『婚約破棄された公爵令嬢は、王と交わらない道を選ぶ』

ふわふわ

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第27話 遅れの価値

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第27話 遅れの価値

 重ねない選択が続くと、次に現れるのは“遅れ”への不安だった。
 誰かが先に進み、こちらが立ち止まっているように見える瞬間。
 数字は安定しているのに、心だけが前のめりになる。

 アルベルトは朝の回覧を読み終え、最後の一行に指を止めた。

――隣国、港湾拡張を前倒し。
――税制優遇を伴う見込み。

(早いな)

 焦りではない。
 比較が、静かに頭をよぎる。

 老侯爵が控えめに言う。

「追随しますか?」

「しない」

 即答だった。

「前倒しは、前提が揃ってからだ。こちらは、まだ整備の途中だ」

 速さは、条件が揃って初めて意味を持つ。
 条件を削って走れば、遅れは後から必ず来る。

 彼は一つ、追加の確認を指示した。

「我が国の港湾、事故率と保守費を洗い直せ。前倒しの“代償”を見たい」

 昼までに、資料が戻る。
 事故率は低下、保守費は抑制。
 整えてきた分が、数字になっている。

(遅れているのではない。蓄えている)

 午後、王宮では若い官が呟いた。

「隣国の話題で、現場がざわついています」

「なら、見せよう」

 アルベルトは、比較表を公開した。
 完成速度ではなく、稼働後の安定を軸に。

――初期事故率
――保守費の年次推移
――停止時間の平均

 風向きは、派手に変わらない。
 だが、ざわめきは収まる。

 一方、領地。
 エレノアは、来月予定していた加工施設の説明会を一週遅らせた。
 理由は単純だ。資材の供給が読めない。

「遅らせます」

 側近が言う。

「評判が落ちませんか?」

「評判は、後で戻せます。信頼は、壊れたら戻りません」

 彼女は掲示板に追記した。

――供給安定後に実施
――代替案を先に提示
――延期理由を公開

 人々は、不満を漏らしながらも、理由を読む。
 怒号は上がらない。

(遅れは、説明とセット)

 説明があれば、遅れは“選択”になる。

 夕刻、王宮で老侯爵が言った。

「隣国は、勢いがあります」

「勢いは、使いどころだ。今ではない」

 アルベルトは、窓外の港を見下ろす。
 荷は滞らず、クレーンは一定のリズムで動いている。

 同じ夕刻、エレノアは倉庫を巡り、在庫を確認した。
 余裕は多くない。だが、足りないわけでもない。

(遅れには、価値がある)

 考える時間。
 整える時間。
 説明する時間。

 夜。
 王宮の灯りは控えめで、会議は短い。
 領地の家々にも、早めに灯りが落ちる。

 翌朝、隣国の前倒しは、軽い混乱を生んだという噂が届いた。
 大事ではない。だが、修正が必要になる。

 アルベルトは、報告書を閉じた。

「急がなくていい」

 エレノアは、帳簿に小さく書き足す。

「来週で、十分」

 遅れの価値は、派手ではない。
 だが、崩れない。

 王は、条件が揃うまで待ち、
 公爵令嬢は、説明が届くまで遅らせる。

 交わらぬ道でも、同じ理解がある。
 遅れは、失敗ではない。
 選び取った、時間だった。
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