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第八話 新しい婚約者
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第八話 新しい婚約者
王城の一室で、少女は膝の上で指を絡めていた。
視線は伏せられ、落ち着きなく揺れている。
――ここが、自分の居場所になる。
そう言い聞かせても、胸の奥の不安は消えなかった。
「緊張しなくていい」
王太子は、できるだけ柔らかい声でそう言ったつもりだった。
だが、その言葉は少女の肩をさらに強張らせる。
「はい……」
小さな返事。
彼女は平民出身で、王城の空気に慣れていない。
豪奢な調度品、行き交う貴族たちの視線、
そのすべてが、彼女にとっては異世界だった。
「君は、私が選んだ女性だ」
王太子は、まっすぐに告げる。
「だから、堂々としていればいい」
少女は、こくりと頷く。
だが、その瞳には、戸惑いが色濃く浮かんでいた。
彼女は知っている。
自分が「選ばれた理由」が、愛情だけではないことを。
ネフェリアという存在。
完璧で、冷静で、誰からも一目置かれていた王太子妃候補。
その名は、口に出されなくとも、
この城の至るところに残っていた。
「……わたしに、務まるでしょうか」
思わず零れた本音に、王太子は一瞬だけ言葉に詰まる。
「努力すればいい」
そう答えたが、その言葉は、あまりにも漠然としていた。
努力。
それが、どれほどのものを意味するのか。
王太子自身が、正確には理解していなかった。
数日後、少女は正式に「新しい婚約者」として紹介された。
王城の人々は、表向きには祝福の言葉を並べる。
「おめでとうございます」 「お二人は、とてもお似合いですわ」
だが、その視線の奥には、測るような色が混じっていた。
――前の方とは、ずいぶん違う。
誰も口にしないが、誰もが思っている。
少女は、懸命に微笑み、礼を返す。
覚えきれない名前。
分からない作法。
知らない暗黙の了解。
一つひとつが、重くのしかかる。
以前なら、こうした場面で、
誰かがさりげなく補助していただろう。
話題を振り、空気を整え、
場がぎくしゃくしないように導く存在。
だが今、その役割を担う者はいない。
結果、場の空気は微妙に歪む。
沈黙が生まれ、会話が途切れ、
気まずさだけが残る。
王太子は、それに気づいていた。
だが、どう対処すべきか分からない。
――ネフェリアなら、どうしただろう。
その思考が浮かび、すぐに打ち消す。
過去は過去だ。
今は、新しい選択を正当化しなければならない。
夜、少女は与えられた部屋で、一人、ベッドに腰掛けていた。
広すぎる部屋。
静かすぎる空間。
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪える。
「……頑張らなきゃ」
そう呟くが、
何を、どこまで、どう頑張ればいいのかは分からない。
教えてくれる人はいない。
手本となる人も、もういない。
一方、王城の別の場所では。
「……やはり、無理があるのでは」
年配の貴族が、小さく漏らす。
「前任と比べるのは酷だが……」 「しかし、役割は空白のままだ」
彼らは、はっきりと理解し始めていた。
問題は、少女の資質ではない。
――比較対象が、あまりにも大きすぎたのだ。
ネフェリアが担っていたものは、
「婚約者」という立場以上のものだった。
それを埋められる者は、簡単には現れない。
だが、その事実を、
王太子本人だけが、まだ正面から受け止めていなかった。
新しい婚約者は、今日も笑顔を作り続ける。
王太子は、それを「愛の形」だと信じようとする。
そして王国は、静かに気づき始めていた。
――選ばれなかったのは、
ただの婚約者ではなかったのだ、と。
その認識が、
やがて王太子の立場そのものを揺るがすことになる。
だが、それはまだ、
少し先の未来の話だった。
王城の一室で、少女は膝の上で指を絡めていた。
視線は伏せられ、落ち着きなく揺れている。
――ここが、自分の居場所になる。
そう言い聞かせても、胸の奥の不安は消えなかった。
「緊張しなくていい」
王太子は、できるだけ柔らかい声でそう言ったつもりだった。
だが、その言葉は少女の肩をさらに強張らせる。
「はい……」
小さな返事。
彼女は平民出身で、王城の空気に慣れていない。
豪奢な調度品、行き交う貴族たちの視線、
そのすべてが、彼女にとっては異世界だった。
「君は、私が選んだ女性だ」
王太子は、まっすぐに告げる。
「だから、堂々としていればいい」
少女は、こくりと頷く。
だが、その瞳には、戸惑いが色濃く浮かんでいた。
彼女は知っている。
自分が「選ばれた理由」が、愛情だけではないことを。
ネフェリアという存在。
完璧で、冷静で、誰からも一目置かれていた王太子妃候補。
その名は、口に出されなくとも、
この城の至るところに残っていた。
「……わたしに、務まるでしょうか」
思わず零れた本音に、王太子は一瞬だけ言葉に詰まる。
「努力すればいい」
そう答えたが、その言葉は、あまりにも漠然としていた。
努力。
それが、どれほどのものを意味するのか。
王太子自身が、正確には理解していなかった。
数日後、少女は正式に「新しい婚約者」として紹介された。
王城の人々は、表向きには祝福の言葉を並べる。
「おめでとうございます」 「お二人は、とてもお似合いですわ」
だが、その視線の奥には、測るような色が混じっていた。
――前の方とは、ずいぶん違う。
誰も口にしないが、誰もが思っている。
少女は、懸命に微笑み、礼を返す。
覚えきれない名前。
分からない作法。
知らない暗黙の了解。
一つひとつが、重くのしかかる。
以前なら、こうした場面で、
誰かがさりげなく補助していただろう。
話題を振り、空気を整え、
場がぎくしゃくしないように導く存在。
だが今、その役割を担う者はいない。
結果、場の空気は微妙に歪む。
沈黙が生まれ、会話が途切れ、
気まずさだけが残る。
王太子は、それに気づいていた。
だが、どう対処すべきか分からない。
――ネフェリアなら、どうしただろう。
その思考が浮かび、すぐに打ち消す。
過去は過去だ。
今は、新しい選択を正当化しなければならない。
夜、少女は与えられた部屋で、一人、ベッドに腰掛けていた。
広すぎる部屋。
静かすぎる空間。
涙がこぼれそうになるのを、必死に堪える。
「……頑張らなきゃ」
そう呟くが、
何を、どこまで、どう頑張ればいいのかは分からない。
教えてくれる人はいない。
手本となる人も、もういない。
一方、王城の別の場所では。
「……やはり、無理があるのでは」
年配の貴族が、小さく漏らす。
「前任と比べるのは酷だが……」 「しかし、役割は空白のままだ」
彼らは、はっきりと理解し始めていた。
問題は、少女の資質ではない。
――比較対象が、あまりにも大きすぎたのだ。
ネフェリアが担っていたものは、
「婚約者」という立場以上のものだった。
それを埋められる者は、簡単には現れない。
だが、その事実を、
王太子本人だけが、まだ正面から受け止めていなかった。
新しい婚約者は、今日も笑顔を作り続ける。
王太子は、それを「愛の形」だと信じようとする。
そして王国は、静かに気づき始めていた。
――選ばれなかったのは、
ただの婚約者ではなかったのだ、と。
その認識が、
やがて王太子の立場そのものを揺るがすことになる。
だが、それはまだ、
少し先の未来の話だった。
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