婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした

ふわふわ

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3話 消えた人の、正体

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3話 消えた人の、正体

 翌朝の王宮は、昨夜の祝宴の余韻を引きずりながらも、どこか落ち着かない空気に包まれていた。

 執務室に集められた官僚たちは、帳簿を前に首をひねり、互いの顔を見合わせている。

「……おかしいですね。支出予定と実支出が、微妙に噛み合っていない」 「いや、数字自体は合っている。ただ……説明が足りない」

 財務官が眉間に皺を寄せる。

「この調整、誰がやっていた?」

 その問いに、しばし沈黙が落ちた。

「……フォーマルハウト公爵令嬢、ですな」

 誰かがそう呟いた瞬間、空気がわずかに凍る。

「いや、しかし彼女はもう……」 「ええ。昨夜、婚約破棄されたと」

 財務官は咳払いをした。

「では、今月分の調整は?」

「……引き継ぎは、受けていません」

 小さなどよめきが広がった。

 これまで問題なく回っていた王宮の財務は、誰か一人の天才によってではなく、“気が利く誰か”によって、毎回微調整されていた。その存在がいなくなっただけで、歯車は目に見えない狂いを生み始めている。

 一方、王太子レオンハルトは、私室で新聖女セラフィナと朝食を取っていた。

「殿下、これからは私もお役に立てるよう、頑張りますね」

 彼女はそう言って、柔らかく微笑む。

「無理をする必要はない。君は、聖女としてそこにいればいい」

 その言葉に、セラフィナはほっとしたように頷いた。

 ――そう。
 彼女は“何もしなくていい”存在だ。

 それが、昨夜までは美点に見えていた。
 だが、今朝になってから、胸の奥に小さな違和感が残っている。

(……タリタは、違った)

 ふと、そう思ってしまう。

 彼女は常に、何かをしていた。
 自分の評価を求めることもなく、目立つこともなく、ただ淡々と。

「殿下?」

「……ああ、すまない」

 レオンハルトは首を振り、その思考を追い払った。

(終わったことだ)

 彼女は地味で、退屈で、王妃には相応しくなかった。
 そう、判断したのは自分だ。

 だがその日の昼、再び報告が届く。

「殿下、午後の貴族会議ですが……席次の最終案が見当たりません」 「は?」

「例年ですと、フォーマルハウト公爵令嬢が……」

 その名が出るたび、胸の奥がわずかに軋む。

「……適当に決めろ」

 苛立ちを隠さずそう命じると、侍従は困惑した顔で下がっていった。

 その結果、会議は些細な席順で揉めに揉め、開始は一時間以上遅れた。

 小さな問題。
 だが、それは確実に積み重なっていく。

 一方その頃、私は王都から遠く離れたフォーマルハウト家の領地へ向かう馬車の中にいた。

 窓の外には、懐かしい風景が流れていく。

「お嬢様……いえ、タリタ様。こちらに戻られるのは、久しぶりですね」

「ええ」

 私は頷いた。

「けれど、不思議と落ち着きますわ」

 王宮では、常に誰かの期待に応え、誰かの失敗を補ってきた。
 それが役目だと、疑いもしなかった。

 けれど今は違う。

(私は、ただ降りただけ)

 王宮を壊そうとしたわけでも、復讐を誓ったわけでもない。
 ただ、支える役目を終えただけ。

 それだけで困るのなら――
 それは、最初から脆かったということだ。

 馬車は領地の門をくぐる。
 ここから先、私は“フォーマルハウト公爵令嬢”としてではなく、
 一人の領主として、静かに歩き出す。

 そして王宮では、まだ誰も気づいていなかった。

 消えた人が、
 ただの“地味な令嬢”ではなかったことを。
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