何も決めなかった王国は、静かに席を失う』

ふわふわ

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第九話 外交の違和感

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第九話 外交の違和感

 

 王城の外交応接室は、表向きにはいつも通りの静けさを保っていた。
 磨き上げられた床、重厚な調度品、壁に掛けられた歴代国王の肖像画。
 だが、その空気の奥に、微かな歪みが生まれ始めていることに気づく者は、まだ少ない。

「では、本題に入りましょう」

 隣国から派遣された使節は、穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
 言葉遣いは丁寧で、態度も礼儀正しい。
 しかし、その視線は、どこか探るようだった。

 王太子は椅子に腰掛け、頷く。

「承っております。
 本日は、貿易条件の再確認とのことでしたな」

「はい。
 特に、港湾使用料と通関手続きについて」

 その瞬間、応接室に、わずかな間が生まれた。

 以前なら、ここで補足説明が入ったはずだった。
 過去の合意内容、暗黙の了解、相手国が本当に求めている落としどころ。
 それらを整理した上で、交渉の主導権を握る存在が。

 だが今、誰も言葉を継がない。

 財務官が、慌てて書類をめくる。
 外交官が、互いに視線を交わす。

「……通関手続きにつきましては、現行制度を維持する方針で」

 ようやく出た言葉は、無難だった。
 だが、それは同時に、「踏み込まない」という宣言でもある。

 使節の眉が、わずかに動く。

「現行、ですか」

 その一言には、含みがあった。

「以前は、柔軟な対応を検討されていると伺っておりましたが」

 空気が、ぴんと張り詰める。

 王太子は、心の中で記憶を辿る。
 ――検討?
 そんな話が、あっただろうか。

 確かに、以前の会談で、相手国に配慮した条件調整の話が出ていた気がする。
 だが、その詳細は、思い出せない。

「……その件については、改めて内部で協議を」

「そうですか」

 使節は、穏やかに頷いた。
 だが、その微笑みは、ほんの少しだけ冷えた。

「では、本日はここまでにいたしましょう」

 交渉は、予定よりも早く切り上げられた。

 使節団が退出したあと、応接室に残されたのは、重い沈黙だった。

「……何か、おかしくありませんか」

 若い外交官が、恐る恐る口を開く。

「以前なら、もう少し踏み込んだ話ができていたはずです」

「だが、無理に条件を変える必要はないだろう」

 王太子は、そう答える。

「慎重であることは、悪いことではない」

「それは……そうですが」

 外交官は言葉を飲み込んだ。
 慎重と、消極的。
 その違いを、うまく説明できなかったのだ。

 会議が終わり、王太子は執務室へ戻る。
 机の上には、外交関連の報告書が積まれている。

 ページをめくるが、要点が見えてこない。
 以前なら、重要な箇所には印があり、
 注意点には簡潔な注釈が添えられていた。

「……なぜ、こんなにも分かりづらい」

 思わず、独り言が漏れる。

 その瞬間、胸の奥に、嫌な感覚が広がった。

 ――違和感。

 今日の交渉は、失敗ではない。
 だが、成功とも言えない。

 相手国の反応は、明らかに変わっていた。
 探るような視線。
 慎重さの裏にある、様子見の態度。

 それは、こう告げているようだった。

 「この国は、以前ほど読みやすくなった」

 読みやすい、というのは、必ずしも良い意味ではない。
 予測できるということは、付け込まれる余地があるということだ。

 王太子は、椅子にもたれかかり、目を閉じる。

 頭の中に、またあの名前が浮かぶ。

 ネフェリア。

 彼女なら、今日の使節の一言一言から、
 次に来る要求を読み取り、
 そのさらに先まで見据えていたはずだ。

 だが、もういない。

「……偶然だ」

 そう呟き、彼は自分を納得させようとする。

 一度の交渉がうまくいかなかったからといって、
 すべてを悲観する必要はない。

 だが、その夜。

 王城に届いた一通の非公式な報告が、
 静かに不安を現実のものへと変える。

「隣国が、別ルートでの貿易交渉を検討中、との情報です」

 それは、今まで王国が独占的に結んでいた条件を、
 他国と比較し始めた、という意味だった。

 王太子は、その紙片を握りしめる。

 外交の空気が、変わり始めている。
 それも、自分たちの知らないところで。

 ネフェリアがいなくなった王国は、
 ついに、外からも「異変」を察知され始めていた。

 そしてそれは、
 小さな遅延とは比べものにならない、
 確かな危機の兆しだった。
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