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第8話 周囲の誤解
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第8話 周囲の誤解
噂というものは、いつだって事実よりも足が速い。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベがシュヴァルツハルト公爵邸を訪れた翌日には、王都の社交界はすでに沸騰していた。
「聞きました? あの令嬢、公爵に“引き取られた”そうですわ」 「まあ……王太子に捨てられた直後に?」 「やはり、政治的な取引なのでしょうね」
午前の茶会。
集まる貴族夫人たちは、上品な微笑の裏で好奇心を燃やしている。
「しかも……“白い結婚”ですって」 「まあ……それはつまり……」
言葉の続きを、誰も口にしない。
だが、含意は同じだった。
――愛されていない。
――必要とされていない。
――ただの、都合のいい存在。
「可哀想に……」 「完璧すぎると、最後はこうなるのね」
同情という名の評価。
それが、今のディアナに貼られた仮面だった。
一方、王宮。
王太子エドガルド・ヴァルシュタインは、机に突っ伏すようにして報告書を睨みつけていた。
「……なぜ、こうなる」
内容は単純だった。
外交交渉の進捗遅延。
税収見込みの下方修正。
地方貴族からの不満。
どれも致命的ではない。
だが、積み重なれば確実に“痛い”。
「殿下……」
側近が、恐る恐る声をかける。
「シュヴァルツハルト公爵家との婚姻の件ですが……」 「正式発表は、来週になるとのことです」
「……そうか」
エドガルドは、無意識に拳を握った。
「白い結婚、だそうだな」
吐き捨てるような言い方だった。
「……はい。公にはそう伝えられています」
その言葉に、胸の奥で何かがざらつく。
(やはり、あの女は“必要とされていない”)
そう思うことで、なぜか自分を保とうとする。
だが、同時に――。
(なぜ、シュヴァルツハルト公爵が……)
疑問が消えない。
政治的価値だけなら、他にも候補はいるはずだ。
あえて、婚約破棄されたばかりの令嬢を選ぶ理由。
エドガルドは、考えまいとして思考を振り払った。
「どうでもいい」
そう言い切る声は、わずかに強がっていた。
その頃、ディアナ本人は――。
「……なるほど。そういう受け取り方をされているのですね」
侯爵家の応接室で、ディアナは報告を受けていた。
内容は、噂の数々。
同情、侮蔑、勝手な憶測。
「お嬢様……お辛くは……」
侍女が心配そうに尋ねる。
ディアナは、少し考えてから答えた。
「いいえ。むしろ……想定内ですわ」
穏やかな声音だった。
「“白い結婚”という言葉だけが独り歩きしている」 「契約内容など、誰も興味はないのでしょう」
彼女は、紅茶を一口飲む。
(……誤解は、盾にもなります)
誰も、真実を探ろうとしない。
“可哀想な令嬢”という分かりやすい物語に、皆が満足している。
それは、今のディアナにとって都合がよかった。
(余計な干渉も、期待も、向けられない)
――完璧な擬態。
そのとき、一通の手紙が差し出された。
差出人は、遠縁にあたる伯母。
内容は、あからさまな心配だった。
『無理をしていない?
公爵に何か弱みを握られているのではないでしょうね?』
ディアナは、思わず苦笑する。
「……本当に、皆さん想像力が豊かですわ」
だが、否定するつもりはなかった。
噂は、やがて落ち着く。
人々は、次の話題を探す。
それまでの間――。
(私は、静かに準備を整えるだけ)
ディアナは、机の上に置かれたもう一通の書簡を見る。
シュヴァルツハルト公爵家からの正式な日程通知。
公爵領へ移る準備について。
(……次は、環境が変わる)
王都から離れ、
噂から距離を置き、
“誰かの婚約者”ではなくなる。
ふと、クロヴィスの言葉が脳裏をよぎる。
『不都合が生じた場合、条件は見直す』
冷静で、合理的で、誠実。
(……噂とは、ずいぶん違いますわね)
ディアナは、窓の外を見た。
空は晴れている。
誤解され、同情され、軽んじられる――
それらすべてを受け入れた上で。
彼女は、一歩先を見ていた。
“白い結婚”は、
世間にとっては終着点。
だが、ディアナにとっては――
新しい人生の、ただの通過点に過ぎない。
そのことを、
まだ誰も理解していなかった。
噂というものは、いつだって事実よりも足が速い。
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベがシュヴァルツハルト公爵邸を訪れた翌日には、王都の社交界はすでに沸騰していた。
「聞きました? あの令嬢、公爵に“引き取られた”そうですわ」 「まあ……王太子に捨てられた直後に?」 「やはり、政治的な取引なのでしょうね」
午前の茶会。
集まる貴族夫人たちは、上品な微笑の裏で好奇心を燃やしている。
「しかも……“白い結婚”ですって」 「まあ……それはつまり……」
言葉の続きを、誰も口にしない。
だが、含意は同じだった。
――愛されていない。
――必要とされていない。
――ただの、都合のいい存在。
「可哀想に……」 「完璧すぎると、最後はこうなるのね」
同情という名の評価。
それが、今のディアナに貼られた仮面だった。
一方、王宮。
王太子エドガルド・ヴァルシュタインは、机に突っ伏すようにして報告書を睨みつけていた。
「……なぜ、こうなる」
内容は単純だった。
外交交渉の進捗遅延。
税収見込みの下方修正。
地方貴族からの不満。
どれも致命的ではない。
だが、積み重なれば確実に“痛い”。
「殿下……」
側近が、恐る恐る声をかける。
「シュヴァルツハルト公爵家との婚姻の件ですが……」 「正式発表は、来週になるとのことです」
「……そうか」
エドガルドは、無意識に拳を握った。
「白い結婚、だそうだな」
吐き捨てるような言い方だった。
「……はい。公にはそう伝えられています」
その言葉に、胸の奥で何かがざらつく。
(やはり、あの女は“必要とされていない”)
そう思うことで、なぜか自分を保とうとする。
だが、同時に――。
(なぜ、シュヴァルツハルト公爵が……)
疑問が消えない。
政治的価値だけなら、他にも候補はいるはずだ。
あえて、婚約破棄されたばかりの令嬢を選ぶ理由。
エドガルドは、考えまいとして思考を振り払った。
「どうでもいい」
そう言い切る声は、わずかに強がっていた。
その頃、ディアナ本人は――。
「……なるほど。そういう受け取り方をされているのですね」
侯爵家の応接室で、ディアナは報告を受けていた。
内容は、噂の数々。
同情、侮蔑、勝手な憶測。
「お嬢様……お辛くは……」
侍女が心配そうに尋ねる。
ディアナは、少し考えてから答えた。
「いいえ。むしろ……想定内ですわ」
穏やかな声音だった。
「“白い結婚”という言葉だけが独り歩きしている」 「契約内容など、誰も興味はないのでしょう」
彼女は、紅茶を一口飲む。
(……誤解は、盾にもなります)
誰も、真実を探ろうとしない。
“可哀想な令嬢”という分かりやすい物語に、皆が満足している。
それは、今のディアナにとって都合がよかった。
(余計な干渉も、期待も、向けられない)
――完璧な擬態。
そのとき、一通の手紙が差し出された。
差出人は、遠縁にあたる伯母。
内容は、あからさまな心配だった。
『無理をしていない?
公爵に何か弱みを握られているのではないでしょうね?』
ディアナは、思わず苦笑する。
「……本当に、皆さん想像力が豊かですわ」
だが、否定するつもりはなかった。
噂は、やがて落ち着く。
人々は、次の話題を探す。
それまでの間――。
(私は、静かに準備を整えるだけ)
ディアナは、机の上に置かれたもう一通の書簡を見る。
シュヴァルツハルト公爵家からの正式な日程通知。
公爵領へ移る準備について。
(……次は、環境が変わる)
王都から離れ、
噂から距離を置き、
“誰かの婚約者”ではなくなる。
ふと、クロヴィスの言葉が脳裏をよぎる。
『不都合が生じた場合、条件は見直す』
冷静で、合理的で、誠実。
(……噂とは、ずいぶん違いますわね)
ディアナは、窓の外を見た。
空は晴れている。
誤解され、同情され、軽んじられる――
それらすべてを受け入れた上で。
彼女は、一歩先を見ていた。
“白い結婚”は、
世間にとっては終着点。
だが、ディアナにとっては――
新しい人生の、ただの通過点に過ぎない。
そのことを、
まだ誰も理解していなかった。
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