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第7話 白い結婚の条件
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第7話 白い結婚の条件
シュヴァルツハルト公爵邸は、噂に違わぬ佇まいだった。
黒を基調とした外壁は、威圧感を与えながらも無駄な装飾を一切排している。
実用性と合理性を重視した設計は、当主の性格をそのまま映したかのようだった。
(……華美ではない。でも、隙もない)
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、馬車を降りながらそう評価する。
迎えに出た使用人たちの動きは揃っており、私語はない。
視線は控えめで、しかし観察は怠らない。
(徹底していますわね)
感情ではなく、規律で統治された屋敷。
それだけで、ディアナはこの家に対して一定の安心感を覚えた。
案内された応接室は、広いが質素だった。
重厚な調度品はあるが、無意味な豪華さはない。
ディアナが腰を下ろして間もなく、扉が開く。
「――お待たせした」
低く、落ち着いた声。
入室してきた男を見た瞬間、ディアナは内心で小さく息を呑んだ。
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルト。
噂通りの、冷たい印象の男だった。
背は高く、無駄のない体躯。
感情を映さぬ灰色の瞳が、静かにこちらを捉える。
だが――。
(……冷徹、というより)
彼女は、瞬時に言葉を選ぶ。
(無駄がない、ですわね)
感情が欠けているのではない。
最初から、不要なものを排しているだけ。
「ディアナ・フォン・ヴァイスリーベです」
彼女は立ち上がり、完璧な所作で一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
クロヴィスは短く応じ、席に着く。
「早速だが、本題に入っても構わないか」
「ええ。私も、そのつもりです」
互いに前置きは不要。
この場に感情の駆け引きはない。
クロヴィスは、机の上に一枚の書面を置いた。
「先日の手紙に記した条件が、基本だ」
視線が合う。
「婚姻は、政治的なものとする。
愛情を強要しない。
互いの領分に干渉しない」
淡々とした声。
だが、そこに曖昧さはない。
「確認したい」
クロヴィスは、ディアナを真っ直ぐ見た。
「この条件を、あなたは“都合が良い”と思っているのか」
試すような問いではない。
事実確認だ。
ディアナは、即座に答えた。
「はい。これ以上なく」
クロヴィスは、わずかに目を細める。
「理由は?」
「率直に申し上げますわ」
ディアナは、姿勢を崩さずに言った。
「私は、期待を背負うことに疲れました」 「誰かの隣で、誰かの不足を補う役割に」
言葉は静かだが、揺るぎはない。
「形だけの婚姻で構いません。
それぞれの役割を果たし、干渉しない。
それが、私にとっての“理想”です」
沈黙が落ちる。
クロヴィスは、しばらく何も言わずにディアナを見つめていた。
やがて、短く息を吐く。
「……理解した」
その一言に、軽蔑も失望もない。
むしろ。
(……安堵?)
ディアナは、一瞬そう感じた。
「誤解のないように言っておく」
クロヴィスが続ける。
「この婚姻に、裏の意図はない」 「あなたを王宮から引き抜くことで、権力を誇示するつもりもない」
「では……なぜ、私を?」
ディアナは、ついに核心を問う。
クロヴィスは、少しだけ言葉を選んだ。
「あなたは、有能だ」 「それも、目立たぬ形で」
ディアナの瞳が、わずかに揺れる。
「それは、信用に値する」
クロヴィスは、淡々と告げた。
「感情で動かない者は、約束を守る」 「それが、私にとって最も重要だ」
ディアナは、静かに息を吐いた。
(……評価の仕方が、あまりにも合理的ですわ)
だが、不思議と不快ではない。
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「条件に、異論はありません」
そう告げた瞬間、
この縁談は、ほぼ決まったと言っていい。
クロヴィスは、書面を差し出した。
「では、正式な契約として進める」 「世間には、円満な婚姻と発表する」
「承知しました」
二人の間に、握手はない。
感情的な高揚もない。
だが。
(……この方なら)
ディアナは、心の奥でそう思った。
(少なくとも、“失望させられる”ことはなさそうです)
応接室を出る際、クロヴィスがふと口を開いた。
「一つだけ」
「はい?」
「この婚姻で、不都合が生じた場合――」
ディアナは、静かに続きを待つ。
「即座に条件を見直す」 「あなたに、不利益を被らせるつもりはない」
その言葉は、冷静で、実務的だった。
だが――。
(……ずいぶんと、誠実ですこと)
ディアナは、ほんの少しだけ視線を和らげた。
「ありがとうございます」
屋敷を後にしながら、ディアナは思う。
これは、恋ではない。
期待もしない。
けれど。
(これほど安心できる“白い結婚”が、他にあるでしょうか)
彼女の人生は、確実に新しい段階へと踏み出した。
その一歩が、
やがて予想外の方向へ進むことを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
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シュヴァルツハルト公爵邸は、噂に違わぬ佇まいだった。
黒を基調とした外壁は、威圧感を与えながらも無駄な装飾を一切排している。
実用性と合理性を重視した設計は、当主の性格をそのまま映したかのようだった。
(……華美ではない。でも、隙もない)
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、馬車を降りながらそう評価する。
迎えに出た使用人たちの動きは揃っており、私語はない。
視線は控えめで、しかし観察は怠らない。
(徹底していますわね)
感情ではなく、規律で統治された屋敷。
それだけで、ディアナはこの家に対して一定の安心感を覚えた。
案内された応接室は、広いが質素だった。
重厚な調度品はあるが、無意味な豪華さはない。
ディアナが腰を下ろして間もなく、扉が開く。
「――お待たせした」
低く、落ち着いた声。
入室してきた男を見た瞬間、ディアナは内心で小さく息を呑んだ。
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルト。
噂通りの、冷たい印象の男だった。
背は高く、無駄のない体躯。
感情を映さぬ灰色の瞳が、静かにこちらを捉える。
だが――。
(……冷徹、というより)
彼女は、瞬時に言葉を選ぶ。
(無駄がない、ですわね)
感情が欠けているのではない。
最初から、不要なものを排しているだけ。
「ディアナ・フォン・ヴァイスリーベです」
彼女は立ち上がり、完璧な所作で一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
クロヴィスは短く応じ、席に着く。
「早速だが、本題に入っても構わないか」
「ええ。私も、そのつもりです」
互いに前置きは不要。
この場に感情の駆け引きはない。
クロヴィスは、机の上に一枚の書面を置いた。
「先日の手紙に記した条件が、基本だ」
視線が合う。
「婚姻は、政治的なものとする。
愛情を強要しない。
互いの領分に干渉しない」
淡々とした声。
だが、そこに曖昧さはない。
「確認したい」
クロヴィスは、ディアナを真っ直ぐ見た。
「この条件を、あなたは“都合が良い”と思っているのか」
試すような問いではない。
事実確認だ。
ディアナは、即座に答えた。
「はい。これ以上なく」
クロヴィスは、わずかに目を細める。
「理由は?」
「率直に申し上げますわ」
ディアナは、姿勢を崩さずに言った。
「私は、期待を背負うことに疲れました」 「誰かの隣で、誰かの不足を補う役割に」
言葉は静かだが、揺るぎはない。
「形だけの婚姻で構いません。
それぞれの役割を果たし、干渉しない。
それが、私にとっての“理想”です」
沈黙が落ちる。
クロヴィスは、しばらく何も言わずにディアナを見つめていた。
やがて、短く息を吐く。
「……理解した」
その一言に、軽蔑も失望もない。
むしろ。
(……安堵?)
ディアナは、一瞬そう感じた。
「誤解のないように言っておく」
クロヴィスが続ける。
「この婚姻に、裏の意図はない」 「あなたを王宮から引き抜くことで、権力を誇示するつもりもない」
「では……なぜ、私を?」
ディアナは、ついに核心を問う。
クロヴィスは、少しだけ言葉を選んだ。
「あなたは、有能だ」 「それも、目立たぬ形で」
ディアナの瞳が、わずかに揺れる。
「それは、信用に値する」
クロヴィスは、淡々と告げた。
「感情で動かない者は、約束を守る」 「それが、私にとって最も重要だ」
ディアナは、静かに息を吐いた。
(……評価の仕方が、あまりにも合理的ですわ)
だが、不思議と不快ではない。
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「条件に、異論はありません」
そう告げた瞬間、
この縁談は、ほぼ決まったと言っていい。
クロヴィスは、書面を差し出した。
「では、正式な契約として進める」 「世間には、円満な婚姻と発表する」
「承知しました」
二人の間に、握手はない。
感情的な高揚もない。
だが。
(……この方なら)
ディアナは、心の奥でそう思った。
(少なくとも、“失望させられる”ことはなさそうです)
応接室を出る際、クロヴィスがふと口を開いた。
「一つだけ」
「はい?」
「この婚姻で、不都合が生じた場合――」
ディアナは、静かに続きを待つ。
「即座に条件を見直す」 「あなたに、不利益を被らせるつもりはない」
その言葉は、冷静で、実務的だった。
だが――。
(……ずいぶんと、誠実ですこと)
ディアナは、ほんの少しだけ視線を和らげた。
「ありがとうございます」
屋敷を後にしながら、ディアナは思う。
これは、恋ではない。
期待もしない。
けれど。
(これほど安心できる“白い結婚”が、他にあるでしょうか)
彼女の人生は、確実に新しい段階へと踏み出した。
その一歩が、
やがて予想外の方向へ進むことを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
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