婚約破棄されたその後は、何も起きない日々でした

ふわふわ

文字の大きさ
39 / 40

39話 名前を呼ばれる時

しおりを挟む
39話 名前を呼ばれる時

 日常が守られ続けると、人はようやく「誰がそれを守っているのか」に気づき始める。
 遅すぎるほどに、静かに。

 王宮では、珍しく一つの名が口にされた。

「……この流れを作ったのは、誰だったか」

 会議の終わり際、若い官僚がぽつりと呟いた言葉だった。
 誰かを称えようという意図はない。ただ、疑問として浮かんだだけだ。

 室内が、ほんの一瞬だけ静まる。

「最初に線を引いたのは……」

 側近が言いかけて、言葉を止めた。

 レオンハルトは、その沈黙を咎めなかった。
 代わりに、ゆっくりと口を開く。

「名を呼ぶ必要はない」

 視線を上げずに、続ける。

「名を呼ばれた時点で、その人は“象徴”になる。
 象徴は、いずれ都合よく使われる」

 誰も反論しなかった。
 それが、ここまで積み上げてきた判断の延長だと、全員が理解している。

「守るべきは、名前じゃない。
 基準と、日常だ」

 会議は、それで終わった。

 一方、フォーマルハウト領。
 私は朝の巡回を終え、集会所で役人から報告を受けていた。

「最近、領民の間で噂があります」

「どんな?」

「“お嬢様が全てを決めている”と」

 私は、わずかに眉を動かす。

「否定は?」

「していません。ただ……名前が一人歩きし始めています」

 私は少し考え、首を横に振った。

「訂正もしなくていいです」

「よろしいのですか?」

「ええ。名前が出るのは、責任が見えてきた証拠です」

 隠す段階は、もう終わっている。
 だが、前に出る必要もない。

 午後、領内を巡回する。
 市場は穏やかで、人々は私に深々と頭を下げるわけでもない。
 軽く会釈を交わすだけだ。

(それでいい)

 名前を呼ばれなくても、
 呼ばれても、
 判断は変わらない。

 同じ頃、王宮では外部文書に、初めて一つの名が記されていた。

「“現行体制は、フォーマルハウト方式に基づく”……とありますが」

 側近の問いに、レオンハルトは短く答える。

「削除しろ」

「理由は?」

「方式に名前は要らない」

 人の名を冠した瞬間、
 それは個人の功績になり、
 個人が消えれば、否定される。

 それを、彼はよく知っていた。

 夜。
 王宮の灯りは、いつも通りに消えていく。
 誰の名も呼ばれないまま、制度は動き続ける。

 一方、フォーマルハウト領の夜。
 私は日誌を開き、今日の出来事を記す。

――名前を呼ばれた。
――だが、立ち止まらない。

 名は、記号だ。
 判断は、責任だ。

 距離は、変わらない。
 だが、その距離の中で、王宮と領地はそれぞれに――
 同じことを選び続けていた。

 名を残さないこと。

 それは、消えることではない。
 仕組みの中に溶け込み、
 誰かが欠けても、日常が続くようにするための選択だ。

 そして明日もまた、
 誰の名も呼ばれぬまま、
 日常は、確かに続いていく。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄から50年後

あんど もあ
ファンタジー
王立学園の卒業パーティーで、王子が婚約者に婚約破棄を宣言した。王子は真に愛する女性と結ばれ、めでたしめでたし。 そして50年後、王子の孫の王子は、婚約破棄された女性の孫と婚約する事に。そこで明かされた婚約破棄の真実とは。

【完結】私が誰だか、分かってますか?

美麗
恋愛
アスターテ皇国 時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった 出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。 皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。 そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。 以降の子は妾妃との娘のみであった。 表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。 ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。 残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。 また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。 そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか… 17話完結予定です。 完結まで書き終わっております。 よろしくお願いいたします。

愚かな者たちは国を滅ぼす【完結】

春の小径
ファンタジー
婚約破棄から始まる国の崩壊 『知らなかったから許される』なんて思わないでください。 それ自体、罪ですよ。 ⭐︎他社でも公開します

親切なミザリー

みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。 ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。 ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。 こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。 ‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。 ※不定期更新です。

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

恩知らずの婚約破棄とその顛末

みっちぇる。
恋愛
シェリスは婚約者であったジェスに婚約解消を告げられる。 それも、婚約披露宴の前日に。 さらに婚約披露宴はパートナーを変えてそのまま開催予定だという! 家族の支えもあり、婚約披露宴に招待客として参加するシェリスだが…… 好奇にさらされる彼女を助けた人は。 前後編+おまけ、執筆済みです。 【続編開始しました】 執筆しながらの更新ですので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。 矛盾が出たら修正するので、その時はお知らせいたします。

最愛の人に裏切られ死んだ私ですが、人生をやり直します〜今度は【真実の愛】を探し、元婚約者の後悔を笑って見届ける〜

腐ったバナナ
恋愛
愛する婚約者アラン王子に裏切られ、非業の死を遂げた公爵令嬢エステル。 「二度と誰も愛さない」と誓った瞬間、【死に戻り】を果たし、愛の感情を失った冷徹な復讐者として覚醒する。 エステルの標的は、自分を裏切った元婚約者と仲間たち。彼女は未来の知識を武器に、王国の影の支配者ノア宰相と接触。「私の知性を利用し、絶対的な庇護を」と、大胆な契約結婚を持ちかける。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処理中です...