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第21話 取り返せない一手
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第21話 取り返せない一手
式典の夜、王宮の執務室は明かりが消えなかった。
エドガルド・ヴァルシュタインは、机に広げられた書類を見つめたまま、ほとんど動いていない。
頭では理解している。
――あの場で、これ以上踏み込めば逆効果だった。
――公の場で押し切れなかった時点で、一度引くべきだった。
だが。
(……なぜだ)
胸の奥に、焦りが渦巻く。
ディアナが、王宮の言葉を拒んだ。
それも、怯えも迷いもなく。
そして、クロヴィスと並び立って。
(……あんな顔、見たことがない)
彼女は、王宮にいた頃、
常に一歩引いていた。
整え、支え、譲る。
それが“正しい在り方”だと、思い込んでいた。
それが、今は違う。
(……奪われたわけじゃない)
(彼女は、自分で選んだ)
分かっている。
だからこそ、余計に耐え難い。
「殿下」
側近が、慎重に声をかける。
「本日は、ここまでにされては……」
「いや」
エドガルドは、顔を上げた。
「ここで止まれば、完全に終わる」
その言葉に、側近は息を呑んだ。
「……殿下」
「聞け」
低く、強い声。
「シュヴァルツハルト公爵領の反対派」 「まだ、動いている者がいるな」
側近は、目を伏せる。
「……おります」 「先の事件で、表に出なかった者たちが」
「そこと、繋げ」
一瞬、沈黙。
「殿下……それは」
「直接手は出さない」
エドガルドは、即座に言う。
「“王宮の意思”ではない」 「だが……」
言葉を切り、続ける。
「公爵が、妻を守りきれなかった」 「そう印象づけることは、できる」
側近の顔色が変わる。
「……それは、危険です」 「公爵を敵に回すことになります」
「もう、回している」
エドガルドは、吐き捨てるように言った。
「公の場で、ああまで言われて」 「今さら、穏便に済むと思うか?」
沈黙が続く。
やがて、側近は深く頭を下げた。
「……承知しました」 「ですが、証拠は残らぬように」
「当然だ」
その瞬間。
エドガルドは、自分が何を選んだのかを――
正確には、理解していなかった。
***
一方、シュヴァルツハルト公爵邸。
夜の回廊を、クロヴィスが静かに歩いていた。
(……妙だ)
式典から戻って以降、
領内の動きが、わずかに乱れている。
表面上は、平穏。
だが、情報の流れに“偏り”がある。
報告が、遅れる。
連絡が、一段階遠回りになる。
(……誰かが、間に入っている)
執務室に戻ると、机の上に一通の報告書が置かれていた。
「……?」
内容は、些細なものだ。
街道での小競り合い。
護衛と商人の口論。
だが、クロヴィスは即座に気づいた。
(……誘導だ)
事件としては、軽い。
だが、積み重ねれば――。
「公爵様」
執事が、低い声で告げる。
「王都方面から、資金の流れが確認されました」
「……誰の名義だ」
「表向きは、商会です」 「ですが……裏を辿ると」
クロヴィスの視線が、鋭くなる。
「……王宮か」
「はい」
確証はない。
だが、十分だった。
クロヴィスは、静かに立ち上がる。
「……越えたな」
それは、怒りではない。
判断だ。
***
その頃、ディアナは自室で、手紙を読んでいた。
王都から届いた、遠縁の貴族からの便。
『心配している
王宮が、あなたを案じている』
同じ文面。
同じ言い回し。
(……来ましたわね)
“周囲からの揺さぶり”。
第19話でクロヴィスが言っていた通りだ。
ディアナは、手紙を丁寧に畳み、机に置いた。
(でも……)
胸の奥に、不思議な落ち着きがある。
(もう、迷わない)
ノックが響く。
「……ディアナ」
クロヴィスだった。
「少し、話がある」
「ええ」
彼の表情は、いつもより硬い。
「王宮が、裏で動いている」
率直な告白。
「俺の領内に、間接的に干渉してきた」
ディアナは、驚かなかった。
「……やはり」
「だが」
クロヴィスは、彼女を見据えた。
「これは、完全に“一線越え”だ」
「……どうなさるのですか」
ディアナの問いに、クロヴィスは迷わなかった。
「公爵として、対処する」
「王宮ではなく」 「“個人”としてのエドガルド・ヴァルシュタインに」
その言葉の意味を、ディアナは正確に理解した。
(……逃げ道を、断つ)
権威ではなく、責任を問う。
それは、王太子にとって――
最も痛い形だ。
「……私も、関わるべきでしょうか」
ディアナは、静かに尋ねた。
クロヴィスは、一瞬だけ考え――首を振る。
「いい」
はっきりと。
「これは、俺の戦いだ」 「あなたは――」
言葉を切り、続ける。
「ここにいてくれ」
その一言に、ディアナの胸が温かくなる。
「……分かりました」
夜。
王宮では、まだ誰も気づいていない。
エドガルドの“さりげない一手”が、
どれほど致命的な意味を持つのか。
だが、確実に言えることがある。
それは――
もう、後戻りできない局面に入ったということ。
王太子は、
取り返そうとして踏み出したその一歩で、
すべてを失う準備を、自ら整えてしまった。
---
式典の夜、王宮の執務室は明かりが消えなかった。
エドガルド・ヴァルシュタインは、机に広げられた書類を見つめたまま、ほとんど動いていない。
頭では理解している。
――あの場で、これ以上踏み込めば逆効果だった。
――公の場で押し切れなかった時点で、一度引くべきだった。
だが。
(……なぜだ)
胸の奥に、焦りが渦巻く。
ディアナが、王宮の言葉を拒んだ。
それも、怯えも迷いもなく。
そして、クロヴィスと並び立って。
(……あんな顔、見たことがない)
彼女は、王宮にいた頃、
常に一歩引いていた。
整え、支え、譲る。
それが“正しい在り方”だと、思い込んでいた。
それが、今は違う。
(……奪われたわけじゃない)
(彼女は、自分で選んだ)
分かっている。
だからこそ、余計に耐え難い。
「殿下」
側近が、慎重に声をかける。
「本日は、ここまでにされては……」
「いや」
エドガルドは、顔を上げた。
「ここで止まれば、完全に終わる」
その言葉に、側近は息を呑んだ。
「……殿下」
「聞け」
低く、強い声。
「シュヴァルツハルト公爵領の反対派」 「まだ、動いている者がいるな」
側近は、目を伏せる。
「……おります」 「先の事件で、表に出なかった者たちが」
「そこと、繋げ」
一瞬、沈黙。
「殿下……それは」
「直接手は出さない」
エドガルドは、即座に言う。
「“王宮の意思”ではない」 「だが……」
言葉を切り、続ける。
「公爵が、妻を守りきれなかった」 「そう印象づけることは、できる」
側近の顔色が変わる。
「……それは、危険です」 「公爵を敵に回すことになります」
「もう、回している」
エドガルドは、吐き捨てるように言った。
「公の場で、ああまで言われて」 「今さら、穏便に済むと思うか?」
沈黙が続く。
やがて、側近は深く頭を下げた。
「……承知しました」 「ですが、証拠は残らぬように」
「当然だ」
その瞬間。
エドガルドは、自分が何を選んだのかを――
正確には、理解していなかった。
***
一方、シュヴァルツハルト公爵邸。
夜の回廊を、クロヴィスが静かに歩いていた。
(……妙だ)
式典から戻って以降、
領内の動きが、わずかに乱れている。
表面上は、平穏。
だが、情報の流れに“偏り”がある。
報告が、遅れる。
連絡が、一段階遠回りになる。
(……誰かが、間に入っている)
執務室に戻ると、机の上に一通の報告書が置かれていた。
「……?」
内容は、些細なものだ。
街道での小競り合い。
護衛と商人の口論。
だが、クロヴィスは即座に気づいた。
(……誘導だ)
事件としては、軽い。
だが、積み重ねれば――。
「公爵様」
執事が、低い声で告げる。
「王都方面から、資金の流れが確認されました」
「……誰の名義だ」
「表向きは、商会です」 「ですが……裏を辿ると」
クロヴィスの視線が、鋭くなる。
「……王宮か」
「はい」
確証はない。
だが、十分だった。
クロヴィスは、静かに立ち上がる。
「……越えたな」
それは、怒りではない。
判断だ。
***
その頃、ディアナは自室で、手紙を読んでいた。
王都から届いた、遠縁の貴族からの便。
『心配している
王宮が、あなたを案じている』
同じ文面。
同じ言い回し。
(……来ましたわね)
“周囲からの揺さぶり”。
第19話でクロヴィスが言っていた通りだ。
ディアナは、手紙を丁寧に畳み、机に置いた。
(でも……)
胸の奥に、不思議な落ち着きがある。
(もう、迷わない)
ノックが響く。
「……ディアナ」
クロヴィスだった。
「少し、話がある」
「ええ」
彼の表情は、いつもより硬い。
「王宮が、裏で動いている」
率直な告白。
「俺の領内に、間接的に干渉してきた」
ディアナは、驚かなかった。
「……やはり」
「だが」
クロヴィスは、彼女を見据えた。
「これは、完全に“一線越え”だ」
「……どうなさるのですか」
ディアナの問いに、クロヴィスは迷わなかった。
「公爵として、対処する」
「王宮ではなく」 「“個人”としてのエドガルド・ヴァルシュタインに」
その言葉の意味を、ディアナは正確に理解した。
(……逃げ道を、断つ)
権威ではなく、責任を問う。
それは、王太子にとって――
最も痛い形だ。
「……私も、関わるべきでしょうか」
ディアナは、静かに尋ねた。
クロヴィスは、一瞬だけ考え――首を振る。
「いい」
はっきりと。
「これは、俺の戦いだ」 「あなたは――」
言葉を切り、続ける。
「ここにいてくれ」
その一言に、ディアナの胸が温かくなる。
「……分かりました」
夜。
王宮では、まだ誰も気づいていない。
エドガルドの“さりげない一手”が、
どれほど致命的な意味を持つのか。
だが、確実に言えることがある。
それは――
もう、後戻りできない局面に入ったということ。
王太子は、
取り返そうとして踏み出したその一歩で、
すべてを失う準備を、自ら整えてしまった。
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