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第十話 名を呼ばれなくなった人
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第十話 名を呼ばれなくなった人
王城の一日は、忙しなく始まり、そして終わる。
それは、ネフェリアが去ったあとも変わらない――はずだった。
だが、その日、王太子は奇妙な静けさに気づいていた。
執務室に集められた報告書の山。
外交、財政、内政。
どれも重要な案件であることに違いはない。
それなのに。
「……意見は?」
王太子が問いかけても、返ってくるのは慎重すぎる言葉ばかりだった。
「前例がありませんので……」 「念のため、次回に回すのが無難かと」 「もう少し情報を集めてから判断すべきでしょう」
どれも、間違ってはいない。
だが、決定には至らない。
王太子は、無意識のうちに視線を室内に巡らせていた。
いつもなら、視界の端に、ある人物の姿があったはずだ。
必要な情報を整理し、
要点を端的に示し、
選択肢と結果を冷静に並べる存在。
だが、そこにいるのは、高官たちだけ。
「……もう一度、整理し直そう」
そう口にした瞬間、王太子は気づいた。
“整理”という言葉を、誰に向けて発していないことに。
かつてなら、無意識に名を呼んでいたはずだった。
「ネフェリア、どう思う?」
その一言が、
思考の切り替えの合図だった。
だが今、その名は、会議の中で一度も出てこない。
誰も、彼女を話題にしない。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
会議が終わり、高官たちが退出していく。
王太子は、一人、椅子に深く腰を下ろした。
「……なぜだ」
小さく呟く。
彼女は、もうここにいない。
それは理解している。
だが、理解しているはずなのに、
頭のどこかが、追いついていなかった。
――名を呼ばなくなった。
それは、単なる習慣の問題ではない。
頼る相手を失った、という事実だった。
王太子は、机の上の引き継ぎ資料に手を伸ばす。
分厚い束。
必要最低限だと、彼女は言っていた。
ページをめくる。
確かに、情報はある。
だが、それは“静止した知識”に過ぎなかった。
今、この瞬間に何を優先すべきか。
どこを切り、どこを守るべきか。
その判断は、どこにも書かれていない。
「……彼女は」
言葉にしようとして、王太子は口を閉じる。
彼女は、資料以上のことをしていた。
日々変化する状況を見極め、
必要なら予定を組み替え、
問題が問題になる前に、消していた。
それを、自分は“当たり前”だと思っていた。
その夜、王城の廊下で、二人の高官が小声で話しているのを耳にする。
「最近、判断が遅いな」 「誰も、最終的にまとめないからな……」 「前は、自然と話がまとまっていたのに」
王太子は足を止める。
彼らは、ネフェリアの名を出さない。
だが、誰のことを指しているのかは、明白だった。
――呼ばれなくなったのは、名だけではない。
彼女が担っていた役割そのものが、
今、王国の中で空白になっている。
王太子は、夜の窓辺に立ち、遠くを見つめる。
王都の灯りは、変わらず輝いている。
だが、その下で、
何かが確実に遅れ、
噛み合わなくなっている。
「……戻ってきてくれ」
その言葉は、誰にも届かず、
ただ夜の闇に溶けていった。
ネフェリアの名は、もう会議では呼ばれない。
だが、呼ばれなくなったことで、
彼女の存在の大きさだけが、
皮肉なほど、はっきりと浮かび上がっていた。
そして王太子は、まだ知らない。
名を呼ばなくなった代償が、
これから、はっきりと“形”を持って現れることを。
王城の一日は、忙しなく始まり、そして終わる。
それは、ネフェリアが去ったあとも変わらない――はずだった。
だが、その日、王太子は奇妙な静けさに気づいていた。
執務室に集められた報告書の山。
外交、財政、内政。
どれも重要な案件であることに違いはない。
それなのに。
「……意見は?」
王太子が問いかけても、返ってくるのは慎重すぎる言葉ばかりだった。
「前例がありませんので……」 「念のため、次回に回すのが無難かと」 「もう少し情報を集めてから判断すべきでしょう」
どれも、間違ってはいない。
だが、決定には至らない。
王太子は、無意識のうちに視線を室内に巡らせていた。
いつもなら、視界の端に、ある人物の姿があったはずだ。
必要な情報を整理し、
要点を端的に示し、
選択肢と結果を冷静に並べる存在。
だが、そこにいるのは、高官たちだけ。
「……もう一度、整理し直そう」
そう口にした瞬間、王太子は気づいた。
“整理”という言葉を、誰に向けて発していないことに。
かつてなら、無意識に名を呼んでいたはずだった。
「ネフェリア、どう思う?」
その一言が、
思考の切り替えの合図だった。
だが今、その名は、会議の中で一度も出てこない。
誰も、彼女を話題にしない。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
会議が終わり、高官たちが退出していく。
王太子は、一人、椅子に深く腰を下ろした。
「……なぜだ」
小さく呟く。
彼女は、もうここにいない。
それは理解している。
だが、理解しているはずなのに、
頭のどこかが、追いついていなかった。
――名を呼ばなくなった。
それは、単なる習慣の問題ではない。
頼る相手を失った、という事実だった。
王太子は、机の上の引き継ぎ資料に手を伸ばす。
分厚い束。
必要最低限だと、彼女は言っていた。
ページをめくる。
確かに、情報はある。
だが、それは“静止した知識”に過ぎなかった。
今、この瞬間に何を優先すべきか。
どこを切り、どこを守るべきか。
その判断は、どこにも書かれていない。
「……彼女は」
言葉にしようとして、王太子は口を閉じる。
彼女は、資料以上のことをしていた。
日々変化する状況を見極め、
必要なら予定を組み替え、
問題が問題になる前に、消していた。
それを、自分は“当たり前”だと思っていた。
その夜、王城の廊下で、二人の高官が小声で話しているのを耳にする。
「最近、判断が遅いな」 「誰も、最終的にまとめないからな……」 「前は、自然と話がまとまっていたのに」
王太子は足を止める。
彼らは、ネフェリアの名を出さない。
だが、誰のことを指しているのかは、明白だった。
――呼ばれなくなったのは、名だけではない。
彼女が担っていた役割そのものが、
今、王国の中で空白になっている。
王太子は、夜の窓辺に立ち、遠くを見つめる。
王都の灯りは、変わらず輝いている。
だが、その下で、
何かが確実に遅れ、
噛み合わなくなっている。
「……戻ってきてくれ」
その言葉は、誰にも届かず、
ただ夜の闇に溶けていった。
ネフェリアの名は、もう会議では呼ばれない。
だが、呼ばれなくなったことで、
彼女の存在の大きさだけが、
皮肉なほど、はっきりと浮かび上がっていた。
そして王太子は、まだ知らない。
名を呼ばなくなった代償が、
これから、はっきりと“形”を持って現れることを。
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