34 / 62
第十五章 衛生革命の完成
しおりを挟む
冬の終わり、王都の外縁にある巨大処理場の前で、一本の赤いリボンが風に揺れていた。
最終区画――王都全域の下水道を結ぶ最後の連絡管が、今日、通水する。
「顧問殿、準備はいいかい?」
マルクス親方が豪快に笑い、エリアナへ金色の剪定鋏を差し出した。
「ええ。……これで本当に終わるのね」
合図のラッパが鳴る。刃がリボンを断つと同時に、地下から低く澄んだ水音が響き、観覧台から大きな歓声が上がった。
国王陛下が立ち上がり、朗々と宣言する。
「本日をもって、王都上下水道事業は完遂した! 民は清潔なる水を得、汚水は正しく処される。これは我が国の新たなる夜明けである!」
旗が振られ、子どもたちが白いハンカチを舞わせる。
ソフィアは潤んだ目で「長かったわね」と呟き、ルカスは胸甲の上から右拳を当てて敬礼した。アレクサンダーは計測板を掲げ、処理水の透明度を示す。誰もが笑っていた。
式典のあと、王都中央広場では「健康都市宣言」が読み上げられた。
掲示板には、過去一年の数字が大書される。
――感染症発生率 前年対比 ▲89%
――乳幼児死亡率 前年対比 ▲72%
――労働欠勤日数 前年対比 ▲41%
――税収 前年対比 +18%
人々はざわめき、やがて拍手の奔流が広場を満たす。
壇上へ進み出た財務大臣ヴィクターは、深々と頭を下げた。
「……私は、これを“無駄な公共事業”と断じた。不明を恥じ、ここに謝罪する。経済は、清潔と健康の上に築かれる――それを学んだのだ」
かつて鼻で笑った貴族たちも列をなして進み出る。
「屋敷の宅内配管、追加でお願いします」「貧民街から先にやる意味、今なら分かる」
手のひら返しの手は温かく、しかし少しばかり気恥ずかしい。
国王は玉座から降り、エリアナの前に立った。
「エリアナ・フォン・アルトハイム。そなたの知恵と執念が王都を救った。よって新たに“王国都市計画総監”の職を授ける。加えて、民の呼び名を正式としよう――『衛生革命の母』である」
「も、もう十分すぎる称号ですわ……! 私、医者でも土木技師でもなく、ただの――」
「“ただのオタク”だろう?」とルカスが小さく笑い、囁く。
「ええ、ゲームと本の聞きかじりです」
「その“聞きかじり”で、国が変わった」
夜。
高台の見張り塔から見下ろす王都は、街路樹が並ぶ大通りに暖かな灯が流れ、区画ごとに静かな秩序を保っていた。公園では子どもが咳ひとつせず走り回り、遠くの運河では荷船の灯火が行き交う。
地下からは、規律正しく水が駆ける音――新しい時代の心音がかすかに聴こえる。
「……百年使える下水道、できちゃったわね」
エリアナはマドレーヌを一口齧り、紅茶で流し込む。
甘さが、長い年月の苦味をやさしく溶かした。
「顧問殿!」
駆け上がってきた見習い技師が、巻物を差し出す。
「“下水道マイスター”第一期の修了者名簿です!」
そこには、貧民街出身の名も、職人の娘の名も、元兵士の名も並んでいた。技術は身分を越え、未来の標準語になろうとしている。
ふいに、石畳の陰から声が飛ぶ。
「マンホールの蓋ですが、やはり家紋入りで――」
「機能最優先、でも少しだけ可愛いの、許可します」
笑いが塔の上まで届く。都市が“自分たちのもの”になった証だ。
ディミトリからは隣国第二都市の再整備要請、アレクサンダーからは水質試験の新規プロトコル、マルクスからは橋梁設計の相談。
机の上の案件は山積みだが、不思議と心は軽い。
(医学、農業、そして衛生。きっと次は――道路、橋、港、そして光を運ぶ網……)
星明かりが、まだ見ぬ路線図を描くように瞬いていた。
「さあ、行きましょうか。都市は“完成”した瞬間から、次の改良が始まるのだから」
エリアナは外套の襟を正し、塔を降りる。
足下で、百年先へ続く水音が、確かに彼女を背中から押した。
---
(衛生革命編 完)
最終区画――王都全域の下水道を結ぶ最後の連絡管が、今日、通水する。
「顧問殿、準備はいいかい?」
マルクス親方が豪快に笑い、エリアナへ金色の剪定鋏を差し出した。
「ええ。……これで本当に終わるのね」
合図のラッパが鳴る。刃がリボンを断つと同時に、地下から低く澄んだ水音が響き、観覧台から大きな歓声が上がった。
国王陛下が立ち上がり、朗々と宣言する。
「本日をもって、王都上下水道事業は完遂した! 民は清潔なる水を得、汚水は正しく処される。これは我が国の新たなる夜明けである!」
旗が振られ、子どもたちが白いハンカチを舞わせる。
ソフィアは潤んだ目で「長かったわね」と呟き、ルカスは胸甲の上から右拳を当てて敬礼した。アレクサンダーは計測板を掲げ、処理水の透明度を示す。誰もが笑っていた。
式典のあと、王都中央広場では「健康都市宣言」が読み上げられた。
掲示板には、過去一年の数字が大書される。
――感染症発生率 前年対比 ▲89%
――乳幼児死亡率 前年対比 ▲72%
――労働欠勤日数 前年対比 ▲41%
――税収 前年対比 +18%
人々はざわめき、やがて拍手の奔流が広場を満たす。
壇上へ進み出た財務大臣ヴィクターは、深々と頭を下げた。
「……私は、これを“無駄な公共事業”と断じた。不明を恥じ、ここに謝罪する。経済は、清潔と健康の上に築かれる――それを学んだのだ」
かつて鼻で笑った貴族たちも列をなして進み出る。
「屋敷の宅内配管、追加でお願いします」「貧民街から先にやる意味、今なら分かる」
手のひら返しの手は温かく、しかし少しばかり気恥ずかしい。
国王は玉座から降り、エリアナの前に立った。
「エリアナ・フォン・アルトハイム。そなたの知恵と執念が王都を救った。よって新たに“王国都市計画総監”の職を授ける。加えて、民の呼び名を正式としよう――『衛生革命の母』である」
「も、もう十分すぎる称号ですわ……! 私、医者でも土木技師でもなく、ただの――」
「“ただのオタク”だろう?」とルカスが小さく笑い、囁く。
「ええ、ゲームと本の聞きかじりです」
「その“聞きかじり”で、国が変わった」
夜。
高台の見張り塔から見下ろす王都は、街路樹が並ぶ大通りに暖かな灯が流れ、区画ごとに静かな秩序を保っていた。公園では子どもが咳ひとつせず走り回り、遠くの運河では荷船の灯火が行き交う。
地下からは、規律正しく水が駆ける音――新しい時代の心音がかすかに聴こえる。
「……百年使える下水道、できちゃったわね」
エリアナはマドレーヌを一口齧り、紅茶で流し込む。
甘さが、長い年月の苦味をやさしく溶かした。
「顧問殿!」
駆け上がってきた見習い技師が、巻物を差し出す。
「“下水道マイスター”第一期の修了者名簿です!」
そこには、貧民街出身の名も、職人の娘の名も、元兵士の名も並んでいた。技術は身分を越え、未来の標準語になろうとしている。
ふいに、石畳の陰から声が飛ぶ。
「マンホールの蓋ですが、やはり家紋入りで――」
「機能最優先、でも少しだけ可愛いの、許可します」
笑いが塔の上まで届く。都市が“自分たちのもの”になった証だ。
ディミトリからは隣国第二都市の再整備要請、アレクサンダーからは水質試験の新規プロトコル、マルクスからは橋梁設計の相談。
机の上の案件は山積みだが、不思議と心は軽い。
(医学、農業、そして衛生。きっと次は――道路、橋、港、そして光を運ぶ網……)
星明かりが、まだ見ぬ路線図を描くように瞬いていた。
「さあ、行きましょうか。都市は“完成”した瞬間から、次の改良が始まるのだから」
エリアナは外套の襟を正し、塔を降りる。
足下で、百年先へ続く水音が、確かに彼女を背中から押した。
---
(衛生革命編 完)
61
あなたにおすすめの小説
『婚約破棄され追放されましたが、隣国の氷の公爵様に“白い結婚”を提案されましたので、心穏やかに幸せになりますわ
鷹 綾
恋愛
婚約破棄されたその日、私は“追放令”も同時に宣告された。
王太子エドモンド殿下曰く、
「君のように冷たい女はいらない。真実の愛は聖女ローザだ」──と。
……それなら結構ですわ。
捨ててくださって、ありがとうございます。
行く宛もなく王都を去った私を拾ったのは、
冷徹と噂される若き宰相代理アレクシス様。
「俺と“白い結婚”をしないか。
互いの自由を侵さない、契約だけの結婚だ」
恋愛感情は一切なし。
――そんなはずだったのに。
料理を褒めてくれる優しい声。
仕事帰りにかけてくれる「ただいま」。
私の手をそっと包む温もり。
気づけば、契約のはずの彼との距離が、少しずつ近づいていく。
そんな折──王太子と偽聖女ローザが私を“罪人”に仕立て上げ、
祝福の儀の場で公開断罪しようと企む。
「セレナに触れるな。……彼女は、俺の妻だ」
アレクシス様が壇上で剣を抜いた瞬間、
私の世界は大きく動き出した。
偽りの聖女は暴かれ、王太子は没落。
追放された令嬢の“ざまぁ”が王都を駆け巡る中、
契約で始まった白い結婚は――本物の夫婦の誓いへと変わっていく。
これは、
捨てられた令嬢が“本当の幸せ”をつかみ取る、
大逆転のラブストーリー。
---
掃除婦に追いやられた私、城のゴミ山から古代兵器を次々と発掘して国中、世界中?がざわつく
タマ マコト
ファンタジー
王立工房の魔導測量師見習いリーナは、誰にも測れない“失われた魔力波長”を感じ取れるせいで奇人扱いされ、派閥争いのスケープゴートにされて掃除婦として城のゴミ置き場に追いやられる。
最底辺の仕事に落ちた彼女は、ゴミ山の中から自分にだけ見える微かな光を見つけ、それを磨き上げた結果、朽ちた金属片が古代兵器アークレールとして完全復活し、世界の均衡を揺るがす存在としての第一歩を踏み出す。
薬師の能力を買われた嫁ぎ先は闇の仕事を請け負う一族でした
あねもね
恋愛
薬師として働くエリーゼ・バリエンホルムは貴族の娘。
しかし両親が亡くなって以降、叔父に家を追い出されていた。エリーゼは自分の生活と弟の学費を稼ぐために頑張っていたが、店の立ち退きを迫られる事態となる。同時期に、好意を寄せていたシメオン・ラウル・アランブール伯爵からプロポーズを申し込まれていたものの、その申し出を受けず、娼館に足を踏み入れることにした。
エリーゼが娼館にいることを知ったシメオンは、エリーゼを大金で身請けして屋敷に連れ帰る。けれどそこは闇の仕事を請け負う一族で、シメオンはエリーゼに毒薬作りを命じた。
薬師としての矜持を踏みにじられ、一度は泣き崩れたエリーゼだったが……。
――私は私の信念で戦う。決して誰にも屈しない。
本物聖女の力は無力でした ――見世物レベルの聖女のおかげで婚約破棄されました――**
鷹 綾
恋愛
魔法が存在しないと信じられていた世界に、
突如として現れた「本物の聖女」。
空中浮遊、瞬間移動、念動力――
奇跡を披露した平民の少女は、たちまち市民の熱狂を集め、
王太子はその力に目を奪われる。
その結果、
王太子の婚約者だった公爵令嬢アストリアは、
一方的に婚約を破棄されてしまった。
だが、聖女の力は――
・空中浮遊は、地上三十センチ
・瞬間移動は、秒速一メートル
・念動力は、手で持てる重さまで
派手ではあるが、実用性は乏しい。
聖女の力は、見世物レベル。
少なくとも、誰もがそう判断していた。
それでも人々は喝采し、
権威は少女を縛り、
「聖女」という立場だけが一人歩きしていく。
そんな中、婚約破棄された公爵令嬢アストリアは、
ある違和感に気づき始める。
――奇跡よりも、奪われているものがあることに。
派手な復讐はない。
怒鳴り返しもしない。
けれど静かに、確実に、
“正しさ”は明らかになっていく。
見世物にされた奇跡と、
尊厳を取り戻す少女たちの物語。
---
【完結】異世界から来た聖女ではありません!
五色ひわ
恋愛
ミシュリーヌは、第四王子オーギュストの妃としてフルーナ王国の王宮で暮らしている。しかし、夫であるオーギュストがミシュリーヌの寝室に訪れることはない。ミシュリーヌは聖女の力を持っていたため、妻に望まれただけなのだ。それでも、ミシュリーヌはオーギュストとの関係を改善したいと考えている。
どうすれば良いのかしら?
ミシュリーヌは焦っていた。七年間かけて国中の水晶を浄化したことにより、フルーナ王国は平穏を取り戻しつつある。それは同時に聖女の力がこの国に必要なくなったことを意味していた。
このまま、オーギュストの優しさに縋ってお飾りの妻を続けるしかないのだろうか。思い悩むミシュリーヌの前に現れたのは、オーギュストの恋人を名乗る女性だった。
・本編141話
・おまけの短編 ①9話②1話③5話
家族に支度金目当てで売られた令嬢ですが、成り上がり伯爵に溺愛されました
日下奈緒
恋愛
そばかす令嬢クラリスは、家族に支度金目当てで成り上がり伯爵セドリックに嫁がされる。
だが彼に溺愛され家は再興。
見下していた美貌の妹リリアナは婚約破棄される。
私は〈元〉小石でございます! ~癒し系ゴーレムと魔物使い~
Ss侍
ファンタジー
"私"はある時目覚めたら身体が小石になっていた。
動けない、何もできない、そもそも身体がない。
自分の運命に嘆きつつ小石として過ごしていたある日、小さな人形のような可愛らしいゴーレムがやってきた。
ひょんなことからそのゴーレムの身体をのっとってしまった"私"。
それが、全ての出会いと冒険の始まりだとは知らずに_____!!
【完結】動物と話せるだけの少女、森で建国して世界の中心になりました
なみゆき
ファンタジー
ミナ・クローバーは、王国で唯一の“動物使い”として王宮のペットたちを世話していたが、実は“動物語”を理解できる特異体質を持つ少女。その能力を隠しながら、動物たちと心を通わせていた。
ある日、王女の猫・ミルフィーの毒舌を誤訳されたことがきっかけで、ミナは「動物への不敬罪」で王都を追放される。失意の中、森へと向かったミナを待っていたのは、かつて助けた動物たちによる熱烈な歓迎だった。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる