7 / 41
第7話 白い結婚の条件
しおりを挟む
第7話 白い結婚の条件
シュヴァルツハルト公爵邸は、噂に違わぬ佇まいだった。
黒を基調とした外壁は、威圧感を与えながらも無駄な装飾を一切排している。
実用性と合理性を重視した設計は、当主の性格をそのまま映したかのようだった。
(……華美ではない。でも、隙もない)
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、馬車を降りながらそう評価する。
迎えに出た使用人たちの動きは揃っており、私語はない。
視線は控えめで、しかし観察は怠らない。
(徹底していますわね)
感情ではなく、規律で統治された屋敷。
それだけで、ディアナはこの家に対して一定の安心感を覚えた。
案内された応接室は、広いが質素だった。
重厚な調度品はあるが、無意味な豪華さはない。
ディアナが腰を下ろして間もなく、扉が開く。
「――お待たせした」
低く、落ち着いた声。
入室してきた男を見た瞬間、ディアナは内心で小さく息を呑んだ。
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルト。
噂通りの、冷たい印象の男だった。
背は高く、無駄のない体躯。
感情を映さぬ灰色の瞳が、静かにこちらを捉える。
だが――。
(……冷徹、というより)
彼女は、瞬時に言葉を選ぶ。
(無駄がない、ですわね)
感情が欠けているのではない。
最初から、不要なものを排しているだけ。
「ディアナ・フォン・ヴァイスリーベです」
彼女は立ち上がり、完璧な所作で一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
クロヴィスは短く応じ、席に着く。
「早速だが、本題に入っても構わないか」
「ええ。私も、そのつもりです」
互いに前置きは不要。
この場に感情の駆け引きはない。
クロヴィスは、机の上に一枚の書面を置いた。
「先日の手紙に記した条件が、基本だ」
視線が合う。
「婚姻は、政治的なものとする。
愛情を強要しない。
互いの領分に干渉しない」
淡々とした声。
だが、そこに曖昧さはない。
「確認したい」
クロヴィスは、ディアナを真っ直ぐ見た。
「この条件を、あなたは“都合が良い”と思っているのか」
試すような問いではない。
事実確認だ。
ディアナは、即座に答えた。
「はい。これ以上なく」
クロヴィスは、わずかに目を細める。
「理由は?」
「率直に申し上げますわ」
ディアナは、姿勢を崩さずに言った。
「私は、期待を背負うことに疲れました」 「誰かの隣で、誰かの不足を補う役割に」
言葉は静かだが、揺るぎはない。
「形だけの婚姻で構いません。
それぞれの役割を果たし、干渉しない。
それが、私にとっての“理想”です」
沈黙が落ちる。
クロヴィスは、しばらく何も言わずにディアナを見つめていた。
やがて、短く息を吐く。
「……理解した」
その一言に、軽蔑も失望もない。
むしろ。
(……安堵?)
ディアナは、一瞬そう感じた。
「誤解のないように言っておく」
クロヴィスが続ける。
「この婚姻に、裏の意図はない」 「あなたを王宮から引き抜くことで、権力を誇示するつもりもない」
「では……なぜ、私を?」
ディアナは、ついに核心を問う。
クロヴィスは、少しだけ言葉を選んだ。
「あなたは、有能だ」 「それも、目立たぬ形で」
ディアナの瞳が、わずかに揺れる。
「それは、信用に値する」
クロヴィスは、淡々と告げた。
「感情で動かない者は、約束を守る」 「それが、私にとって最も重要だ」
ディアナは、静かに息を吐いた。
(……評価の仕方が、あまりにも合理的ですわ)
だが、不思議と不快ではない。
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「条件に、異論はありません」
そう告げた瞬間、
この縁談は、ほぼ決まったと言っていい。
クロヴィスは、書面を差し出した。
「では、正式な契約として進める」 「世間には、円満な婚姻と発表する」
「承知しました」
二人の間に、握手はない。
感情的な高揚もない。
だが。
(……この方なら)
ディアナは、心の奥でそう思った。
(少なくとも、“失望させられる”ことはなさそうです)
応接室を出る際、クロヴィスがふと口を開いた。
「一つだけ」
「はい?」
「この婚姻で、不都合が生じた場合――」
ディアナは、静かに続きを待つ。
「即座に条件を見直す」 「あなたに、不利益を被らせるつもりはない」
その言葉は、冷静で、実務的だった。
だが――。
(……ずいぶんと、誠実ですこと)
ディアナは、ほんの少しだけ視線を和らげた。
「ありがとうございます」
屋敷を後にしながら、ディアナは思う。
これは、恋ではない。
期待もしない。
けれど。
(これほど安心できる“白い結婚”が、他にあるでしょうか)
彼女の人生は、確実に新しい段階へと踏み出した。
その一歩が、
やがて予想外の方向へ進むことを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
-
シュヴァルツハルト公爵邸は、噂に違わぬ佇まいだった。
黒を基調とした外壁は、威圧感を与えながらも無駄な装飾を一切排している。
実用性と合理性を重視した設計は、当主の性格をそのまま映したかのようだった。
(……華美ではない。でも、隙もない)
ディアナ・フォン・ヴァイスリーベは、馬車を降りながらそう評価する。
迎えに出た使用人たちの動きは揃っており、私語はない。
視線は控えめで、しかし観察は怠らない。
(徹底していますわね)
感情ではなく、規律で統治された屋敷。
それだけで、ディアナはこの家に対して一定の安心感を覚えた。
案内された応接室は、広いが質素だった。
重厚な調度品はあるが、無意味な豪華さはない。
ディアナが腰を下ろして間もなく、扉が開く。
「――お待たせした」
低く、落ち着いた声。
入室してきた男を見た瞬間、ディアナは内心で小さく息を呑んだ。
クロヴィス・フォン・シュヴァルツハルト。
噂通りの、冷たい印象の男だった。
背は高く、無駄のない体躯。
感情を映さぬ灰色の瞳が、静かにこちらを捉える。
だが――。
(……冷徹、というより)
彼女は、瞬時に言葉を選ぶ。
(無駄がない、ですわね)
感情が欠けているのではない。
最初から、不要なものを排しているだけ。
「ディアナ・フォン・ヴァイスリーベです」
彼女は立ち上がり、完璧な所作で一礼した。
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
クロヴィスは短く応じ、席に着く。
「早速だが、本題に入っても構わないか」
「ええ。私も、そのつもりです」
互いに前置きは不要。
この場に感情の駆け引きはない。
クロヴィスは、机の上に一枚の書面を置いた。
「先日の手紙に記した条件が、基本だ」
視線が合う。
「婚姻は、政治的なものとする。
愛情を強要しない。
互いの領分に干渉しない」
淡々とした声。
だが、そこに曖昧さはない。
「確認したい」
クロヴィスは、ディアナを真っ直ぐ見た。
「この条件を、あなたは“都合が良い”と思っているのか」
試すような問いではない。
事実確認だ。
ディアナは、即座に答えた。
「はい。これ以上なく」
クロヴィスは、わずかに目を細める。
「理由は?」
「率直に申し上げますわ」
ディアナは、姿勢を崩さずに言った。
「私は、期待を背負うことに疲れました」 「誰かの隣で、誰かの不足を補う役割に」
言葉は静かだが、揺るぎはない。
「形だけの婚姻で構いません。
それぞれの役割を果たし、干渉しない。
それが、私にとっての“理想”です」
沈黙が落ちる。
クロヴィスは、しばらく何も言わずにディアナを見つめていた。
やがて、短く息を吐く。
「……理解した」
その一言に、軽蔑も失望もない。
むしろ。
(……安堵?)
ディアナは、一瞬そう感じた。
「誤解のないように言っておく」
クロヴィスが続ける。
「この婚姻に、裏の意図はない」 「あなたを王宮から引き抜くことで、権力を誇示するつもりもない」
「では……なぜ、私を?」
ディアナは、ついに核心を問う。
クロヴィスは、少しだけ言葉を選んだ。
「あなたは、有能だ」 「それも、目立たぬ形で」
ディアナの瞳が、わずかに揺れる。
「それは、信用に値する」
クロヴィスは、淡々と告げた。
「感情で動かない者は、約束を守る」 「それが、私にとって最も重要だ」
ディアナは、静かに息を吐いた。
(……評価の仕方が、あまりにも合理的ですわ)
だが、不思議と不快ではない。
彼女は、少しだけ微笑んだ。
「条件に、異論はありません」
そう告げた瞬間、
この縁談は、ほぼ決まったと言っていい。
クロヴィスは、書面を差し出した。
「では、正式な契約として進める」 「世間には、円満な婚姻と発表する」
「承知しました」
二人の間に、握手はない。
感情的な高揚もない。
だが。
(……この方なら)
ディアナは、心の奥でそう思った。
(少なくとも、“失望させられる”ことはなさそうです)
応接室を出る際、クロヴィスがふと口を開いた。
「一つだけ」
「はい?」
「この婚姻で、不都合が生じた場合――」
ディアナは、静かに続きを待つ。
「即座に条件を見直す」 「あなたに、不利益を被らせるつもりはない」
その言葉は、冷静で、実務的だった。
だが――。
(……ずいぶんと、誠実ですこと)
ディアナは、ほんの少しだけ視線を和らげた。
「ありがとうございます」
屋敷を後にしながら、ディアナは思う。
これは、恋ではない。
期待もしない。
けれど。
(これほど安心できる“白い結婚”が、他にあるでしょうか)
彼女の人生は、確実に新しい段階へと踏み出した。
その一歩が、
やがて予想外の方向へ進むことを――
この時点では、まだ誰も知らなかった。
-
0
あなたにおすすめの小説
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と義妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
『婚約破棄された悪役令嬢ですが、嫁ぎ先で“連れ子三人”の母になりました ~三人の「ママ」が聞けるまで、私は絶対に逃げません~』
放浪人
恋愛
「母はいりません」と拒絶された悪役令嬢が、最強の“ママ”になるまでの物語。
「君のような可愛げのない女は、王妃にふさわしくない」
身に覚えのない罪で婚約破棄され、“悪役令嬢”の汚名を着せられたクラリス。 彼女が新たに嫁いだのは、北方の辺境を守る「氷の公爵」ことレオンハルト・フォン・グレイフだった。
冷え切った屋敷で彼女を待っていたのは、無表情な夫と、心に傷を負った三人の連れ子たち。 「僕たちに、母はいりません」 初対面で突きつけられた三つの拒絶。しかし、クラリスは諦めなかった。
「称号はいりません。私が欲しいのは――あなたたち三人の『ママ』になれる日だけです」
得意の生活魔法『灯(ともしび)』で凍えた部屋を温め、『鎮(しずめ)』の歌で夜泣きを癒やし、家政手腕で荒れた食卓を立て直す。 クラリスの献身的な愛情は、頑なだった子供たちの心を解きほぐし、やがて不器用な夫の氷の心さえも熱く溶かしていく。
これは、不遇な悪役令嬢が「最強の母」となり、家族を脅かす元婚約者や魔獣たちを華麗に撃退し、最愛の家族から「ママ」と呼ばれるその日までを綴った物語。
妹のために愛の無い結婚をすることになりました
バンブー竹田
恋愛
「エミリー、君との婚約は破棄することに決まった」
愛するラルフからの唐突な通告に私は言葉を失ってしまった。
婚約が破棄されたことはもちろんショックだけど、それだけじゃない。
私とラルフの結婚は妹のシエルの命がかかったものでもあったから・・・。
落ちこむ私のもとに『アレン』という大金持ちの平民からの縁談が舞い込んできた。
思い悩んだ末、私は会ったこともない殿方と結婚することに決めた。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
謹んで、婚約破棄をお受けいたします。
パリパリかぷちーの
恋愛
きつい目つきと素直でない性格から『悪役令嬢』と噂される公爵令嬢マーブル。彼女は、王太子ジュリアンの婚約者であったが、王子の新たな恋人である男爵令嬢クララの策略により、夜会の場で大勢の貴族たちの前で婚約を破棄されてしまう。
白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします
鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。
だが彼女は泣かなかった。
なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。
教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。
それは逃避ではない。
男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。
やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。
王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。
一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。
これは、愛を巡る物語ではない。
「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。
白は弱さではない。
白は、均衡を保つ力。
白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。
【完結】廃墟送りの悪役令嬢、大陸一の都市を爆誕させる~冷酷伯爵の溺愛も限界突破しています~
遠野エン
恋愛
王太子から理不尽な婚約破棄を突きつけられた伯爵令嬢ルティア。聖女であるライバルの策略で「悪女」の烙印を押され、すべてを奪われた彼女が追放された先は荒れ果てた「廃墟の街」。人生のどん底――かと思いきや、ルティアは不敵に微笑んだ。
「問題が山積み? つまり、改善の余地(チャンス)しかありませんわ!」
彼女には前世で凄腕【経営コンサルタント】だった知識が眠っていた。
瓦礫を資材に変えてインフラ整備、ゴロツキたちを警備隊として雇用、嫌われ者のキノコや雑草(?)を名物料理「キノコスープ」や「うどん」に変えて大ヒット!
彼女の手腕によって、死んだ街は瞬く間に大陸随一の活気あふれる自由交易都市へと変貌を遂げる!
その姿に、当初彼女を蔑んでいた冷酷伯爵シオンの心も次第に溶かされていき…。
一方、ルティアを追放した王国は経済が破綻し、崩壊寸前。焦った元婚約者の王太子がやってくるが、幸せな市民と最愛の伯爵に守られた彼女にもう死角なんてない――――。
知恵と才覚で運命を切り拓く、痛快逆転サクセス&シンデレラストーリー、ここに開幕!
婚約破棄された令嬢は“図書館勤務”を満喫中
かしおり
恋愛
「君は退屈だ」と婚約を破棄された令嬢クラリス。社交界にも、実家にも居場所を失った彼女がたどり着いたのは、静かな田舎町アシュベリーの図書館でした。
本の声が聞こえるような不思議な感覚と、真面目で控えめな彼女の魅力は、少しずつ周囲の人々の心を癒していきます。
そんな中、図書館に通う謎めいた青年・リュカとの出会いが、クラリスの世界を大きく変えていく――
身分も立場も異なるふたりの静かで知的な恋は、やがて王都をも巻き込む運命へ。
癒しと知性が紡ぐ、身分差ロマンス。図書館の窓辺から始まる、幸せな未来の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる