2 / 40
2話 祝福の裏で、歯車がずれ始める
しおりを挟む
2話 祝福の裏で、歯車がずれ始める
王宮の夜は、祝福に満ちていた。
少なくとも、表向きは。
舞踏会の後半は、婚約破棄という衝撃的な出来事が嘘だったかのように再び音楽が流れ、貴族たちは笑顔を取り戻していた。王太子レオンハルトの周囲には人だかりができ、口々に「英断でしたな」「新しい時代の象徴です」と持ち上げる声が飛び交う。
彼はそれらに満足げに頷きながら、腕に縋る新聖女セラフィナを見下ろした。
「緊張しているのか?」
「い、いえ……ただ、少し驚いていて……」
セラフィナはそう言って、はにかむように微笑んだ。その仕草は確かに可憐で、庇護欲を刺激する。貴族たちもそれを好意的に受け止め、「これぞ王妃に相応しい」「タリタとは大違いだ」と囁き合った。
その名前が出た瞬間、レオンハルトの胸に、微かな引っかかりが生まれる。
(……タリタ)
彼女は、あまりにもあっさりと婚約破棄を受け入れた。
怒りも、涙も、未練も見せず、ただ完璧な礼をして去っていった姿が、なぜか脳裏から離れない。
「殿下?」
セラフィナに呼ばれ、レオンハルトは我に返る。
「どうしました?」
「いや……何でもない」
そう答えながらも、彼は周囲を見渡した。
いつもなら、この場に必ずいた人物がいないことに、ようやく気づく。
――財務官補佐。
――式次第の最終確認役。
――貴族間の微妙な席次調整。
それらを黙って引き受け、滞りなく舞踏会を回していた存在。
タリタ・フォーマルハウト。
(……まあいい。いなくなっても、問題はないだろう)
そう自分に言い聞かせ、彼は再び笑顔を作った。
だが、その直後だった。
「殿下、少々……」
蒼白な顔をした侍従が、そっと耳打ちしてくる。
「財務部から連絡が。今夜の舞踏会の費用精算ですが……一部、承認書類が見当たらないと」
「承認?」
「はい。例年ですと、フォーマルハウト公爵令嬢が事前に全て確認を……」
言葉が、途切れる。
レオンハルトは一瞬、黙り込んだ。
「……後でいい。今は祝宴だ」
「は、はい……」
侍従は引き下がったが、その表情には不安が残っていた。
同じ頃。
王宮の外れ、静かな回廊を歩く馬車の中で、私は一人、窓の外を眺めていた。
――タリタ・フォーマルハウト。
王宮を離れるその瞬間まで、私は何も持ち出さなかった。
帳簿も、覚書も、人脈も。
すべて、私の頭の中にあるものだから。
「……お嬢様」
向かいに座る侍女が、心配そうに声をかける。
「本当に、このままでよろしいのですか?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「もう、私が口を出す理由はありませんもの」
それは、強がりでも、皮肉でもない。
本心だった。
私は支える役を降りただけ。
崩れるなら、それは最初から、支えに頼りきっていた側の問題だ。
馬車は静かに王都を離れ、夜の闇へと進んでいく。
その背後で、王宮という巨大な歯車が、
ほんのわずか――音を立てて、狂い始めていることを、
まだ誰も、はっきりとは理解していなかった。
王宮の夜は、祝福に満ちていた。
少なくとも、表向きは。
舞踏会の後半は、婚約破棄という衝撃的な出来事が嘘だったかのように再び音楽が流れ、貴族たちは笑顔を取り戻していた。王太子レオンハルトの周囲には人だかりができ、口々に「英断でしたな」「新しい時代の象徴です」と持ち上げる声が飛び交う。
彼はそれらに満足げに頷きながら、腕に縋る新聖女セラフィナを見下ろした。
「緊張しているのか?」
「い、いえ……ただ、少し驚いていて……」
セラフィナはそう言って、はにかむように微笑んだ。その仕草は確かに可憐で、庇護欲を刺激する。貴族たちもそれを好意的に受け止め、「これぞ王妃に相応しい」「タリタとは大違いだ」と囁き合った。
その名前が出た瞬間、レオンハルトの胸に、微かな引っかかりが生まれる。
(……タリタ)
彼女は、あまりにもあっさりと婚約破棄を受け入れた。
怒りも、涙も、未練も見せず、ただ完璧な礼をして去っていった姿が、なぜか脳裏から離れない。
「殿下?」
セラフィナに呼ばれ、レオンハルトは我に返る。
「どうしました?」
「いや……何でもない」
そう答えながらも、彼は周囲を見渡した。
いつもなら、この場に必ずいた人物がいないことに、ようやく気づく。
――財務官補佐。
――式次第の最終確認役。
――貴族間の微妙な席次調整。
それらを黙って引き受け、滞りなく舞踏会を回していた存在。
タリタ・フォーマルハウト。
(……まあいい。いなくなっても、問題はないだろう)
そう自分に言い聞かせ、彼は再び笑顔を作った。
だが、その直後だった。
「殿下、少々……」
蒼白な顔をした侍従が、そっと耳打ちしてくる。
「財務部から連絡が。今夜の舞踏会の費用精算ですが……一部、承認書類が見当たらないと」
「承認?」
「はい。例年ですと、フォーマルハウト公爵令嬢が事前に全て確認を……」
言葉が、途切れる。
レオンハルトは一瞬、黙り込んだ。
「……後でいい。今は祝宴だ」
「は、はい……」
侍従は引き下がったが、その表情には不安が残っていた。
同じ頃。
王宮の外れ、静かな回廊を歩く馬車の中で、私は一人、窓の外を眺めていた。
――タリタ・フォーマルハウト。
王宮を離れるその瞬間まで、私は何も持ち出さなかった。
帳簿も、覚書も、人脈も。
すべて、私の頭の中にあるものだから。
「……お嬢様」
向かいに座る侍女が、心配そうに声をかける。
「本当に、このままでよろしいのですか?」
「ええ」
私は微笑んだ。
「もう、私が口を出す理由はありませんもの」
それは、強がりでも、皮肉でもない。
本心だった。
私は支える役を降りただけ。
崩れるなら、それは最初から、支えに頼りきっていた側の問題だ。
馬車は静かに王都を離れ、夜の闇へと進んでいく。
その背後で、王宮という巨大な歯車が、
ほんのわずか――音を立てて、狂い始めていることを、
まだ誰も、はっきりとは理解していなかった。
82
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約者を奪われましたが、彼が愛していたのは私でした
珊瑚
恋愛
全てが完璧なアイリーン。だが、転落して頭を強く打ってしまったことが原因で意識を失ってしまう。その間に婚約者は妹に奪われてしまっていたが彼の様子は少し変で……?
基本的には、0.6.12.18時の何れかに更新します。どうぞ宜しくお願いいたします。
とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜
入多麗夜
恋愛
【完結まで執筆済!】
社交界を賑わせた婚約披露の茶会。
令嬢セリーヌ・リュミエールは、婚約者から突きつけられる。
「真実の愛を見つけたんだ」
それは、信じた誠実も、築いてきた未来も踏みにじる裏切りだった。だが、彼女は微笑んだ。
愛よりも冷たく、そして美しく。
笑顔で地獄へお送りいたします――
なんでも思い通りにしないと気が済まない妹から逃げ出したい
木崎優
恋愛
「君には大変申し訳なく思っている」
私の婚約者はそう言って、心苦しそうに顔を歪めた。「私が悪いの」と言いながら瞳を潤ませている、私の妹アニエスの肩を抱きながら。
アニエスはいつだって私の前に立ちはだかった。
これまで何ひとつとして、私の思い通りになったことはない。すべてアニエスが決めて、両親はアニエスが言うことならと頷いた。
だからきっと、この婚約者の入れ替えも両親は快諾するのだろう。アニエスが決めたのなら間違いないからと。
もういい加減、妹から離れたい。
そう思った私は、魔術師の弟子ノエルに結婚を前提としたお付き合いを申し込んだ。互いに利のある契約として。
だけど弟子だと思ってたその人は実は魔術師で、しかも私を好きだったらしい。
婚約破棄されました。
まるねこ
恋愛
私、ルナ・ブラウン。歳は本日14歳となったところですわ。家族は父ラスク・ブラウン公爵と母オリヴィエ、そして3つ上の兄、アーロの4人家族。
本日、私の14歳の誕生日のお祝いと、婚約者のお披露目会を兼ねたパーティーの場でそれは起こりました。
ド定番的な婚約破棄からの恋愛物です。
習作なので短めの話となります。
恋愛大賞に応募してみました。内容は変わっていませんが、少し文を整えています。
ふんわり設定で気軽に読んでいただければ幸いです。
Copyright©︎2020-まるねこ
【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。
やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。
落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。
毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。
様子がおかしい青年に気づく。
ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。
ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
最終話まで予約投稿済です。
次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。
ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。
楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。
最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜
腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。
「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。
エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる