、あくまで『上る』のは上方、京の都に行くことを言う。
 よって、本来ならこの娘のことを『お上りさん』と呼ぶのは間違っていよう。

『草間』

 この看板の前で娘は立ち止まった。
 
 看板の字はなかなか達筆で、店の構えもこの辺りでは大きめで立派である。
 のぼりが出ており、『居酒・飯』と書かれているから、食い物屋には違いない。

『まさかね、でも、ちょっこ休んでいこうっと』

 娘は転びそうな足取りで、暖簾をくぐった。

 

「ごめんくだはれ」

 娘の、のんびりとした口調に、すぐに対応したのはお夏であった。
 昼の客の入りも落ち着いた後で、風割り蒸しを食べにくるお茶の客と、昼間から飲んだくれる連中だけという昼下がり。
 素行の悪い連中は通いにくい店なので、流石にこの時分は奉公人も一息入るというところであった。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか? こちらへどうぞ」

 草間は昼間には女性も多く来訪する店であるが、それは近隣で店の噂を知っている人々に限られる。
 旅装の娘一人というのは珍しい。
 そもそも、江戸の世は確かに旅行が流行るほどには道々の治安は良くなっていたが、女性の一人旅と言うのはやはり危険が伴う。
 どう見てもまだ十代のこのような娘が、一人で来るというのは珍しいことであるのだが、それを顔に出すようなお夏ではない。
 
 いくつか気づいたことはある。
 
 紗を被っているので顔はわからないが、声の感じと雰囲気からすれば、自分と同年代か、いくらか年下であろう。
 言葉に訛りはあるが、折目正しい態度は武士の子女であるに間違いない。
 その訛り、上方でも父や祖父と共に菜飯屋をやっていたお夏は、それが越中(現在の富山県)あたりのものであるとわかる。

 そしてもう一つ。
 語尾や言葉遣いは違うが、その変わった抑揚は、このところ聴き慣れているものに近い。

 冬吉は無口な方であるが、それが生来のものではないとお夏は睨んでいた。
 元々江戸のあたりの人間でないことは確かで、本人も隠してはいない。
 それでも、生国がどこであるかは言いたくないらしい。

 お夏の見るところ、冬吉は自分の言葉の訛り、気をつけていてもぽろっと出てしまう、さとの言葉を気にしてあまり喋らないのだ。
 しかし、どんなに気をつけていようと、抑揚の違いはうっかり出てしまうことがある。
 特にお深雪を引き取ってからは、意外なほどに気さくに話しかけるので、訛りがちろりと出てしまう。

 どこのものなのか、お夏はなかなか思い出せなかったが、今来た客の訛りを隠そうともしない言葉にぴんと来た。
 どうやら冬吉は、越中あたりの出らしい。
 
 顔や態度には出さないが、こういうこと考えるのが大好きなお夏は、内心ではしてやったりである。
 このネタで、どうやって冬吉に困った顔をさせてやろうかと、腹の中ではにやけていた。
 

「えと、一休みさせてもらいますちゃ。お茶と何かお茶請けになるものをたのんこっちゃ」

 越中訛りは江戸の人間からすると少々わかりにくいことはあるが、お夏は上方にいたことがあるのでなんとなく慣れていた。
 だが、この時だけは、思わず応答が遅れてしまう。

 注文をしながら紗を取った娘の顔が、あまりにも美しかったからだ。
 にこりと笑った目がとても愛らしく、全体的に小さくまとまった顔立ちである。
 そして、童顔とは言え、背格好は明らかにお夏と同年輩なのだが、髪型が特徴的であった。
 
 童子髪どうじがみなのである。

 江戸時代、中期以降の女性は基本的にまげを結っている。
 今日のアップと言われるものに近いが、あげた髪にもさまざまなアレンジを加える。
 かんざしを入れて装飾したり、油を使ってピンと尖らせたりと、相当に凝ったヘアメイクも流行っていた。
 
 しかし、そのようなことをするためには、髪の毛を長く伸ばさねばならない。
 髷は背中から腰あたりまでに伸ばしたような長髪を、頭の上でまとめ上げたものであるので、かなりのボリュームが必要であった。

 小さな子どもは、当然そこまで髪が伸びていないこともある。
 そこで、童子髪、現代でいうボブカットのような髪型が子どもの頃は一般的だったのだ。
 
 この時代に十七歳は子どもとは言えない。
 
 伸ばし続けた髪なら、すでに結えることができる。
 まだ十一のお深雪でも、髷を結ってはいるのだ。
 
 よって、この齢で童子髪をしているなら、何かの理由がある。
 一番有りそうなのは、出家、尼寺あまでらに入っていたということだろうか。
 本来、尼、女性の僧侶も男性と同じように剃髪ていはつするものであるが、宗派や出家の際の事情によっては、いくらか切って短くして済ますこともある。

 この娘もなんらかの事情で、短期間出家し、今は還俗けんぞくして頭髪を伸ばしている最中なのではないか。
 紗を被っているのも、そういう事情で、じろじろ見られたくないという思いからであろう。

 
「では、風割り蒸しはいかがでしょうか? 店の自慢の品でこの辺の娘さんたちには、とても好まれております」

 どの時代も若い女性というのは流行に敏感である。
 娘たちに人気のお茶請けとなれば、当然甘いものであろう。
 
 ニコニコしていた顔が期待に膨らみ、さらにぱあっと明るくなる。
 お夏には眩しいくらいに思われ、目を細めた。


「じゃ、それをたのんこっちゃ」

 かわいらしい。
 ほんの一言二言、言葉を交わしただけであるのだが、お夏はなんとなく、この娘のことが好きになってしまった。
 こんな可愛らしい訛りなら、冬吉も恥ずかしがらずにしゃべればいいのに、などと思うが、そこは人それぞれというものであろう。


 風割り蒸しは、季節ごとにあしらいを変える。
 最初に出した頃は春頃であったので、桜の花びらと葉を載せた。
 夏には冬瓜とうがんを球に切り出したものを載せて、玉砂利ように涼しげな風情を、秋には栗の金団を小さくまとめたものを載せて豊穣な秋の実りを表現していた。

 今はもう冬。
 鶏卵は一年中手に入りはするが、寒くなってくると鶏も卵を生む回数が減ってくるので、値が上がる。
 草間でもどうしてもそのままでは売れず、金額を上乗せするので、その分高級に見える工夫が必要であった。

 乾燥した柚の皮と、柿の実を薄く切ったものに飾り包丁を入れる。
 それが、鶴に見えるように、水飴の上に美しくこさえていくのは熊七の仕事である。
 冬吉が見本を見せたとは言え、これを習得するには五日ほどかかった。

 いや、五日でできるようになったのは、すごいことである。

 芸術的と言って良い手仕事まで任せられるようになったのは、日頃の努力だけではないだろう。
 苦労している熊七を見て、キセル職人の左近次が何事か説明してやっていた。
 熊七の描く黄金の鶴は、今や本所界隈では噂の種となっている。


 
 店の奥の方には、雪枝と辰蔵が連れ立って来ていた。
 二人とも狙いは、やはり新しいあしらいの風割り蒸しである。
 まだ昼過ぎなので、酒を呑むには早い。
 道場での稽古帰りに、噂の品をいただきに来たというわけである。

 ご満悦の二人は、新顔の客の注文に、思わずニヤリとした。
 初めて口にしてどんな反応を見せるのか、すでに常連と言える二人も興味津々である。
 常連というのは、自分の好きな品が、他の客にとっても好みであることを嬉しく感じるものなのだ。
 
 
 今日は、冬吉はいない。
 道場には顔を出したが、その後、柏屋に野暮用があるとかで夕餉の時間までは帰ってこない。
 もはや、そんなことには関係なく、雪枝と辰蔵の二人は草間に通い続けるのであった。

 
 
 運ばれてきた風割り蒸しと棒茶を嬉しそうに交互に見比べた後で、童子髪の娘は茶碗の蓋を外した。

 多くの娘たちはこの瞬間、黄金の鶴の細工に驚き、ついでうっとりとなり、なかなか匙を入れない。
 もったいないと思えるほどに、熊七の細工は素晴らしいからだ。
 
 だが、この客の反応は少し違った。

 蓋を開けた刹那、驚いたのは一緒であるが、恐る恐るという風に匙を手に取った。

「まさか、まさか……」

 小さな声でそう呟く。
 匙を持つ手が震えていた。
 意を決したように、匙を湯飲みの中に入れ、少々多めに掬って口に運ぶ。

 しばしの間を置いて、娘の瞳から涙が溢れ出した。
 
 肩を震わせながら泣いている客に驚き、お夏が歩み寄る。
 後ろでは、お深雪もおろおろとしていた。

 自分よりは年上であろう客が、突然泣き出したのだから慌てるのもわかる。
 お深雪は人の心情に敏感で、感受性が強い。
 酔っ払って、五年前に亡くなった妻のことで泣き上戸になる伊八から、もらい泣きをしてしまうぐらいなのだ。

 酒も入っていないのに突然泣き出すとは、ただ事ではない。
 お夏はそんなこともあって、声をかけざるをえなかった。
 
「あ、あの、大丈夫ですか?」

 娘は涙も拭かぬまま、お夏を見上げて呟いた。

「冬様の……甘い茶碗蒸し……」


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