婚約破棄された令嬢は、幸せになると決めました~追放先で出会った冷徹公爵が、なぜか溺愛してくる件~

sika

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第29話 永遠を誓う口づけ

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初夏の風が穏やかに吹き抜け、野を金色に揺らしていた。  
青空はどこまでも高く、澄み渡っている。  
その下で、アルドレッド公爵家の屋敷では慌ただしい準備が進んでいた。  

今日は、公爵レオンと補佐官グレイスの婚礼の日だった。  
戦乱も陰謀もすべてが過ぎ去り、ようやく訪れた穏やかな朝。  
屋敷に仕える者も、領民たちも、誰もが笑顔でこの日を待ちわびていた。  

グレイスは部屋の鏡の前で、白いレースのベールを整えていた。  
リーナが後ろで器用に髪をまとめながら、小さく微笑む。  

「まるで天使様みたいです。きっと、公爵様も言葉を失いますね。」  
「……本当にそう思う?」  
「ええ。だって、もうこのお姿は領中の宝ですもの。」  

グレイスは照れたように笑った。  
信じられない。かつて、婚約破棄され、家を追われた自分が、こんな日を迎えるとは。  
それも、かつて敵対していた者がよこした残酷な運命ではなく、  
自らの意志で選んだ未来として。  

窓の外で鐘が鳴る。  
教会から、式の準備が整った知らせだ。  

胸の鼓動が早まる。  
恐怖ではなく、幸せがこみ上げる音。  
今ここにいる自分を、ようやく誇れる気がした。  

***  

屋敷の中庭には、領民たちが集まっていた。  
咲きこぼれる花々、ゆるやかに流れる音楽。  
その中央に、レオンは静かに立っていた。  

白と黒の礼装に身を包み、金の瞳が朝の光を受けてやわらかく輝いている。  
彼がこれまで積み上げた時間と、数えきれぬ責任の重さが、  
今はただひとりの女性のための誓いとなってそこに立っていた。  

そして、扉が開く。  
純白の衣を纏ったグレイスが現れた。  
その姿に、会場から小さな驚きの声が漏れる。  

風が彼女のドレスを揺らし、陽光が彼女の髪を照らした。  
その一歩ごとに、過去の痛みも悲しみも、風に流れていくようだった。  

レオンはわずかに息を吸い込み、言葉を発しようとして止めた。  
言葉など不要だった。  
ただ、その瞳がすべてを語っていた。  

二人が並ぶと、神官が祝詞を読み上げる。  
形式ばった言葉の数々が穏やかな風に混ざって消えていく。  

「汝ら、互いの心に誓うか。」  
低い声が響く。  

グレイスはまっすぐレオンを見上げた。  
「はい、誓います。  
わたしは、この人を信じ、この領を支えると。」  

レオンはその瞳に応えるように静かに言った。  
「俺もまた、この女にすべてを捧げよう。  
共に生き、共に笑い、共にこの地を守る。」  

神官が頷き、  
「その誓い、この地の風と土、そして空が聞き届けた」と宣言した。  

人々の拍手がわき起こる。  
風が花びらを散らし、それが二人の頭上に降り注いだ。  

レオンはゆっくりと手を伸ばし、グレイスの頬に触れる。  
「……夢みたいだな。」  
「夢ではありません。」  
「いや、夢ならば永遠に覚めなくていい。」  

その言葉のあと、彼は彼女の肩を抱き寄せた。  
わずかに戸惑いながらも、グレイスは目を閉じる。  

唇が触れる。  
人々のざわめきが止まる。  
風の音が一瞬消え、この世界に二人だけが残されたようだった。  

それは契約ではなく、祈りでもなく、  
ただ確かな愛の証。  
永遠を誓う口づけだった。  

離れたあと、グレイスが小さく囁く。  
「これからも、どうぞよろしくお願いします……レオン。」  
レオンは静かに微笑む。  
「こちらこそ。……俺の妻、グレイス。」  

言葉の響きが甘く、そして穏やかに心を満たす。  

***  

式が終わると、広場には宴が始まった。  
楽士たちの調べ、踊り、笑い声。  
子どもたちが花冠を持って走り回り、老人たちは嬉しそうに頷いている。  

グレイスは人々に祝福されながら、時折ふと空を見上げた。  
遠い王都のことも、過ぎた痛みも、もうこの光の中では小さな影だ。  
今はただ、隣にいる人のぬくもりを感じたかった。  

「グレイス、お前は――幸せか。」  
レオンが隣で囁いた。  
「ええ、こんなにも。」  
「俺もだ。」  

彼は珍しく照れたような表情を見せた後、人混みから一歩離れた。  
手招きするように、彼女を招く。  
二人きりの空間ができる。  

「昔、お前は“生きる意味を探したい”と言っていたな。」  
「はい。」  
「その答えは、見つかったか。」  
グレイスは微笑んだ。  
「ええ。……今、ここにあります。」  

「そうか。」  
一言だけ、それでも胸の奥から溢れるような安堵がこもっていた。  

「今度はあなたの番です。」  
「俺の?」  
「生きる意味を――自分で見つけてください。  
そのために、わたしが隣にいます。」  

その言葉に、レオンはわずかに目を見開き、  
次いで穏やかに笑った。  

「……お前がいれば、それで十分だ。」  

二人はもう一度、そっと手を繋いだ。  
遠くでは子どもたちが笑っている。  
夕陽が沈みかけ、空がオレンジ色に染まっていく。  

花びらが風に流れ、世界が金色の光に包まれた。  
その中で、二人の影は重なり、一つになる。  

もう過去の涙も、孤独も、そこにはない。  
あるのは、互いに信じあう存在が寄り添う、小さな幸福だけだった。  

レオンが小さく呟く。  
「永遠は信じぬ主義だった。……だが、今なら信じられる。」  
「どうして?」  
「お前が約束を“愛で守る”人間だからだ。」  
「……ずるいです、公爵様。」  
「夫に呼び方を変えるのを忘れるな。」  

二人の笑い声が広場に溶けていった。  
残された時間がどんな形で流れていこうとも、  
その瞬間だけは永遠に変わらない――そう思えるほどに美しかった。  

風が頬を撫で、太陽が地平の向こうに沈む。  
花の香りと共に、新しい時間が流れ始める。  

それが、彼らの“終わり”ではなく、“始まり”の合図となった。  

(第29話 永遠を誓う口づけ 了)
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