7 / 40
第七話 小さな遅延
しおりを挟む
第七話 小さな遅延
異変は、いつも小さなところから始まる。
王城の事務棟では、その朝もいつも通り書類が運び込まれていた。
山のように積まれた決裁待ちの案件。
だが、そこにわずかな違和感が混じっていた。
「……この書類、昨日提出されたものですよね?」
若い文官が、控えめに声を上げる。
「ええ、ですが確認が終わっていません。
担当が判断を保留したままで」
「理由は?」
「……分からない、と」
曖昧な答えに、文官は眉をひそめる。
以前なら、こんなことはなかった。
判断に迷う案件があれば、
どこを確認し、誰に相談し、いつまでに結論を出すか――
それが、自然と決まっていたからだ。
だが今は違う。
「仕方ないですね。次の会議まで待ちましょう」
そう言って、書類は棚に戻される。
それだけのこと。
ほんの一日の遅れ。
誰も、問題だとは思わなかった。
王城の別の場所でも、似たようなことが起きていた。
港湾管理局では、輸送許可の最終確認が遅れていた。
必要な印が、一つ足りない。
「以前は、先に仮承認が出ていたはずだが……」
「今回は、慎重に進めるように、と」
「誰の判断だ?」
「……会議で決まるまで待て、とのことです」
結果、船は出港できず、荷は港に留め置かれる。
商人は肩をすくめるだけだった。
「一日二日、遅れたところで大したことはない」
そう、誰もが思っていた。
だが、その「一日二日」が、
別の場所で、別の遅延を生む。
王太子の執務室では、報告書がまとめて提出されていた。
内容は、どれも些細なものばかりだ。
書類の提出が遅れた。
決裁が先送りになった。
連絡が一つ、行き違った。
「……小事ばかりだな」
王太子は、そう呟く。
だが、その眉間には、昨日よりも深い皺が刻まれていた。
以前なら、こうした小さな滞りは、
彼の目に届く前に解消されていた。
誰かが気づき、誰かが調整し、
誰かが「問題にならないうちに」処理していたのだ。
「気にするほどではない、か……」
自分に言い聞かせるように、王太子は書類を閉じる。
その瞬間、ふと、ある言葉が脳裏をよぎった。
――問題になる前に。
それを口にしていたのは、誰だったか。
思い出しかけて、彼は首を振る。
「今は関係ない」
そう言い切るように呟き、次の書類に手を伸ばした。
一方、城下町では。
商人たちが、ささやかな違和感を覚え始めていた。
「最近、許可が下りるのが遅くないか?」 「書類の往復が増えた気がするな」 「前は、もっと話が早かったはずだが……」
だが、誰も声を荒げない。
まだ、生活に直結する問題ではないからだ。
ネフェリアがいた頃なら、
こうした声は、どこかで拾われ、
静かに修正されていた。
だが今、その声は、
行き場を失って、空気の中に滞留する。
遅延は、連鎖する。
小さな判断の先送りが、
別の判断を鈍らせる。
それは、目に見えないほど緩やかで、
だからこそ、誰も本気で止めようとしなかった。
王国は、まだ平穏だった。
表向きには、何一つ変わっていない。
ただ一つだけ。
ネフェリアがいなくなったことで、
「問題にならないうちに処理される世界」は、
すでに失われていた。
それに気づくのは、
もう少し先の話になる。
この小さな遅延が、
やがて取り返しのつかない「遅れ」へと変わることを、
今はまだ、誰も知らなかった。
異変は、いつも小さなところから始まる。
王城の事務棟では、その朝もいつも通り書類が運び込まれていた。
山のように積まれた決裁待ちの案件。
だが、そこにわずかな違和感が混じっていた。
「……この書類、昨日提出されたものですよね?」
若い文官が、控えめに声を上げる。
「ええ、ですが確認が終わっていません。
担当が判断を保留したままで」
「理由は?」
「……分からない、と」
曖昧な答えに、文官は眉をひそめる。
以前なら、こんなことはなかった。
判断に迷う案件があれば、
どこを確認し、誰に相談し、いつまでに結論を出すか――
それが、自然と決まっていたからだ。
だが今は違う。
「仕方ないですね。次の会議まで待ちましょう」
そう言って、書類は棚に戻される。
それだけのこと。
ほんの一日の遅れ。
誰も、問題だとは思わなかった。
王城の別の場所でも、似たようなことが起きていた。
港湾管理局では、輸送許可の最終確認が遅れていた。
必要な印が、一つ足りない。
「以前は、先に仮承認が出ていたはずだが……」
「今回は、慎重に進めるように、と」
「誰の判断だ?」
「……会議で決まるまで待て、とのことです」
結果、船は出港できず、荷は港に留め置かれる。
商人は肩をすくめるだけだった。
「一日二日、遅れたところで大したことはない」
そう、誰もが思っていた。
だが、その「一日二日」が、
別の場所で、別の遅延を生む。
王太子の執務室では、報告書がまとめて提出されていた。
内容は、どれも些細なものばかりだ。
書類の提出が遅れた。
決裁が先送りになった。
連絡が一つ、行き違った。
「……小事ばかりだな」
王太子は、そう呟く。
だが、その眉間には、昨日よりも深い皺が刻まれていた。
以前なら、こうした小さな滞りは、
彼の目に届く前に解消されていた。
誰かが気づき、誰かが調整し、
誰かが「問題にならないうちに」処理していたのだ。
「気にするほどではない、か……」
自分に言い聞かせるように、王太子は書類を閉じる。
その瞬間、ふと、ある言葉が脳裏をよぎった。
――問題になる前に。
それを口にしていたのは、誰だったか。
思い出しかけて、彼は首を振る。
「今は関係ない」
そう言い切るように呟き、次の書類に手を伸ばした。
一方、城下町では。
商人たちが、ささやかな違和感を覚え始めていた。
「最近、許可が下りるのが遅くないか?」 「書類の往復が増えた気がするな」 「前は、もっと話が早かったはずだが……」
だが、誰も声を荒げない。
まだ、生活に直結する問題ではないからだ。
ネフェリアがいた頃なら、
こうした声は、どこかで拾われ、
静かに修正されていた。
だが今、その声は、
行き場を失って、空気の中に滞留する。
遅延は、連鎖する。
小さな判断の先送りが、
別の判断を鈍らせる。
それは、目に見えないほど緩やかで、
だからこそ、誰も本気で止めようとしなかった。
王国は、まだ平穏だった。
表向きには、何一つ変わっていない。
ただ一つだけ。
ネフェリアがいなくなったことで、
「問題にならないうちに処理される世界」は、
すでに失われていた。
それに気づくのは、
もう少し先の話になる。
この小さな遅延が、
やがて取り返しのつかない「遅れ」へと変わることを、
今はまだ、誰も知らなかった。
0
あなたにおすすめの小説
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
捨てられた令嬢と、選ばれなかった未来
鍛高譚
恋愛
「君とは釣り合わない。だから、僕は王女殿下を選ぶ」
婚約者アルバート・ロンズデールに冷たく告げられた瞬間、エミリア・ウィンスレットの人生は暗転した。
王都一の名門公爵令嬢として慎ましくも誠実に彼を支えてきたというのに、待っていたのは無慈悲な婚約破棄――しかも相手は王女クラリッサ。
アルバートと王女の華やかな婚約発表の裏で、エミリアは社交界から冷遇され、"捨てられた哀れな令嬢"と嘲笑される日々が始まる。
だが、彼女は決して屈しない。
「ならば、貴方たちが後悔するような未来を作るわ」
そう決意したエミリアは、ある人物から手を差し伸べられる。
――それは、冷静沈着にして王国の正統な後継者、皇太子アレクシス・フォルベルト。
彼は告げる。「私と共に来い。……君の聡明さと誇りが、この国には必要だ」
逆行した悪女は婚約破棄を待ち望む~他の令嬢に夢中だったはずの婚約者の距離感がおかしいのですか!?
魚谷
恋愛
目が覚めると公爵令嬢オリヴィエは学生時代に逆行していた。
彼女は婚約者である王太子カリストに近づく伯爵令嬢ミリエルを妬み、毒殺を図るも失敗。
国外追放の系に処された。
そこで老商人に拾われ、世界中を見て回り、いかにそれまで自分の世界が狭かったのかを痛感する。
新しい人生がこのまま謳歌しようと思いきや、偶然滞在していた某国の動乱に巻き込まれて命を落としてしまう。
しかし次の瞬間、まるで夢から目覚めるように、オリヴィエは5年前──ミリエルの毒殺を図った学生時代まで時を遡っていた。
夢ではないことを確信したオリヴィエはやり直しを決意する。
ミリエルはもちろん、王太子カリストとも距離を取り、静かに生きる。
そして学校を卒業したら大陸中を巡る!
そう胸に誓ったのも束の間、次々と押し寄せる問題に回帰前に習得した知識で対応していたら、
鬼のように恐ろしかったはずの王妃に気に入られ、回帰前はオリヴィエを疎ましく思っていたはずのカリストが少しずつ距離をつめてきて……?
「君を愛している」
一体なにがどうなってるの!?
記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる
きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。
穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。
——あの日までは。
突如として王都を揺るがした
「王太子サフィル、重傷」の報せ。
駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。
※本作品は別サイトにて掲載中です
第一王子様が選んだのは、妹ではなく私でした!
睡蓮
恋愛
姉妹であるクレアとミリア、しかしその仲は決していいと言えるものではなかった。妹のミリアはずる賢く、姉のクレアの事を悪者に仕立て上げて自分を可愛く見せる事に必死になっており、二人の両親もまたそんなミリアに味方をし、クレアの事を冷遇していた。そんなある日の事、二人のもとにエバー第一王子からの招待状が届けられる。これは自分に対する好意に違いないと確信したミリアは有頂天になり、それまで以上にクレアの事を攻撃し始める。…しかし、エバー第一王子がその心に決めていたのはミリアではなく、クレアなのだった…!
【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する
ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。
夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。
社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。
ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。
「私たち、離婚しましょう」
アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。
どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。
彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。
アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。
こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。
婚約破棄して泥を投げつけた元婚約者が「無能」と笑う中、光り輝く幼なじみの王子に掠め取られました。
ムラサメ
恋愛
「お前のような無能、我が家には不要だ。今すぐ消えろ!」
婚約者・エドワードのために身を粉にして尽くしてきたフィオナは、卒業パーティーの夜、雨の中に放り出される。
泥にまみれ、絶望に沈む彼女の前に現れたのは、かつての幼なじみであり、今や国中から愛される「黄金の王子」シリルだった。
「やっと見つけた。……ねえ、フィオナ。あんなゴミに君を傷つけさせるなんて、僕の落ち度だね」
汚れを厭わずフィオナを抱き上げたシリルは、彼女を自分の屋敷へと連れ帰る。
「自分には価値がない」と思い込むフィオナを、シリルは異常なまでの執着と甘い言葉で、とろけるように溺愛し始めて――。
一方で、フィオナを捨てたエドワードは気づいていなかった。
自分の手柄だと思っていた仕事も、領地の繁栄も、すべてはフィオナの才能によるものだったということに。
ボロボロになっていく元婚約者。美しく着飾られ、シリルの腕の中で幸せに微笑むフィオナ。
「僕の星を捨てた報い、たっぷりと受けてもらうよ?」
圧倒的な光を放つ幼なじみによる、最高に華やかな逆転劇がいま始まる!
公爵令嬢の辿る道
ヤマナ
恋愛
公爵令嬢エリーナ・ラナ・ユースクリフは、迎えた5度目の生に絶望した。
家族にも、付き合いのあるお友達にも、慕っていた使用人にも、思い人にも、誰からも愛されなかったエリーナは罪を犯して投獄されて凍死した。
それから生を繰り返して、その度に自業自得で凄惨な末路を迎え続けたエリーナは、やがて自分を取り巻いていたもの全てからの愛を諦めた。
これは、愛されず、しかし愛を求めて果てた少女の、その先の話。
※暇な時にちょこちょこ書いている程度なので、内容はともかく出来についてはご了承ください。
追記
六十五話以降、タイトルの頭に『※』が付いているお話は、流血表現やグロ表現がございますので、閲覧の際はお気を付けください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる